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第四章
2. ルカーからの贈り物
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日々はあっという間に過ぎ、アニエスはいよいよルカーとともに王都へ向かう日が来た。
一部の使用人を残し、リビアとダリオも一緒に王都にあるスザロッツィ家の邸宅に移住する。
もともと王都で近衛騎士をしていたルカーは、その邸宅で主に過ごしていたようだ。
そして、リビアとダリオも元は王都の邸宅で働いていたらしい。
リビアは正式にアニエス付きとなり、初めて会った時と何も変わらず細やかな気遣いでアニエスの世話をしてくれる。
ルカーにとっては裁判のときを除けば久しぶりの王都、久しぶりの我が家であり「ようやく帰って来た」という気持ちだっただろう。
邸宅に残っていた使用人たちの中にも、涙を浮かべて主人の帰宅を喜んぶ者もいた。
そして彼らはアニエスのことも事前に聞かされていたのだろう、ルカーの恩人として感謝され、大歓迎された。
そんなスザロッツィ家の様子を見てアニエスは、別宅でも感じていたことを改めて思う。
(主のことを思い、これほどに心を込めて仕えてくれる人たちがたくさんいるのは、ひとえにルカー様のお人柄ね)
もちろん幼いころから仕えてきたダリオが、使用人それぞれの為人を見て、主が過ごしやすいように整えてきたからというのもあるだろう。
だが、そんな風にダリオが尽くそうと思うのもまた、ルカーの人柄に惹かれ、親しみを持っているからに違いない。
誰からも慕われるような実直で誠実なルカーを、支えてあげられるような妻になれるのかと、アニエスはほんの少し不安になり始めていた。
(不出来な聖女の私が、こんな立派な方の妻になっていいのかしら……)
リヒゾーナではサンユエリのように、聖女の血を引いているだけで王太子と婚約できるような、権威の象徴にはならない。
サンユエリでは有難がられていたし、聖女の血を引く存在として――その一点のみでアニエスは王太子の婚約者となった。
実際はアニエスの“聖なる力”が弱いために嘲り、蔑まれてきたが、それでも血を絶やさないために守られてきた。
だが、リヒゾーナでは聖女に自由を与えることで守られる。
それもまた特別な待遇ではあるだろうが、そのため権威の象徴にはなりにくい。
またフラヴィオが言っていたように、国のあらゆることにおいて『聖女一人の力に依存する』ことは、廃れつつある慣習なのかも知れない。
そうでなければ、サンユエリのように悪習となってしまうのだろう。
(実家からも勘当され貴族でもない私は、ここではただの娘なんだわ……)
いまアニエスは初めて、“聖女の血”ではなく自分自身の存在価値が、どれほどなのかと思い至るのだった。
アニエスの不安とは裏腹に準備は着々と進み、午前中に婚約式を終えた日の午後、ルカーとともに王城へ向かう準備に追われていた。
寸分違わず二人の婚約の日に合わせて舞踏会を開くフラヴィオに、ルカーなどはやや呆れていたが、アニエスはこの日を楽しみにしていた。
自分を『不出来な聖女』と蔑む者も居ない、婚約者に最初から最後まで放置されることもない、そんな舞踏会は初めてだったからだ。
リビアを筆頭にメイドたちも、アニエスの実家とは違って皆楽しそうに、着替えや身支度を手伝ってくれる。
その腕前を振るって磨かれたアニエスは、一階で待っていたルカーの目を奪うほどだった。
ルカーの瞳の色に寄せた緑のドレスは、高い腰の位置からふわりと広がり、胸の部分には白い花のレースが重ねられ、若々しい華やかさを表している。
腰の部分には深い緑のリボンが、胸元を飾るネックレスもまたルカーの髪の色のような、少し橙味のある赤いガーネットが使われている。
結い上げたシルバーブロンドの髪には、白い小さな花の飾りが彼女の可憐さを際立たせていた。
「アニエス、今日は一段と美しい」
言葉少ななルカーの誉め言葉は、それゆえに素直にアニエスの心に響いて来る。そこに嘘偽りはないと分かるからだ。
気恥ずかしく思いつつもまたアニエスも、初めて見るルカーの正装に胸が高鳴った。
こちらに戻ってからすぐルカーは、近衛騎士の仕事に復帰したので、騎士服を着た彼の姿は見たことがあった。
騎士服のルカーも年齢に見合った威厳があり魅力的だったが、正装姿はまた違った大人な雰囲気がある。
深緑のコートには襟首から裾まで銀糸の刺繍による装飾が施され、その下に重ねている白地のウェストコートにも、同じように刺繍がふんだんにあしらわれていた。
もともと以前から誂えていたものだろう、ルカーにとてもよく似合っている。
彼がなぜか片手を後ろにしたままでいることが気になったが、アニエスは笑みを浮かべ膝を軽く折って頭を下げた。
「ありがとうございます。ルカー様も、とても素敵です」
頬を染めながらアニエスはそう言って、ふと彼の胸元あたりに目を止めた。
正装用に首に巻いた白のスカーフに、結びが解けないよう止められたピンが目に入ったのだ。
ピンの端には大抵文様などの装飾や宝石が飾られているが、ルカーが身に着けていたものにはアニエスがよく見知った花が模られていた。
「それは……」
「“月の花”だ。服を新調したかったが間に合わないと言われたので、せめてと思って――それと」
ルカーは後ろに隠していた手を前に持ってくると、その手に持っていたものをアニエスに見せた。
「それ、も……」
「ああ、“月の花”だ。実は少し前から探してもらっていた」
聞けば、アニエスと両想いになってからすぐ、ルカーは国内で“月の花”を扱っている花屋がないか、あるいは誰かが育ててはいないか、またはどこかに自生してはいないかと、使用人に頼んで探したのだという。
そして珍しい植物を集めているという貴族の庭園に、“月の花”の花木があることを突き止めた。
ルカーはすぐにもその貴族の元へ行き、自ら頭を下げて“月の花”の枝をひとつ分けて欲しいと頼んだ。
貴族は喜んで了承してくれたが、ルカーに分け与えてくれたのは枝ではなく、まだ低木程度とはいえ花木に成長したものを譲ってくれた。
その貴族もまた、挿し木から“月の花”を増やしている最中だったという。
「遠い異国の花木だよね、これ。サンユエリで見かけて一目惚れしてね。でも彼ら、譲ってくれって言っても門前払いでさ、参ったよ。仕方なくちょっと遠くまで行って、ようやく手に入れたんだ。リヒゾーナで増やしたくて、譲るつもりで育ててるから遠慮なくどうぞ」
もちろん謝礼は払ったが、ルカーは何度も礼を言って、まだ小さな“月の花”を王都の邸宅に持ち帰った。
ただ、開花の季節にはまだ早いのか、蕾は小さく見えるものの咲く気配はない。
今度はルカー自身が伝手を頼り、植物に関する魔法に詳しい魔術師を訪ねて相談を持ち掛ける。
「一枝だけなら咲かせることはできると思う。でも、一年以上はその枝は蕾をつけることができなくなるけど、それでもいいなら」
できると聞いて喜ぶルカーだったが、その後一年以上、蕾をつけないと聞いて逡巡する。
ルカーがまず考えたのはアニエスの反応だった。
アニエスを飾るための“月の花”を見せれば喜ぶだろうが、その一枝は『一年以上、蕾をつけない』という犠牲があったと知ると悲しむのではないか。
いや、アニエスのことだから、そこまでしたルカーの気持ちを考えて喜んでくれるんじゃないか。
そこまで考えて、結局自分の気持ち次第だと思ったルカーは、魔法で花を咲かせてもらうことにしたのだという。
「庭園の奥に譲ってもらった“月の花”を植えてる。あとで一緒に見に行こう」
そう言うとルカーは、持っていた“月の花”をアニエスの結い上げた髪に挿した。
ルカーが挿してくれた花にそっと触れつつ、アニエスは感動に言葉を失った。
『不出来な聖女には過ぎた願いだから』と、婚約者に“月の花”を模った装飾品すらも、贈ってもらえることをずっと諦めていたからだ。
「きみの母国では“月の花”が聖女の象徴だと言われているが、初めて実物を見たとき、きみにピッタリの花だと思った。小さいけど淡い黄色の花びらが幾つも重なって、可憐に見えるのに、ひとつふたつ花びらが散っても美しさを損なわない芯の強さがある。俺はそんなアニエスのすべてを愛している」
優しい声音でそんな言葉をかけられたアニエスは、たまらず涙が溢れるのを我慢できなかった。
欲しかったものを、言葉を、愛を、ルカーは惜しみなく与えてくれる。ずっとそれが欲しかったと、アニエスの心が至福に震えている。
喜びや感謝を伝えたいと思うのに言葉にならず、アニエスはルカーの胸に飛び込むことで、その想いの丈を伝えたのだった。
一部の使用人を残し、リビアとダリオも一緒に王都にあるスザロッツィ家の邸宅に移住する。
もともと王都で近衛騎士をしていたルカーは、その邸宅で主に過ごしていたようだ。
そして、リビアとダリオも元は王都の邸宅で働いていたらしい。
リビアは正式にアニエス付きとなり、初めて会った時と何も変わらず細やかな気遣いでアニエスの世話をしてくれる。
ルカーにとっては裁判のときを除けば久しぶりの王都、久しぶりの我が家であり「ようやく帰って来た」という気持ちだっただろう。
邸宅に残っていた使用人たちの中にも、涙を浮かべて主人の帰宅を喜んぶ者もいた。
そして彼らはアニエスのことも事前に聞かされていたのだろう、ルカーの恩人として感謝され、大歓迎された。
そんなスザロッツィ家の様子を見てアニエスは、別宅でも感じていたことを改めて思う。
(主のことを思い、これほどに心を込めて仕えてくれる人たちがたくさんいるのは、ひとえにルカー様のお人柄ね)
もちろん幼いころから仕えてきたダリオが、使用人それぞれの為人を見て、主が過ごしやすいように整えてきたからというのもあるだろう。
だが、そんな風にダリオが尽くそうと思うのもまた、ルカーの人柄に惹かれ、親しみを持っているからに違いない。
誰からも慕われるような実直で誠実なルカーを、支えてあげられるような妻になれるのかと、アニエスはほんの少し不安になり始めていた。
(不出来な聖女の私が、こんな立派な方の妻になっていいのかしら……)
リヒゾーナではサンユエリのように、聖女の血を引いているだけで王太子と婚約できるような、権威の象徴にはならない。
サンユエリでは有難がられていたし、聖女の血を引く存在として――その一点のみでアニエスは王太子の婚約者となった。
実際はアニエスの“聖なる力”が弱いために嘲り、蔑まれてきたが、それでも血を絶やさないために守られてきた。
だが、リヒゾーナでは聖女に自由を与えることで守られる。
それもまた特別な待遇ではあるだろうが、そのため権威の象徴にはなりにくい。
またフラヴィオが言っていたように、国のあらゆることにおいて『聖女一人の力に依存する』ことは、廃れつつある慣習なのかも知れない。
そうでなければ、サンユエリのように悪習となってしまうのだろう。
(実家からも勘当され貴族でもない私は、ここではただの娘なんだわ……)
いまアニエスは初めて、“聖女の血”ではなく自分自身の存在価値が、どれほどなのかと思い至るのだった。
アニエスの不安とは裏腹に準備は着々と進み、午前中に婚約式を終えた日の午後、ルカーとともに王城へ向かう準備に追われていた。
寸分違わず二人の婚約の日に合わせて舞踏会を開くフラヴィオに、ルカーなどはやや呆れていたが、アニエスはこの日を楽しみにしていた。
自分を『不出来な聖女』と蔑む者も居ない、婚約者に最初から最後まで放置されることもない、そんな舞踏会は初めてだったからだ。
リビアを筆頭にメイドたちも、アニエスの実家とは違って皆楽しそうに、着替えや身支度を手伝ってくれる。
その腕前を振るって磨かれたアニエスは、一階で待っていたルカーの目を奪うほどだった。
ルカーの瞳の色に寄せた緑のドレスは、高い腰の位置からふわりと広がり、胸の部分には白い花のレースが重ねられ、若々しい華やかさを表している。
腰の部分には深い緑のリボンが、胸元を飾るネックレスもまたルカーの髪の色のような、少し橙味のある赤いガーネットが使われている。
結い上げたシルバーブロンドの髪には、白い小さな花の飾りが彼女の可憐さを際立たせていた。
「アニエス、今日は一段と美しい」
言葉少ななルカーの誉め言葉は、それゆえに素直にアニエスの心に響いて来る。そこに嘘偽りはないと分かるからだ。
気恥ずかしく思いつつもまたアニエスも、初めて見るルカーの正装に胸が高鳴った。
こちらに戻ってからすぐルカーは、近衛騎士の仕事に復帰したので、騎士服を着た彼の姿は見たことがあった。
騎士服のルカーも年齢に見合った威厳があり魅力的だったが、正装姿はまた違った大人な雰囲気がある。
深緑のコートには襟首から裾まで銀糸の刺繍による装飾が施され、その下に重ねている白地のウェストコートにも、同じように刺繍がふんだんにあしらわれていた。
もともと以前から誂えていたものだろう、ルカーにとてもよく似合っている。
彼がなぜか片手を後ろにしたままでいることが気になったが、アニエスは笑みを浮かべ膝を軽く折って頭を下げた。
「ありがとうございます。ルカー様も、とても素敵です」
頬を染めながらアニエスはそう言って、ふと彼の胸元あたりに目を止めた。
正装用に首に巻いた白のスカーフに、結びが解けないよう止められたピンが目に入ったのだ。
ピンの端には大抵文様などの装飾や宝石が飾られているが、ルカーが身に着けていたものにはアニエスがよく見知った花が模られていた。
「それは……」
「“月の花”だ。服を新調したかったが間に合わないと言われたので、せめてと思って――それと」
ルカーは後ろに隠していた手を前に持ってくると、その手に持っていたものをアニエスに見せた。
「それ、も……」
「ああ、“月の花”だ。実は少し前から探してもらっていた」
聞けば、アニエスと両想いになってからすぐ、ルカーは国内で“月の花”を扱っている花屋がないか、あるいは誰かが育ててはいないか、またはどこかに自生してはいないかと、使用人に頼んで探したのだという。
そして珍しい植物を集めているという貴族の庭園に、“月の花”の花木があることを突き止めた。
ルカーはすぐにもその貴族の元へ行き、自ら頭を下げて“月の花”の枝をひとつ分けて欲しいと頼んだ。
貴族は喜んで了承してくれたが、ルカーに分け与えてくれたのは枝ではなく、まだ低木程度とはいえ花木に成長したものを譲ってくれた。
その貴族もまた、挿し木から“月の花”を増やしている最中だったという。
「遠い異国の花木だよね、これ。サンユエリで見かけて一目惚れしてね。でも彼ら、譲ってくれって言っても門前払いでさ、参ったよ。仕方なくちょっと遠くまで行って、ようやく手に入れたんだ。リヒゾーナで増やしたくて、譲るつもりで育ててるから遠慮なくどうぞ」
もちろん謝礼は払ったが、ルカーは何度も礼を言って、まだ小さな“月の花”を王都の邸宅に持ち帰った。
ただ、開花の季節にはまだ早いのか、蕾は小さく見えるものの咲く気配はない。
今度はルカー自身が伝手を頼り、植物に関する魔法に詳しい魔術師を訪ねて相談を持ち掛ける。
「一枝だけなら咲かせることはできると思う。でも、一年以上はその枝は蕾をつけることができなくなるけど、それでもいいなら」
できると聞いて喜ぶルカーだったが、その後一年以上、蕾をつけないと聞いて逡巡する。
ルカーがまず考えたのはアニエスの反応だった。
アニエスを飾るための“月の花”を見せれば喜ぶだろうが、その一枝は『一年以上、蕾をつけない』という犠牲があったと知ると悲しむのではないか。
いや、アニエスのことだから、そこまでしたルカーの気持ちを考えて喜んでくれるんじゃないか。
そこまで考えて、結局自分の気持ち次第だと思ったルカーは、魔法で花を咲かせてもらうことにしたのだという。
「庭園の奥に譲ってもらった“月の花”を植えてる。あとで一緒に見に行こう」
そう言うとルカーは、持っていた“月の花”をアニエスの結い上げた髪に挿した。
ルカーが挿してくれた花にそっと触れつつ、アニエスは感動に言葉を失った。
『不出来な聖女には過ぎた願いだから』と、婚約者に“月の花”を模った装飾品すらも、贈ってもらえることをずっと諦めていたからだ。
「きみの母国では“月の花”が聖女の象徴だと言われているが、初めて実物を見たとき、きみにピッタリの花だと思った。小さいけど淡い黄色の花びらが幾つも重なって、可憐に見えるのに、ひとつふたつ花びらが散っても美しさを損なわない芯の強さがある。俺はそんなアニエスのすべてを愛している」
優しい声音でそんな言葉をかけられたアニエスは、たまらず涙が溢れるのを我慢できなかった。
欲しかったものを、言葉を、愛を、ルカーは惜しみなく与えてくれる。ずっとそれが欲しかったと、アニエスの心が至福に震えている。
喜びや感謝を伝えたいと思うのに言葉にならず、アニエスはルカーの胸に飛び込むことで、その想いの丈を伝えたのだった。
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