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9話 末王子は、無自覚に紅玉を選ぶ
ユリセラの言葉に後押しされて、クリストフェルはその日の午後、王室御用達の宝飾商を王子宮へ呼んだ。
小さな見本箱が、テーブルの上にいくつも並べられる。
銀細工、白金、細い鎖飾り、紋章入りの留め具。
青、緑、黒、琥珀色……さまざまな貴石が光を弾く中で、クリストフェルの視線は自然と一つの色に引き寄せられた。
「……赤」
箱の中で、ひと粒の赤い石が灯るように輝いていた。
深く澄んだ吸い込まれそうな赤。
クリストフェルは思わずそれを手に取った。
宝飾商が恭しく頭を下げる。
「良質の紅玉でございますね。ルビーとも呼ばれております、王家の御瞳にぴったりのお色かと」
「……」
その言葉に、クリストフェルはじっと石を見つめた。
王家の赤、自分たちの瞳の色。
小さい頃から何度も教えられてきた、王家の証たる瞳の色であり、選ばれた者の色。ほかにもさまざまなな曰くのある高貴な色。
でもクリストフェルにとっては、単純に自分を表す色である。
それを、バッカスに持っていて欲しいと思った、瞳の色の宝石を贈る意味を、まだ半分も自覚しないまま。
「これがいい」
クリストフェルは即決した。
ユリセラがちらりとクリストフェルを見た。
迷いのなさを確かめるように。
「そちらでよろしいのですか、殿下」
「うん」
宝飾商は少し瞳を細めた。
王子の返答の早さに商人の魂がうずく。
もちろん顔には出さず、にこやかな表情を保った。
「……かしこまりました」
恭しく言いながら、宝石の箱をそっと傾ける。
光を受けて他の石たちも一斉に輝きを増した。
赤だけではない、深い蒼、静かな翠、夜のような黒、どれもが選ばれるに相応しい輝きを放つ。
「もっと大きな石や、豪奢なものもございますが」
あくまで穏やかに、しかし、太客を逃さない商人の声音だった。
「バルグリード卿ほどのお方でしたら、多少大ぶりでも決して見劣りはなさらないかと」
言葉の端に “あの御方に相応しい格” をそっと乗せる。
「式典や公の場でも、より印象に残るお品になります」
さらに一歩、実用ではなく、見られる価値を提示する。
「また将来的に、殿下からの下賜品は家紋の象徴として受け継がれることも考えますと……」
そこで、宝飾商は間を置いた。
「もう一段、格の高いお石をお選びいただくのも一つかと存じます」
商人の薦めに、クリストフェルはもう一度箱を覗いた。
確かにどれも綺麗だし、きらきらしていて立派で、誰が見ても価値があるとわかる。
——でも。
「大きいのは嫌、他の色も嫌」
はっきりと、クリストフェルは首を横に振った。
宝飾商の眉が動く。
「と、申しますと?」
「……目立ちすぎるのは、なんか違う」
クリストフェルは少し頬を染めながら、選んだ赤い石に指先で触れた。
他のどれよりも控えめで、それでいて静かに光を宿している、ひと粒。
「だって、……」
言葉を探すように、一度視線を落とす。
「はい」
宝飾商が先を促すと、クリストフェルは小さく息を吸って素直に答えた。
「僕だけが見つけられれば、それでいいから」
その瞬間、宝飾商は初めて言葉を失った。
贈り主を誇示するための理屈でも、相手を飾るための価値でもない。
あまりにも個人的で、あまりにも純粋な理由だった。
「……」
一拍の沈黙のあと、宝飾商は静かに頭を下げた。
「……かしこまりました」
今度は、先ほどとは違う声音で。
「殿下のお選びになられた御石で、最上の仕立てを」
そこには、商人としてではなく、職人としての矜持が滲んでいた。
このとき、全侍女たちの呼吸も一瞬止まっていたことに、微笑む宝石商だけが気づいていなかった。
ユリセラはそっと目を伏せ、若い侍女達はつくづく悟った。
——だめだ、この王子は天然で刺してくる。
「では、台座はどうなさいますか」
「うーん……」
銀は少し冷たすぎる気がする。
金は華やかすぎる。
けれど白金の落ち着いた輝きは、バッカスによく似合いそうだとクリストフェルは思った。
「これ」
「白金でございますね」
「うん、赤がきれいに見えるから」
そして選ばれたのは過度な装飾のない、すっきりとしたマントの留め具だった。
白金を飾るのは中央の小さな赤い宝石だけ。その簡素さがかえって目を引く。
武骨な男の胸元にあれば、きっとよく映えるだろう。
「バッカスのマントは片方だけなの、剣を振るうから」
「ユサールマントですね。では留め具と同じ白金のチェーンを付けましょう。バルグリード卿のサイズは宝飾部が控えておりますので、そちらでしつらえてまいります。完成まで数日いただきたく」
「できるだけ早く」
「承知いたしました」
宝飾商が去ったあとも、クリストフェルは落ち着かなかった。
渡すところを想像するだけで、胸がそわそわする。
喜んでくれるだろうか、変じゃないだろうか。
でも、バッカスに何かを贈りたい気持ちは本物だった。
帰ってきてくれて嬉しい、生きていてくれて嬉しい、また会えて嬉しい。
その全部を、クリストフェルは言葉だけでなく、形にしたかった。
程なくして完成したマントの留め具は、細長い濃紺のビロードの箱に収められ、バッカスの凱旋の前日にクリストフェルのもとへ届いた。
「……綺麗」
箱を開けた瞬間、思わず溜息とともに賛辞が零れる。
白金のチェーンが付いた留め具に、ひと粒嵌められた赤い石。
派手ではないけれど、静かに目を奪う美しさがあった。
クリストフェルはそれを見つめながら、少し思案した。
窓辺から差し込む午後の光が、ビロードの箱の上にやわらかく落ちていた。
開かれた蓋の内側で、赤い石が静かに光を返している。
クリストフェルはその光を、しばらくの間黙って見つめた。
手の中にある小さな箱が、急に重たく感じられる。
指先で縁をなぞる。
閉じるでもなく、卓上へ戻すでもなく、曖昧な仕草でただ触れながら考える。
思い浮かべる。
あの大きな手がこれを受け取り、金の瞳が自分を見下ろし。
それからきっと、少し困ったように無言で眉が寄せられる。
胸の奥がきゅうと締まった。
喜んでほしい。
でも、その分相手を縛ってしまうのだとしたら。
手の中で、石の光が揺れて見える。
その揺らぎが、まるで、自分の内側を映しているようで、クリストフェルは息を飲んだ。
「……やっぱり、変かな、僕が贈るの……」
そんな言葉が、口から漏れる。
こと、バッカスに関わる選択においては、クリストフェルはいつも後から迷いはじめてしまうのだ。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
『いいね』ものすごく励みになります、ありがとうございます!
頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
小さな見本箱が、テーブルの上にいくつも並べられる。
銀細工、白金、細い鎖飾り、紋章入りの留め具。
青、緑、黒、琥珀色……さまざまな貴石が光を弾く中で、クリストフェルの視線は自然と一つの色に引き寄せられた。
「……赤」
箱の中で、ひと粒の赤い石が灯るように輝いていた。
深く澄んだ吸い込まれそうな赤。
クリストフェルは思わずそれを手に取った。
宝飾商が恭しく頭を下げる。
「良質の紅玉でございますね。ルビーとも呼ばれております、王家の御瞳にぴったりのお色かと」
「……」
その言葉に、クリストフェルはじっと石を見つめた。
王家の赤、自分たちの瞳の色。
小さい頃から何度も教えられてきた、王家の証たる瞳の色であり、選ばれた者の色。ほかにもさまざまなな曰くのある高貴な色。
でもクリストフェルにとっては、単純に自分を表す色である。
それを、バッカスに持っていて欲しいと思った、瞳の色の宝石を贈る意味を、まだ半分も自覚しないまま。
「これがいい」
クリストフェルは即決した。
ユリセラがちらりとクリストフェルを見た。
迷いのなさを確かめるように。
「そちらでよろしいのですか、殿下」
「うん」
宝飾商は少し瞳を細めた。
王子の返答の早さに商人の魂がうずく。
もちろん顔には出さず、にこやかな表情を保った。
「……かしこまりました」
恭しく言いながら、宝石の箱をそっと傾ける。
光を受けて他の石たちも一斉に輝きを増した。
赤だけではない、深い蒼、静かな翠、夜のような黒、どれもが選ばれるに相応しい輝きを放つ。
「もっと大きな石や、豪奢なものもございますが」
あくまで穏やかに、しかし、太客を逃さない商人の声音だった。
「バルグリード卿ほどのお方でしたら、多少大ぶりでも決して見劣りはなさらないかと」
言葉の端に “あの御方に相応しい格” をそっと乗せる。
「式典や公の場でも、より印象に残るお品になります」
さらに一歩、実用ではなく、見られる価値を提示する。
「また将来的に、殿下からの下賜品は家紋の象徴として受け継がれることも考えますと……」
そこで、宝飾商は間を置いた。
「もう一段、格の高いお石をお選びいただくのも一つかと存じます」
商人の薦めに、クリストフェルはもう一度箱を覗いた。
確かにどれも綺麗だし、きらきらしていて立派で、誰が見ても価値があるとわかる。
——でも。
「大きいのは嫌、他の色も嫌」
はっきりと、クリストフェルは首を横に振った。
宝飾商の眉が動く。
「と、申しますと?」
「……目立ちすぎるのは、なんか違う」
クリストフェルは少し頬を染めながら、選んだ赤い石に指先で触れた。
他のどれよりも控えめで、それでいて静かに光を宿している、ひと粒。
「だって、……」
言葉を探すように、一度視線を落とす。
「はい」
宝飾商が先を促すと、クリストフェルは小さく息を吸って素直に答えた。
「僕だけが見つけられれば、それでいいから」
その瞬間、宝飾商は初めて言葉を失った。
贈り主を誇示するための理屈でも、相手を飾るための価値でもない。
あまりにも個人的で、あまりにも純粋な理由だった。
「……」
一拍の沈黙のあと、宝飾商は静かに頭を下げた。
「……かしこまりました」
今度は、先ほどとは違う声音で。
「殿下のお選びになられた御石で、最上の仕立てを」
そこには、商人としてではなく、職人としての矜持が滲んでいた。
このとき、全侍女たちの呼吸も一瞬止まっていたことに、微笑む宝石商だけが気づいていなかった。
ユリセラはそっと目を伏せ、若い侍女達はつくづく悟った。
——だめだ、この王子は天然で刺してくる。
「では、台座はどうなさいますか」
「うーん……」
銀は少し冷たすぎる気がする。
金は華やかすぎる。
けれど白金の落ち着いた輝きは、バッカスによく似合いそうだとクリストフェルは思った。
「これ」
「白金でございますね」
「うん、赤がきれいに見えるから」
そして選ばれたのは過度な装飾のない、すっきりとしたマントの留め具だった。
白金を飾るのは中央の小さな赤い宝石だけ。その簡素さがかえって目を引く。
武骨な男の胸元にあれば、きっとよく映えるだろう。
「バッカスのマントは片方だけなの、剣を振るうから」
「ユサールマントですね。では留め具と同じ白金のチェーンを付けましょう。バルグリード卿のサイズは宝飾部が控えておりますので、そちらでしつらえてまいります。完成まで数日いただきたく」
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宝飾商が去ったあとも、クリストフェルは落ち着かなかった。
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その全部を、クリストフェルは言葉だけでなく、形にしたかった。
程なくして完成したマントの留め具は、細長い濃紺のビロードの箱に収められ、バッカスの凱旋の前日にクリストフェルのもとへ届いた。
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白金のチェーンが付いた留め具に、ひと粒嵌められた赤い石。
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クリストフェルはそれを見つめながら、少し思案した。
窓辺から差し込む午後の光が、ビロードの箱の上にやわらかく落ちていた。
開かれた蓋の内側で、赤い石が静かに光を返している。
クリストフェルはその光を、しばらくの間黙って見つめた。
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思い浮かべる。
あの大きな手がこれを受け取り、金の瞳が自分を見下ろし。
それからきっと、少し困ったように無言で眉が寄せられる。
胸の奥がきゅうと締まった。
喜んでほしい。
でも、その分相手を縛ってしまうのだとしたら。
手の中で、石の光が揺れて見える。
その揺らぎが、まるで、自分の内側を映しているようで、クリストフェルは息を飲んだ。
「……やっぱり、変かな、僕が贈るの……」
そんな言葉が、口から漏れる。
こと、バッカスに関わる選択においては、クリストフェルはいつも後から迷いはじめてしまうのだ。
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