空を唄う少女

愁仁

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第二章

02.小さな感情

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 サシアラへ続く街道の外れ。ジムニーはアインホルンの整備をしていた。長時間の移動で消耗した部品を手際よく交換していく、作業の途中途中で外した部品をしげしげと眺めては頷いたり、感嘆の声を上げる。

「アイシャ、スパナ取ってくれる?」そう言ってジムニーが手を出すとアイシャは無言で頷き、流れるようにそれを手渡す。そしてまたジムニーが声を掛ける「あっ、あと、一番小さいシリンダーも」そして頷きまた手渡す。

 ジムニー達がアルミラを旅立ってから一週間が経とうとしていた。アイシャとの意思疎通も以前よりずっと円滑になり、概ね順調にサシアラに向かっていた。

「それにしても、アインホルンはどうやって空を飛んでるんだろ?」

 ジムニーは整備をしながらそんな疑問を口にした。
 蒸気技師として技術はしっかりと学んできたし、それなりに理解もしてるつもりだった。けれど、このアインホルンに関しては分からない事ばかりで頭を傾げてしまう。
 内部構造は基本的に陸を走る為にしか出来ていないように見えるし、空中で舵を取るための出力こそ付いているが、アインホルン自体が空を飛ぶ為の機関が存在しているようにはとても思えない。

「何度見ても不思議だよ。やっぱり先生はすごいや」
 整備ついでに構造を調べてみたものの、理解にまで及ばず諦める事にした。ふぅーっと一息つくと、後ろからお茶が差し出される。どうやらアイシャがいつの間にかお茶を準備してくれていたようだ。

「……先生とはいつからの付き合い、なの?」
 お茶を渡しつつアイシャが訊いた。
 その質問に腕を組んで考える。ジムニーは両親が亡くなってすぐに、アルミラに住んでいた祖父に引き取られた。祖父は愛情を持ってジムニーを育ててくれたが、ジムニーが10歳になる頃に流行病に罹り亡くなった。

「うーんと、一緒に住んでた祖父ちゃんが死んでちょっと経った後に工房に知らない人が訪ねて来たんだ」
「……工房?」
「うん、工房。祖父ちゃんは蒸気技師だったんだ。それで、訪ねてきたその人も新しく蒸気技師の工房を開こうと思って街に来たらしくて。だから昔からアルミラで工房を持ってる祖父ちゃんの所に挨拶に来たんだって。でも、祖父ちゃんが死んで工房を閉めた事を伝えたら、君が技師としての技術を学んで工房を継いだらいいって」
「……それが先生、だったの?」
 ジムニーはアイシャの言葉に大きく頷いた。
 ロンベルクと出会った頃の事を思い出して自然と笑みがこぼれる。

 行動を共にする様になってすぐに分かった事は、ロンベルクという男は技師としての腕こそ高かったものの、生活面はからっきしダメで料理は疎か掃除や洗濯すらも危うい男であるという事だった。その為、ジムニーはロンベルクに技術を学ぶ傍らで逆に家事を教えていたくらいだった。結局、料理に関してはジムニーの作った方が美味しいという事で自分で作ろうとはしなかったのだが。

「とにかく変な人なんだ。いつも僕の事をからかってばかりでて、最初の頃はちっとも蒸気技師の事なんて教えてくれなかったんだ」
「……ジムニーは、先生の事好きなのね」
「え?う、うん……」
 確かにロンベルクの事を本当の家族の様に思っているし、何よりも尊敬しているのだからそういう意味では好きという言葉は当てはまる。だが、改めてそう言われると何だか気恥ずかしくなった。ジムニーはその恥ずかしさを誤魔化すように残ったお茶を一気に飲み干した。

「無事……だといいね」
 アイシャの言葉にジムニーは現実に引き戻される。
 この一週間近く、ずっとその事は気掛かりだった。けれど、だからと言って後ろ向きに考えていても仕方ない。進むと決めた以上は振り返るのはやめようとジムニーは決意していた。

「うん。でもきっと大丈夫。先生はあんな簡単に死んだりしない。きっとまたひょっこり顔を出して僕をからかいに来るよ。……僕は、そう信じてる」
「……うん」
「だから、まずはサシアラに行って、一体何が起こったのか把握しなくちゃ。アイシャの事も何か分かるかもしれないし」
「私の、事?」

 不意に出た自分の話題に首を傾げるアイシャ。
「だって、アルミラで襲われたのは君だもの。先生も襲われる事が分かってたみたいだし、サシアラに行けばアイシャの事だってきっと分かるよ」
 アイシャは表情を崩さず何かを考えるように押し黙る。

「アイシャは自分の事、本当に知りたくないの?」
「……わからない」ぽつりとそう呟くと言葉を続けた「……でも、過去を知ってしまう事で、今が変わってしまうのが怖い、のかもしれない」
「今が変わってしまうのが怖い?」
「……ううん。何でも、無い。気に、しないで」
 それっきりアイシャは黙ってしまった。
 殆ど感情を表にする事の無いアイシャが怖いという言葉を口にした事が意外だった。不安や焦りと言った感情とは無縁だと思っていたけれど、確かに今アイシャは不安を感じている。
「アイシャにどんな過去があったとしても僕は変わらないよ。だから、安心して」
  ジムニーの精一杯の励ましの言葉にアイシャは仄かに笑顔を見せたような気がした。 
 

 一通りの整備を終え、ジムニーはアインホルンの最後の仕上げに入った。いくつかの部品を確認してから唄う石を設置する。そして横に立ったままアインホルンのグリップを握ると首だけアイシャに向け「アイシャ、お願い」と声を掛けた。
 アイシャはこくりと頷き、その場に立つと空を見上げる、それからゆっくりと目を閉じる。

 ――そして歌声が響いた。

 その歌声に呼応するようにアインホルンが目覚める。
 何度見ても神秘的な光景だった。ただの鉄と鉛の塊である筈の機械は、歌声が響くと同時にまるで生を受けたかのように躍動を始める。

 原理も理屈も分からない。 けれど、確かに唄う石はアイシャの歌声に反応しアインホルンを動かす原動力となっている。
 ダウロはアイシャを唄い人と呼んでいた。そして、あの時狙われていたのは確実にアイシャだった。唄い人とは一体何なのだろう。サシアラに行けば狙われた意味や理由も分かるのだろうか。
 ジムニーがそんな事をぼんやりと考えているとアイシャが声を掛ける。
「ジムニー、大丈夫?」
「あ、うん。ごめん、ちょっとボーっとしてた。日暮れまではまだ時間があるから進めるだけ進んじゃおうか」
 アイシャはこくりと頷いて散らばった荷物を整理して鞄に仕舞い込むとアインホルンに乗せた。

「それじゃ行こうか」
 ――今はとにかく前へ進む。ジムニーはそう強く胸に思い、薄暗い雲の浮かぶ空へと飛び立った。
 
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