翡翠の姫

明智 颯茄

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月の魔法/4

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 本から視線を一旦はずして、貴増参はにっこり微笑む。

「それは僕も驚いちゃいました。帰ってきたら、三十歳が三十五歳になっちゃってましたからね。お誕生日会を五回分まとめてしないといけません」

 どこまでもマイペース。のーてんき。何が起きれば、五年もの歳月をスルーできるかが、明引呼のあきれたため息と一緒に出てきた。

「発掘作業に没頭して、また時間忘れやがって」 

 だが、貴増参もやられてばかりではない。

「君は女性遊びが盛んでしたか?」

 さっきの大学校内の騒ぎが日常茶飯事、明引呼にとっては。ミニシガリロを持つ手で、こめかみをイライラとかく。

「遊んでんじゃねえんだよ。向こうからくんだよな。断りもなくよ」

 そして、貴増参らしい変な例えが出てきた。

「僕が女性だったとしましょう」

 真夏のうだるような熱くでどうしようもなく気だるいような声で聞き返しながら、明引呼のアッシュグレーの瞳は、本の表紙で見えない貴増参に向いた。

「ああ?」

 スラスラ~と、羽布団みたいな柔らかさで低い声が告げる。ソファーに座っている男の外見と履歴を。

「背が高い。スタイルは抜群」

 貴増参はソファーから足が大きくはみ出している男の真似をする。

「こう……鋭い視線に渋い声」

 だが、全然似ていなかった。それでも平気で綺麗にしめくくった。 

「職業はパイロット。僕も憧れちゃいます」

 しかし、最後の一言が余計だった。

「何言ってんだ?」

 同じ歳の男からの愛の告白。ミニシガリロの柔らかい灰はぽろっと床に落ちた。

 貴増参はマイペースでノリノリになってゆく。

「お嬢さん、僕と今夜、愛のフライトに行きませんか?」

 歯が浮くようなセリフが、男ふたりきりの教授室に響き渡った。発掘してきた土器のカケラがくすくす笑った気がした。明引呼は吸い殻をぽいっと床へ投げ捨て、

「相変わらず、頭ん中、お花畑でいやがる。たか様はよ」
「僕の名前は貴増参です」

 自分に尊称がついているところは、ツッコミを入れなかった。明引呼は手を上げて、念を押すように大きく揺らし、

「――っつうかよ。話それてってんだよ」

 また専門書を読み始めた貴増参に向かって、いつも通りの言葉を贈ってやった。

「少しはハニワさんから離れろや」
「土器です」

 即行、訂正が入った。シガーケースが取り出されて、ミニシガリロは火をつけられ、厚みのある唇に入れられる。くわえた葉巻をした口から、しゃがれた声がもれ出た。

「どっちも一緒だろ?」
「いいえ、違います」

 貴増参は持っていた本をパタンと閉じて、コホンと咳払いをした。

「ハニワは、古墳の上に並べられた素焼きの陶器を指します」

 青白い煙は退屈そうに天井へと登ってゆく。

「土器は、胎土が露出した素焼きの器です。磁器のように化学変化を起こさないで、不透明な状態がそのまま残っているものを指します」
「どっちも素焼きだろ」

 明引呼から当然な意見が飛んできたが、貴増参は何事もなかったように、受け取るたびに重ねていってしまう資料の山から一枚の紙を引っ張り出した。

 バランスを崩した紙の束が赤い絨毯の上へドサーッとなだれ落ちる。それはよくあることで、貴増参は改善することもなく、文字の羅列を追ってゆく。

 仕事以外のことは整理整頓もなっていない。乱雑な教授室のソファーで、明引呼は親友としていつも忠告していることを口にした。

「人生いろいろあんだから、他にも目え向けろや」

 だが、他人に言われたぐらいで変わるくらいならば、研究者としてはやっていけない。自分の信じた道を突き進まないと、あと一ミリ掘れば、世紀の大発見があるかもしれない。の連続なのだから。

 プリントの紙を右から左へと動かしながら、不必要なものは、これ以上入らないと叫んでいるゴミ箱へ落としては、こぼれ落ちて床に白を広げてゆく。

「それよりも、先日お願いした助手の件はどうしたんですか?」
「先日じゃねえんだよ。五年も前のことだろ。行方不明だったんだからよ」

 時間軸がずれたままの考古学者は、急に口調が変わった。 

「ごちゃごちゃ言ってねえで、早く言いやがれ、です」
「オレの真似しやがって」

 おうむ返しみたいなのを聞いて、紙があちこちに落ちている教授室の床に、明引呼のあきれたため息が降り積もった。

「何度見つけてきてもよ。てめぇの研究者魂を前にして、ドン引きしてすぐに辞めちまうんだろ」

 見た目は優男なのに、心はタフガイ。だが、それが災いして、身を結ばない助手探し。

「からよ。そこ直してからにしろよ。探すのはよ」
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