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好感度イベントは一度きりの勝負らしい
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それから毎日オリヴィアさんは猪鹿亭にやってきた。
だが俺は店員として接し続け、話しかけることはなかった。
オリヴィアさんの只者ではない雰囲気と、初日の騒動によって近づく客はいなくなった。
彼女はいつも夜になると現れ、食事と酒を楽しみ、閉店間際になると帰っていく。
そんな日々を一か月続けた。
だがこのままではオリヴィアさんと仲良くことはできず、当然ながら剣を教えてもらうこともできない。
だが俺には策があった。
今日も今日とてオリヴィアさんは猪鹿亭を訪れ、一人の時間を楽しんでいる。
閉店間際になり、オリヴィアさん以外の客はすべていなくなっていた。
俺やバイトマスター、エミリアさんも閉店作業を始めている。そんな中、俺は鞄からあるものを取り出した。
バイトマスターが俺の手に握られたものを見て、ぎょっとする。
「お、おいそりゃ、東国の和酒じゃねぇか!」
この世界における大和、つまり日本的な国が存在する。
そこの特産品である和酒と呼ばれる、酒だ。いわゆる日本酒だな。
俺はやや大げさに声を張った。
視界の隅にオリヴィアさんの姿が目に入った。
彼女は目を閉じているが、明らかに聞き耳を立てていることがわかった。
動きが完全に止まっていたからだ。
聞いてる聞いてる。
オリヴィアさんは、ああ見えて大の酒好きだ。
普段はエールばかり飲んでいるが、他の酒がないから仕方なく飲んでいる。
実は和酒が大好物なのだ。
冷静沈着で落ち着いているように見えるが、酒に目がなく、最初に仲良くなるためには酒をプレゼントする必要がある。
だが、俺はただの酒場の店員。
いきなりプレゼントしても訝しがられるし、ナンパの類だと思われて嫌われるかもしれない。
主人公のカーマインだったら、冒険者としてオリヴィアさんとパーティを組み、徐々に親しくなり、その中でクエストを頼まれて酒をプレゼントして好感度を上げるというイベントがあるのだが。
ただの村人のモブじゃそんなことはできっこない。
「行商人から買いまして。バイトマスターには日ごろお世話になっていますし」
「おいおいおい、そりゃありがたいがよ。高かったんじゃねぇか?」
「いやぁ、そうでもないですよ。とにかく、感謝の印としてどうぞ」
半年の給料が飛んだとは言うまい。
希少酒ってなんであんなに高いのかね、まったく。
まあこの酒のために貯めてたんだけどさ。
俺はニコニコと笑いながらも、頬がやや引きつるのを感じた。
バイトマスターは感慨に震え、そして目尻に涙を溜めた。
「リッド……おれぁ嬉しいぜ。おまえが本当に成長したことが。そしておまえの気持ちがよぉ。これは大切に飲ませてもらうからな」
俺は笑いながらも、自分の作戦が通じるかどうか不安だった。
このままバイトマスターが持って帰ってしまえばそれで終わりだ。
むしろ、感謝の印として渡しているのだから、その方が当然の行動である。
だが、俺はバイトマスターの性格を信じていた。
頼むよぉ、バイトマスター!
「だが、これだけのもんを俺だけで飲むのもなぁ。リッドの感謝は嬉しいが、酒は振舞うもんだ。一人ちびちび飲んでも味気ねぇ。酒場の店主として、客に振舞うのが筋ってもんじゃねぇか。リッド、どうだ? それでいいか?」
キタッ!!
バイトマスターならそう言ってくれると思ってましたよ俺は!
そのために一升くらいの和酒を買ったんだから。
「もちろんもちろん! バイトマスターがそれで喜んでくれるなら、むしろそうしていただけると嬉しいです!」
「おいおいおいおい! 泣かせるじゃねぇか、マジで泣くぞおい! ったく、よぉ!」
などと言いながら和酒の蓋を開け、コップにとくとくと酒をついでいく。
オリヴィアさんは、明らかにちらちらとこちらを見ている。
俺はバイトマスターから和酒を渡されると、頷いた。
よしよし、これなら自然にオリヴィアさんに酒を振舞えるぞ。
所詮はサービスという体だが、少しでもお近づきになれるかもしれない。
「和酒はお好きですか?」
「……んんっ! ええ、好きですが」
無表情だが明らかに嬉しそうな顔を見せるオリヴィアさん。
だがすぐに誤魔化すように咳払いをして、冷徹な仮面を被ってしまう。
「サービスです。よかったら」
「ありがとうございます」
俺が和酒をテーブルに置くと、恍惚的な表情を浮かべていた。
オリヴィアさんは俺のことなど構わず、コップを手にすると一気に煽った。
ごくっと喉を鳴らし、天上を見上げたまま固まる。
「はぁ」
艶めかしい吐息を漏らすと、多幸感に満たされた顔をしていた。
とろんと蕩けた瞳と、上気した頬。
色気が凄まじいが、俺は冷静を保ち続けた。
彼女は大好きな和酒を飲んだことで警戒心が緩んでいる。
チャンスはここしかない!!
「お酒、お好きなんですね」
「……ええまあ。以前、訪れた国で飲みまして。その時から虜です」
「東国のお酒なんですよね。お米から作るお酒だとか」
「よくご存じですね。中には芋から作るお酒もあるとか」
「ああ、芋焼酎ですか」
「ご存じなので?」
「確か甘い芋から作るお酒らしいですね。中々に珍しい製造方法だとか。そのせいで、他国ではほとんど流通していないとか」
「そうなのです!」
オリヴィアさんは俺にぐいっと顔を近づけ、興奮したようにまくしたて始める。
目が見えていないせいか、距離感が凄まじく近い。
「米酒は何度か口にしましたが、芋焼酎は一度も飲めずにいるのです! 非常に濃厚で甘く、それでいて深みのある味だと聞いてはいますが、どこにもないのです! かと言って、現在は渡航規制が厳しく東国には行けないのです! 一体どんな味なのか、一度は飲んでみたいと思ってはいるのですが、その願いは未だ叶えられておりません! ああ、芋焼酎とは一体……」
そこまで言ってオリヴィアさんははっと我に返った。
ゆっくりと席に戻り、こほんと咳ばらいをするといつものクールを装った。
いや、もう無理だけどね、さすがに。
まあ、俺はこういう人だって知っているから驚きはないけど、目の前で整った顔が迫ってきた時は心臓が止まるかと思ったよ。
綺麗すぎるんだよ、この人。
ただ芋焼酎なんてものを、個人で作るのは簡単じゃない。
素材を手に入れるのも難しいし、製法もまったく知らない上にそもそも時間がかかる。
だがそこは問題じゃない。
なぜならオリヴィアさんの好感度イベントでは、芋焼酎を手に入れるクエストは相当先だからだ。
今は必要ないってことだ。
大事なのは、彼女とある程度仲良くなれるきっかけを手に入れること。
その機会は手に入れた。
あとは俺の頑張り次第だろう。
こっからだ。こっからがオリヴィアさんとの会話イベント。
通常の会話も俺がしなければならないし、選択をミスったらやり直しは効かない。
だがやるしかない。
オリヴィアさんと仲良くなるのだ!
俺は小さく深呼吸し、柔和な笑みを浮かべた。
「本当にお酒が好きなんですね」
「……まあ、それなりに」
いや大好きだろ。間違いなく。
あなたのプロフィールに好きなものはお酒、特に和酒って書かれてるから。
「でもここら辺だとエール以外のお酒はあまりないですよね」
「そうですね。こちらはとても濃いですが、中には水で薄めたものを出すところもあるくらいですから。メイリュカは中々にひどかったですよ」
メイリュカはシース村からやや近い場所にある商業都市のことだ。
「メイリュカらからシース村に来たんですね。失礼ですが、冒険者様ですか?」
「ええ、まあ。とはいえ、こちらに滞在しているのは依頼あってのことではありませんが。崩れ森、ですか、あちらでは魔物が多いようですので、討伐し素材を雑貨屋に売っています」
冒険者は依頼、つまりクエストをギルドや依頼者から受けて、魔物を討伐したり、素材を収集したりすることが多々ある。
だがオリヴィアさんのように自ら魔物を倒したり、素材を集めて店やギルドに売ることもある。
彼女は各地を放浪しながら、そういった営みをしているのだ。
「なるほど。それは僕としてもありがたいです。冒険者様はあまりこの村にはいらっしゃらないので」
「そのようですね。都市から離れた村には、冒険者ギルド自体がありませんからね。冒険者はあまり寄り付きません。依頼があれば別ですが」
必死で考えを巡らせ、会話と続ける。
だが適当に話すのではなく、相手の興味があること、相手が話してもいいと思える内容にしなくてはいけない。
考えろ。オリヴィアさんというキャラの性格を。
ゲーム内での彼女との会話、彼女の好物、人となり、人生、それらを思い出せ。
どうすれば、俺を気に入ってくれる?
どうすれば、俺に剣を教えてくれる?
すぐには無理だ。
少しずつ、親しみを感じてもらうしかない。
まずは会話だ。少しでも会話をするのだ。
そう思い、俺は他愛無い話題の提供を継続する。
「ところでどうしてシース村に滞在してくださっているのですか?」
「…………」
突然の沈黙だった。
俺にとっては普通の会話だったが、何か地雷を踏んだのか。
頭をフル回転しても、オリヴィアさんの思考が読めない。
俺の知っているオリヴィアさんの情報は多くはない。
もしかしたら今の質問は、彼女に不愉快な出来事を連想させてしまったのかもしれない。
まずい。まずいぞ。
セーブもロードもないこの世界で、失敗は許されない。
挽回できるかわからないのだ。
俺はオリヴィアさん以外に、剣術を師事する相手を知らない。
心臓が早鐘を打っていた。
そんな中、オリヴィアさんが綺麗な唇を動かした。
「本当は数日で旅立とうと思ったのです。けれど残ることにしました」
ふと思い起こした。
ゲーム中で、五年前にシース村を訪れたとオリヴィアさんは話していたがどれくらい滞在していたかは話していなかった。
つまり、実際には数日しか滞在していなかったということだろうか。
勘違いしていた。あの口ぶりからてっきりしばらく住んでいたと思っていたが。
背中に冷たい汗の感覚が生まれた。
俺はかなり悠長なことをしていたらしい。
下手をすればオリヴィアさんはさっさとシース村を旅立っていたのだ。
だが、ならばどうして彼女はシース村に残ってくれたのだろうか。
オリヴィアさんはまだ迷っている。
言おうか言わまいか葛藤しているように見えた。
なんだ? 何を言おうとしているんだ?
俺はただ突っ立ってオリヴィアさんの次の言葉を待つことしかできない。
そして。
「おそらく居心地が良かったから、でしょうか」
思いもよらない言葉に、俺はただただ驚いた。
まさか人を寄せ付けないような性格をしているオリヴィアさんから、居心地が良いなんて言葉を聞くなんて。
「……私はこの白い髪に、大層な武器を持っています。その上……盲目で目が見えません。そのためかなり目立つようで。どの村や都市に行っても、好奇の目にさらされ、時には下卑た視線を向けられるのです。目が見えずとも気配でわかります」
それはまあ、単純にオリヴィアさんが綺麗すぎるからじゃないだろうか。
あと露出が結構激しいし、スタイルが良すぎて目を引くのだろう。
特に胸部分が。
「その度に自分で火の粉を払っていました。周囲は見て見ぬふりをするか、あるいは楽し気に観察するばかりでしたが……あなたは身を挺して守ってくれました」
なんの話かよくわからないが、俺はただ真剣にオリヴィアさんの話に耳を傾ける。
オリヴィアさんは俯いた状態で話し続けた。
「あなたはナイフを左側、フォークを右側に置きましたね。私が左利きだと気づいたのですか?」
「え、ええまあ。立ち振る舞いでなんとなく」
本当はゲームをプレイしてたから知ってただけだが。
「他にもたくさんの気遣いをしていただきました。サービスも良く、料理もお酒も美味しい。そんな時間を過ごせた。だからこそ居心地がよかった。多くはあなたのおかげだと感じています」
俺としては普通に接客をしていただけなんだけど。
まさか自分が気にしていない部分で、オリヴィアさんの好感度を上げていたとは。
まあ、ただのたまに行くお店の店員と客という関係でしかないけど。
きちんと見てくれる人がいるっていうのは嬉しいものだ。
なんだか恥ずかしくなって、誤魔化すように笑ってしまった。
「あ、あはは、ありがとうございます。褒められると嬉しいですね」
「いえ……こちらもありがとうございます」
オリヴィアさんの表情に変化はないが、なぜか少し喜んでいるように見えた。
わかりづらいが感情的な部分もある。そんなところが魅力的な人なのだ。
「おい、リッド! いつまでくっちゃべってんだ! そろそろ閉店だぞ!」
「あ、す、すみません! あ、あの、お邪魔してすみませんでした。せっかくの時間だったのに……」
「いえ、楽しかったです。久しぶりに人とまともな会話をした気がします」
「そうですか。よかった。あ、あの、俺リッドって言います。お名前を聞いても?」
「私はオリヴィア。白灰のオリヴィアです」
オリヴィアさんの声音には温かみがあった。
それは恐らく、俺に対する僅かな親しみが含まれていたのだろう。
なんとか最初の会話イベントは上手くいったようだ。
好感度はプラス1ってところかな。
「それではまた明日」
オリヴィアさんは綺麗な所作で立ち上がると、お金を置いて店を出て行った。
俺は満足しながら、テーブルのお皿やコップを持って、キッチンへと戻る。
笑顔のエミリアさんが出迎えてくれた瞬間、辺りの温度が下がった気がした。
「楽しそうだったわね、リッド」
エミリアさんの背後で、うわぁという顔をしたバイトマスターが忍び足で奥の部屋へと入っていった。
エミリアさんの好感度はマイナス1ってところか。
だが俺は店員として接し続け、話しかけることはなかった。
オリヴィアさんの只者ではない雰囲気と、初日の騒動によって近づく客はいなくなった。
彼女はいつも夜になると現れ、食事と酒を楽しみ、閉店間際になると帰っていく。
そんな日々を一か月続けた。
だがこのままではオリヴィアさんと仲良くことはできず、当然ながら剣を教えてもらうこともできない。
だが俺には策があった。
今日も今日とてオリヴィアさんは猪鹿亭を訪れ、一人の時間を楽しんでいる。
閉店間際になり、オリヴィアさん以外の客はすべていなくなっていた。
俺やバイトマスター、エミリアさんも閉店作業を始めている。そんな中、俺は鞄からあるものを取り出した。
バイトマスターが俺の手に握られたものを見て、ぎょっとする。
「お、おいそりゃ、東国の和酒じゃねぇか!」
この世界における大和、つまり日本的な国が存在する。
そこの特産品である和酒と呼ばれる、酒だ。いわゆる日本酒だな。
俺はやや大げさに声を張った。
視界の隅にオリヴィアさんの姿が目に入った。
彼女は目を閉じているが、明らかに聞き耳を立てていることがわかった。
動きが完全に止まっていたからだ。
聞いてる聞いてる。
オリヴィアさんは、ああ見えて大の酒好きだ。
普段はエールばかり飲んでいるが、他の酒がないから仕方なく飲んでいる。
実は和酒が大好物なのだ。
冷静沈着で落ち着いているように見えるが、酒に目がなく、最初に仲良くなるためには酒をプレゼントする必要がある。
だが、俺はただの酒場の店員。
いきなりプレゼントしても訝しがられるし、ナンパの類だと思われて嫌われるかもしれない。
主人公のカーマインだったら、冒険者としてオリヴィアさんとパーティを組み、徐々に親しくなり、その中でクエストを頼まれて酒をプレゼントして好感度を上げるというイベントがあるのだが。
ただの村人のモブじゃそんなことはできっこない。
「行商人から買いまして。バイトマスターには日ごろお世話になっていますし」
「おいおいおい、そりゃありがたいがよ。高かったんじゃねぇか?」
「いやぁ、そうでもないですよ。とにかく、感謝の印としてどうぞ」
半年の給料が飛んだとは言うまい。
希少酒ってなんであんなに高いのかね、まったく。
まあこの酒のために貯めてたんだけどさ。
俺はニコニコと笑いながらも、頬がやや引きつるのを感じた。
バイトマスターは感慨に震え、そして目尻に涙を溜めた。
「リッド……おれぁ嬉しいぜ。おまえが本当に成長したことが。そしておまえの気持ちがよぉ。これは大切に飲ませてもらうからな」
俺は笑いながらも、自分の作戦が通じるかどうか不安だった。
このままバイトマスターが持って帰ってしまえばそれで終わりだ。
むしろ、感謝の印として渡しているのだから、その方が当然の行動である。
だが、俺はバイトマスターの性格を信じていた。
頼むよぉ、バイトマスター!
「だが、これだけのもんを俺だけで飲むのもなぁ。リッドの感謝は嬉しいが、酒は振舞うもんだ。一人ちびちび飲んでも味気ねぇ。酒場の店主として、客に振舞うのが筋ってもんじゃねぇか。リッド、どうだ? それでいいか?」
キタッ!!
バイトマスターならそう言ってくれると思ってましたよ俺は!
そのために一升くらいの和酒を買ったんだから。
「もちろんもちろん! バイトマスターがそれで喜んでくれるなら、むしろそうしていただけると嬉しいです!」
「おいおいおいおい! 泣かせるじゃねぇか、マジで泣くぞおい! ったく、よぉ!」
などと言いながら和酒の蓋を開け、コップにとくとくと酒をついでいく。
オリヴィアさんは、明らかにちらちらとこちらを見ている。
俺はバイトマスターから和酒を渡されると、頷いた。
よしよし、これなら自然にオリヴィアさんに酒を振舞えるぞ。
所詮はサービスという体だが、少しでもお近づきになれるかもしれない。
「和酒はお好きですか?」
「……んんっ! ええ、好きですが」
無表情だが明らかに嬉しそうな顔を見せるオリヴィアさん。
だがすぐに誤魔化すように咳払いをして、冷徹な仮面を被ってしまう。
「サービスです。よかったら」
「ありがとうございます」
俺が和酒をテーブルに置くと、恍惚的な表情を浮かべていた。
オリヴィアさんは俺のことなど構わず、コップを手にすると一気に煽った。
ごくっと喉を鳴らし、天上を見上げたまま固まる。
「はぁ」
艶めかしい吐息を漏らすと、多幸感に満たされた顔をしていた。
とろんと蕩けた瞳と、上気した頬。
色気が凄まじいが、俺は冷静を保ち続けた。
彼女は大好きな和酒を飲んだことで警戒心が緩んでいる。
チャンスはここしかない!!
「お酒、お好きなんですね」
「……ええまあ。以前、訪れた国で飲みまして。その時から虜です」
「東国のお酒なんですよね。お米から作るお酒だとか」
「よくご存じですね。中には芋から作るお酒もあるとか」
「ああ、芋焼酎ですか」
「ご存じなので?」
「確か甘い芋から作るお酒らしいですね。中々に珍しい製造方法だとか。そのせいで、他国ではほとんど流通していないとか」
「そうなのです!」
オリヴィアさんは俺にぐいっと顔を近づけ、興奮したようにまくしたて始める。
目が見えていないせいか、距離感が凄まじく近い。
「米酒は何度か口にしましたが、芋焼酎は一度も飲めずにいるのです! 非常に濃厚で甘く、それでいて深みのある味だと聞いてはいますが、どこにもないのです! かと言って、現在は渡航規制が厳しく東国には行けないのです! 一体どんな味なのか、一度は飲んでみたいと思ってはいるのですが、その願いは未だ叶えられておりません! ああ、芋焼酎とは一体……」
そこまで言ってオリヴィアさんははっと我に返った。
ゆっくりと席に戻り、こほんと咳ばらいをするといつものクールを装った。
いや、もう無理だけどね、さすがに。
まあ、俺はこういう人だって知っているから驚きはないけど、目の前で整った顔が迫ってきた時は心臓が止まるかと思ったよ。
綺麗すぎるんだよ、この人。
ただ芋焼酎なんてものを、個人で作るのは簡単じゃない。
素材を手に入れるのも難しいし、製法もまったく知らない上にそもそも時間がかかる。
だがそこは問題じゃない。
なぜならオリヴィアさんの好感度イベントでは、芋焼酎を手に入れるクエストは相当先だからだ。
今は必要ないってことだ。
大事なのは、彼女とある程度仲良くなれるきっかけを手に入れること。
その機会は手に入れた。
あとは俺の頑張り次第だろう。
こっからだ。こっからがオリヴィアさんとの会話イベント。
通常の会話も俺がしなければならないし、選択をミスったらやり直しは効かない。
だがやるしかない。
オリヴィアさんと仲良くなるのだ!
俺は小さく深呼吸し、柔和な笑みを浮かべた。
「本当にお酒が好きなんですね」
「……まあ、それなりに」
いや大好きだろ。間違いなく。
あなたのプロフィールに好きなものはお酒、特に和酒って書かれてるから。
「でもここら辺だとエール以外のお酒はあまりないですよね」
「そうですね。こちらはとても濃いですが、中には水で薄めたものを出すところもあるくらいですから。メイリュカは中々にひどかったですよ」
メイリュカはシース村からやや近い場所にある商業都市のことだ。
「メイリュカらからシース村に来たんですね。失礼ですが、冒険者様ですか?」
「ええ、まあ。とはいえ、こちらに滞在しているのは依頼あってのことではありませんが。崩れ森、ですか、あちらでは魔物が多いようですので、討伐し素材を雑貨屋に売っています」
冒険者は依頼、つまりクエストをギルドや依頼者から受けて、魔物を討伐したり、素材を収集したりすることが多々ある。
だがオリヴィアさんのように自ら魔物を倒したり、素材を集めて店やギルドに売ることもある。
彼女は各地を放浪しながら、そういった営みをしているのだ。
「なるほど。それは僕としてもありがたいです。冒険者様はあまりこの村にはいらっしゃらないので」
「そのようですね。都市から離れた村には、冒険者ギルド自体がありませんからね。冒険者はあまり寄り付きません。依頼があれば別ですが」
必死で考えを巡らせ、会話と続ける。
だが適当に話すのではなく、相手の興味があること、相手が話してもいいと思える内容にしなくてはいけない。
考えろ。オリヴィアさんというキャラの性格を。
ゲーム内での彼女との会話、彼女の好物、人となり、人生、それらを思い出せ。
どうすれば、俺を気に入ってくれる?
どうすれば、俺に剣を教えてくれる?
すぐには無理だ。
少しずつ、親しみを感じてもらうしかない。
まずは会話だ。少しでも会話をするのだ。
そう思い、俺は他愛無い話題の提供を継続する。
「ところでどうしてシース村に滞在してくださっているのですか?」
「…………」
突然の沈黙だった。
俺にとっては普通の会話だったが、何か地雷を踏んだのか。
頭をフル回転しても、オリヴィアさんの思考が読めない。
俺の知っているオリヴィアさんの情報は多くはない。
もしかしたら今の質問は、彼女に不愉快な出来事を連想させてしまったのかもしれない。
まずい。まずいぞ。
セーブもロードもないこの世界で、失敗は許されない。
挽回できるかわからないのだ。
俺はオリヴィアさん以外に、剣術を師事する相手を知らない。
心臓が早鐘を打っていた。
そんな中、オリヴィアさんが綺麗な唇を動かした。
「本当は数日で旅立とうと思ったのです。けれど残ることにしました」
ふと思い起こした。
ゲーム中で、五年前にシース村を訪れたとオリヴィアさんは話していたがどれくらい滞在していたかは話していなかった。
つまり、実際には数日しか滞在していなかったということだろうか。
勘違いしていた。あの口ぶりからてっきりしばらく住んでいたと思っていたが。
背中に冷たい汗の感覚が生まれた。
俺はかなり悠長なことをしていたらしい。
下手をすればオリヴィアさんはさっさとシース村を旅立っていたのだ。
だが、ならばどうして彼女はシース村に残ってくれたのだろうか。
オリヴィアさんはまだ迷っている。
言おうか言わまいか葛藤しているように見えた。
なんだ? 何を言おうとしているんだ?
俺はただ突っ立ってオリヴィアさんの次の言葉を待つことしかできない。
そして。
「おそらく居心地が良かったから、でしょうか」
思いもよらない言葉に、俺はただただ驚いた。
まさか人を寄せ付けないような性格をしているオリヴィアさんから、居心地が良いなんて言葉を聞くなんて。
「……私はこの白い髪に、大層な武器を持っています。その上……盲目で目が見えません。そのためかなり目立つようで。どの村や都市に行っても、好奇の目にさらされ、時には下卑た視線を向けられるのです。目が見えずとも気配でわかります」
それはまあ、単純にオリヴィアさんが綺麗すぎるからじゃないだろうか。
あと露出が結構激しいし、スタイルが良すぎて目を引くのだろう。
特に胸部分が。
「その度に自分で火の粉を払っていました。周囲は見て見ぬふりをするか、あるいは楽し気に観察するばかりでしたが……あなたは身を挺して守ってくれました」
なんの話かよくわからないが、俺はただ真剣にオリヴィアさんの話に耳を傾ける。
オリヴィアさんは俯いた状態で話し続けた。
「あなたはナイフを左側、フォークを右側に置きましたね。私が左利きだと気づいたのですか?」
「え、ええまあ。立ち振る舞いでなんとなく」
本当はゲームをプレイしてたから知ってただけだが。
「他にもたくさんの気遣いをしていただきました。サービスも良く、料理もお酒も美味しい。そんな時間を過ごせた。だからこそ居心地がよかった。多くはあなたのおかげだと感じています」
俺としては普通に接客をしていただけなんだけど。
まさか自分が気にしていない部分で、オリヴィアさんの好感度を上げていたとは。
まあ、ただのたまに行くお店の店員と客という関係でしかないけど。
きちんと見てくれる人がいるっていうのは嬉しいものだ。
なんだか恥ずかしくなって、誤魔化すように笑ってしまった。
「あ、あはは、ありがとうございます。褒められると嬉しいですね」
「いえ……こちらもありがとうございます」
オリヴィアさんの表情に変化はないが、なぜか少し喜んでいるように見えた。
わかりづらいが感情的な部分もある。そんなところが魅力的な人なのだ。
「おい、リッド! いつまでくっちゃべってんだ! そろそろ閉店だぞ!」
「あ、す、すみません! あ、あの、お邪魔してすみませんでした。せっかくの時間だったのに……」
「いえ、楽しかったです。久しぶりに人とまともな会話をした気がします」
「そうですか。よかった。あ、あの、俺リッドって言います。お名前を聞いても?」
「私はオリヴィア。白灰のオリヴィアです」
オリヴィアさんの声音には温かみがあった。
それは恐らく、俺に対する僅かな親しみが含まれていたのだろう。
なんとか最初の会話イベントは上手くいったようだ。
好感度はプラス1ってところかな。
「それではまた明日」
オリヴィアさんは綺麗な所作で立ち上がると、お金を置いて店を出て行った。
俺は満足しながら、テーブルのお皿やコップを持って、キッチンへと戻る。
笑顔のエミリアさんが出迎えてくれた瞬間、辺りの温度が下がった気がした。
「楽しそうだったわね、リッド」
エミリアさんの背後で、うわぁという顔をしたバイトマスターが忍び足で奥の部屋へと入っていった。
エミリアさんの好感度はマイナス1ってところか。
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