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8話 侍女たちは、平静を保つ
時は、騎士団が古竜を倒したという一報が届いた頃まで遡る。
クリストフェルは一人時間を持て余していた。
「ねえ、ユリセラ」
朝食後のやわらかな光の中で、クリストフェルは焼き菓子をつまみながら、ふと思い立ったように側付きの侍女のひとりへ声をかけた。
「はい、殿下」
「男の人への贈り物って、何がいいと思う?」
その一言が落ちた瞬間、空気が揺れる。
目には見えない変化だったが、控えていた他の侍女たちにまで小さな波紋が広がった。
けれどクリストフェルは気づかない。
指先でカップの縁をなぞりながら、目を伏せた。
考えを口にする前に、数秒ためらう。
「ほら、……帰ってくるでしょ?」
「はい」
「だから、お疲れさまって、ちゃんとしたものを渡したくて」
言葉はまっすぐだった。
そのまっすぐさの奥に、ほんのりとした熱が混ざっている。
自分でも理由をうまく言えないまま、そうしたいという気持ちが先に形になったような。
指先がカップの縁を何度も行き来する。考えているのは贈り物のはずなのに、その向こうにいる誰かの顔が、何度も浮かんでは消えている。
「バルグリード卿に、ですか?」
ユリセラの問いは穏やかだったが、間を含んでいた。
クリストフェルは顔を上げ、きょとんとした表情。
それから、当たり前のことを確認されたみたいに、すぐ頷いた。
「うん、バッカスに」
肯定に迷いはなかったが、言ったあとで胸の奥にくすぐったいような感覚が残る。
少し落ち着かない、何かを隠したわけでも誤魔化したわけでもないのに、その名前を口にしただけで、ほんのりと熱が広がった。
クリストフェルはそれをごまかすように、カップに口をつけた。
湯気の向こうで、瞳が揺れる。
どうしてか、胸の奥が、そして口元も、ふわりとやわらかくほどけていた。
隠す気など欠片もなく、むしろどうして聞き返されたのかわからないと言いたげな主人の
様子に、若い侍女が思わず瞼を伏せ、別の侍女がそっと口元を押さえた。
——ああ、やっぱり。
無言の理解が、部屋の端から端へ静かに広がっていく。
侍女頭であるユリセラは一つ、若い侍女達に向けて軽く咳払いをした。
空気を整えるように、そして自分の中の何かを切り替えるように。
「そうですね……」
少し視線を落とし、言葉を選ぶ。
「実用品がよろしいかと」
「実用品…」
クリストフェルは、その言葉を口の中で転がすように繰り返す。
まだぴんと来ていない顔だった。
ユリセラはそんな主人を見て、小さく頷く。
「騎士の方は、身につけるものや、普段使えるものを好まれることが多いです」
説明は簡潔だが、その声には経験に裏打ちされた確かさがあった。
「剣とか?」
ぱっと顔を上げて、クリストフェルは思いついたままを口にする。
その無邪気さに、背後で誰かが息を詰めた。
ユリセラは目を伏せてから、やんわりと首を横に振る。
「王家の魔剣を既にお持ちですので、剣はお贈りなってもお持ち頂けませんね」
「あ、そっか……」
クリストフェルはしゅんと肩を落とした。
わかりやすいほどに落胆している。
その様子に、侍女たちの瞳がまたなごんだ。
——本当に、あの方のことになると子供のようだわ。
そんな思いを胸に抱きながら、誰もそれを口には出さない。
ユリセラが、目元をやわらげていた。
しゅんとしたクリストフェルは、暫く考え込んだ。
指先で焼き菓子の端をぽろぽろと崩しながら、俯き。
バッカスが使うもの、バッカスが身につけるもの。
バッカスが、いつも持っていてくれるもの。
そう考えた瞬間、クリストフェルは胸の奥がくすぐったくなって、思わずぎゅっと自分の服の裾を握った。
「……ずっと持っていられるものがいい」
ぽつりと落ちた声の微笑ましさに、侍女たちの視線が揺れる。
ユリセラは瞬きをしてから、静かに頷いた。
「まあ」
「あと、ちゃんと似合うやつ」
「まあまあ」
明案に気を良くしたクリストフェルは紅茶のカップを持ち上げた。香りを確かめるように一度息を含んで、何事もなかったように優雅な所作で口元へ運んだが。
「あと、見たらすぐにバッカスだってわかるやつ」
付け足された言葉に、隣の若い侍女がぴくりと肩を揺らし、慌てて俯いた。
別の侍女がそっと肘で小突き、小さく息を殺す。
——だめ、笑ったら負け。
主人の死角でそんな無言のやりとりが繰り広げられる中、ユリセラだけは一切表情を変えなかった。
しかし、主人を見つめる瞳が優しくなることまでは、自分を許した。
「でしたら……」
一拍置く。
「留め具はいかがでしょう」
「留め具?」
クリストフェルが顔を上げる。
赤い瞳が、まだ迷いを残したまま揺れている。
「クラバットピンや、マントの留め具のようなものです」
ユリセラは指先で自分の胸元を軽く示した。
そこには簡素ながら品のある銀の留め具が光っている。
「騎士の方が身につけられる留め具は、実用品であると同時に、見られることも多くございます」
「……見られる?」
「はい」
ユリセラは穏やかに頷く。
「戦場では強さを、宮廷では品位を。どちらもその方を形づくる大切な要素でございますから」
ユリセラの提案を真剣に聞いていたクリストフェルは、やがて、パズルのピースを見つけたように、ぱっと表情を明るくした。
「……うん、」
その変化に、若い侍女たちの間にも小さな期待が走る。
「それ、いいかもっ」
今度は迷いのない声だった。
「公の場でも身につけられますし、バルグリード卿ほどのお立場なら、今後使う機会も増えるでしょう」
「うん、うん」
クリストフェルは何度も頷く。
もう頭の中では、バッカスの胸元にそれがある光景が見えているのだろう。
「殿下が選ばれたものなら、きっと大切にしてくださいますよ」
ユリセラの声は変わらず穏やかだったが、その言葉はどこか重みを帯びていた。
クリストフェルはその意味を深く考えないまま、不安そうに問い返す。
「……ほんと?」
あまりにまっすぐな声音に、ユリセラは微笑んで答えた。
「ええ、きっと」
静かに、確信を込めて。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
『いいね』ものすごく励みになります、ありがとうございます!
頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
クリストフェルは一人時間を持て余していた。
「ねえ、ユリセラ」
朝食後のやわらかな光の中で、クリストフェルは焼き菓子をつまみながら、ふと思い立ったように側付きの侍女のひとりへ声をかけた。
「はい、殿下」
「男の人への贈り物って、何がいいと思う?」
その一言が落ちた瞬間、空気が揺れる。
目には見えない変化だったが、控えていた他の侍女たちにまで小さな波紋が広がった。
けれどクリストフェルは気づかない。
指先でカップの縁をなぞりながら、目を伏せた。
考えを口にする前に、数秒ためらう。
「ほら、……帰ってくるでしょ?」
「はい」
「だから、お疲れさまって、ちゃんとしたものを渡したくて」
言葉はまっすぐだった。
そのまっすぐさの奥に、ほんのりとした熱が混ざっている。
自分でも理由をうまく言えないまま、そうしたいという気持ちが先に形になったような。
指先がカップの縁を何度も行き来する。考えているのは贈り物のはずなのに、その向こうにいる誰かの顔が、何度も浮かんでは消えている。
「バルグリード卿に、ですか?」
ユリセラの問いは穏やかだったが、間を含んでいた。
クリストフェルは顔を上げ、きょとんとした表情。
それから、当たり前のことを確認されたみたいに、すぐ頷いた。
「うん、バッカスに」
肯定に迷いはなかったが、言ったあとで胸の奥にくすぐったいような感覚が残る。
少し落ち着かない、何かを隠したわけでも誤魔化したわけでもないのに、その名前を口にしただけで、ほんのりと熱が広がった。
クリストフェルはそれをごまかすように、カップに口をつけた。
湯気の向こうで、瞳が揺れる。
どうしてか、胸の奥が、そして口元も、ふわりとやわらかくほどけていた。
隠す気など欠片もなく、むしろどうして聞き返されたのかわからないと言いたげな主人の
様子に、若い侍女が思わず瞼を伏せ、別の侍女がそっと口元を押さえた。
——ああ、やっぱり。
無言の理解が、部屋の端から端へ静かに広がっていく。
侍女頭であるユリセラは一つ、若い侍女達に向けて軽く咳払いをした。
空気を整えるように、そして自分の中の何かを切り替えるように。
「そうですね……」
少し視線を落とし、言葉を選ぶ。
「実用品がよろしいかと」
「実用品…」
クリストフェルは、その言葉を口の中で転がすように繰り返す。
まだぴんと来ていない顔だった。
ユリセラはそんな主人を見て、小さく頷く。
「騎士の方は、身につけるものや、普段使えるものを好まれることが多いです」
説明は簡潔だが、その声には経験に裏打ちされた確かさがあった。
「剣とか?」
ぱっと顔を上げて、クリストフェルは思いついたままを口にする。
その無邪気さに、背後で誰かが息を詰めた。
ユリセラは目を伏せてから、やんわりと首を横に振る。
「王家の魔剣を既にお持ちですので、剣はお贈りなってもお持ち頂けませんね」
「あ、そっか……」
クリストフェルはしゅんと肩を落とした。
わかりやすいほどに落胆している。
その様子に、侍女たちの瞳がまたなごんだ。
——本当に、あの方のことになると子供のようだわ。
そんな思いを胸に抱きながら、誰もそれを口には出さない。
ユリセラが、目元をやわらげていた。
しゅんとしたクリストフェルは、暫く考え込んだ。
指先で焼き菓子の端をぽろぽろと崩しながら、俯き。
バッカスが使うもの、バッカスが身につけるもの。
バッカスが、いつも持っていてくれるもの。
そう考えた瞬間、クリストフェルは胸の奥がくすぐったくなって、思わずぎゅっと自分の服の裾を握った。
「……ずっと持っていられるものがいい」
ぽつりと落ちた声の微笑ましさに、侍女たちの視線が揺れる。
ユリセラは瞬きをしてから、静かに頷いた。
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付け足された言葉に、隣の若い侍女がぴくりと肩を揺らし、慌てて俯いた。
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「留め具?」
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「クラバットピンや、マントの留め具のようなものです」
ユリセラは指先で自分の胸元を軽く示した。
そこには簡素ながら品のある銀の留め具が光っている。
「騎士の方が身につけられる留め具は、実用品であると同時に、見られることも多くございます」
「……見られる?」
「はい」
ユリセラは穏やかに頷く。
「戦場では強さを、宮廷では品位を。どちらもその方を形づくる大切な要素でございますから」
ユリセラの提案を真剣に聞いていたクリストフェルは、やがて、パズルのピースを見つけたように、ぱっと表情を明るくした。
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クリストフェルは何度も頷く。
もう頭の中では、バッカスの胸元にそれがある光景が見えているのだろう。
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ユリセラの声は変わらず穏やかだったが、その言葉はどこか重みを帯びていた。
クリストフェルはその意味を深く考えないまま、不安そうに問い返す。
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