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死と結婚と
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張りの無いふくらはぎは、落ちた筋力を隠すかのようにすね毛で覆われていた。血管が詰まっているのか、所々にゴツゴツとした瘤がある。隆起したそれらを指先で感じとるたび、エアルは男の老いに触れている気分になった。
「脚を揉め」
とレイモンド王から命じられたのは、王と交わった晩が明けた今朝のこと。王に奉仕したあと、マッサージの真似事をしろと言いつけられることは珍しくない。
肩や背中、腰などはしょっちゅうだが、脚をマッサージするのは久しぶりだった。久方ぶりの脚への指圧。しかも、王の脚は以前に比べてだいぶ細くなっていた。骨の感触をダイレクトに感じ、加減が難しい。
「お加減はいかがですか」
樹液のような爪に覆われた足先を解しながら、エアルは尋ねる。王はつまらなそうに「悪くない」と答えた。
ローシュの不在から一年半。エアルの傍には常にレイモンド王がいた。ローシュがいないことを機に、エアルをさらに囲うようになったといってもいい。
ただ、ずっと夜の相手をさせられるよりかは、こうやって凝り固まった相手の体をほぐしている方がまだマシだと思った。
右足の指圧を終え、左足に移ろうとしたその時だった。
エアルたちがいる寝室の外から、ジャラジャラと金属板のこすれる音と足音が聞こえてきた。音がどんどん近づいてくると、寝室の前でチャッと勢いよく止まる。
「ルーデル騎士団長オルガ・フレデリックです」
ルーデル騎士団は、王族直属の騎士団だ。ザウシュビーク王国内から集められた団員は、生まれや育ち、剣技の腕や頭脳はもちろんのこと、容姿端麗な男子しか入団することを許されない。
今回のミレーとバルデアの戦争でも、現地で闘っているローシュ率いるザウシュビーク軍、そしてミレー軍と連携し、情報と戦況の伝達役を王に命じられていると聞いた。
少数精鋭部隊の騎士団長が、わざわざ直接王のもとにやってくる。扉の向こうで名乗る声に、いささか焦りのようなものが感じられる。何かあったのだろうか。
レイモンドは「入れ」と一言。「は! 失礼いたします」と扉が開かれると同時に、エアルもそっと王の脚から手を離した。
現れたのは、プレートアーマーに身を包んだオルガ団長だ。男の表情は険しく歪んでいた。三十代半ばの男の顔には髭が目立ち、やつれているように見える。その後ろには、家令のアンドレの姿もある。こちらも悲痛な面持ちだ。嫌な予感がする。エアルはゴクッと唾を飲み込んだ。
部屋内に入ったオルガ団長は扉が閉まった瞬間、まるで膝から崩れ落ちるかのように胸に手を当て、跪いた。
「先ほど現地のザウシュビーク軍から報告があり……ご報告を」
「申せ」
王の命令に、オルガ団長は「は!」と引き締まった返事をする。
「昨晩、ローシュ王子率いるザウシュビーク軍とミレー軍の陣営に、バルデアからの砲弾による急襲があり……こちらの軍勢に大勢の死者が出ている模様です」
悪い報せの以外何ものでもなかった。現地はどんな悲惨な状況になっているのだろう。ローシュは無事なのだろうか。ショッキングな報せに、「大勢の……」エアルは力なくオルガ団長の言葉を繰り返すほかなかった。
「それがどうした。バルデアが卑怯な手を使うことぐらい、想像に容易くない」
こちらに死者が大勢出ているというのに、なんて冷酷なのだろうか。王は興味なさげにフンと鼻を鳴らした。
「で、ですが……っ」
言いにくそうに、オルガ団長が皺の刻まれた眉間をサッと上げた。
その時、後ろにいたアンドレが「ここからは私が」と言って、オルガ団長を制した。一歩前に出てくると、初老の男は表情こそ険しいものの、淡々とした口調で告げた。
「バルデアによる急襲の報せとともに入ってきた情報によると、死者の中にローシュ様がいらっしゃるようです」
その言葉が耳に入った瞬間、頭を石で殴られたような衝撃が走る。
は?
シシャノナカニローシュサマガイル?
音としてはたしかに聞き取ることができるのに、内容がまったく理解できなかった。頭の中に入ってこない。
「ど、どういうこと、ですか……? 貴方が何を言っているのか、私には……」
なんて質の悪い冗談を言うのだろう。笑えない。まったくもって笑えない。笑えなさ過ぎて怒りさえ覚えた。急襲を受けたことも、大勢の死者が出ていることも……その中にローシュがいるということも、全部冗談だと本気で思う自分がいた。
そんなエアルを余所に、レイモンド王は冷たく言い放つ。
「奴の死体を見た者がいるのか?」
「待ってください! じょ、冗談はおやめください。ローシュ様がそんな……ローシュ様は無事なのでしょう?」
アンドレに訴える。冗談だと思いたくて、必死に笑顔を取り繕った。だが頬が引き攣ってしまい、うまく笑えない。
アンドレはエアルの問いかけに「ローシュ様ご本人は発見できておりません」と目を伏せる。光明が差した気がした。こと切れたローシュを見た者がいなければ、まだ可能性はある。ローシュが生き延びている可能性が。
ほら、やっぱりそうでしょう。ローシュ様はきっと無事です。アンドレに向かってそう畳みかけようとしたのも一瞬のこと。
「というのも、襲撃を受けた陣営の本拠地にある遺体のほとんどが、身元の確認ができないほど損傷が激しいそうで……」
「ローシュ様がそこにいた事実はあるのですかっ? 他の場所にいたかもしれないではないですか!」
声を張り上げると、レイモンド王が野太く低い声で「黙れ」とエアルに言った。
こんな状況でも王の命令は絶対だ。従うしかない。エアルはグッと奥歯を噛む。信じられない。信じたくない。嘘だ嘘だと頭の中で自分の悲鳴が聞こえた。
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