空を唄う少女

愁仁

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第一章

09.夜の訪問者

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 朝にはまだ遠い夜。静かな風の音と蒸気機関に水を送るポンプ、そして生活の営みを動かす歯車の回る音が街全体を包み込むようにして響き渡っていた。

 ジムニーは眠れずにその音を聴いていた。

 この街で音が鳴り止む事はない。蒸気と歯車で発展したこの世界では蒸気機関そのものが世界の命と呼べるものとなっていた。熱を生み、水を浄化し、光を照らし、土を耕し、そういったあらゆる物に蒸気機関が使われている。

 そんな街の音を耳を傾けながらジムニーは空を飛ぶ事ばかりを考えていた。ロンベルクから飛行服を貰ってからというものその事ばかりが頭から離れないのだ。

 ジムニーは思い立ったかの様にベッドから降りるとクローゼットの前に立ち飛行服を取り出した。そして徐ろに服を脱ぎ出すと、取り出した飛行服に身を包んだ。

 その足で隣のアイシャの部屋に向かうと二階には響かない様に囁く様な声で呼び掛ける。
「アイシャ……起きてる?」
 すぐに反応はあった。スタスタと足音が聞こえ、扉が開くとアイシャが顔を出す。
「……どうしたの?」
 アイシャは訊いた。ジムニーの服装に気付くと不思議そうな顔をしている。
「ねぇアイシャ。アインホルンを見に行かない?」

 アイシャは少し考えてから頷くと一度扉を閉めジムニーと同じようにロンベルクから貰った飛行服へと着替えを済ませた。

 ロンベルクの仕事を手伝い始めてからというものジムニーはアインホルンの置いてある倉庫には一度も行っていない。アイシャを住まわせる条件としてロンベルクの許可無く傍を離れてはならないという事もあり、見に行くことも出来なかったからだ。

 ジムニーとアイシャはこっそりと工房を抜け出すとアインホルンのある倉庫へ向かった。

 夜が明けるにはまだ時間がある為、辺りは薄暗い。雲に覆われた空は昼間こそ太陽の光を通すものの、夜になると一切の光を排除した暗闇へと帳を降ろす。街灯の光が無ければ歩く事も困難だろう。

 倉庫に到着するとジムニーはすぐに明かりを付けた。薄暗い通りを歩いてきたのもあってその明かりの眩しさに目を瞑る。徐々にに目が慣れていき、目を開け視線を倉庫の中央に移す。

 ――そこには初めて見た日と変わらずアインホルンがあった。

「……これがアインホルン?」
 アイシャは興味深そうにアインホルンを見つめていた。自分にアインホルンを動かす力があるとは聞いていたものの実際にアインホルンを見るのはこれが初めてだった。
 ジムニーはアイシャの言葉に頷くとアインホルンに近付き目を輝かせた。
「やっとアイシャに見せられた。これに乗って空を飛ぶ事が出来るんだ!」
 興奮した様子でジムニーは言った。そしてポケットから箱を取り出すと中から唄う石を取り出した。ジムニーはアインホルンの一部分を開けるとそこに石を嵌めた。そのまま手早くアインホルンに給水を済ませるとアイシャに笑顔を浮かべた。

「アイシャ、歌ってみて」

 その言葉の意味するものは、即ちアインホルンに命を吹き込む事ど同義であった。
 アイシャはこくりと頷くと、天井を見上げるように上を向き、そして目をゆっくりと閉じた。

 一瞬の静寂。――そして歌声は響いた。

 この国の言語ではないその詞は流れるように旋律に乗せられジムニーの心を揺さぶる。何処か懐かしい不思議な感覚。それが何なのかはわからなかったが。

 そして、その歌声に呼応するようにアインホルンは目覚める。

 いくつかの歯車が動き出し、パイプを伝って余った蒸気が漏れ出す。流線型の骨格はまるで生き物のようにその体を震わせていた。

 アインホルンに命が吹き込まれた瞬間だった。

 ジムニーはアインホルンを見つめた。アインホルンがどうやって空を飛ぶのかはわからないが、ロンベルクは空を飛ぶと断言した。雲の向こうへ、そして地の果てへ自分を連れて行ってくれるかもしれないその機械が愛おしかった。

「もう大丈夫だよアイシャ」
 ジムニーはアイシャに声を掛けた。不思議そうな顔するアイシャにジムニーは言葉を続ける。
「蒸気を変換したエネルギーは必要な分以外は貯蔵されるんだって、だからある程度エネルギーが貯まれば歌わなくてもアインホルンは起動してられるって先生が言ってたから」
 アイシャは表情を変えぬまま「……不思議ね」と返した。

「先生との約束破っちゃったけど、アイシャにアインホルンを見せられて良かった」
 ジムニーはアインホルンの内部の歯車の動きなどの挙動を確認しながらアイシャに言った。
「……私も見れて良かった」
 アイシャもそれに同意した。

 ――その時、倉庫の入口から物音がした。ジムニーとアイシャが視線を向けると、倉庫の扉が開き二人の見知らぬ人物が中へ入って来た。

「ホホホ、まさか本当に唄い人とは恐れ入りましたね。ノルンに見張らせていて正解でしたよ」

 中に入ってきた人物は背の低い太った男と甲冑を来た女性であった。気味の悪い声で笑いながらジムニー達の方へと歩み寄ってくる。

「誰だ!」

 ジムニーは異変を感じて声を上げた。仮にロンベルクの知り合いだとしても無作法に倉庫の中へ立ち入ること事態が異常だった。アイシャを庇うように自分の後ろに下げ、男を睨む。
 男はちらりとジムニーを一瞥するとまた気味の悪い笑え声を上げた。
「ホホホ、ロンベルクのお弟子さんですかね?貴方には用が無いのですよね。必要なのは唄う石と唄い人だけなのですから」
「先生を知っているの!?」
 その質問には答えず男は甲冑の女に指示を送る。甲冑の女が頷くと腰に帯刀した剣を抜いた。
 それを見たジムニーは戦慄した。どうしていきなり剣を向けられなければいけないのか、どうしてロンベルクを知っているのか、唄い人とは何なのか。疑問符ばかりが浮かぶ。ジムニーは頭の中がごちゃごちゃになりながらも男と女を必死で睨み付けた。

「待ちくたびれましたよ。貴女たちがなかなかロンベルクの傍から離れてくれないものだから、こんなゴミ溜めの街に何日も滞在することになってしまいました」

 甲冑の女はゆっくりとジムニー達に近付いていく。殺意こそ感じないものの、その眼差しにはジムニーを斬らなければいけないという使命感のようなものがあった。

 男は睨みつけるジムニーの視線には意も返さず言葉を続けた。

「それもやっと今日で終わります」
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