23 / 81
其の弐 因果流転◆因縁
飛竜烈伝 守の巻
しおりを挟む
一閃した剣の風圧が空を裂き、水面を揺らす。舞い散る木の葉が縦一文字に斬られ、地に落ちる。
不動が紹巴のために用意した隠れ里から程近い湖の畔(ほとり)で、もう半刻ほども、ただ一人、師子王は一心に剣を振るう。
と、背後に人の気配。いつの間に次元を移動してやって来たのだろうか、不動がすぐ近くに立っていた。
「お館さまは、どのようなご様子だ?」
問いながら、師子王は刀を旋回させ、鞘に納めた。不動がそれを凝視しているのに気づき、心が乱れるのを覚える。
自身の怪力を頼みとする師子王にとってさえ、ときにずしりと重い手ごたえを感じさせる愛用の斬馬刀を、不動は驚く程に軽々と扱う。否、刀だけではない、ヒトの運命でさえも、この男に操れぬものはないような気さえする。
「眠っておられる。まだ意識が戻らぬが、なに、案ずることはない」
不動の唇の両端が、微笑の形に持ち上がる。
「隠すことはない、師子王。お前が考えていたのはお館さまのことではあるまい。当ててみせてやろうか、大方、あの男のことだろう」
師子王は、面を被(き)ていない不動の顔を一瞬、見つめた。面で隠した己れの表情は決して悟られぬ筈なのに、これではまるで逆転している。
澄み切ってはいるが、ひどく冷たい光を宿す不動の瞳は、他人の心を容易く読むものの、自身の考えは決して見せぬ鋼の錠前だ。
この男に、隠し事はきかぬか。
そう、正しく不動に言い当てられた通りだった。昨夜から師子王の心を激しく乱しているのは、永い時を経てようやく現世にて巡り会えた主君のことではない。
あの、竜という名の少年を目にしたとき、実際、良い素材だと思った。
怪士との一戦、剣の構え方や動きがぎこちないのは、おそらく真剣での戦いに慣れておらぬためだろう。まだ幼く荒削りではあるが、その力は間違いなく本物だ。
余程の達人に師事しているのか、本人に備わった天賦の才か。或いはその両方やも知れぬ。
一人で逃げようと思えばそう出来たものを、敵に後ろを見せることなくあくまで少女を庇い通した、その気性も師子王は気に入った。師子王の見た限り、あの少年の瞳のなかに、暗い過去を垣間見せるような負の光は宿ってはいなかった。
それがまさか、あの男、飛竜の生まれ変わりとは。
記憶の底に封印することすら叶わぬその名。かつての合戦で、全ての悲劇を招いた男。決して許すことの出来ぬ裏切りの徒。
奴が現世に甦っていようとは。こともあろうに、お館さまの友としてそのすぐ側で暮らしていようとは。
驚愕と怒り、憎しみ、そして懐かしさまでが綯交(ないま)ぜとなった複雑な感情が師子王のなかに芽生えている。
あのとき不動の一撃を腹に受け、血を吐いて泥のなかに倒れた傷だらけの姿を思い出す。かれは、あのまま死んだのだろうか。
「奴は死んではいない。致命傷を与えてはないからな」
突然、不動に言い捨てられ、背中に冷たいものが走る、全く、この男は悟りの術でも心得ているのか。
「お前はあの小僧に、必要以上に思い入れがあると見える。それは、お前と飛竜との、前世での繋がりに因るものか」
からかうような口調で不動が問う。だが、その目は決して笑ってはいない。師子王は答えなかった。戯言に付き合う気分には、到底なれぬ。
「別にお前を責めるつもりはない、師子王よ」
皮肉な笑いに不動の唇が再び歪む。
「だが忘れるな。お前があの小僧をどう思おうと、奴は飛竜の生まれ変わり。我らにとって許されざる敵だということを」
「言われずとも、承知している」
師子王はその一瞬、遠く過去に思いを馳せた。
「我ら闇隠弐衆は、神子上紹巴さまの影。光と共に生き、その光滅びるときには消え去る宿命と知っていた。否、それが我らの望みですらあった筈」
だが、飛竜は。
あの男は、土壇場で裏切り、敵に寝返った。そして結果的に三百人からの同胞(はらから)を無残な死に追いやった。それだけではない。
奴の罪は、それだけではない。
飛竜は、神子上という名を、否、三ノ輪の歴史そのものを、史実から抹消したのだ。光に焦がれながら生きる者が、その手で光を葬り去ろうとは。二度と浮き上がることのない奈落の底、黄泉の闇へ。
思い出すだけで、胸の内部(おく)に憤怒の炎が燃え上がる。その炎は決して癒されることなき無念の想い、引き裂かれた精神(こころ)の痛みすら掻き消す程に熱かった。
「不動、お前は奴がまだ生きていると言ったな。その始末、この師子王に任せてはくれぬか」
不動は応えず、暗い湖の動かぬ水面を見つめている。その端正な横顔を眺めながら、師子王は返事を待った。
「不動、たっての頼みだ」
しばし無言だった不動が、ようやく口を開いた。さながら、湖に向かって独り言を吐くように。
「我らが再びこの世のものとなったのは、たかが一人の裏切り者に対する詰まらぬ復讐のためではない。それに、命令を下されるは、お館さま。勝手な行動を起こすわけにはいかぬ」
そう言い捨てられ、言葉に詰まる。
「それは分かっている。だが、お館さまが目覚めておられぬ今、我らに指示を与えるのはお前だ、不動」
突然、不動はくるりと師子王を振り向いた。その瞳に、ある種の喜びにも似た残酷な光が宿っているのを、師子王は見た。
「ならば行くがいい、師子王。これも前世よりの因縁。飛竜を殺し、未来永劫、二度と生まれ変われぬよう、その魂までも粉々に滅してやるがいい」
それは紛れもない、手負いの獣を追い詰め嬲り殺しにする、狩人の顔だった。師子王の全身を、戦慄が走り抜ける。
「しかし、お前の手で飛竜に引導を渡してやりたくば、急ぐのだな。奴に恥をかかされたと怒り心頭の怪士が、既にあの男のもとへ向かったぞ」
抗議の言葉が、喉の奥で消えた。
相対する者を凍らせる冷たい瞳に、唇には微笑さえ浮かべ、人を斬ることの出来る男、不動。その内心を推し量ることなど、所詮、出来よう筈はなかった。
不動が紹巴のために用意した隠れ里から程近い湖の畔(ほとり)で、もう半刻ほども、ただ一人、師子王は一心に剣を振るう。
と、背後に人の気配。いつの間に次元を移動してやって来たのだろうか、不動がすぐ近くに立っていた。
「お館さまは、どのようなご様子だ?」
問いながら、師子王は刀を旋回させ、鞘に納めた。不動がそれを凝視しているのに気づき、心が乱れるのを覚える。
自身の怪力を頼みとする師子王にとってさえ、ときにずしりと重い手ごたえを感じさせる愛用の斬馬刀を、不動は驚く程に軽々と扱う。否、刀だけではない、ヒトの運命でさえも、この男に操れぬものはないような気さえする。
「眠っておられる。まだ意識が戻らぬが、なに、案ずることはない」
不動の唇の両端が、微笑の形に持ち上がる。
「隠すことはない、師子王。お前が考えていたのはお館さまのことではあるまい。当ててみせてやろうか、大方、あの男のことだろう」
師子王は、面を被(き)ていない不動の顔を一瞬、見つめた。面で隠した己れの表情は決して悟られぬ筈なのに、これではまるで逆転している。
澄み切ってはいるが、ひどく冷たい光を宿す不動の瞳は、他人の心を容易く読むものの、自身の考えは決して見せぬ鋼の錠前だ。
この男に、隠し事はきかぬか。
そう、正しく不動に言い当てられた通りだった。昨夜から師子王の心を激しく乱しているのは、永い時を経てようやく現世にて巡り会えた主君のことではない。
あの、竜という名の少年を目にしたとき、実際、良い素材だと思った。
怪士との一戦、剣の構え方や動きがぎこちないのは、おそらく真剣での戦いに慣れておらぬためだろう。まだ幼く荒削りではあるが、その力は間違いなく本物だ。
余程の達人に師事しているのか、本人に備わった天賦の才か。或いはその両方やも知れぬ。
一人で逃げようと思えばそう出来たものを、敵に後ろを見せることなくあくまで少女を庇い通した、その気性も師子王は気に入った。師子王の見た限り、あの少年の瞳のなかに、暗い過去を垣間見せるような負の光は宿ってはいなかった。
それがまさか、あの男、飛竜の生まれ変わりとは。
記憶の底に封印することすら叶わぬその名。かつての合戦で、全ての悲劇を招いた男。決して許すことの出来ぬ裏切りの徒。
奴が現世に甦っていようとは。こともあろうに、お館さまの友としてそのすぐ側で暮らしていようとは。
驚愕と怒り、憎しみ、そして懐かしさまでが綯交(ないま)ぜとなった複雑な感情が師子王のなかに芽生えている。
あのとき不動の一撃を腹に受け、血を吐いて泥のなかに倒れた傷だらけの姿を思い出す。かれは、あのまま死んだのだろうか。
「奴は死んではいない。致命傷を与えてはないからな」
突然、不動に言い捨てられ、背中に冷たいものが走る、全く、この男は悟りの術でも心得ているのか。
「お前はあの小僧に、必要以上に思い入れがあると見える。それは、お前と飛竜との、前世での繋がりに因るものか」
からかうような口調で不動が問う。だが、その目は決して笑ってはいない。師子王は答えなかった。戯言に付き合う気分には、到底なれぬ。
「別にお前を責めるつもりはない、師子王よ」
皮肉な笑いに不動の唇が再び歪む。
「だが忘れるな。お前があの小僧をどう思おうと、奴は飛竜の生まれ変わり。我らにとって許されざる敵だということを」
「言われずとも、承知している」
師子王はその一瞬、遠く過去に思いを馳せた。
「我ら闇隠弐衆は、神子上紹巴さまの影。光と共に生き、その光滅びるときには消え去る宿命と知っていた。否、それが我らの望みですらあった筈」
だが、飛竜は。
あの男は、土壇場で裏切り、敵に寝返った。そして結果的に三百人からの同胞(はらから)を無残な死に追いやった。それだけではない。
奴の罪は、それだけではない。
飛竜は、神子上という名を、否、三ノ輪の歴史そのものを、史実から抹消したのだ。光に焦がれながら生きる者が、その手で光を葬り去ろうとは。二度と浮き上がることのない奈落の底、黄泉の闇へ。
思い出すだけで、胸の内部(おく)に憤怒の炎が燃え上がる。その炎は決して癒されることなき無念の想い、引き裂かれた精神(こころ)の痛みすら掻き消す程に熱かった。
「不動、お前は奴がまだ生きていると言ったな。その始末、この師子王に任せてはくれぬか」
不動は応えず、暗い湖の動かぬ水面を見つめている。その端正な横顔を眺めながら、師子王は返事を待った。
「不動、たっての頼みだ」
しばし無言だった不動が、ようやく口を開いた。さながら、湖に向かって独り言を吐くように。
「我らが再びこの世のものとなったのは、たかが一人の裏切り者に対する詰まらぬ復讐のためではない。それに、命令を下されるは、お館さま。勝手な行動を起こすわけにはいかぬ」
そう言い捨てられ、言葉に詰まる。
「それは分かっている。だが、お館さまが目覚めておられぬ今、我らに指示を与えるのはお前だ、不動」
突然、不動はくるりと師子王を振り向いた。その瞳に、ある種の喜びにも似た残酷な光が宿っているのを、師子王は見た。
「ならば行くがいい、師子王。これも前世よりの因縁。飛竜を殺し、未来永劫、二度と生まれ変われぬよう、その魂までも粉々に滅してやるがいい」
それは紛れもない、手負いの獣を追い詰め嬲り殺しにする、狩人の顔だった。師子王の全身を、戦慄が走り抜ける。
「しかし、お前の手で飛竜に引導を渡してやりたくば、急ぐのだな。奴に恥をかかされたと怒り心頭の怪士が、既にあの男のもとへ向かったぞ」
抗議の言葉が、喉の奥で消えた。
相対する者を凍らせる冷たい瞳に、唇には微笑さえ浮かべ、人を斬ることの出来る男、不動。その内心を推し量ることなど、所詮、出来よう筈はなかった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ママはヤンママ女子高生! ラン&ジュリー!!
オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
キャラ文芸
神崎ランの父親の再婚相手は幼馴染みで女子高生の高原ジュリーだった。
ジュリーは金髪美少女だが、地元では『ワイルドビーナス』の異名を取る有名なヤンキーだった。
学校ではジュリーは、ランを使いっ走りにしていた。
当然のようにアゴで使われたが、ジュリーは十八歳になったら結婚する事を告白した。
同級生のジュリーが結婚するなんて信じられない。
ランは密かにジュリーの事を憧れていたので、失恋した気分だ。
そう言えば、昨夜、ランの父親も再婚すると言っていた。
まさかとは思ったが、ランはジュリーに結婚相手を聞くと、ランの父親だと判明した。
その夜、改めて父親とジュリーのふたりは結婚すると報告された。
こうしてジュリーとの同居が決まった。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる