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第四章

1. リヒゾーナの解釈

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「“人を呪わば”だよなぁ」

 アニエスとルカーが想いを通わせてから数日後、再び邸にリヒゾーナの王太子フラヴィオが現れた。
 金髪碧眼の美青年は神妙な口調ながらも、その顔はなぜかニヤついている。
 彼が言っているのは、ルカーを呪った幼馴染であるラヴィカラ家の子女レーナのことだ。
 先日アニエスが聞いたように、ルカーは王都に戻ってからすぐさま王城へ行って、裁判を開くよう請願した。
 フラヴィオの協力もあり、ルカー自身も万が一のときのために証人など準備はしていたため、裁判は怒涛の速さで行われ、そしてまた彼女の暴走という経緯をたどり、その日のうちに決着もついた。
 あっという間の裁判は、同じ早さで王都中に広まり騒ぎになるも、数日後にはまたその騒動が一段と大きくなるようなことが起きた。
 地下牢に閉じ込めていた女の姿が、異形と成り果てていたからだ。
 全身の肌は赤黒く、さらに同じ色の触手が無数に生えて体を覆っていた。
 本当にその異形が彼女だったかのかも分からないほど変わり果てていたが、その触手の塊からレーナの声ですすり泣いたり、呻いたりするのが聞こえてくるので間違いなかった。
 それもまた王都中に広まると、人々はうわさ話に興じつつ『人を呪わば』という教訓を胸に刻んだのだった。
 そんな話を意気揚々と語ったフラヴィオは、冒頭の言葉をつぶやくとアニエスに視線を向けた。

「きみだろう? 呪いを彼女に返したのは」

 そう問われてアニエスは戸惑う。まったくそんな自覚はないからだ。
 だが、アニエスの代わりに隣に座るルカーが力強く頷いた。

「アニエス嬢は眠っていましたが、寝言で祈りの言葉を口にしたのです。すると彼女の体から白い光が溢れ、私の全身を覆いました」

 途端、ルカーの体から今度は黒い影が現れて、さらにアニエスが寝言で祈りの言葉を呟くと、その黒い影が窓の外へと消えて行ったのだという。
 確かにそんな夢を見た気はするが、アニエスの中でそれはあくまで夢なので実感はない。

「あの黒い影が飛んで行ったのは王都がある方向だった。だから、アニエスの祈りが呪いを返したのに間違いない」

 こちらを見て断言するルカーに、アニエスは困った顔で曖昧に微笑むことしかできなかった。
 そんなアニエスに再びフラヴィオが声をかけてくる。

「アニエス嬢、話は変わるがきみの国に伝わる聖女を表した詩の全文を聞かせてくれないか」

 唐突なフラヴィオの頼みに戸惑いつつも、アニエスは母親に教わったその詩を詠んだ。

「――月の花は蕾のままで
 枯れることなく夜を照らす
 だがひとたび陽の光浴びれば
 たちどころに蕾は枯れる
 色を無くした蕾は癒しを欲し
 光の癒しが新たな色を与える
 すると蕾は花開き
 絶えることなく夜を照らす――」

 うんうんと頷きながら耳を傾けていたフラヴィオは、アニエスが詠み終わるとすぐさま口を開いた。

「リヒゾーナでは聖女を有難がる文化は廃れつつあるんだが――」
「殿下」

 聖女を軽んじる言い草に、すかさずルカーが苦言しようとしたが、片手を挙げてそれを制すると「まぁ、待て」とフラヴィオは先を続けた。

「昔、家庭教師に少しだけ、その詩とともに聖女について教わったことがある。きみの国ではこの『光浴びて蕾は枯れる』ってところを、『聖女が処女でなくなれば力が無くなる』と解釈しているようだが、俺が教わった家庭教師は別の言い方をしていたんだ」
「別の言い方、ですか?」
「処女がどうとかじゃなく、『偽りの愛が聖女の力を奪う』と言っていた」
「偽りの愛……」

 呟くアニエスを放置して、フラヴィオの講釈は続く。

「『癒しを欲し』たのは真実の愛を欲したということで、『光の癒しが新たな色を』ってのは、真実の愛が聖女に再び聖なる力を与えた、という解釈になる」
「愛……」

 アニエスは数日前、教会でマティスから聞いた話を思い出していた。

「詩の最後に『蕾は花開き』とあるだろう? きみの国ではそれを聖女の妊娠出産ということになっているようだが、詩の頭では聖女のことを『月の花の蕾』と言っている。蕾が花開いてしまったら解釈が合わない。だから、蕾が花開くのは真実の愛を知って本当の“聖なる力”を得た、とした方がしっくりくる。そのあとの『絶えることなく』という部分にも繋がるしな」

 それは確かに、アニエスも考えたことがある。
 初めは『蕾』だった聖女の力が、妊娠出産して次代の聖女が生まれると、なぜ『花開く』なのか、と。
 だが、詩とはそういうものなのだろうと思い、深く考えることはしなかった。

「つまり、処女云々は関係がなく、真実の愛があれば聖女は“聖なる力”を使えるってことだ」

 長々と講釈を垂れたあとでフラヴィオは、その整った容姿をくしゃっと歪めた。
 眉尻を下げた情けない顔をすると、自分で自分の腕をさする。

「真実の愛とか偽りの愛とか、こう、何というかむず痒くなってくるが――まぁ、そういうことだな」

 アニエスはいきなり価値観がひっくり返るようなフラヴィオの話に、しばし呆然となってしまった。
 だが、言われてみれば確かに頷けることは幾つもある。
 アニエス自身が処女でなくなっても、“聖なる力”が使えたのがその代表だろう。
 今まで弱い力しか使えなかったのは、周囲に“真実の愛”が無かったからと思えば理解もできる。
 そして、ルカーの愛を得たアニエスが、今までにない強い力を発揮できたことも。

(お母様も、お祖母様も、やはり力は失ってしまったのかしら……)

 サンユエリの解釈では、処女でなくなっても“聖なる力”が使える聖女は“大聖女”ということになるらしいと、これもまたフラヴィオから以前聞いた。
 だが、アニエスは今まで母親や祖母が大聖女なのだという話を耳にしたことはない。
 つまりは、フラヴィオの言う解釈に照らせば、母親も祖母も“真実の愛”を得られなかったということかも知れない。
 思考が過去に飛んでいたアニエスを引き戻すように、フラヴィオは出されたカップに口を付けるとさらに続けた。

「リヒゾーナではそういう解釈が一般的になり、事実その通りだったんで、聖女を囲い込むことを随分前に止めたらしい」
「囲い込むことを……」
「サンユエリでは聖女の血を継ぐため嫁ぎ先を厳密に管理しているだろう? そこで真実の愛を見つけられればいいが、政略結婚ではそれも容易ではない。貴族っていうのは政略結婚が当たり前だが、そうすることで“聖なる力”が使えなくなるんじゃ本末転倒だ。ってわけで、うちでは聖女の血を継ぐ者は自由にさせている。家の意向に従いたいなら政略結婚、好きな相手と結ばれたいならご自由にどうぞってな」
「では、リヒゾーナでは聖女の血を継ぐ女性は――」
「あちこちに散らばってるな。リヒゾーナは聖女の力が無くても問題なくやっているんで、サンユエリのように有難がる慣習も廃れつつある」
「フラヴィオ殿下」

 再び聖女軽視の発言にルカーが声を上げると、フラヴィオは肩をすくめて「すまん、すまん」と軽くいなした。

「半分はおれの願望だ。聖女の血を継ぐ者を自由にさせてるってことは、つまり“聖なる力”を存続させようとしてるということだ。リヒゾーナでは聖女が必要ない、というわけではない」

 いつもはその美貌にそぐわない闊達な物言いをするフラヴィオが、ふいに神妙な口調になるのでアニエスは思わず彼に注視した。

「だが、国の繁栄や発展、守護や癒しなどを、聖女一人の力に依存するやり方というのは――まぁ、前時代的だとおれは思う」

(前時代的……)

 その言葉にアニエスは、この邸に来たときのことを思い出した。
 洗練された意匠の家具などを見て、自分の家にある物たちが途端古く感じてしまったことを。
 それは家具の意匠だけの話ではなくて、モアヅィ家が頑固に伝統を重んじる慣習や、サンユエリが守ってきた聖女に関わる慣習自体が前時代的だったのを、アニエスは邸の雰囲気から無意識に感じていたのかも知れない。
 それらが時代にそぐわない因習であるならば、変えていかなければいけないところもあるのだろう。
 だがアニエスは、サンユエリでの聖女の在り方が前時代的だと言われたことを、理解はしてもすぐには飲み込めずにいた。
 自分が聖女であると――たとえ弱い力しかなくても聖女の血を引いているのだという事実だけが、アニエスの存在意義だったからだ。
 では、リヒゾーナではどうかと言えば、“聖なる力”が必要ないわけではないため、自由にさせることで守っている。
 しかしサンユエリのように、権威の象徴とはならないのだ。

(私は聖女として未熟……ルカー様は呪いを解呪したと仰るけど自覚もない。解呪するほどの力を発揮できる自信も、ない。弱い力しか使えないままの私が、ルカー様のお傍に居てもいいのかしら……)

 聖女の血が権威の象徴として有難がられる慣習がないのであれば、そして弱い“聖なる力”しか使えないのであれば、ルカーに対して自分は何を捧げることができるのだろうか。
 何をもって彼を支えることができるのだろうか。
 そんな自問自答がぐるぐるとアニエスの頭の中を巡る。
 それを察しているのかいないのか、しばし沈黙を挟んでルカーが口を開いた。

「確かにサンユエリでの聖女の扱い方には問題があるようです。そのせいでアニエスは今まで辛い思いをしてきた。ですがアニエスこそ、守られるべき真の聖女だと私は思っております」
「……ルカー様」

 ルカーの言葉に思わず視線を向ければ、彼もまたアニエスに視線を向けていた。
 互いの視線が絡み合い、まるでそこから意思が流れてくるようだとアニエスは思う。

「死を覚悟するほどの苦しいことがあっても尊厳を保ち、これまで何度矜持を挫かれたかと思うほどの境遇であっても、慈悲の心を忘れず奉仕の精神を持ち続けている。きみこそが真の聖女だと俺は思う」
「――」
「ただ、聖女であるという以前に、一人の女性として俺はきみを尊敬し、愛している。だから、俺にはきみが――アニエスが必要なんだ」
「――ルカー様、ありがとうございます……」

 間違いなくルカーの言葉は、自分の心を守るためのものだった。それが分かり、感情が揺さぶられたアニエスは感極まって涙をこぼした。
 サンユエリではいつ頃からか泣くことを我慢するようになってしまったアニエスだが、ルカーの前ではつい涙腺が緩くなってしまうようだ。
 涙を拭こうとしたアニエスだったが、それよりも先にルカーの手が伸びて頬を拭われる。
 温かい手の感触に誘われて、無意識にルカーを見つめ、彼もまたアニエスを見つめ返してきた、が――

「ごほんっ! お前たち、おれが居るのを忘れてないか?」

 怒気をはらんだフラヴィオの声に、アニエスは我に返って慌てて身を正した。

「大変失礼いたしました!」
「失礼いたしました、フラヴィオ殿下」

 アニエスは身を小さくして、ルカーは特段慌てた様子もなく、互いに頭を下げて謝れば、もともとそういったことを気にしない性質の彼は「まぁいい」と流してくれた。
 続けて肩をすくめると、先ほど自分が主張した内容の補足をする。

「おれも別にアニエス嬢のことを、取るに足りない人物だと思ってるわけじゃない。どうも自覚はないようだが、あの複雑な呪いを解呪できるほどの“聖なる力”を持ってるんだ。そういう事態のときは大いに活躍してもらいたいと思っている。それまでは、十分にルカーから“真実の愛”を与えてもらうことだな。まぁ、俺の見立てではこいつの“真実の愛”とやらは相当に重そうだが――」

 先ほどのお返しなのか、二人をからかおうとするフラヴィオだったが、ふと言葉を途切れさせた。
 顔を真っ赤にして俯くアニエスと、視線をあらぬ方へやって微かに頬を染めるルカーを見て、フラヴィオの笑みが歪む。
 想いを通わせてから数日、毎夜アニエスはルカーに求められている。
 ただ、愛を囁かれながら抱かれるも、常に気を失うまでそれが続けられることが、フラヴィオの言う『愛が重い』に通じる気がして、まるで見透かされているようでアニエスは恥ずかしかったのだ。

「ダリオよ」
「はっ」

 微妙な雰囲気を破って、ふいにフラヴィオが部屋の隅に控えるダリオに声をかける。

「俺はお前たち使用人に同情するぞ。今頃になって色欲に溺れた主を持ったことにな」
「は、いえ――私たち一同は、我が主をバケモノから色情狂――失礼しました、人間に戻してくださったアニエス様に感謝しております。今後も心を込めてお仕えすることで、ご恩返しとなればこの上なく幸せに存じます」

 ダリオの軽口にルカーが彼を睨みつけるも、不遜にもその視線をしっかりとダリオは受け止めるのだった。
 視線をぶつけ合い、目だけで会話をする二人だったが、顔を真っ赤にして俯いていたアニエスは気づかない。
 各々の様子を一人眺めていたフラヴィオが、しらけた表情で大きく息を吐いた。

「まぁ、幸せそうなことで何よりだ。じきに婚約すると聞いたが、親には会ったのか」

 フラヴィオの質問にアニエスは顔を上げたが、それに答えたのはルカーだった。

「はい。一昨日、両親がこの邸に足を運んでくださったので」
「許可はもらえたのか――などと、聞くまでもないな」

 許可とはつまり、婚約を許してもらえたかどうかということだろう。
 フラヴィオの言う通り、ルカーの両親は諸手を挙げてアニエスとルカーの婚約を許可した。
 理由はもちろん、ルカーの呪いをアニエスが解いたからだ。
 また、アニエスは父親に勘当されたとはいえ、身分の高い貴族の子女だった。
 勘当も国外追放もすべて冤罪をかけられたせいで、それをルカーがダリオの報告とともに伝えるとむしろ同情された。
 アニエスが事実罪人であれば、さすがに躊躇しただろうが、自分たちの息子を救ってくれたと感謝する彼らに、二人の婚約を反対する理由などないのだ。

「婚約式は王都でするんだろう?」
「はい、数日中には王都に戻る予定なので、それに合わせて」
「ではおれも、それに合わせて舞踏会を開くとしよう。表の名目はまぁ適当に。裏の名目はお前の解呪と婚約祝いだな」
「……」
「いつもお前は警護ばかりだから、今回はちゃんとアニエス嬢と二人で参加するんだぞ」
「――わかりました」

 問答無用のフラヴィオの命令に、ルカーは渋い表情のまま頷く。
 その様子から彼は、華やかな舞踏会が苦手なのかも知れない。
 アニエスも得意な方ではないが、王太子の婚約者だったために頻繁に参加させられていた。
 そして、よく一人置き去りにされていた。
 今回は初対面の貴族ばかりの舞踏会になりそうだが、疎外感があるのはいつもの事なので、アニエスはあまり気にならなかった。
 ただ今回は、ルカーと一緒に舞踏会へ行くのだという、それだけのことが単純に嬉しく、楽しみに思うのだった。
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