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11話 王子は、想いをこめる
晩餐会の終了後、バッカスはティリウスと共に王子宮のクリストフェルの私室へやってきた。
いつも通りの礼儀正しさ、いつも通りの静けさ。
いつも通りの、……何を考えているのかわからない金の瞳。
それから、普段と違う騎士の礼服。
彼の華麗な礼装が、今日は特別な夜なのだと物語るようで、余計にクリストフェルは緊張した。
「はい、約束通り連れてきたよ」
ティリウスはにこりと笑ったけれど、その目はまったく笑っていなかった。
「ただし、あまり夜更かしはさせないこと」
「兄さまっ!?」
「バッカス、お前もだ。明日も王の前に出るんだから節度は守れ」
「承知しました……」
ティリウスは眉間に皺を寄せながら、しっかりと釘をさす。
婚約もしていない、ましてや恋人でもないが、明らかに好き合っている同士をこんな夜に二人っきりにするのだ。
流石にバッカスが王子に手を出すとは思ってはいないが、可愛い弟なのである。
心配性が発動するのは当然のことだ。
「節度ってなにっ!」
「クリスは黙ってなさい、バッカスわかってるよね?」
「承知しております……」
同じ返事を繰り返すバッカスに、ティリウスはため息を吐き出して歩き出す。
そして扉は閉められた。
途端、二人きりの静寂が落ち、クリストフェルは息を呑んでバッカスを見つめた。
一年ぶりにこんな近くにいる、高い背で大きな手のバッカス。
戦場の匂いを残した日焼けした肌、そして変わらず自分だけを見つめる金の瞳。
バッカスはしばらく何も言わず、静かにクリストフェルを見つめていた。
視線と沈黙に、先に耐えきれなくなったのはクリストフェルの方だった。
「……おかえり、バッカス」
小さな声だった。
用意していたはずの言葉より、ずっと短くて、ずっと不器用な言葉。
「ただいま帰りました、クリストフェル殿下」
低く落ち着いた声が返される。
それだけで部屋の空気が引き締まった。
人払いされた居間は静かで、時計の針の音さえ聞こえそうな程だった。
クリストフェルは小さなテーブル席にバッカスを誘い、向かい合って座る。
距離がやけに近く感じて、クリストフェルは膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
一年ぶりで緊張しているのか、指先が少し冷えている。
何か言おうとするけれど、肝心な言葉は喉の奥に詰まってしまい、出てこない。
「えっと……」
「はい」
「その……」
「はい」
言いよどめば、すぐに返される短い声は、先を急かさないやわらかな音だった。
クリストフェルは目線を下げ、テーブルの木目をなぞる。
言葉が出ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
——早く、言わないと。
そう思うほど、クリストフェルの心臓の音ばかりが大きくなる。
バッカスはじっとクリストフェルを見つめて、静かに待っている。
姿勢を崩さず瞳も逸らさず、そこにいる。
それが余計にクリストフェルの緊張を高めていた。
それでも、とうとうクリストフェルは、意を決して動いた。
「……これ」
少し震える手で、濃紺のビロードの箱を差し出す。
その瞬間、バッカスの眉が、かすかに動いた。
短い沈黙。
クリストフェルは息を止めてしまったことに気づいて、慌てて小さく吸い直す。
「私に、ですか?」
バッカスの低い声が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
確かめるような声音。
それにこくりと頷いただけのはずなのに、クリストフェルの動きは妙にぎこちなかった。
胸の奥が落ち着かない、手渡した箱が、まだ自分の手の中にあるような気さえする。
指先の感覚が消えないまま、クリストフェルは思わず自分の手を軽く握り込んだ。
「開けても?」
その一言に、びくりと肩が揺れる。
たったそれだけの確認なのに、どうしてこんなにも心臓が跳ねるのか。
自分でもわからないままクリストフェルは言葉を失った。
——どうしよう。
開けてほしい、でも、開けられるのが怖い。
そんな矛盾した思いが胸の中で絡まり合って、ぐるぐるしてしまう。
「……、うん」
ようやく絞り出した声は、思ったよりも小さくて、少し掠れていた。
顔を上げる勇気がなくて、バッカスの手元ばかりを見てしまうが、その視線すらも落ち着かない。
箱に触れようとする大きな手、自分とはまるで違うしっかりとした指。
その一つ一つの動きがやけにゆっくり見えて、時間が引き延ばされたようだった。
——どう、思うかな。
クリストフェルの胸が、きゅうっと締め付けられる。
——喜んで、くれるかな。
選んだときは、ただ渡したいと思っただけだったのに、いざこうして目の前にするとその先が怖くなる。
似合わなかったらどうしよう、重いと思われたらどうしよう。
期待と不安が入り混じり、落ち着かないまま瞳が揺れる。
顔を上げかけてすぐに逸らす。
目が合うのが怖い。
でも完全には逸らしきれず、またそっと盗み見る。
そんなことを無意識に繰り返している自分に気づいて、クリストフェルは頬を染めた。
固唾を飲んで相手の反応を待っている、その姿は無防備で、あまりにもまっすぐだった。
贈り物を渡しただけの筈なのに、今まさに心ごと差し出してしまっているようだった。
箱を受け取った大きな手が、丁寧に蓋をなぞる。
静かに開ける音がして、中の赤い石が灯りを受けて輝き、その瞬間バッカスが動きを止めた。
「……」
箱の中を見下ろしたまま、バッカスは暫く動かなかった。
沈黙は数秒のはずなのに、クリストフェルにはひどく長く感じられた。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
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いつも通りの礼儀正しさ、いつも通りの静けさ。
いつも通りの、……何を考えているのかわからない金の瞳。
それから、普段と違う騎士の礼服。
彼の華麗な礼装が、今日は特別な夜なのだと物語るようで、余計にクリストフェルは緊張した。
「はい、約束通り連れてきたよ」
ティリウスはにこりと笑ったけれど、その目はまったく笑っていなかった。
「ただし、あまり夜更かしはさせないこと」
「兄さまっ!?」
「バッカス、お前もだ。明日も王の前に出るんだから節度は守れ」
「承知しました……」
ティリウスは眉間に皺を寄せながら、しっかりと釘をさす。
婚約もしていない、ましてや恋人でもないが、明らかに好き合っている同士をこんな夜に二人っきりにするのだ。
流石にバッカスが王子に手を出すとは思ってはいないが、可愛い弟なのである。
心配性が発動するのは当然のことだ。
「節度ってなにっ!」
「クリスは黙ってなさい、バッカスわかってるよね?」
「承知しております……」
同じ返事を繰り返すバッカスに、ティリウスはため息を吐き出して歩き出す。
そして扉は閉められた。
途端、二人きりの静寂が落ち、クリストフェルは息を呑んでバッカスを見つめた。
一年ぶりにこんな近くにいる、高い背で大きな手のバッカス。
戦場の匂いを残した日焼けした肌、そして変わらず自分だけを見つめる金の瞳。
バッカスはしばらく何も言わず、静かにクリストフェルを見つめていた。
視線と沈黙に、先に耐えきれなくなったのはクリストフェルの方だった。
「……おかえり、バッカス」
小さな声だった。
用意していたはずの言葉より、ずっと短くて、ずっと不器用な言葉。
「ただいま帰りました、クリストフェル殿下」
低く落ち着いた声が返される。
それだけで部屋の空気が引き締まった。
人払いされた居間は静かで、時計の針の音さえ聞こえそうな程だった。
クリストフェルは小さなテーブル席にバッカスを誘い、向かい合って座る。
距離がやけに近く感じて、クリストフェルは膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
一年ぶりで緊張しているのか、指先が少し冷えている。
何か言おうとするけれど、肝心な言葉は喉の奥に詰まってしまい、出てこない。
「えっと……」
「はい」
「その……」
「はい」
言いよどめば、すぐに返される短い声は、先を急かさないやわらかな音だった。
クリストフェルは目線を下げ、テーブルの木目をなぞる。
言葉が出ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
——早く、言わないと。
そう思うほど、クリストフェルの心臓の音ばかりが大きくなる。
バッカスはじっとクリストフェルを見つめて、静かに待っている。
姿勢を崩さず瞳も逸らさず、そこにいる。
それが余計にクリストフェルの緊張を高めていた。
それでも、とうとうクリストフェルは、意を決して動いた。
「……これ」
少し震える手で、濃紺のビロードの箱を差し出す。
その瞬間、バッカスの眉が、かすかに動いた。
短い沈黙。
クリストフェルは息を止めてしまったことに気づいて、慌てて小さく吸い直す。
「私に、ですか?」
バッカスの低い声が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
確かめるような声音。
それにこくりと頷いただけのはずなのに、クリストフェルの動きは妙にぎこちなかった。
胸の奥が落ち着かない、手渡した箱が、まだ自分の手の中にあるような気さえする。
指先の感覚が消えないまま、クリストフェルは思わず自分の手を軽く握り込んだ。
「開けても?」
その一言に、びくりと肩が揺れる。
たったそれだけの確認なのに、どうしてこんなにも心臓が跳ねるのか。
自分でもわからないままクリストフェルは言葉を失った。
——どうしよう。
開けてほしい、でも、開けられるのが怖い。
そんな矛盾した思いが胸の中で絡まり合って、ぐるぐるしてしまう。
「……、うん」
ようやく絞り出した声は、思ったよりも小さくて、少し掠れていた。
顔を上げる勇気がなくて、バッカスの手元ばかりを見てしまうが、その視線すらも落ち着かない。
箱に触れようとする大きな手、自分とはまるで違うしっかりとした指。
その一つ一つの動きがやけにゆっくり見えて、時間が引き延ばされたようだった。
——どう、思うかな。
クリストフェルの胸が、きゅうっと締め付けられる。
——喜んで、くれるかな。
選んだときは、ただ渡したいと思っただけだったのに、いざこうして目の前にするとその先が怖くなる。
似合わなかったらどうしよう、重いと思われたらどうしよう。
期待と不安が入り混じり、落ち着かないまま瞳が揺れる。
顔を上げかけてすぐに逸らす。
目が合うのが怖い。
でも完全には逸らしきれず、またそっと盗み見る。
そんなことを無意識に繰り返している自分に気づいて、クリストフェルは頬を染めた。
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贈り物を渡しただけの筈なのに、今まさに心ごと差し出してしまっているようだった。
箱を受け取った大きな手が、丁寧に蓋をなぞる。
静かに開ける音がして、中の赤い石が灯りを受けて輝き、その瞬間バッカスが動きを止めた。
「……」
箱の中を見下ろしたまま、バッカスは暫く動かなかった。
沈黙は数秒のはずなのに、クリストフェルにはひどく長く感じられた。
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