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4話 小さな恋は、春の日にやってきた
それは、ティリウスが13歳、クリストフェルが6歳になった春のことだった。
王城の中庭には、若葉の匂いを含んだ風が吹いていた。
噴水の水面がきらきらと陽に輝き、石畳の回廊には午後の柔らかな光が落ちている。
ティリウスはその日、父王から『将来の側近となる候補者たちに会うように』と言いつけられていた。
王子が側に置ける臣下は、幼いうちから選び育てることになっている。
王族に生まれた者にとって、それはごく当たり前のことだ。
もっとも当時のティリウスは、まだ年相応に心も幼く、そんな政治的な話も入る茶会に内心ではうんざりしていた。
それでも二番目の王位継承者、つまりスペアとしての役割は十分承知している程度に、ティリウスは達観した子供だった。
中庭に集められていたのは、いずれも王宮や騎士団で政務あるいは国防に携わる伯爵家以上の名家の子息たちだ。
皆きちんと上等な服に身を包み、緊張した面持ちで第二王子の前に並んでいた。
その中に一人、一際目立つ少年がいた。
高位貴族の侯爵家三男、バッカス・バルグリード。
騎士団員を多く輩出した家門で、すでに同年代の誰よりも背が高く肩幅も広い。
まだ少年でありながら身体の基礎は完成しているように見えた。
日に焼けた肌に赤褐色の髪、金の瞳。
顔立ちは整ってはいるが、貴族らしい繊細さより野を駆ける獣のような生命力を強く感じた。立っているだけなのに、目を引きつける存在感だ。
——これは、父上が気に入るわけだ……。
ティリウスはそう思った。
頭の回転もよく剣の腕も優秀、高位貴族の子息で血筋も申し分ない。
王族の側に置く側近として素晴らしい逸材だろう。
それに、ティリウスはバッカスを前から多少見知っていた。
彼はティリウスの乳母を務めたバルグリード夫人の第三子、ティリウスの乳兄弟は、彼の実弟にあたるのだ。
乳兄弟ほど近くはないが、ただの家臣の子供より親しみがある、そんな関係である。
そんなバッカスの前にティリウスは立った。
3歳年上のバッカスは、ティリウスに人懐こい笑顔を向けた後、一歩前へ出て胸に手を当て完璧な礼を取った。
「第二王子ティリウス殿下。
バルグリード侯爵家三男、バッカスにございます」
「顔を上げて」
「はい」
すでに変声期を終えた、低く落ち着いた声だった。
本来ならば、身分の上のものから声をかけるべきところだが、今回は側近を決める茶会であり高位貴族から順に声をかけてくるスタイルをとっていた。
ティリウスが声を返そうとしたその時、ぱたぱたぱたっと軽い足音が石畳に響いた。
「兄さまーっ!」
ティリウスは嫌な予感がした。
回廊の柱の陰から飛び出してきたのは、案の定弟のクリストフェルであった。
ふわふわの金髪を風に跳ねさせた、小さな『可愛い』の塊。
まだ幼い顔立ちに大きな赤い瞳、王族用の軽い昼着のまま護衛と侍女を引き連れて走ってきたらしい。
クリストフェル、6歳。
自由奔放な好奇心の権化、王宮中に愛されて育つ末王子だ。
「クリス」
「兄さま、かくれんぼしてたのに、いなくなるなんてひどい!」
「してないよ、クリスが勝手に始めただけだろう」
「してたもん!」
ぷんすか怒りながら駆け寄ってきたクリストフェルは、ティリウスの前まで来てぴたりと止まった。兄より大きな影を見上げ、そのまま動かなくなる。
赤い瞳の先を追って、ティリウスは『ああ…』と心の中で呟いた。
クリストフェルを釘付けにしたのは、当然ながらバッカスだった。
壁のような長身に、騎士見習いの礼装。
まるで絵本から抜け出してきた騎士そのものだが、6歳の子供からすれば、16歳のバッカスは大きくて恐怖を感じているのかもしれない。
クリストフェルは瞬きもせずその姿を見つめていた。
ティリウスは弟が泣き出す前に抱え上げようと手を伸ばしたが、その袖を、眼差しはバッカスに固定したままクリストフェルはツンツンと引いた。
「……兄さま」
小さく震える声で問いかけながらも、クリストフェルは一瞬たりともバッカスから目を離さなかった。
見つけてしまった何かに、心ごと引き寄せられているように。
「なに」
「これ、なぁに?」
こてり、と首を傾げる。
あどけない仕草に計算はなく、思うまま動いただけなのに、その無防備さが妙に人の庇護欲をかきたてるのが弟だった。
「“これ”じゃないよ、クリス」
「じゃあ、このひと」
「人だよ」
「それは、わかるもん!」
頬を膨らませて反論する様子は、年相応とはいえあまりにもあどけない。
王族としての自覚や分別が芽生え始める年頃でありながら、不満を隠そうともしない姿は実年齢より幼く映るほどだ。
しかし、周囲の誰もがそれを微笑ましく受け取ってしまう程度には、クリストフェルという存在は万人を魅了する『可愛い』で出来ていた。
そしてすぐに、またバッカスを見上げる。
「……すごくおおきい、オークさんみたい」
ぽつりと零れた言葉は、遠慮も飾りもない。
その無邪気な感想に、周囲の少年たちは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
けれどバッカスは笑わなかった。
金の瞳が、静かにクリストフェルを捉えていた。
それは値踏みでも評価でもなく、強いて言うなら『見つけてしまった』というような、ひどく個人的な視線だった。
それに気づいているのかいないのか、クリストフェルは、ふらりと一歩踏み出した。
さらにもう一歩、引き寄せられるように距離を詰めていく。
「……お兄ちゃん、かっこいい」
ほう、と息をこぼすような声だった。
オークと言った口が真逆の感想をいう。
見上げる赤い瞳は恐れもなく無防備だった。
その刹那、バッカスの瞳が揺れた。
表情は変わらないけれど、確かに一瞬、息を呑んだような間があった。
目の前の存在が、思った以上に強く視界に焼き付いたせいで。
「クリス」
「だって、ほんとだもん」
叱られている気配すら気にせず、クリストフェルはバッカスの前まで進む。
そして、ためらいなくその袖をそっとつまんだ。
王城の中庭には、若葉の匂いを含んだ風が吹いていた。
噴水の水面がきらきらと陽に輝き、石畳の回廊には午後の柔らかな光が落ちている。
ティリウスはその日、父王から『将来の側近となる候補者たちに会うように』と言いつけられていた。
王子が側に置ける臣下は、幼いうちから選び育てることになっている。
王族に生まれた者にとって、それはごく当たり前のことだ。
もっとも当時のティリウスは、まだ年相応に心も幼く、そんな政治的な話も入る茶会に内心ではうんざりしていた。
それでも二番目の王位継承者、つまりスペアとしての役割は十分承知している程度に、ティリウスは達観した子供だった。
中庭に集められていたのは、いずれも王宮や騎士団で政務あるいは国防に携わる伯爵家以上の名家の子息たちだ。
皆きちんと上等な服に身を包み、緊張した面持ちで第二王子の前に並んでいた。
その中に一人、一際目立つ少年がいた。
高位貴族の侯爵家三男、バッカス・バルグリード。
騎士団員を多く輩出した家門で、すでに同年代の誰よりも背が高く肩幅も広い。
まだ少年でありながら身体の基礎は完成しているように見えた。
日に焼けた肌に赤褐色の髪、金の瞳。
顔立ちは整ってはいるが、貴族らしい繊細さより野を駆ける獣のような生命力を強く感じた。立っているだけなのに、目を引きつける存在感だ。
——これは、父上が気に入るわけだ……。
ティリウスはそう思った。
頭の回転もよく剣の腕も優秀、高位貴族の子息で血筋も申し分ない。
王族の側に置く側近として素晴らしい逸材だろう。
それに、ティリウスはバッカスを前から多少見知っていた。
彼はティリウスの乳母を務めたバルグリード夫人の第三子、ティリウスの乳兄弟は、彼の実弟にあたるのだ。
乳兄弟ほど近くはないが、ただの家臣の子供より親しみがある、そんな関係である。
そんなバッカスの前にティリウスは立った。
3歳年上のバッカスは、ティリウスに人懐こい笑顔を向けた後、一歩前へ出て胸に手を当て完璧な礼を取った。
「第二王子ティリウス殿下。
バルグリード侯爵家三男、バッカスにございます」
「顔を上げて」
「はい」
すでに変声期を終えた、低く落ち着いた声だった。
本来ならば、身分の上のものから声をかけるべきところだが、今回は側近を決める茶会であり高位貴族から順に声をかけてくるスタイルをとっていた。
ティリウスが声を返そうとしたその時、ぱたぱたぱたっと軽い足音が石畳に響いた。
「兄さまーっ!」
ティリウスは嫌な予感がした。
回廊の柱の陰から飛び出してきたのは、案の定弟のクリストフェルであった。
ふわふわの金髪を風に跳ねさせた、小さな『可愛い』の塊。
まだ幼い顔立ちに大きな赤い瞳、王族用の軽い昼着のまま護衛と侍女を引き連れて走ってきたらしい。
クリストフェル、6歳。
自由奔放な好奇心の権化、王宮中に愛されて育つ末王子だ。
「クリス」
「兄さま、かくれんぼしてたのに、いなくなるなんてひどい!」
「してないよ、クリスが勝手に始めただけだろう」
「してたもん!」
ぷんすか怒りながら駆け寄ってきたクリストフェルは、ティリウスの前まで来てぴたりと止まった。兄より大きな影を見上げ、そのまま動かなくなる。
赤い瞳の先を追って、ティリウスは『ああ…』と心の中で呟いた。
クリストフェルを釘付けにしたのは、当然ながらバッカスだった。
壁のような長身に、騎士見習いの礼装。
まるで絵本から抜け出してきた騎士そのものだが、6歳の子供からすれば、16歳のバッカスは大きくて恐怖を感じているのかもしれない。
クリストフェルは瞬きもせずその姿を見つめていた。
ティリウスは弟が泣き出す前に抱え上げようと手を伸ばしたが、その袖を、眼差しはバッカスに固定したままクリストフェルはツンツンと引いた。
「……兄さま」
小さく震える声で問いかけながらも、クリストフェルは一瞬たりともバッカスから目を離さなかった。
見つけてしまった何かに、心ごと引き寄せられているように。
「なに」
「これ、なぁに?」
こてり、と首を傾げる。
あどけない仕草に計算はなく、思うまま動いただけなのに、その無防備さが妙に人の庇護欲をかきたてるのが弟だった。
「“これ”じゃないよ、クリス」
「じゃあ、このひと」
「人だよ」
「それは、わかるもん!」
頬を膨らませて反論する様子は、年相応とはいえあまりにもあどけない。
王族としての自覚や分別が芽生え始める年頃でありながら、不満を隠そうともしない姿は実年齢より幼く映るほどだ。
しかし、周囲の誰もがそれを微笑ましく受け取ってしまう程度には、クリストフェルという存在は万人を魅了する『可愛い』で出来ていた。
そしてすぐに、またバッカスを見上げる。
「……すごくおおきい、オークさんみたい」
ぽつりと零れた言葉は、遠慮も飾りもない。
その無邪気な感想に、周囲の少年たちは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
けれどバッカスは笑わなかった。
金の瞳が、静かにクリストフェルを捉えていた。
それは値踏みでも評価でもなく、強いて言うなら『見つけてしまった』というような、ひどく個人的な視線だった。
それに気づいているのかいないのか、クリストフェルは、ふらりと一歩踏み出した。
さらにもう一歩、引き寄せられるように距離を詰めていく。
「……お兄ちゃん、かっこいい」
ほう、と息をこぼすような声だった。
オークと言った口が真逆の感想をいう。
見上げる赤い瞳は恐れもなく無防備だった。
その刹那、バッカスの瞳が揺れた。
表情は変わらないけれど、確かに一瞬、息を呑んだような間があった。
目の前の存在が、思った以上に強く視界に焼き付いたせいで。
「クリス」
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叱られている気配すら気にせず、クリストフェルはバッカスの前まで進む。
そして、ためらいなくその袖をそっとつまんだ。
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