飛竜烈伝 守の巻

岩崎みずは

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其の弐 因果流転◆因縁

飛竜烈伝 守の巻

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 一閃した剣の風圧が空を裂き、水面を揺らす。舞い散る木の葉が縦一文字に斬られ、地に落ちる。
 不動が紹巴のために用意した隠れ里から程近い湖の畔(ほとり)で、もう半刻ほども、ただ一人、師子王は一心に剣を振るう。
 と、背後に人の気配。いつの間に次元を移動してやって来たのだろうか、不動がすぐ近くに立っていた。
「お館さまは、どのようなご様子だ?」
 問いながら、師子王は刀を旋回させ、鞘に納めた。不動がそれを凝視しているのに気づき、心が乱れるのを覚える。
 自身の怪力を頼みとする師子王にとってさえ、ときにずしりと重い手ごたえを感じさせる愛用の斬馬刀を、不動は驚く程に軽々と扱う。否、刀だけではない、ヒトの運命でさえも、この男に操れぬものはないような気さえする。
「眠っておられる。まだ意識が戻らぬが、なに、案ずることはない」
 不動の唇の両端が、微笑の形に持ち上がる。
「隠すことはない、師子王。お前が考えていたのはお館さまのことではあるまい。当ててみせてやろうか、大方、あの男のことだろう」
 師子王は、面を被(き)ていない不動の顔を一瞬、見つめた。面で隠した己れの表情は決して悟られぬ筈なのに、これではまるで逆転している。
 澄み切ってはいるが、ひどく冷たい光を宿す不動の瞳は、他人の心を容易く読むものの、自身の考えは決して見せぬ鋼の錠前だ。
 この男に、隠し事はきかぬか。
 そう、正しく不動に言い当てられた通りだった。昨夜から師子王の心を激しく乱しているのは、永い時を経てようやく現世にて巡り会えた主君のことではない。
 あの、竜という名の少年を目にしたとき、実際、良い素材だと思った。
 怪士との一戦、剣の構え方や動きがぎこちないのは、おそらく真剣での戦いに慣れておらぬためだろう。まだ幼く荒削りではあるが、その力は間違いなく本物だ。
 余程の達人に師事しているのか、本人に備わった天賦の才か。或いはその両方やも知れぬ。
 一人で逃げようと思えばそう出来たものを、敵に後ろを見せることなくあくまで少女を庇い通した、その気性も師子王は気に入った。師子王の見た限り、あの少年の瞳のなかに、暗い過去を垣間見せるような負の光は宿ってはいなかった。
 それがまさか、あの男、飛竜の生まれ変わりとは。
 記憶の底に封印することすら叶わぬその名。かつての合戦で、全ての悲劇を招いた男。決して許すことの出来ぬ裏切りの徒。
 奴が現世に甦っていようとは。こともあろうに、お館さまの友としてそのすぐ側で暮らしていようとは。
 驚愕と怒り、憎しみ、そして懐かしさまでが綯交(ないま)ぜとなった複雑な感情が師子王のなかに芽生えている。
 あのとき不動の一撃を腹に受け、血を吐いて泥のなかに倒れた傷だらけの姿を思い出す。かれは、あのまま死んだのだろうか。
「奴は死んではいない。致命傷を与えてはないからな」
 突然、不動に言い捨てられ、背中に冷たいものが走る、全く、この男は悟りの術でも心得ているのか。
「お前はあの小僧に、必要以上に思い入れがあると見える。それは、お前と飛竜との、前世での繋がりに因るものか」
 からかうような口調で不動が問う。だが、その目は決して笑ってはいない。師子王は答えなかった。戯言に付き合う気分には、到底なれぬ。
「別にお前を責めるつもりはない、師子王よ」
 皮肉な笑いに不動の唇が再び歪む。
「だが忘れるな。お前があの小僧をどう思おうと、奴は飛竜の生まれ変わり。我らにとって許されざる敵だということを」
「言われずとも、承知している」
 師子王はその一瞬、遠く過去に思いを馳せた。
「我ら闇隠弐衆は、神子上紹巴さまの影。光と共に生き、その光滅びるときには消え去る宿命と知っていた。否、それが我らの望みですらあった筈」
 だが、飛竜は。
 あの男は、土壇場で裏切り、敵に寝返った。そして結果的に三百人からの同胞(はらから)を無残な死に追いやった。それだけではない。
 奴の罪は、それだけではない。
 飛竜は、神子上という名を、否、三ノ輪の歴史そのものを、史実から抹消したのだ。光に焦がれながら生きる者が、その手で光を葬り去ろうとは。二度と浮き上がることのない奈落の底、黄泉の闇へ。
 思い出すだけで、胸の内部(おく)に憤怒の炎が燃え上がる。その炎は決して癒されることなき無念の想い、引き裂かれた精神(こころ)の痛みすら掻き消す程に熱かった。
「不動、お前は奴がまだ生きていると言ったな。その始末、この師子王に任せてはくれぬか」
 不動は応えず、暗い湖の動かぬ水面を見つめている。その端正な横顔を眺めながら、師子王は返事を待った。
「不動、たっての頼みだ」
 しばし無言だった不動が、ようやく口を開いた。さながら、湖に向かって独り言を吐くように。
「我らが再びこの世のものとなったのは、たかが一人の裏切り者に対する詰まらぬ復讐のためではない。それに、命令を下されるは、お館さま。勝手な行動を起こすわけにはいかぬ」
 そう言い捨てられ、言葉に詰まる。
「それは分かっている。だが、お館さまが目覚めておられぬ今、我らに指示を与えるのはお前だ、不動」
 突然、不動はくるりと師子王を振り向いた。その瞳に、ある種の喜びにも似た残酷な光が宿っているのを、師子王は見た。
「ならば行くがいい、師子王。これも前世よりの因縁。飛竜を殺し、未来永劫、二度と生まれ変われぬよう、その魂までも粉々に滅してやるがいい」
 それは紛れもない、手負いの獣を追い詰め嬲り殺しにする、狩人の顔だった。師子王の全身を、戦慄が走り抜ける。
「しかし、お前の手で飛竜に引導を渡してやりたくば、急ぐのだな。奴に恥をかかされたと怒り心頭の怪士が、既にあの男のもとへ向かったぞ」
 抗議の言葉が、喉の奥で消えた。
 相対する者を凍らせる冷たい瞳に、唇には微笑さえ浮かべ、人を斬ることの出来る男、不動。その内心を推し量ることなど、所詮、出来よう筈はなかった。
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