微弱な癒しの力しかない異世界人が、呪われ辺境伯に溺愛されるまでの物語

水月音子

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06.カルマ

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 数日も経つと唯奈は、本当に自分はここへ捨て置かれたのだということを認めざるを得なかった。
 テクラと同じ服を与えられ、狭い部屋に四人で過ごすことを強要されていることから考えても疑いの余地はないのだが。
 彼女たちと同じ生活をし、与えられた仕事をこなす。それだけの生活を数日も続けると、ここに自由はないことを知る。
 毎日ひたすらに食材の下処理をして、大量の洗濯物を洗い建物中を掃除して、外からやってくる貧しい人たちに炊き出しを配っていく。
 自分たちのことをすると言えば、交代で朝と夜の食事をすることと、二日置きに入る大浴場での風呂。あとはトイレくらいだろう。
 その風呂でさえ大方の者たちが使い終わったあとの汚れたお湯しか使えず、しかもその後に風呂掃除をするので結局は汗だくになるのだ。
 唯奈以外は午後にまとまった休憩を取れるらしいが、その時間唯奈は癒しの力を使って怪我人や病人を癒すという役目がある。
 初めは城に並んで建つ神殿から来たという神官に、力の使い方を教わりながらではあるが。
 つまり唯奈にはろくな休憩時間がないということになる。
 唯奈たちがさせられている仕事はごく下っ端の役目で、怪我人や病人の診察をしたり聖堂で神の教えを説く者は、自宅かもしくは仕事場から通ってくる者たちで、身分も庶民とは違うようだった。
 そして彼らは当然無償ではなく、この施設を運営する団体から給料をもらっているらしいということを知る。
 自分たちに給金はないのかとテクラに尋ねれば、衣食住を与えられているのだから「そんなものあるわけないじゃん」ということらしい。
 ある日の夜、今の生活に耐えかねた唯奈がテクラに尋ねる。

「ここの生活が嫌にならない?」

 だが、テクラの返答は簡潔だった。

「なんで? 食べ物も出るし寝るところもあるのに? それに、ここを出ても行く当てないよ?」
「逃げようとして、もし見つかって捕まったら最悪よ」

 そう付け加えたのはテクラの使用している二段ベッドの、上の段を使用している“先輩”だった。

「最悪、ですか?」
「折檻されるのよ」

 唯奈は思わず目を見開いた。
 だが、確かにここの者たちは上の指示に従順だと感じる。着るものも住環境も下手をすれば奴隷のようだが、誰も不平不満を口にすることはない。
 ただ俯いて上の者とは目を合わせようとせず、指示をこなしていくだけだ。

「怪我か病気でもして使い物にならなくなったら解放されるだろうけど」

 そう答えたのは、唯奈のベッドの上の段を使っている女性だった。
 驚きに言葉を失っているのを雰囲気で察したのだろう、彼女が軽く息を吐いて「ここはそういう所よ」と話を終わらせた。
 ただ彼女たちは何らかの事情があり、納得してここで働いているのだろう。しかし唯奈はまだ納得できていない。

(わたしは何も悪いことをしていない。こんな扱いをされる理由なんてない……)

 どうにかして『施設長』と呼ばれていた男性と話ができないかと、次の日から唯奈は仕事の合間に男の姿を探した。
 施設長と呼ばれてはいたが、彼もまた身分が高く通いで来ているのかも知れない。数日見かけることもなく過ぎてしまったが、ある時ようやく見つけることができた。
 病人や怪我人が居る本館に繋がる道を歩いていたとき、その本館の廊下を通る施設長の姿を見つける。
 思わず回収途中の洗濯かごを持ったまま、男に駆け寄り声を掛けようとした。
 ところが男性のそばに居た従僕らしき青年が、唯奈の前に立ちはだかり接触を遮って来た。
 それでも唯奈は声を張り上げて訴える。

「待ってください! 聞きたいことがあるんです! わたしはなぜここに連れて来られたんですか?! わたしは召喚されただけで何も悪いことなんて――」

 唯奈は途中で言葉をのんだ。
 施設長と呼ばれた男が踵を返しこちらに近づいて来たのだが、その表情があまりに険しくて言葉を続けられなかったのだ。
 男は唯奈の目の前まで来ると右手を素早く振り上げた。叩かれると思った唯奈は咄嗟に目をつむったが、それとほぼ同時に前方から突風が吹いた。
 それが突風だと思ったのは髪や服がはためき耳元で風切り音がしたからだが、それを体の前面で受けた唯奈はただの風ではないのだと察する。
 乾いた風とは違い、生暖かく水のような硬さのある塊が唯奈の体を正面から打った。
 当然、突き飛ばされるように唯奈は後方へ飛ばされ、尻と背中を硬い石畳に打ち付けてしまった。
 持っていた洗濯物が舞って辺りに散らばる。
 思わず一時息を止めて痛みと衝撃をやり過ごしていると、唯奈が後方に下がったぶんだけ男が一歩近づいてきた。息をつめる唯奈を見下ろし、床に落ちた洗濯物を踏みつけて男が口を開く。

「二度とその話をするな。頭がおかしくなったと、閉じ込められたくなければな。それとも地下室がいいか?」

 唯奈は恐怖に忙しない呼吸を繰り返し、侮蔑のこもった目で見下ろしてくる男を凝視することしかできなかった。
 男は唯奈が何も言わないのを見て、ひとつ鼻を鳴らすとまた踵を返し去って行った。
 唯奈は周りの者たちに叱責されながら床に散った洗濯物を集めつつ、今しがた男が言った言葉の意味を考える。

(どういうこと? わたしが異世界から召喚されたってことは、誰にも言うなってこと?)

 ここへ来るまでに誰かに「異世界から来たことを言うな」とは言われなかった。少なくとも施設長は知っているはずだが、他は誰も知らないらしい。
 罪を犯したというテクラと共に働いている唯奈は、他の者から見れば同じように見られているのだろう。
 そんな唯奈が「自分は異世界から来た」と言ったところで信じてはもらえないだろうし、先ほどの男が言ったように『頭がおかしくなった』と思われるだけかも知れない。
 それだけならまだしも、同室の女性が言っていた折檻を受ける恐れだってある。
 唯奈は自分が惨めな立場に追いやられただけでなく、かなり危険な状況にいるのだとようやく気づいた。
 理不尽な扱いに、怒りと悔しさと悲しさが一気に押し寄せてくる。かき集めたシーツで重くなったかごを抱え作業場へ向かいながら、唯奈はここへ来て初めて涙を流したのだった。



 施設長に直談判するという無謀な行為に走ったことは、その日のうちに周囲に知れ渡ったらしい。
 同室のテクラたちからは口々に「バカをしたね」「命知らずだ」と詰られた。
 確かに早計だったかも知れない。何の情報も得ていないうちから行動することは、危険極まりない行為だった。
 それでも唯奈は、ここから抜け出すことを諦めきれなかった。

(――あの人なら、話を聞いてくれるかも知れない)

 唯奈の言う『あの人』とは、癒しの力の扱い方を教えてくれる神官のことだ。
 まだ癒しの力を扱いきれていない唯奈のために、数日に一度教会からここまで通っている。彼もまたこの町で数少ない癒しの力を使える者の一人だった。
 薄い金髪に緑の目をした、恐らく貴族と思われる品の良い青年だ。多少横柄な態度ではあるが――

「魔力が少なければ一回の魔術に使用する魔力を少量でできるよう、通常はコントロールを身に着けるものだ。その点、お前は魔力量も少ないというのに無駄が多い」

その話し方から唯奈は几帳面さを感じた。几帳面な性格は、誠実にもつながるのではと期待したのだ。
 それに、神に仕える神官ということだから慈悲も持ち合わせているかも知れない。

「まぁ、今なら一日五人は癒せるだろう。効果は期待できないが」

 あまりにも微弱な力のせいで、癒しの効果は目の前の彼と比べれば天と地ほどの差がある。それは今までこの神官に何度も言われたことであり、実践して癒しの力を使った町人からも言われたことではあった。
 なので、自分の癒しの力が稀有であっても使い物にならないのだと、唯奈はすでに身をもって知っている。

「あの……あなたはわたしがどこから来たか、知ってる、んですよね?」

 唯奈は今日一日の授業の終わりに、その神官にそう尋ねた。
 恐る恐るになったのは、また施設長のように急に怒ったりしないかと警戒したからだった。
 だが、彼は表情を変えることなく唯奈に視線を向ける。怒りを見せるような様子はなかったが――

「お前は一度施設長に警告されたはずだが、懲りなかったようだな」

 その感情の欠けた顔が誰かに似ているように思えたが、それに気づくよりも先に唯奈は体に衝撃を受けて息を詰めた。神官の合図によって護衛についていた従僕に、気が付くと腕を掴まれ椅子から引きずり降ろされていた。
 その場に膝をつくよう押さえつけられ、腕を取られたままさらに背中を強く押される。深く頭を下げさせられ額が床に触れた。
 強制的に額が地面につくほど頭を下げさせられて、衝撃と屈辱に唯奈は思わず反発した。体に力を入れて頭だけでも何とか起こそうと試みる。
 その視界に神官の足が見えた。唯奈が履くよりも上等な革靴には、つま先部分から踵にかけて流れるような文様が描かれていた。
 既視感を覚えた唯奈が、リニ・ホーレンの持っていた杖に浮かんでいた文様を思い出したとき神官の足が視界から消える。

「っ!?」

 途端、左のこめかみに重い衝撃が走った。どうやら蹴られたらしいと分かり、唯奈は二つの意味でショックを覚える。
 初めて人に蹴られたということと、神官という職業の人間が人を足蹴にしたということに。
 頭上から底冷えのする男の声が降ってくる。

「異世界から召喚されて来たからといって何だと言うんだ。弱い癒しの力しか持っていない木偶の坊が――」

 理由も分からない敵意すらも感じる声音に震えあがっていると、背後から拘束する男の力が緩んだ。若干体が自由になったかと思うと、今度は前から伸びて来た神官の手に顎を掴まれる。
 無理やり顔を持ち上げられ神官の冷たい目と視線が合う。

「お前は役目が回ってくるまで大人しくしていればいい――」

 ふいに神官が言葉を途切れさせた。やや目を見開き、何かに驚いているように見えた。が、すぐに口が笑みの形に吊り上がる。

「面白い能力を持っているな。それは生まれつきか? 私は聞かされていないが」
「……?」

 彼が何を言っているのか分からず訝しげに眉根を寄せると、「なるほどな」と何かを納得したらしい呟きを漏らす。

「異世界人は召喚されると、カルマによって与えられる力が決まると聞いたことがあるが……お前は余程の悪行を犯したのか?」
「……意味が、わかりません」
「女の身でありながら癒しの力を持ち――」
「っ!?」

 顎を掴んでいた親指の爪が唯奈の頬に食い込み皮膚を裂く。熱い痛みが走り血が滲むのを感じたが、不自然にその痛みが引いていく。
 初めは神官が癒しているのかと思ったが、そんなことをする意味が分からない。神官が癒しの力を使っているのでないとしたら――。

(まさか、わたし……?)

 動揺を隠せないまま神官を見上げると、口元だけでなく目までがニヤリと笑みを形作る。

「怪我をしてもたちどころに治る体、か。本当に呪いみたいじゃないか。そう思わないか?」

 顎を掴む手が離れていっても、従僕の拘束が解かれても、唯奈は立ちあがることが出来なかった。ただ震える手で頬を撫で、そこに傷らしきものが無いことを確認する。

(わたし、どうなっちゃったの? こんな体……カルマ?)

 ほんの一瞬、脳裏にテレビで見た多重事故の映像が過る。
 だが、再び従僕に腕を掴まれたことで我に返った。強引に立たされて「連れて行け」という神官の命令に、今度は戸口へと引きずられる。
 恐怖で無意識に抵抗をしながら、唯奈は神官を振り返って「どこへ」と尋ねた。彼は表情を変えず答える。

「以前、施設長に聞いたことがある。ここでは逃げ出そうとした罪人には鞭打ち五十だと。だが、すぐに傷が治るお前なら百の方が効くだろうな」

 そうでなかったらいいのに、という唯奈の希望はすぐに打ち砕かれた。
 従僕に地下室へと連れて行かれた唯奈は、“地下室”という言葉が「牢屋」や「監禁部屋」を意味するのではなく“折檻”を意味しているのだと、文字通りその身に叩き込まれるのだった。
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