ヒト堕ちの天使 アレッタ

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初めてのおつかい 【山小屋編4】

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 アレッタの体は絶望に囚われた───

 血液が下がり、指先が冷え、内臓がぎゅっとしまる。
 

 ……どうやって逃げれば……
 逃げなければ……
 …逃げねば………


 アレッタの頭の中はそれだけが駆け巡る。
 だが逃げたいのに、逃げられない。
 掴んでいる腕はガチりとはまり、身動きがとれないのだ。


 もう、策が………ない………
 だが、それでも……


 ……彼らだけでも、救わなければ………!!!


 アレッタは短い腕を必死に伸ばす。

「…シ…ルファ……っ!」

 体を掴む腕を必死に引っ掻くが、緩む気配は全くなく、むしろきつくなるほどだ。

「ったく、せっかく上玉捕まえたのに全部逃しちゃ、マジで旦那に殺されるぜ……
 大の男が、なに晒してんだよ。つか、ひでぇ有様じゃねぇか……」

 そうブツブツと言いながら、新たに現れた男は乱暴に少年を床に転がした。
 暴れるシルファを持ったまま、吊り下げられたアレッタの髪を掴み頭を持ち上げ、まじまじと覗き込んだ。

「へぇ……マジで金目きんめなんだぁ」

 そう言った男に、アレッタは唾を吐きかけた。
 男はニヤっと笑った。
 途端、髪の毛だけでアレッタを掴み上げると、力いっぱい壁へと叩きつける。
 濁った声と鈍い音が再び響き、アレッタは壁を伝うように肩からずり落ちた。

「……ったく、大人しくしてろよ、ガキがよぉっ!」

 指の1本も動かせない。
 耳鳴りが激しく響き、シルファの声だろうか、かすかな声に、なんとか瞼を持ち上げた。
 アレッタは白く濁り始めた視界と意識を無理やり奮い立たせる。


 ……なぜなら、約束を、してしまったから───


 アレッタは痛みにまみれた体を無理やり持ち上げ、壁を使って立ち上がろうと踏ん張った。
 小さな背を壁に当て、体を起き上がらせようと手をついた。
 だが、足に力が入らない。

「……まだやる気かよ、このガキ……」

 呆れと薄気味悪さが混じった声だ。
 アレッタはその声を睨み、

「私は……絶対、生きて……帰る、んだっ!」

 声とともに無理やり立ち上がったアレッタに、男がもう一発と腕を振り上げた。
 だが、その腕が降りてこない。
 男が腕を伝って見た先には、白手をはめた大きな手がある。

「………へ?」

 気の抜けた男の声に誘われて、ぬるりと現れた鉄仮面から声がする。

「ねぇ、僕のお客に何するの?」

 途端、掴んだ男の手首が握り潰された。

「ぎ、がぁぁあぁ、いでぇぇぇ!!!!」

 男はシルファを投げ落とし、手首を抑え後ずさる。
 エイビスは赤く濡れた手を見て、汚らしい泥でも払うように手を払った。
 血がびちゃりと壁を走っていく。


 ───恐怖が、歩いてくる


 男にはそう見えていた。
 一歩一歩を踏みしめる革靴が、命の時間を示す針のようだ。
 刻々と迫る、死への時刻。
 男の足が震えて立てやしない。腰が砕け、膝が笑い、男の体を全身で震わせる恐怖。
 痛みすら感じられないほどだが、抑える手首からはちぎれたホースが水漏れするように、だらだらと、だが鼓動に合わせて血が吹き出ている。

「あまり気は晴れないけど、仕方がないよね」

 赤く濡れた白手が迫る。
 畏れの塊に男は叫んだ。

「ま、待ってくだせぇ……!!! お、俺は雇われ」
「うん、知ってる。ネイビーズから聞いた」

 後ろに視線を投げるような仕草があり、つられて見えた先には雇い主のネイビーズがいる。
 息子は腕がもがれ、息も荒い。雇い主であるネイビーズは耳が削がれ、指もない。目も1つくり抜かれている。
 それでも気絶できないのは魔族だからだ。

「あのさ、それと、これは、関係ないよね?」

 これと指した場所は、アレッタだ。
 雇われていたにしても、アレッタを殴った理由にはならない。
 エイビスは、叫び怯え、もがく男の額に白手をかざした。
 そうとしか見えなかった。

 だが、頭を握りつぶしていた。

 吹き上がる血、ぼろりと落ちた目玉、散らされた脳漿……
 細かな痙攣をしながら、舌をでろりと打ちつけ、床に崩れた男を踏んで、エイビスは歩く。

 それは、アレッタの元へだ。

 ぬっとアレッタに顔を寄せたエイビスの仮面は、血が滴り、白い欠片がまとわりついている。
 そこに映り込むアレッタは、まるで血濡れのようだ。
 2滴、床に血が落ちたあと、アレッタの頬が叩かれた。

「アレッタ、君、死ぬよ」

 ぐっと迫ったエイビスの顔に浮かぶアレッタの顔は、体は、満身創痍そのものだ。

「フィアがいなきゃ、とっくに死んでるよ」

 エイビスの言う通りだ。
 私は、死んでる……

「ねえ、なんでこんなことするの? なんで待てなかったの」

 エイビスの顔が見えない分、淡々とした声に聞こえるが、声音は低く、これは怒りだ。
 アレッタは唇を噛み、手を握る。

「だが……」

「だが、なに? 君は小さい小さい女の子だ」

「……違うっ!」

「なにが違うんだ」

 アレッタは叫んだ。

「私は戦士だっ!!」

 アレッタは弱った体で拳を握り、

「戦士であれば、戦わなければならないときがあるっ!
 戦わずして、何が戦士だ!!!」

 血のついた唾を飛ばし、アレッタは叫んだ。
 そして、彼女の顔がぐしゃりと歪む。

「………だって……助けたかったんだ……
 あの子たちを、……どうしても……助けたかったんだっ!!!!」

 彼女の頬に大粒の涙が伝っていく。
 無理だとわかっていても、どうしても助けたかった。
 助けなきゃと思ってしまった。
 自分が、神の左手だから。


 神の左手は、決して屈してはならない。

 そう、学んだから───
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