化け物バックパッカー

オロボ46

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化け物バックパッカー、自転車を盗んだのか疑う。

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 波は、横に広がっているのではない。



 上に向かって、手を伸ばしているのだ。



 そう主張するように、島の周りを波たちは揺れる。



 互いにぶつかり合い、



 その上に見える、橋に向かって。



 島と島をつなぐ、橋に向かって。



 ただ、上を目指して。










 その橋の手前にある、大きな建物。

 建物のテラスで、その人影は柵に腕を置いて海を……その上に立つ橋を……そして、橋がつないでいる島々を眺めていた。

 黒いローブを身にまとっている人影の顔は、フードで顔が見えない。
 体形は大人の女性のように見えるが、わずかに見える口の緩み方から見て取れる純粋さは、少女と言ったほうがいいだろう。
 その背中には、黒いバックパックが背負われていた。



 風に髪を揺らしながら、島々を眺めているローブの少女。

 その少女の後ろに近づく、大柄な人影があった。



 服装は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショートヘアーにショッキングピンクのヘアバンドと、この時代にしてはある意味個性的。

 その人物は老人だ……それも、顔が怖い。

 老人は背中を見せているローブの少女へと……近づいていく……



「“タビアゲハ”、手続きはすませたぞ」

 タビアゲハと呼ばれた少女は、嬉しそうに口を開きながら、手すりから手を離して老人に体を向けた。

「ソレジャア“坂春サカハル”サン、自転車ニ乗レル?」

 親しそうに坂春と呼ばれた老人は「ああ」と自身の後ろを親指で指す。

「だが……タビアゲハ、おまえは自転車に乗ったことはあるのか?」
「ウウン。全然」

 1周回って自信満々な笑みを浮かべるタビアゲハに対して、坂春は心配そうに腰に手を当てる。

「デモ、街灯テレビデ見タコトガアルカラ、ダイジョウブダヨ」
「見よう見まねで乗れるようなもんじゃないぞ、自転車は。俺が子供のころはなんども転んで……」

 その坂春の両手をタビアゲハはつかんで、両手の手のひらをくっつけた。

「ヤッテミナイトワカラナイヨ。ソレヨリモ、早クイコウヨ。アノ島ノ向コウニアル水族館ニ向カッテ、島ヲ巡リナガラ……!」
「!! おっ! ちょっ!! 引っ張るな!!」

 そのきゃしゃな体つきからは思えないほどの力で、坂春はタビアゲハに引っ張られていった。



 ふたりは、自転車をついて橋へと向かって行く。

 どちらの自転車も、空のようにさわやかな水色の塗装が、太陽の光を反射して輝いていた。








 橋の上では、自動車たちが輝く海をバッグに走っている。

 自動車と自動車の隙間から見えるのは、自転車をこぐふたりの人影。

 潮風に白髪のヒゲを揺らす坂春と、ローブを揺らすタビアゲハ。



 ふたりはいくら自動車たちに抜かされようと、自分たちのペースで海を横切っていく。

 水色の塗装を、輝かせながら。



「……ホントに初体験か?」

 先頭を走る坂春は前を見たまま、後ろのタビアゲハに話しかけた。

「ウン。街灯テレビデ見タダケ。見タコトノナイコトハ時間カカルケド……見タコトノアルコトナラ、スグニデキルヨ」
「普通はなんども失敗してコツをつかむものなんだが……その見ただけでつかむ能力は才能のものなのか……それとも、その変異した体からなのか」
「ドッチニシテモ、コノ感覚ハ体験スルマデワカラナイヨ」



 その時、とっさにふたりは片足を自転車のペダルから離し、地面につけた。

 橋を横切った強い潮風で、バランスを崩しかけたからだ。



 その潮風で、タビアゲハのフードが一瞬だけ口を開き、影のように黒い肌があらわになる。



 肩まで伸びたウルフヘアの黒髪とともに揺れたのは、青い触覚。

 その触覚は、本来眼球が収まるべき場所から生えていた。



「……ッ!!」

 タビアゲハは、とっさにフードを下ろした。

「……危ないところだったな」
「ウン……ワタシガ“変異体”ッテコト……気ヅカレルトコロダッタ……」

 胸をなで下ろしたタビアゲハは、辺りを見渡す。
 坂春も同じように見渡していたが、やがて眉をひそめた。



 車道には、たしかに自動車が走っている。



 だけど、ふたりのいるサイクリングロードには、



 坂春とタビアゲハのもの以外に、自転車は見当たらなかった。









 複数存在する島のうちのひとつにたどり着くと、島に立っているレストランへと向かった。

 影はすでに伸びきっており、日差しがふたりを照らし続ける。



「……ネエ坂春サン」

 レストランのテラス席。
 日笠の下のテーブルで、タビアゲハはそうめんを食べている坂春にたずねる。

「ん? ほうかほうひあは?」
「サッキ……ゼンゼン自転車ガ見エナカッタヨネ……」

 坂春は伸ばしていたそうめんを食いちぎり、思い出すようにまばたきをする。

「そういえば、そうだったな……たしか、俺が手続きした時は……他の自転車が見当たらなかったはずだが」
「ソレジャア……アノ2ツノ自転車シカ、ナカッタノ?」
「ああ、俺がたずねた時には消えていたらしくてな。受付の人間も困惑していて、自転車がまだ残っていると知った時には安心していたが……」

 考えるようにうなる坂春だったが、しばらくすると「まあ、サイクリングできたからいいだろう」とそうめんをすすりだした。
 タビアゲハはただ、坂春の食事風景を眺めているだけだった。









 やがて、ふたりは再び出発した。

 先ほどと同じように、自動車の横で自転車を漕いでいく。



 ふたりはいくら自動車たちに抜かされようと、自分たちのペースで海を横切っていく。

 赤色の塗装を、輝かせながら。



「……なあ、タビアゲハ」
「ナニ?」

 坂春は振り向くことはしないものの、その目線は下……乗っている自転車に向けられていた。

「なんか……その……おかしくないか?」
「坂春サンモ、ソウ思ウ?」
「ああ、ペダルの重さとか……ハンドルの握り心地とか……第一……」

 坂春はスピードを徐々に落としていき、橋の手すり側に移動させてから自転車を止めた。
 タビアゲハも、同じように自転車を止める。



「俺たちが乗ってきたの……水色じゃないか?」



 坂春とタビアゲハが乗っていた自転車は、赤色だった。



「……モシカシテ、間違エタ?」
「かもしれん……いや、たしか見た時はふたつしかなかったはずだが……」

 自動車が横切っていく音の中、坂春は腕を組んでうなる。

 タビアゲハも自身の頬を鋭い爪で傷がつかないように優しくなでて考えていたが、やがてひとつの結論にたどり着いたように手をたたく。

「……キット誰カガ、持ッテ行ッチャッタンダ」
「俺たち以外に、この辺りを走る自転車は見当たらないが?」

 坂春の言う通り、サイクリンクロードの上の自転車は2台しか見当たらない。

「無クナル前ニ自転車ヲ借リテイテ……休ミナガラ来テイルトシタラ?」
「それなら、説明はつくが……」

 坂春は眉をひそめ続けていたが、

「立チ止マッテモ仕方ナイヨ。ジットシテイタラ、熱中症ニナルカモシレナイシ」
「……まあ、取り違えた相手も気づいて、この先で待っているかもしれないからな」

 タビアゲハの言葉にうなずき、ふたりは再び自転車をこぎ始めた。










 やがて、空はオレンジ色に移り変わり、太陽は地平線へと隠れていく。



 島のホテルにたどり着いた坂春とタビアゲハは、駐輪場で赤色の自転車を止めた。

「……ココノ駐輪場モ……空ッポダネ……」
「まあ、後でホテルの従業員に自転車のことをたずねてみる。いなかったら……自転車を借りたところに電話をかけるから心配するな」

 長距離を走ったからなのか、坂春は膝をなでながらのびをしていた。

「ソレジャア……私ハコノ姿ダカラ……ホテルノ外デ寝床ヲ探シテクルネ」
「ああ、もしも水色の自転車を見かけたら連絡してくれ」

 ふたりは会話をかわすと、坂春はホテルの中へ、タビアゲハは島の市街地の方へと、それぞれ歩き出した。








 太陽が完全に沈み、自転車を照らす明かりは駐輪場に立つ電柱だけとなった。

 その下に立つ2台の赤色の自転車……

 いや……たった今、緑色の自転車へと変わった。
 カメレオンの変色のように。

 すると自転車のハンドルが、2台同時に左右に動く。
 まるで、付近に人がいないかを確認するように。



 そして2台の自転車は、

 自らペダルを回し、



 駐輪場から走り去ってしまった。








 波を打つ音は、真夜中でも響き渡る。

 その波の上に存在する橋では、自動車の光がひとつの夜景を作っていた。



 夜景の中を走る、ひとりでに動く2台の自転車。

 自動車の光になんども照らされても、それを気にする自動車の運転手はいなかった。



 自転車のサドルから煙が出ていて、人間のシルエットを作っていたからだ。



 煙でできた人間のシルエットは、子供のようにふたりで笑い合っていた。



 真夜中のツーリングを……楽しんでいるように……



 自分たちが騙した人物を思い出して……無邪気に語り合っているように……









「……赤色ノ自転車モ……消エチャッタ……」

 翌日、ホテルの駐輪所に戻ってきた坂春とタビアゲハ。
 ふたりとも、あぜんと空っぽの駐輪所を眺めていた。

「ホテルの宿泊客からのウワサ話だが……この辺りに、金属を食う変異体が現われたというウワサがあるらしい」
「乗ッテキタ自転車モ……食ベラレチャッタノカナ?」
「それはわからん……が」

 坂春は心配そうにため息をついた。



「……少なくとも、俺たちは徒歩で残りの道を歩かなければならないということだ」
「デモ、アノ大キナ橋ヲ徒歩デ歩クンデショ? ソレハソレデイイ景色ガ見ラレソウ」



 ふたりが会話しながら、駐輪場を立ち去った直後、









 まるで元から集められたかのように、



 駐輪場の中に、自転車の山が現われた。
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