バッカスの馬鹿

飴ちゃん君。

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12話 王子の贈り物は、騎士の心を惑わせる

沈黙に胸を締め付けられて、クリストフェルの心臓が、どくどくと早鐘を打つ。

「……っ、変、だった?」

耐えきれずにこぼれた声は、かすかに揺れた。
その問いにバッカスはすぐに応えた。

「いいえ」

だがその声音は、いつもと同じようでどこか違うとクリストフェルには感じられた。
低く整っていながらも、少し硬い。
何かが、静かに揺れるような、噛み締めるような響きがあった。

「でも……」
「いいえ」

バッカスは重ねるように、再びはっきりと否定した。
それ以上の言葉を許さないように。
クリストフェルは息を呑んだ。
やっぱり、違う。
声も態度もいつも通りに見えるけれど、でも。

一方バッカスは、胸の奥にこみ上げる言葉にならないものを懸命に押し殺していた。
視線を落としたまま、指先で石に触れる。
壊れ物を扱うような、慎重すぎるほどの触れ方だった。

今日のクリストフェルは、いつにも増して感情の波が激しく、不安定に揺らいで見えた。
そんな様子も相まって、この贈り物に込められたものを、バッカスは理解してしまった。
たとえ、贈った当の本人が気づいていなくとも。
この留め具の価値は、単に贈り主の身分や、宝石や土台の質の高さなどでは、決して計れない。

——参った。

こんなものを渡されて、平静でいろという方が無理だ。
箱を持つ指先に、わずかに力がこもる。
少し呼吸も乱れかけたが、それでも顔を上げたときには、もういつものバッカスだった。

「……ありがとうございます、大切にいたします」

低く静かに、だがその声音には、先ほどよりもはっきりとした重みがこもった。
単なる返礼としての言葉ではない。
受け取ったものに対する真摯な応えを宿した響きだった。
クリストフェルはその違いに気づかず、不安そうに見上げてくる。
視線を受けて、バッカスは少し瞳を細めた。
見返す眼差しが、刹那危ういほどに柔らかな甘さを帯びかけるが、それもすぐに消す。
王子の無垢さに触れてしまえば、どこまで踏み込むべきか否かを嫌でも考えさせられる。

——まだ、早い。

胸の奥に押し込めるようにして、バッカスは視線を石へ戻した。
指先には、一度なぞった石の感触が、消えずにある。
しかし、それ以上触れることはせず、視線だけをその石へと強く注いだ。
窓から差し込む光が石の奥で反射して、赤い光が少し揺れた。
内側から鮮やかに灯っているようにも見える。

——これは、殿下の色だ。

そんな言葉が喉の奥まで上がってくるが、形にしないまま胸に沈めた。
呼吸が少し深くなる。
贈り物を渡せた安堵からか、やがてクリストフェルは、胸の思いをぽつりぽつりと丁寧に言葉にし始めた。

「その、帰ってきてくれて嬉しかったから、とか」
「……はい」

短い返答の裏で、バッカスの思考は、言葉の奥を探るように深く沈んでいく。

「あと、似合うかなって思って」
「……はい」

また、短く答える。
目線は石から外さないが、無関心なのではなく、むしろその逆だった。
クリストフェルの声が、ここで止まった。

——それで、終わりか?

心のどこかで次を待っていた。無意識の期待だった。
もう一歩踏み込んだ何かを、バッカスは待った。

「えと、…あと、別に深い意味とかじゃなくて。あの、赤が綺麗だったから……」
「……、」

その言葉が落ちた瞬間、バッカスは、わずかな高揚を自覚したが。

——違う。

しかし、即座にそれを打ち消して、そう結論づけた。
浮かびかけた何かを、自ら押し留めるように。
わかっている。
王子の気持ちは純粋な善意で、無垢な好意であって、それ以上であることを期待するべきではないと。
バッカスはゆっくりと息を吐いた。
それは誰にも気づかれないほど静かなものだった。
指先でもう一度石に触れる。
先ほどよりも長く、今度は確かめるためではなく、心を落ち着かせるために。
胸の奥に生まれかけた熱は、完全には消えないけれど。
首をもちあげかけた感情を、あるべき位置へと戻していく。
クリストフェルの声も、仕草も、選び取った色も。
すべてがクリストフェルすぎて、労いの贈り物として処理するには鮮やかすぎた。
だが、だからこそバッカスは、それ以上を望まないようにする。
望めばいずれ踏み越える。
その線がどこにあるのか、バッカスは知っている。

「……そうですか」

ようやく落とした言葉は、穏やかに整っていたはずだ。
何も変わらない声音の奥には、抑え込んだ温度がくすぶっているけれど。
期待を鎮め、それでも手放しきれない何かを抱えたまま、バッカスは静かに石を見つめ続けた。
今夜こそはと、心の中で密かに願っていたことを、クリストフェルはわかっていない。
顔には出さないが、バッカスは少し落胆した。
こんな思わせぶりな物が、綺麗だからというだけで選ばれるはずがない。
クリストフェルからバッカスへの好意が全身から発せられていることは、本人以外皆知っているのだ。
それが行き過ぎた親愛なのか、淡い恋心なのかが計りきれない。
彼がこれを選び、自分に贈るまでのすべてが意味を帯びているはずだと、バッカスはそう思いたくてゆっくりと顔を上げた。
金の瞳が、真っ直ぐにクリストフェルを射抜く。
静かで底の見えない深さを湛えているその視線に触れた瞬間、クリストフェルは目を見開いた。

「殿下」

低く、抑えた声でささやく。

「な、なに?」
「本当に、もっと深い意味は無いのですか?」

問いかけは穏やかだったけれど、その奥にあるものは決して穏やかではない。
クリストフェルはきょとんと首を傾げた。

「え?」

理解が追いついていない、無垢な反応。
その様子にバッカスの指先が動く。
バッカスが何にこだわっているのか、クリストフェルにはわからなかった。
自分の目と同じ色が綺麗だと思った、バッカスに似合うと思った。
本当にそれだけの筈だったけれど、向かいに座るバッカスは、しばらく何も言わなかった。
差し出されたままの箱と、その中の石を見つめたまま、微動だにしない。
時間だけが引き延ばされ、動いたバッカスの指先は箱の縁に触れかけて止まる。
その仕草は、ためらいに近かった。

「この色を、本当に私に?」

低く、確かめるような声。
何かを抑え込んでいるような。

「……う、うん」

クリストフェルが頷くその様子は素直で、何の含みもない。
それが余計に質が悪かった。
バッカスは目を伏せ、長く静かに息を吐く。
もたらされた答えに胸の奥で生まれた気持ちは、安堵にも思えたし、落胆にも思えた。
あるいはそのどちらでもあったのかもしれない。
せり上がる何かを、押し留めるように呼吸する。
いや、そんなはずはないと、バッカスはどこかで理解している。
綺麗だから、似合うと思ったから、その程度の理由で選ばれるには、この贈り物はあまりにも意味を持ちすぎている。
クリストフェルは、何一つ気づいていない顔でバッカスを見ている。
期待を向けるには無自覚が過ぎ、これ以上踏み込むには無防備が過ぎた。

「……そう、ですか」

繰り返されたバッカスの言葉は、静かだった。
その静けさに隠された懊悩を、クリストフェルが知ることはない。

——たとえ無自覚だとしても、この色を渡されて平静でいろという方が、……無理だ。





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