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其の弐 因果流転◆老人
飛竜烈伝 守の巻
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まだ薄暗い、夜も明けきらぬ時間に、竜はこっそりと家を抜け出した。
身体が回復したわけではない、折れた肋骨は息を吸い込む度に、鋭い刃物でもねじ込まれるように痛むし、右肩の傷も、少しでも衝撃を受けようものなら再び血が噴き出すことだろう。
それが分かっていながら、竜はじっとしてはいられなかった。
鬼たちに何処(いずこ)かへ連れ去られた蓮を追う手掛かりを探すとしたら、それはあの三ノ輪の城址から始めるしかない。もう一度、昨夜の戦場となったあの場所へ行き、辺りを確かめてみるつもりだった。
用心のため、背負った竹刀袋のなかには、今朝、剣道場からこっそり持ち出した、虎の大切にしている刀の一振りを携えている。
だが、気づいたとき竜は、両親の眠る墓所の入り口に立っていた。
どこかで、遊歩道から折れる場所を間違えたらしい。無意識のうちに、通い慣れた道に足を進めてしまったのだろう。或いは、まともに扱えるかどうかも分からない刀一つを頼りに、危険な場所に自ら赴こうとしている息子を諌めるために、亡き両親が、竜を呼んだのだろうか。
古戦場に行くのは、墓参りをしてからでも遅くない。そう思い直して、竜は、前日に来たときと同じように両親の墓の前に跪くと、両手を合わせた。
ごめんな、父ちゃん、母ちゃん。
俺、どうしても行かなくちゃいけないんだ。また心配かけるけど、どうか俺を見守っていてください。
ふと、時間が、逆戻りしたような気がした。何もかもが、昨日の墓参りのときの延長上にあるような。
膝をついたまま、辺りを見回す。
昨日と同じ、雨上りの湿った空気の匂い。注意して避けながら歩かねばならなかった、足元の泥濘(ぬかるみ)。
ここは、何も変わらない。何故なら、永遠に時間(とき)を止められた場所だから。墓石の下に眠る死者の魂が、この静寂と孤独を生むというのか、言い知れぬ空虚が支配する、この奥津城(おくつき)。
でも、違う、何もかもが昨日と一緒ってわけじゃない。一つだけ違うのは、昨日は確かに俺の隣に在った筈のあいつの姿が、今日はどこにも無いということだ。俺の隣にいた、蓮の姿が。
「こんなに早くから、お参りかね」
不意に背後から声をかけられ、自分の想いに深く入り込んでいた竜は、ギクリとして振り向いた。
鼠色の作務衣を来た小柄な老人が竹箒を手に、少し離れた場所から穏やかに笑いかけている。
「若いのに、朝早くからお参りとは感心じゃねえ。何方(どなた)に会いに来なすったのかね」
バツの悪い思いをしたまま、竜は無言で老人を見返した。
一体、誰だ。この爺さん。それに、いつの間に現れたんだ。気配も感じなかったぜ。
掃除などしているところを見ると、寺か墓地の管理の関係者だろうか。
完全に禿げ上がった頭とは不釣合いな真っ白い豊かな顎鬚と、柳のように長く垂れ下がり、目元を隠している眉毛。歳は、竜の祖母よりも遥かに上に見えるが、年寄りの年齢程、見当のつけ辛いものはない。
自分が余りにも無遠慮に相手を見つめていたことに気づき、竜は慌てて立ち上がると、老人に向かって頭を下げた。相手の身分に拘わらず、目上の者に対して決して忘れてはならない敬意と礼儀、これは、子供の頃から祖母に叩きこまれてきた教えの一つだ。
「別に、そう畏(かしこ)まることはないよ」
何が可笑しいのか、老人は声をあげて笑った。
「それに儂は、別に、怪しい者でもない。儂の名は雀部といって、この寺の住職じゃよ。しばらく寺を留守にしておったがの、つい今しがた戻って来たんじゃ」
雀部(ささべ)と名乗った老人が纏う浮世離れした雰囲気は、僧侶というより寧ろ仙人のようだと竜は思った。
老人は、外見にそぐわぬ猿(ましら)のような軽い身のこなしで近づいて来ると、突然、無造作に竜の右肩に手を延ばした。
「先刻から妙に血の匂いがすると思ったら、怪我をしとるな、お若いの」
「あの、ちょっと。何するんすか」
怪我を負った箇所に触れられるのを嫌い、その手を反射的に避けようとしたとき、竜の目を、老人の柔和な瞳が捉えた。
「いつの時代も、若い者(もん)は兎角、無茶をする。それでも一つしかない自分の体、せいぜい労わってやらんとな」
それだけ言うと、不思議な老人は、くるりと踵を返して墓地から歩み去った。
寺の太い門柱の陰に半ば身を隠すように、老人のそれとよく似た色の着物を身に着けた、長髪、長身の若い男が立っている。
老人は、その青年をそこに待たせていたらしい。門をくぐる前に二人は一度振り返り、竜に軽い会釈を送って寄越した。
竜は呆気に取られてかれらの後姿を見送った。
何より不思議なのは、老人の指先に触れられた瞬間から、それまで激しく疼いていた筈の右肩と脇腹の痛みが、まるで魔法をかけられたように消えてしまっていたことだった。
身体が回復したわけではない、折れた肋骨は息を吸い込む度に、鋭い刃物でもねじ込まれるように痛むし、右肩の傷も、少しでも衝撃を受けようものなら再び血が噴き出すことだろう。
それが分かっていながら、竜はじっとしてはいられなかった。
鬼たちに何処(いずこ)かへ連れ去られた蓮を追う手掛かりを探すとしたら、それはあの三ノ輪の城址から始めるしかない。もう一度、昨夜の戦場となったあの場所へ行き、辺りを確かめてみるつもりだった。
用心のため、背負った竹刀袋のなかには、今朝、剣道場からこっそり持ち出した、虎の大切にしている刀の一振りを携えている。
だが、気づいたとき竜は、両親の眠る墓所の入り口に立っていた。
どこかで、遊歩道から折れる場所を間違えたらしい。無意識のうちに、通い慣れた道に足を進めてしまったのだろう。或いは、まともに扱えるかどうかも分からない刀一つを頼りに、危険な場所に自ら赴こうとしている息子を諌めるために、亡き両親が、竜を呼んだのだろうか。
古戦場に行くのは、墓参りをしてからでも遅くない。そう思い直して、竜は、前日に来たときと同じように両親の墓の前に跪くと、両手を合わせた。
ごめんな、父ちゃん、母ちゃん。
俺、どうしても行かなくちゃいけないんだ。また心配かけるけど、どうか俺を見守っていてください。
ふと、時間が、逆戻りしたような気がした。何もかもが、昨日の墓参りのときの延長上にあるような。
膝をついたまま、辺りを見回す。
昨日と同じ、雨上りの湿った空気の匂い。注意して避けながら歩かねばならなかった、足元の泥濘(ぬかるみ)。
ここは、何も変わらない。何故なら、永遠に時間(とき)を止められた場所だから。墓石の下に眠る死者の魂が、この静寂と孤独を生むというのか、言い知れぬ空虚が支配する、この奥津城(おくつき)。
でも、違う、何もかもが昨日と一緒ってわけじゃない。一つだけ違うのは、昨日は確かに俺の隣に在った筈のあいつの姿が、今日はどこにも無いということだ。俺の隣にいた、蓮の姿が。
「こんなに早くから、お参りかね」
不意に背後から声をかけられ、自分の想いに深く入り込んでいた竜は、ギクリとして振り向いた。
鼠色の作務衣を来た小柄な老人が竹箒を手に、少し離れた場所から穏やかに笑いかけている。
「若いのに、朝早くからお参りとは感心じゃねえ。何方(どなた)に会いに来なすったのかね」
バツの悪い思いをしたまま、竜は無言で老人を見返した。
一体、誰だ。この爺さん。それに、いつの間に現れたんだ。気配も感じなかったぜ。
掃除などしているところを見ると、寺か墓地の管理の関係者だろうか。
完全に禿げ上がった頭とは不釣合いな真っ白い豊かな顎鬚と、柳のように長く垂れ下がり、目元を隠している眉毛。歳は、竜の祖母よりも遥かに上に見えるが、年寄りの年齢程、見当のつけ辛いものはない。
自分が余りにも無遠慮に相手を見つめていたことに気づき、竜は慌てて立ち上がると、老人に向かって頭を下げた。相手の身分に拘わらず、目上の者に対して決して忘れてはならない敬意と礼儀、これは、子供の頃から祖母に叩きこまれてきた教えの一つだ。
「別に、そう畏(かしこ)まることはないよ」
何が可笑しいのか、老人は声をあげて笑った。
「それに儂は、別に、怪しい者でもない。儂の名は雀部といって、この寺の住職じゃよ。しばらく寺を留守にしておったがの、つい今しがた戻って来たんじゃ」
雀部(ささべ)と名乗った老人が纏う浮世離れした雰囲気は、僧侶というより寧ろ仙人のようだと竜は思った。
老人は、外見にそぐわぬ猿(ましら)のような軽い身のこなしで近づいて来ると、突然、無造作に竜の右肩に手を延ばした。
「先刻から妙に血の匂いがすると思ったら、怪我をしとるな、お若いの」
「あの、ちょっと。何するんすか」
怪我を負った箇所に触れられるのを嫌い、その手を反射的に避けようとしたとき、竜の目を、老人の柔和な瞳が捉えた。
「いつの時代も、若い者(もん)は兎角、無茶をする。それでも一つしかない自分の体、せいぜい労わってやらんとな」
それだけ言うと、不思議な老人は、くるりと踵を返して墓地から歩み去った。
寺の太い門柱の陰に半ば身を隠すように、老人のそれとよく似た色の着物を身に着けた、長髪、長身の若い男が立っている。
老人は、その青年をそこに待たせていたらしい。門をくぐる前に二人は一度振り返り、竜に軽い会釈を送って寄越した。
竜は呆気に取られてかれらの後姿を見送った。
何より不思議なのは、老人の指先に触れられた瞬間から、それまで激しく疼いていた筈の右肩と脇腹の痛みが、まるで魔法をかけられたように消えてしまっていたことだった。
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