バッカスの馬鹿

飴ちゃん君。

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3話 待ち焦がれる心は、扉の向こうを見つめていた

晩餐会の準備が進む王城は、昼の凱旋の熱気をそのまま夜の華やかさに変えていく。
磨き上げられた廊下には蝋燭の灯が等間隔に揺れ、給仕たちはワゴンを押して忙しなく行き交っている。
花で飾られた柱の向こうでは楽師たちが音合わせをしており、遠くからは貴婦人たちの笑い声も聞こえ始めた。
そんな中、クリストフェルとティリウスの控えの間では、クリストフェルがソファーと扉の間を行ったり来たりしていた。
扉の前に立ったまま、クリストフェルはもう何度目かわからない問いを投げかけた。

「兄さま、まだ?」

返事が変わらないことは、わかっている。
それでも口に出さずにはいられなかった。

「まだ」
 
クリストフェルの指先が落ち着かない。
扉の取っ手に触れては離し、また触れて結局開けることはできない。
そのとき、廊下の向こうから軽い足音が近づいてきた。

「失礼いたします」

クリストフェルには開くことができない扉が、軽いノックと控えめな声とともにいとも簡単に開かれ、メイドが一礼して通り過ぎる。
銀のトレイの上には、磨き上げられたグラスに入った果実水と、甘い香りを放つ花が乗っていた。

「……会場のご準備、整いつつございます。騎士団の皆様もすでにお席へ……」

報告というほどでもない、耳に入らないはずのない声量で告げられた言葉に、クリストフェルの肩がぴくりと揺れた。
騎士団。
その一言で、胸の奥がざわつく。

「もう、行っていい?」

反射的に兄へ振り返り、ほとんど飛び出しかける勢いで問う。

「だめ」
「なんで!?」

即座に返された否定に、即座に不満の声をあげ、クリストフェルは、いっそ本当に扉を開けてしまおうかと考える。
けれど、その衝動はすぐに抑え込んだ。
言いつけを破ったら、あとで余計に枷がつくと、わかる程度には分別がある。
それが、今はひどくもどかしい。

兄と投げかけ合う声は不満げな一方で、室内をうろうろ歩く足取りはどこか浮ついている。
扉の向こうにはもう、バッカスがいる。
抑えきれない期待が隠しきれずに滲んでいた。廊下には宮仕たちの足音と、遠くから届く笑い声が重なっていた。
そのすべてが、今すぐそこへ行けと言っているように聞こえる。
けれど行けない。

「王族が一番に会場へ飛び込んでいってどうするの」

淡々としたティリウスの声が、クリストフェルを現実に引き戻す。
兄の言葉に、むっと頬を膨らませ一旦立ち止まるけれど、すぐにまた一歩、二歩と扉へ近づいてしまう。
未練がましく何度も目をやり、そのたびに兄の言葉となけなしの分別に引き戻された。
今すぐ行きたい早く会いたい、切望が胸の内でぐるぐると回っている。

「だって、さっき全然話せなかったんだよ?」

ようやく絞り出した言葉は、言い訳のようで、ほとんど本音だった。

「話してたじゃないか……大広間のど真ん中で」

ティリウスはソファに腰かけたまま、書類に目をやり淡々と言った。
金の髪はきちんと結い直され、凱旋式典用の礼装から晩餐会用の軽やかで華やかな王子服へ着替えている。
白を基調に金糸で刺繍された上着に、赤褐色の宝石で留めた細いリボンタイ。
誰が見ても愛らしく、そして高貴な末王子だった。
ただし今は、たとえるなら、覚えたての「待て」を健気に頑張っているが、千切れんばかりに振られる尾が止められない子犬、だろうか。
書類を読みながらもティリウスはクリストフェルの相手をしている。
晩餐会ギリギリまで仕事をしているのは上の兄のやり残しの尻拭いである。

「あれは違うしっ!」
「何が違うの?」

なだめるでもないティリウスの声は穏やかだったが、クリストフェルの主張を聞き入れる気はないらしく、書類から目を離さない。

「だって、ちゃんと会ってない!」
「晩餐会が終わったら連れていってあげるって約束したでしょ」
「でもーっ!」

クリストフェルは、ばたばたとティリウスの前まで来ると、机に手をついて身を乗り出した。

「僕、まだ『お帰り』ってちゃんと言えてないの!」

ティリウスはようやく顔を上げた。その赤い瞳に映る弟は18歳とは思えないほどわかりやすく、そして可愛い。
昔からそうだった。好きなものには全力で手を伸ばし、欲しいと思ったら隠しもしない。
そのくせ与えられる愛には無防備で、だからこそ周囲は目を離せない。

——あの日からずっと。

ティリウスは、ふっと瞳を細めた。脳裏に蘇るのは、まだ弟が幼かった頃の光景だ。

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