鳥籠の天翼と不屈の王子 ~初体験の相手をしたら本気になった教え子から結婚を迫られています~

須宮りんこ

文字の大きさ
44 / 60
戦火の中へ

しおりを挟む

***

 ハンナからの伝言通り、エアルは日が沈んだあとに厩舎へと足を向けた。

 横に長い厩舎の窓から、暖色の明かりが漏れている。明かりを頼りに出入口へと回り、開けっ放しの扉から中へ入ると、糞と青草の混じったなんとも言えない匂いが、そこかしこから香った。

 いつもは厩舎長や厩舎担当の下僕が常に馬の世話をしている場だが、今夜は出払っているのか見当たらない。

 奥の馬房から人の気配を感じたのは、そのときだ。フンフンと馬の鼻息が厩舎のくすんだ天井に響き、「大丈夫だって」となだめるような声が続いた。ローシュの声である。

 馬房の陰から、馬のたてがみを撫でる男の姿がちらりと見える。同じくして、ローシュもエアルの存在に気がついたようだ。

 目が合うと、「わざわざ来てもらってすまないな」と落ち着き払った声で言った。

 ローシュと黒馬のいる馬房前まで向かう。

「――大丈夫とは?」

 ローシュが馬に対して向けていた声掛けが気になった。尋ねると、ローシュは馬の鼻を撫でながら答えた。

「こいつが心配そうに俺の顔に鼻をくっつけてくるんだよ。だから大丈夫だって言い聞かせていたんだ」

 エアルは思わず眉をひそめる。

「戦地には連れて行かないのですか?」

「ああ。こいつは砂漠地帯には慣れていない。もちろん戦争にもな。連れて行っても、無駄死にさせるだけだ」

 『無駄死に』という言葉が引っかかる。まるで始まる前から、戦況が悪くなることを知っているみたいな口ぶりだ。

「こいつの面倒は厩舎長に頼んでおいたが、エアルもたまには様子を見てやってくれないか?」

「……断ってもどうせ無駄なのでしょう?」

「ああ。拒否権はないと思ってくれ」

「しょうがないですね」

 渋々承諾すると、ローシュは嬉しそうに「エアルが可愛がってくれるってさ。よかったな」と馬の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「可愛がるとは約束していませんが――……まあいいです」

 はあ、とため息をつく。想像通りというか、それ以上というか……。ローシュはエアルが予想していたよりも平常心に見えた。

 初めての外国での公務。それも戦争の最前線に赴く直前とは思えないほど、落ち着いていた。

 ローシュから見たエアルも同じだったらしい。エアルを見ながら、ローシュが感心するように口を開いた。

「エアルは相変わらず落ち着いているな。もっと強く止められるかと思ってた」

「私が止めたら『行かない』という選択肢を選んでいましたか?」

 ローシュは言いにくそうに「いや」と苦笑する。目を逸らす様子から、やはり自分の意思で戦地へ向かうことを承諾したのだろうと判断できる。

「絶対に止められると思ってたから……会いたくなかった」

 会いたくなかった、という言葉に胸を抉られる。ローシュに会えなかったのは偶然ではなく、避けられていたからなのか。ずっと会いたいと思っていたのは自分だけだったと知り、悲しくなった。

 ショックを受けていることを知られたくなかった。エアルは動揺を隠すように目を伏せる。

 ローシュは馬房の柵に寄りかかりながら、「でも」と発した。

「やっぱり会いたかった。会って抱きしめて……キスがしたくて堪らなかった」

 ローシュの目が優しい。まっすぐな言葉と柔らかい眼差しに胸を鷲掴みにされる。泣きたくなんてないのに、顔の中心にぎゅっと力が入ってしまう。鼻の奥がツンと痛む。

 ああ、もう。誤魔化せない。

「少し……外を歩きませんか」

 エアルは鼻から大きく息を吸い、涙をこらえながらローシュを誘った。

 ローシュの表情がぱっと明るくなる。

「これが俗に言うお散歩デートってやつか」

 嬉しそうに柵をくぐって馬房を出る。近くの簡易椅子に腰かけ、厩舎用の長靴を脱ぎだす。

「お散歩デート? なんですかそれは」

「知らないのか? 市民の間では、散歩さえ逢瀬になるらしいぞ」

「市民の……人間の考えることはよくわかりませんね」

「な。俺も最初はそう思っていたよ」

 ローシュは作業用の長靴から革製のロングブーツに履き替える。立ち上がり、出入口に向かって歩きながら振り返った。

「でも今わかった気がする」

 前の自分なら、これはデートではないと否定していたかもしれない。ふとそんなことが頭をよぎったが、今はそうは思わない。デートという認識で結構だ。

 厩舎を出たエアルとローシュを待っていたのは、空気の澄んだ夜空と、霧のような雲の合間から顔を覗かせる三日月だった。

 足元は暗かったが、厩舎から庭園へと続く道は庭師の手によって整備されている。加えて一定の幅で足元を照らすランタンの明かりがあるおかげで、歩きにくさはない。

 ザッ、ザッ、ザッと二人分の足音が地面を這って混ざり合う。整えられた道順に沿って歩いた先にあったのは果樹園だ。昼間なら庭師のヨハンが果物の世話をしているが、当然今の時間帯にその姿はない。

 そのときだった。小雨がパラパラと頭上に降り始めた。途端に雨の匂いが足元から湧き立つ。

「ここで雨宿りしよう」

 薔薇のガーデンアーチをくぐり抜けるローシュに続き、「そうですね」とエアルもアーチの下を通る。棚仕立ての樹の下に避難する。ヨハンが大事に育てているブドウの樹だ。

 無造作に生えた蔓が棚に這い、絡みついていることで屋根のようになっている。確かにこれなら小雨程度なら凌ぐことができそうだ。

 蔓の天井から生え下がっているのは、黒みがかった青い実たち。葡萄酒用の品種のブドウだ。以前ヨハンに実を一粒食べさせてもらったが、生食用より酸味が強かったものの、酒にするのがもったいないぐらい甘くて美味しかった。

 そんなことを思い出しながら実がぎっしりと詰まった果実を見ていると、目の前でローシュの手がヒョイと横切った。何をするのかと指摘する間もなく、指でプチッと一粒捥いで口に放り込む。

 まさかいきなり食べ出すなんて思わなかった。「ヨハンに怒られますよ」と注意すると、ローシュは「明日謝る」と悪びれもなく答えた。

 ローシュは子どもの頃、よくこの果樹園に侵入してはブドウや桃、グレープフルーツなどを勝手に採っては食べていた。はしたないのでおやめ下さい、とエアルや他の使用人たちがいくら注意をしてもやめなかったのは、野菜や果物を育てた本人がまんざらでもなさそうに笑っていたからだろう。

 庭師のヨハンは、今も昔も自分の作った野菜や果物を美味しく食べてもらうことが生きがいだとよく口にしている。幼い頃のローシュが口元を果汁に濡らしながら「おいしい」と言うと、嬉しそうに顔を潰していた。わんぱく王子を口では注意しつつも、その顔は孫相手に見せるそれのようだった。

 そういうわけなので、エアルが注意したところでローシュを制する効果はない。

 夕食はとっくに済ませたらしいが、馬の世話をするついでに小腹が減ったらしい。ローシュはブドウの実を食べながら「ここの果物は世界一うまい」と子どもの頃と変わらない口調で舌鼓を打つ。

 明後日には戦地へと向かう男の姿とは思えない。エアルは小言をぶつけたい気持ちを飲み込んで尋ねた。

「どうして今回のお話をお受けになったんですか」

 なんとなくローシュの考えは想像つくが、本人の口から直接聞きたいような気がした。

 ローシュはブドウを食べる手を止めた。

「エアルと結婚したいと国民に宣言したあとの俺が、巷でなんと言われているか知っているか?」

「……いえ」

「フリューゲルに現を抜かす色恋王子」

 ローシュは淡々と言い、手にしていた残りのブドウの実をいっぺんに口に入れた。プチプチと弾ける音が、ローシュの頬を通して聞こえてくる。

「俺に味方はいない。俺とエアルとの結婚を認めない者――いや、そこまでも行っていないか」

 ローシュは寂しく笑う。

「俺がエアルを愛していることを認められない者が、この国にはたくさんいるんだ」

 だろうな、と納得する。人間は弱い。特に大人になればなるほど、初めて見聞きするものに恐れを抱きやすくなる生き物だ。

「怖いんですよ。きっと」

「ああ、そうだな」

「ですが……認める認めない以前に、あなたの気持ちはあなたの中で生まれた、あなただけのものです」

 気持ちとは違って、結婚は行動だ。王子の行動をとやかく言う者がいるのは仕方ないかもしれないが、目に見えない気持ちまで否定することは違うのではないかと思った。

「ははっ。だよな。たとえ俺の気持ちを受け入れてくれなくても、エアルならそう言ってくれるんじゃないかと思ってた」

「だってそうでしょう。実際、あなたの気持ちはあなたが認めた時点で事実になるんですよ。そこに他者が入る余地はない。とやかく言う権利もない。私はそう思います」

 目の前にはいない国民に対して怒りをくすぶらせていると、ローシュはエアルの発言に対して「うん」と頷いた。

「だから俺はエアルを好きになった」

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ
BL
【理知的美形王子×痛みを知らない異能王子】  触れた人の痛みは感じても、自分の痛みに気づけない──そんな異能を持つ王子カシュアは、政略結婚で嫁いだ異国で幽閉され、四年間忘れられていた。  彼が再び人前に姿を現したのは、クーデターの混乱のさなか。そして、存在を持て余された末、次期宰相である王子との再婚が決まる。  冷静で無口な王子が、なぜかカシュアにだけは優しいのは、かつて彼が妖精物語に恋をした少年だったから――不器用な王子とともに、愛をたしかめ合うストーリー。※2025/11/26第三部スタート

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

売り物の身体ー社長に躾けられる美形タレントー

しち
BL
芸能界で生き残るために身体を武器にしてきた清瀬累。 枕営業も厭わない累の“商品価値”に口を出してきたのは、所属事務所の若き社長・剣崎だった。 「価値を下げるな」 そう言って累を囲い込む男の真意は――。 身体で仕事を取ってきた若手タレント兼俳優を事務所社長が躾け直す話です。 この世界で生きるための「価値」を教え込まれる話。

魔法使い、双子の悪魔を飼う

よんど
BL
「僕、魔法使いでよかった」 リュシーは宮廷専属の優秀な魔法使い。 人が寄りつけない程強い自身の力のせいで常に孤独なリュシーは、ある日何気なく街を歩いていた際に闇商人の話を聞いてしまう。貴重で価値ある''モノ''を高値で買い取る悪趣味な会が近くであるらしく気になったリュシーは其処で不思議な双子と出逢いを果たす。 本の見よう見まねで無償の愛を与え続けるリュシーに育てられた双子はいつしか胸の内に何とも言えない感情を抱く様になり... 独りぼっちだった魔法使いが出逢いを通して彼等と関係を紡いでいき幸せを知る微闇要素有りのBLファンタジー。 (※) 過激描写のある話に付けています。 *** 攻め視点 ※不定期更新です。 ※誤字脱字の報告助かるので嬉しいです。 ※何でもOKな方のみ拝読お願いします。 扉絵  YOHJI@yohji_fanart様 (無断転載×)

処理中です...