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死にゆくならば/5
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巫女は涙がこぼれ落ちないように顔を上げて、空を仰ぎ見る。
自分といつもともにあった、あの月は今は新月でどこにもない。もう一度最後に見たかったが、その願いは叶わない。思い出という記憶から拾い上げて、銀盤を心に強く焼きつける。
「昔聞いたことがあります。月の満ち欠けは人の再生を表してるって……」
涙も雨も混じり姫の頬を伝い始めた雫を、貴増参は視界の端に映して、ゴーゴーと咆哮する濁流を見下ろす。
「信じてるんですか?」
雨が染み込み重みを増す着物の上から、姫は巫女として生きていくことになってから、常に肌身離さず持っていたものを、またきつく握りしめた。
「はい。実際に体験したことはないですが、人の生まれ変わりはある気がします」
リョウカは襟の隙間から、黒く細い革紐を引っ張り、力む息をもらした。
「っ!」
ブチっという何かが切れる音がすると、貴増参の前に翡翠の勾玉が差し出された。
「こちらの石は災いから守ります。ですから、あなたに差し上げます」
なくしたはずのものが渡された。教授室の引き出しに入っていたものは、タイムループをしているのかもしれない。
リョウカを常に守ってきたもの。それを、自分にと言う。どこまでも、人のこと優先の姫だった。貴増参が受け取ると、心の整理ができた巫女は最後の笑顔を見せた。
「めぐり合わせがあったら、十六夜に会いましょう――」
叶うはずもない約束。それでも、見送る身として、貴増参はにっこり微笑んだ。
「えぇ」
人々の明日からの幸せを祈って、濁流が大きな渦を巻く岸の端へ、巫女はしっかりと立った。リョウカは両手を胸の前で組み、そっと目を閉じる。
前に倒れるように地面から離れ、白い服は茶色の水にあっという間に飲み込まれた。
強風と濁流の爆音で、巫女が飛び込んだ音はまったく聞こえず、ひどく小さな存在に思えた。
荒れ狂う川面に何度か浮き沈んだりしていたが、とうとう見えなくなった。
貴増参は降りしきる雨の中で、少し苦しそうに目を閉じ、自分の知識を紐解く。
(濁流に飲まれた人の体は、その水圧に耐えられず、一瞬にしてバラバラになる。そのために、行方不明者が多い)
あの白の巫女はもうどこにもいない。亡骸さえも見つけることは難しいだろう。
貴増参は侍女とともに、尊く強い姫にしばらくの間、会葬の花を手向けていた。
「こちら――」
巫女の代わりに、侍女が案内しようとすると、風上から男の声が聞こえてきた。
「堤防は簡単に決壊するように、一昨日手を加えておいたからな」
内容からしておかしいのはすぐにわかり、貴増参とシルレは慌てて木の幹に身を隠し、耳をそばだてた。
「天災が起きたように見せかけたってわけか、さすが頭がいいな」
予想した通りの裏があった。男たちはリョウカが飛び降りた場所へとやってきて、かがみこんで濁流を眺める。
「やはり、白の巫女は身を投げたな。民のためなら死ぬことも厭わないからな」
「万が一、死ななければと思って、手を下しにきたが、余計な心配だったようだ」
やはり白と黒の対立だったのか。だがしかし、次の男たちの言葉からそれも違うと証明される。
「巫女が政をするなど、もう古いのだ」
柔軟性のある文化。新しいものを簡単に取り入れる。策略で一人の命が無駄に亡くなってしまった。
「黒の巫女はどうするんだ?」
「可夢奈の王さまの妾にでもくれてやればいい」
「無理な命令ばかり下して来て、目障りだったからな」
漁夫の利。第三派の存在。
(国に内紛が起こる時、他国から侵略される可能性が高い……。歴史は同じ繰り返し)
貴増参は息を潜めながら、耳を澄ます。さらなる可能性をはじき出して、話をしている男たちの心配をした。
そんなことをされているとは知らない男たちは、あたりの草をかき分けたり、木々の影をのぞき込みながら、
「可夢奈の侵略の陰謀だったとかじゃないよな?」
「何でそんなことを思うんだ?」
「偶然にしちゃできすぎてる気がするんだよな」
「違うだろう? 布地の値段だって下げてくれたんだからな」
「あれだけ、価格が下がらなかったのに、俺たちを気に入ったと言ってくださって、簡単にな」
二枚板の国。ほんの少し手を加えれば、簡単に崩壊する。一番いい方法は内部崩壊させることだ。戦争資金も兵力などなくとも、ほぼ無償で新しい土地と人が手に入るという寸法だ。
右側の草むらが大きくクシャクシャと言い出して、貴増参はゆっくりと左側へ向きを変えた。
(彼らも騙されているという可能性がある)
売れないはずの心を買われた結果の、当然の報いだった。
自分といつもともにあった、あの月は今は新月でどこにもない。もう一度最後に見たかったが、その願いは叶わない。思い出という記憶から拾い上げて、銀盤を心に強く焼きつける。
「昔聞いたことがあります。月の満ち欠けは人の再生を表してるって……」
涙も雨も混じり姫の頬を伝い始めた雫を、貴増参は視界の端に映して、ゴーゴーと咆哮する濁流を見下ろす。
「信じてるんですか?」
雨が染み込み重みを増す着物の上から、姫は巫女として生きていくことになってから、常に肌身離さず持っていたものを、またきつく握りしめた。
「はい。実際に体験したことはないですが、人の生まれ変わりはある気がします」
リョウカは襟の隙間から、黒く細い革紐を引っ張り、力む息をもらした。
「っ!」
ブチっという何かが切れる音がすると、貴増参の前に翡翠の勾玉が差し出された。
「こちらの石は災いから守ります。ですから、あなたに差し上げます」
なくしたはずのものが渡された。教授室の引き出しに入っていたものは、タイムループをしているのかもしれない。
リョウカを常に守ってきたもの。それを、自分にと言う。どこまでも、人のこと優先の姫だった。貴増参が受け取ると、心の整理ができた巫女は最後の笑顔を見せた。
「めぐり合わせがあったら、十六夜に会いましょう――」
叶うはずもない約束。それでも、見送る身として、貴増参はにっこり微笑んだ。
「えぇ」
人々の明日からの幸せを祈って、濁流が大きな渦を巻く岸の端へ、巫女はしっかりと立った。リョウカは両手を胸の前で組み、そっと目を閉じる。
前に倒れるように地面から離れ、白い服は茶色の水にあっという間に飲み込まれた。
強風と濁流の爆音で、巫女が飛び込んだ音はまったく聞こえず、ひどく小さな存在に思えた。
荒れ狂う川面に何度か浮き沈んだりしていたが、とうとう見えなくなった。
貴増参は降りしきる雨の中で、少し苦しそうに目を閉じ、自分の知識を紐解く。
(濁流に飲まれた人の体は、その水圧に耐えられず、一瞬にしてバラバラになる。そのために、行方不明者が多い)
あの白の巫女はもうどこにもいない。亡骸さえも見つけることは難しいだろう。
貴増参は侍女とともに、尊く強い姫にしばらくの間、会葬の花を手向けていた。
「こちら――」
巫女の代わりに、侍女が案内しようとすると、風上から男の声が聞こえてきた。
「堤防は簡単に決壊するように、一昨日手を加えておいたからな」
内容からしておかしいのはすぐにわかり、貴増参とシルレは慌てて木の幹に身を隠し、耳をそばだてた。
「天災が起きたように見せかけたってわけか、さすが頭がいいな」
予想した通りの裏があった。男たちはリョウカが飛び降りた場所へとやってきて、かがみこんで濁流を眺める。
「やはり、白の巫女は身を投げたな。民のためなら死ぬことも厭わないからな」
「万が一、死ななければと思って、手を下しにきたが、余計な心配だったようだ」
やはり白と黒の対立だったのか。だがしかし、次の男たちの言葉からそれも違うと証明される。
「巫女が政をするなど、もう古いのだ」
柔軟性のある文化。新しいものを簡単に取り入れる。策略で一人の命が無駄に亡くなってしまった。
「黒の巫女はどうするんだ?」
「可夢奈の王さまの妾にでもくれてやればいい」
「無理な命令ばかり下して来て、目障りだったからな」
漁夫の利。第三派の存在。
(国に内紛が起こる時、他国から侵略される可能性が高い……。歴史は同じ繰り返し)
貴増参は息を潜めながら、耳を澄ます。さらなる可能性をはじき出して、話をしている男たちの心配をした。
そんなことをされているとは知らない男たちは、あたりの草をかき分けたり、木々の影をのぞき込みながら、
「可夢奈の侵略の陰謀だったとかじゃないよな?」
「何でそんなことを思うんだ?」
「偶然にしちゃできすぎてる気がするんだよな」
「違うだろう? 布地の値段だって下げてくれたんだからな」
「あれだけ、価格が下がらなかったのに、俺たちを気に入ったと言ってくださって、簡単にな」
二枚板の国。ほんの少し手を加えれば、簡単に崩壊する。一番いい方法は内部崩壊させることだ。戦争資金も兵力などなくとも、ほぼ無償で新しい土地と人が手に入るという寸法だ。
右側の草むらが大きくクシャクシャと言い出して、貴増参はゆっくりと左側へ向きを変えた。
(彼らも騙されているという可能性がある)
売れないはずの心を買われた結果の、当然の報いだった。
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