30 / 60
成年王族
④
しおりを挟むたとえば先の大戦のようなことが起き、国が混乱や争いに巻き込まれたとしたら。この国の緑豊かな土壌は枯れ、海や川は穢れてしまうだろう。死した同胞たちが愛した景色や動植物たちの住処も、失われてしまう。
かく言うエアルも、この生活を手放したところでどこに行けばいいのかわからなかった。長い年月をかけて、鳥籠の狭い空間に慣れさせられてしまったのだ。そんな自分がこの国を出て一人で生きていくなんて、できるわけがないと思った。
ローシュが王になれば、今よりもっと国力は安定するだろう。たとえ混乱が起きたとしても、その統率力とカリスマ性をもってして平和への旗振りを怠らないはずだ。少なくても、ローシュにその資質があると断言できる。
そして国の平穏は、自分の居場所の確保に繋がる。エアルはそれ以上のことを何も……何も望んでいないのだ。
「妃を娶り、世継ぎを設けてください。そして自ら国民に王の威厳を示してください。まずはそれからです」
エアルの勢いに、ローシュが片眉を上げた。
「それから? まるで妻を娶ったあとならおまえを口説いてもいいみたいな言い種だな」
ローシュの言っていることは、半分正解で半分間違っている。ローシュがいい顔をしないことはわかっていたが、エアルは思いついたそのままを口にした。
「ご結婚されたあとなら、私をどうぞ好きにしてください」
ローシュの眉がピクッと反応する。
「あなたにはその権利があるんですから。いくらでも私を愛人として囲えばよいでしょう」
「ふざけているのか? 俺がおまえを愛人にしたいだなんて嘘でも口にしたことがあるか?」
「愛人が嫌なら、慰み者にでもすればいいじゃないですか。あなたの父上のように」
無意識のうちに自暴自棄な言い方になってしまう。
エアルが口を開くたびに、ローシュの苛立ちが濃くなるのが伝わる。同時にローシュの後ろで列を成している侍者の空気が、ピリピリとした緊張感で張られていく。
本当はもっと冷静に諭すつもりだった。そうするはずだったのに、どうしてこんなにも嫌な言い方しかできないのだろう。自分でもわからなかった。
感情が昂ぶる。たった今愛人や慰み者として囲うことを自ら提案したくせに、もしもローシュが承諾したら? もしもそうなったら自分の気持ちはどうなるのだろう。考えると悲しくなる。想像だけで、目頭に涙が浮かんだ。
張り詰めた空気を一変させたのは、ローシュの胸を張った笑い声だった。天井に高らかに響いた笑い声で、その場にいる者たちの緊張感が思わず緩む。
ローシュはひと笑いを終えたあと、目尻に溜まった笑い涙を親指で拭った。
「エアルには本当に俺の気持ちが伝わっていないんだな。それがわかって、俄然やる気が沸いたよ」
エアルはキョトンとする。不機嫌になられたり怒りをぶつけられたりすることはあっても、まさか笑われるとは思わなかったのだ。
「俺が結婚したい相手はエアルだけだ。本来なら、誰の慰み者にも手ほどきの相手にもしたくない」
さっきまで緩んでいた男の視線が鋭くなる。柱の間から鋭い眼光を送った先は、父であるレイモンド王の寝室がある中央塔の最上階だった。
「国民の前で宣言したのは、あれが宣戦布告だからだ。エアルを好き勝手に弄んできた祖先たちと父上、そしてそれを見て見ぬふりをしてきたすべての人間たちへの、俺からの果たし状だ」
ローシュの全身から放たれる敵意が、王子の背後に連なる侍者にもヒリヒリと伝わったようだ。皆、強張った顔を下に向けている。王子の言葉には、それだけその場にいる人間の罪悪感を引き出す力があった。
視線を王の寝室からエアルに戻す頃には、ローシュの攻撃的な面は影を潜めていた。
ローシュはその場で跪き、エアルの左手を優しく奪った。薬指のつけ根にチュッと口づけを落とす。こちらを見上げたのは、敵意とはほど遠い場所にある微笑みだ。
ローシュはエアルの左手を握ったまま、言葉を紡ぎ始めた。
「俺の寿命なんて、エアルの寿命の指一本分にも満たない。できればその一本を俺にくれないだろうか」
言葉の意味を理解した途端、エアルは胸の奥からぶわっと感情が溢れ出るのを感じた。怒涛のようにいろんな感情が押し寄せてくる。自分がどこに立っているのかもわからなくなるほど、気持ちがぐちゃぐちゃになった。
自分でも気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。エアルはそれを拭うことも忘れて、霞んでいく視界の中を泳いだ。
息ができない。前が見えない。この涙は一体どこからくるんだろう。どうしよう。皆が見ている。早く断らなければ。これ以上ローシュに喋らせたら、もっと状況が悪くなってしまう。
「わた、し……っは……」
ああもう。口が回らない。どうしてこんなときに。
わかることといえば、ローシュの唇が降ってきた薬指が異常に熱いことだけ。
フッと微笑むローシュが、涙で曇った視界の中心で揺れる。次の瞬間、耳を疑う言葉――いや、ローシュからの好意を初めて感じ取った時点で、いつか言われるであろうとどこかでわかっていた言葉が耳をくすぐった。
「俺と結婚してください」
初めて聞く、ローシュの誠実な声。その言葉と声が、耳の奥にこびりついていた民衆の悲愴な声をかき消していく。
ローシュのプロポーズを浴びるだけで精一杯だった。そんな自分にローシュが助け舟を送ってくれたのは、それからすぐのことだ。
「結婚が難しいと言うのなら、せめてエアルの残りの指が濃いものになるよう協力させてほしい」
ローシュはそう言うと、再びエアルの薬指に口づけた。熱を落とされた薬指が、少しずつ自分の体から離れていくような気がした。
欲望の赴くままローシュの胸に飛び込みたい。逞しい腕に強く抱きしめられたい。そんな自分勝手な衝動に駆られながら、エアルは頬を濡らす涙もそのままに、ローシュの手を固く握り締めた。
17
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー
白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿)
金持ち社長・溺愛&執着 α × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω
幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。
ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。
発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう
離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。
すれ違っていく2人は結ばれることができるのか……
思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいαの溺愛、身分差ストーリー
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
囚われ王子の幸福な再婚
高菜あやめ
BL
【理知的美形王子×痛みを知らない異能王子】
触れた人の痛みは感じても、自分の痛みに気づけない──そんな異能を持つ王子カシュアは、政略結婚で嫁いだ異国で幽閉され、四年間忘れられていた。
彼が再び人前に姿を現したのは、クーデターの混乱のさなか。そして、存在を持て余された末、次期宰相である王子との再婚が決まる。
冷静で無口な王子が、なぜかカシュアにだけは優しいのは、かつて彼が妖精物語に恋をした少年だったから――不器用な王子とともに、愛をたしかめ合うストーリー。※2025/11/26第三部スタート
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
売り物の身体ー社長に躾けられる美形タレントー
しち
BL
芸能界で生き残るために身体を武器にしてきた清瀬累。
枕営業も厭わない累の“商品価値”に口を出してきたのは、所属事務所の若き社長・剣崎だった。
「価値を下げるな」
そう言って累を囲い込む男の真意は――。
身体で仕事を取ってきた若手タレント兼俳優を事務所社長が躾け直す話です。
この世界で生きるための「価値」を教え込まれる話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる