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14. 死ぬという事
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ヴィスタ王子の私室をノックすれば、やや間を置いて扉が静かに開けられた。侍女が出てくるとばかり思ったエリィは、憔悴しきった王妃が扉を開けるのを見てギョッとしたように息を飲む。扉の先にエリィとヨシュアの姿を認めた王妃は、弱々しく微笑んだ。そこにはいつもの凛とした王妃の姿は無く、ただただ息子を亡くした母親が悲しみに暮れている。
「ヨシュ、リズ、よく来てくれたわね。ヴィスタも喜ぶわ」
王妃はまるで小さい頃の時のように、エリィとヨシュアを愛称で呼び、軽く抱擁して挨拶をした。そして、王妃に案内されるまま、奥のヴィスタの寝室に足を運ぶ。子供の頃は何度か遊びに来たものだが、ここ数年はすっかり王子の私室には訪れなくなっていた。それでもヴィスタの私室は以前見た姿のまま、時を止めたかのようにそこにあった。
薄暗い寝室に一歩入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。居室の方と比べて明らかに気温が低い事に気が付いた。視線を巡らせれば、寝室の隅に魔道具らしきものが置いてある。恐らくヴィスタの体を傷めないように室温を調整しているのであろう。
「ヴィスタ、あなたの大好きなリズとヨシュが来てくれたわよ」
王妃は寝台に横たえられているヴィスタのすぐ横に腰を掛けると、彼の頬を優しく撫でる。そうして王妃は涙をポツリと一滴落とした。その余りにも悲壮な姿にエリィは胸がつぶれる様な悲しさを覚える。
ヴィスタはまるで眠っているかのように安らかな顔で目を閉じている。今にも動きそうな、そんな表現がピッタリと当て嵌まるような雰囲気をさせながらも、彼はピクリとも動かない。それをエリィは信じられない物を見たように凝視した。
エリィはいつもヴィスタには困らされて来て、怒ったことも何度もあった。だが、その王子にはあるまじき奔放さ、明るさでエリィが救われてきた事は何度もある。部屋にこもりがちなエリィの退屈を壊してくれるのは何時だってヴィスタだった。その彼が本当に死んでしまったのだという事がエリィには受け入れがたかった。
動かない彼をただただエリィは見つめることしかできない。自然と涙が湧いて頬を伝ったが、それを拭う事すらせずに、エリィはヴィスタの眠る顔を見つめた。
「ヴィスタは、殺されたのですって」
ヴィスタから視線を反らさず、愛おし気な視線を向けたまま王妃は言った。その言葉にエリィは我に返った様に王妃に視線を向けた。王妃はエリィと同じように涙を流し、声を震わせている。
「この子は王位なんかどうでも良かったのよ?王子らしくしなさいって怒っても、いつも言う事を聞かなくて。いつもリズが、リズがって。リズさえ側に居れば満足するようなそんな子だった」
大きな嗚咽を漏らし、王妃は口元を抑えた。必死に泣くまいと堪え、肩を大きく震わせる。その姿は痛々しいと言う他に表現しようがなかった。
「……何でこの子が死なねばならなかったの?何故この子は殺されたの?」
どんよりと濁った瞳をエリィに向け、王妃は声を震わせながら問いかける。それには言外に”何故ヴィスタを殺したのか”と言う非難が込められている気がして、エリィは酷く狼狽した。ヴィスタが死んでしまった事に、エリィ自身も深く悲しみを感じているのだ。何故ヴィスタが死ななければならなかったのか、何故ヴィスタが殺されたのか。エリィの方が聞き返したいぐらいだった。だが王妃にとっては藁にも縋る様な思いだったのかもしれない。
「王位なんてどうでもいいの。セシルにあげるわ。だから、この子を返してくれないくれないかしら?ねぇ、お願いよ」
「王妃様は誤解なさっておいでです。……我が侯爵家は王位など望んでおりません」
泣きじゃくりながら言う王妃に、ヨシュアが静かな声で告げる。すると、王妃は顔を両手で覆って俯き、力なく首を横に振った。
「……ごめんなさい、わかっているの。それでも、この子が不憫で」
「王妃様……」
エリィは王妃に近づき、手にしたハンカチをそっと差し出すと、王妃はそのエリィの手ごと握ると又激しく嗚咽を上げた。エリィは王妃のすぐ横に座り、大きく震える体を慰めるように、その背を擦る。そうしているだけで、なんとしてでもヴィスタは助けなければならないと思った。こんなにも愛されている人が、他人の思惑などで死んで良い筈がない。そう思えば思うほど、エリィは決意に似たような物を心に抱き始めていた。
ひとしきりそうやって泣いた後、王妃は落ち着きを取り戻した。再びヴィスタの顔を眺め、その頬を撫でる。そうして、エリィたちの方に向き直ると、悲しそうな笑顔を向けた。
「取り乱してごめんなさいね。リズとヨシュが来てくれてこの子も喜んでいると思うわ」
「お力になれず、申し訳ありません」
沈痛な面持ちでヨシュアが王妃に一礼すると、王妃は小さく首を横に振った。
「力になれないのは私も同じだわ。ヨハンやセシル、ディアナを私の力だけではどうにもしてあげられないもの」
「いいえ、王妃様。兄も父も決してそのような愚劣なことはしていない筈です。必ず真実が明かされると信じております」
ヨシュアが落ち着いた声でそう言うと、王妃は軽く目を閉じて頷いた。そうしてすこし逡巡した後、厳しい顔をしてサイドテーブルの引き出しに手を掛けた。微かに木の擦れる音をさせて開けたその引き出しには、小さな小瓶が入っていた。その小瓶の中には水の様なものが入っている。
「リズ、これをあなたに預けます」
「これは……?」
「毒薬です」
王妃へと伸ばしかけた手をビクリと留めて、エリィは王妃の顔をまじまじと見つめた。その顔はいつもよりは精彩を欠いているけれど王妃としての威厳があった。
「きっと何をバカな事とと思うでしょう。でも、持っていなさい。ヨハンとセシルは今恐ろしい程の窮地に立っています。身の潔白が証明されねば、侯爵家は一族全て処刑となるでしょう」
「……はい」
「その前にリズ、あなたはヴィスタの妻として殉死なさい」
「王妃様、なんてことを仰るんですか!」
ヨシュアが声を荒げるのを、王妃は静かに小さく手を上げて制した。その有無を言わせない瞳の力に、ヨシュアは少しだけたじろぐ。王妃は直ぐにそんなヨシュアから視線を反らすと、再びエリィに向き直った。
「あなたが私が認めたヴィスタの妻として後を追ってくれるのなら、侯爵家は王子妃の一族という事になります。いいですか、今のままだとヨハンはヴィスタを殺していない証拠を出さないとなりません。ですが、王家に連なる一族であるならば、断罪する側がヨハンがヴィスタを殺したと言う証拠を出さねばならないのです。わかりますか?」
王妃が言う言葉は明解だ。一貴族であるならば殺していない証拠を、殺していないと言う証明をしなければならない。だが、それが王族に連なるものであった場合なら。仮に疑わしいとしても証拠が無ければ断罪できないのだ。今のところディレスタ侯爵家は最も疑わしいという事で拘束をされている。その疑いを晴らさねば時間の経過ごとに立場が悪くなるのは見えていた。
「……納得できません。エリィはもう婚約も解消しております。無茶苦茶です」
「そうね、ではこう言えばどうかしら?私はこの子が不憫で仕方が無いわ。だから一人で逝かせたくないの。あの子の大好きだったリズがこの子と逝ってくれるのならば、どんな手を使っても侯爵家を助けると誓いましょう」
正気の沙汰とは思えない申し出だった。そもそもこの国に殉死などと言う風習は無い。余りの事にエリィは眩暈すら感じた。王妃はまともに見えたのが、悲しみのあまりどこか心が壊れてしまっているようにも思えた。だが、結局エリィは王妃の差し出した毒薬を受け取ることにした。エリィが毒薬を受け取ると、ヨシュアはショックを受けたように青ざめ、言葉を失ったようだった。
「直ぐにとは言わないわ。別れを言いたい人もいるでしょう?心を決めたら、明日来てちょうだい。ここでヴィスタと待ってるわ」
掌の中の小さな小瓶を握りしめ、エリィは小さく頷いて立ち上がる。そして、王妃に向かい深く一礼をして部屋を足早に後にした。
ここまで後が無い状況に、エリィは緊張が高まるのを感じた。余りにも八方塞がりな現状に気が付いて笑いすら込み上げそうだった。ヴィスタを助けようと思う気持ちは王妃を見ているうちに固まった。だがそれを抜きにしても、これでエリィはどうあってもヴィスタを助けねばならなくなった。もし失敗したなら、ヴィスタと同じ棺に入ってやろうではないかと言う気にさえなった。ヴィスタも、大好きな家族も守る手段がまだ残されている事に喜びを感じたのだ。
「どういうつもりだよ、エリィ!」
ヨシュアの意見も聞かず勝手に毒薬を受け取って部屋を出たエリィを小走りに追いかけてくると、ヨシュアは声を荒げてエリィの腕を取った。滅多に怒らないヨシュアの本気の怒気が言葉の端々からひしひしと感じ、エリィは困り顔でヨシュアを見上げた。
「どういうつもりもなにも、王妃様の提案を考えてみることにしただけよ」
「ありえないだろ!」
「最悪、これを飲めばヨシュアも父様も兄さまも、お母様と、それに未来の弟か妹を助けることが出来るわ。その手段が残されている事を私は僥倖だと思う」
「バカな事言うな。死ぬんだぞ、わかってるのか?」
「どっちにしても、私はもう長くないわ」
ピシャリとエリィが言えば、ヨシュアは酷く傷ついた顔をして黙り込んだ。エリィは少し苦笑して、そんなヨシュアの手を握った。するとヨシュアは戸惑った様にエリィの顔を見返す。
「ただで死ぬ気は無いから大丈夫」
その言葉はまさにエリィの心情そのままだった。無駄に死ぬつもりはなかった。ヴィスタを助け、侯爵家を守る。そう決めていた。たとえ死ぬことがわかっていても、最後の最後まで足掻いて、後悔の無いように死ぬつもりだった。
「なら、その毒薬は僕に渡して」
「だめよ。これは私のお守りなの」
「……飲んだら許さないよ」
怖いくらいに真剣な顔でヨシュアは言う。それにエリィは柔らかな笑みで返した。
「約束は、出来ないかな」
ふふふと笑いながらエリィは言い、ヨシュアに歩くように促すため手を引く。だがヨシュアはピンと腕を突っ張ったままその場を動かなかった。
「じゃあ、飲むときは僕も一緒に飲むよ」
「……凄い殺し文句ね。それじゃ簡単に死ねなくなっちゃうじゃない」
「簡単になんか死なせないよ」
そう言ってヨシュアはエリィを引き寄せて抱きしめた。息苦しさにエリィが顔を上げれば、つらそうに顔を歪めるヨシュアの端正な顔があった。その顔は今にも泣きそうなほど痛々しい。
エリィは小さくため息を吐くとヨシュアの背中に手を回してポンポンと宥めるように優しく叩く。
「大丈夫。きっと大丈夫だから、悲しまないで」
「……悲しんでなんかない。エリィがちっとも言う事聞かないから怒ってるんだよ、僕は」
「あら、そうなの?ふふ」
エリィが笑い声を上げると、ヨシュアは拍子抜けした様に腕から力を抜いてエリィを離した。エリィは離れようとするヨシュアの鼻を指でえいっっと掴むと小さく左右に振った。
「半べそかいてるわよ?」
「……いい加減子ども扱い止めろよ」
少し赤くなった頬を誤魔化す様にヨシュアは唇を尖らせて言う。その顔が面白くて、エリィは更に口元を綻ばせた。
「子ども扱いなんてしてないわ。ヨシュアは私よりもずっと大人だもの」
そう言って再び手を引けば、ヨシュアは渋々と言った感じで歩き始めた。小さい頃はいつもエリィの手を無理やり引くのはヨシュアだった。気が乗らない時、塞いでいる時、セシルはその優しさで包み込むように慰め、手を引いて一歩踏み出させてくれるのはヨシュアで、予想外の方法でエリィの気分を壊してしまうのがヴィスタだった。それを守れるのはエリィしかいない。いや、守ることが出来る特権を与えられている事を今のエリィは嬉しく思った。
王族の居住区を抜けたところに見知った顔と衛兵の姿を見つけ、エリィは首をかしげる。どう見てもエリィたちが出てくるのを待っていたようであった。
「フィリオ―ル様、どうかなさったんですか?」
「エイリーズ嬢……」
浮かない顔をしながらも、フィリオ―ルは無理にエリィに笑顔を作って見せた。そんなフィリオ―ルと厳しい顔をした衛兵がそこにいる理由がエリィにはわからない。
「エイリーズ嬢の身柄を公爵家で預かることになったんだ」
「どういうことですの?」
「ヨシュアの身柄はこのまま王城預かりとなる」
「なるほど、そう言う事ですか」
納得がいったという表情でヨシュアが口角を上げれば、フィリオ―ルは小さく「すまない」と言って視線を反らした。一人理解が追い付いていないエリィは、ヨシュアに尋ねるように視線を向ける。するとヨシュアは視線を反らしたまま不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「兄さんが王になれば、僕は繰り上がって次期侯爵になれる訳だよ。つまり、僕にも加担するだけの材料があると判断されたんだろうね」
「そんな、乱暴な……」
「ホント洒落にならない。エリィは逃亡防止のための公爵家預かりなんだろうさ」
「力が及ばず、申し訳ない」
吐き捨てるように言ったヨシュアにフィリオ―ルは謝罪の言葉を重ねた。ヨシュアはそんなフィリオ―ルをチラリと見て大仰にため息をつく。
「フィリオ―ル様は何も悪くないでしょう?」
「だが……」
「僕はフィリオ―ル様を信頼しています。だから、エリィの事、頼みます」
そう言うとヨシュアはフィリオ―ルに深々と頭を下げる。それを見て、フィリオ―ルはヨシュアに手を添え、顔を上げさせると苦笑してみせた。
「僕もまだあきらめていない。きっと侯爵家を助けるよ。父も尽力しているから、安心してほしい」
「期待してます、フィリオ―ル様」
衛兵がヨシュアを案内する為に軽く頭を下げながら手で促すと、ヨシュアは小さくなずいた。そして、その衛兵の後を数歩追従した後、立ち止まり振り返った。
「フィリオ―ル様」
その言葉にフィリオ―ルは視線を向ける。するとヨシュアはニヤリと笑って口を開いた。
「王妃様が、エリィに殉死を希望されました。エリィが今、その手に持ってるのは託された毒薬です。……絶対に飲ませないでくださいね」
そのヨシュアの言葉に、フィリオ―ルは一瞬信じられないと言ったような驚愕した表情をした。しかしすぐに真剣な表情で力強くヨシュアに頷き返す。
「約束するよ。そんなバカな真似、僕が絶対に許さない」
フィリオ―ルの力強いその言葉を聞いて、ヨシュアはホッとした様にパッと破顔してみせた。そしてフィリオ―ルとエリィに向かって小さく手を振ると、再び衛兵の後を追って姿を消した。
「ヨシュ、リズ、よく来てくれたわね。ヴィスタも喜ぶわ」
王妃はまるで小さい頃の時のように、エリィとヨシュアを愛称で呼び、軽く抱擁して挨拶をした。そして、王妃に案内されるまま、奥のヴィスタの寝室に足を運ぶ。子供の頃は何度か遊びに来たものだが、ここ数年はすっかり王子の私室には訪れなくなっていた。それでもヴィスタの私室は以前見た姿のまま、時を止めたかのようにそこにあった。
薄暗い寝室に一歩入ると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。居室の方と比べて明らかに気温が低い事に気が付いた。視線を巡らせれば、寝室の隅に魔道具らしきものが置いてある。恐らくヴィスタの体を傷めないように室温を調整しているのであろう。
「ヴィスタ、あなたの大好きなリズとヨシュが来てくれたわよ」
王妃は寝台に横たえられているヴィスタのすぐ横に腰を掛けると、彼の頬を優しく撫でる。そうして王妃は涙をポツリと一滴落とした。その余りにも悲壮な姿にエリィは胸がつぶれる様な悲しさを覚える。
ヴィスタはまるで眠っているかのように安らかな顔で目を閉じている。今にも動きそうな、そんな表現がピッタリと当て嵌まるような雰囲気をさせながらも、彼はピクリとも動かない。それをエリィは信じられない物を見たように凝視した。
エリィはいつもヴィスタには困らされて来て、怒ったことも何度もあった。だが、その王子にはあるまじき奔放さ、明るさでエリィが救われてきた事は何度もある。部屋にこもりがちなエリィの退屈を壊してくれるのは何時だってヴィスタだった。その彼が本当に死んでしまったのだという事がエリィには受け入れがたかった。
動かない彼をただただエリィは見つめることしかできない。自然と涙が湧いて頬を伝ったが、それを拭う事すらせずに、エリィはヴィスタの眠る顔を見つめた。
「ヴィスタは、殺されたのですって」
ヴィスタから視線を反らさず、愛おし気な視線を向けたまま王妃は言った。その言葉にエリィは我に返った様に王妃に視線を向けた。王妃はエリィと同じように涙を流し、声を震わせている。
「この子は王位なんかどうでも良かったのよ?王子らしくしなさいって怒っても、いつも言う事を聞かなくて。いつもリズが、リズがって。リズさえ側に居れば満足するようなそんな子だった」
大きな嗚咽を漏らし、王妃は口元を抑えた。必死に泣くまいと堪え、肩を大きく震わせる。その姿は痛々しいと言う他に表現しようがなかった。
「……何でこの子が死なねばならなかったの?何故この子は殺されたの?」
どんよりと濁った瞳をエリィに向け、王妃は声を震わせながら問いかける。それには言外に”何故ヴィスタを殺したのか”と言う非難が込められている気がして、エリィは酷く狼狽した。ヴィスタが死んでしまった事に、エリィ自身も深く悲しみを感じているのだ。何故ヴィスタが死ななければならなかったのか、何故ヴィスタが殺されたのか。エリィの方が聞き返したいぐらいだった。だが王妃にとっては藁にも縋る様な思いだったのかもしれない。
「王位なんてどうでもいいの。セシルにあげるわ。だから、この子を返してくれないくれないかしら?ねぇ、お願いよ」
「王妃様は誤解なさっておいでです。……我が侯爵家は王位など望んでおりません」
泣きじゃくりながら言う王妃に、ヨシュアが静かな声で告げる。すると、王妃は顔を両手で覆って俯き、力なく首を横に振った。
「……ごめんなさい、わかっているの。それでも、この子が不憫で」
「王妃様……」
エリィは王妃に近づき、手にしたハンカチをそっと差し出すと、王妃はそのエリィの手ごと握ると又激しく嗚咽を上げた。エリィは王妃のすぐ横に座り、大きく震える体を慰めるように、その背を擦る。そうしているだけで、なんとしてでもヴィスタは助けなければならないと思った。こんなにも愛されている人が、他人の思惑などで死んで良い筈がない。そう思えば思うほど、エリィは決意に似たような物を心に抱き始めていた。
ひとしきりそうやって泣いた後、王妃は落ち着きを取り戻した。再びヴィスタの顔を眺め、その頬を撫でる。そうして、エリィたちの方に向き直ると、悲しそうな笑顔を向けた。
「取り乱してごめんなさいね。リズとヨシュが来てくれてこの子も喜んでいると思うわ」
「お力になれず、申し訳ありません」
沈痛な面持ちでヨシュアが王妃に一礼すると、王妃は小さく首を横に振った。
「力になれないのは私も同じだわ。ヨハンやセシル、ディアナを私の力だけではどうにもしてあげられないもの」
「いいえ、王妃様。兄も父も決してそのような愚劣なことはしていない筈です。必ず真実が明かされると信じております」
ヨシュアが落ち着いた声でそう言うと、王妃は軽く目を閉じて頷いた。そうしてすこし逡巡した後、厳しい顔をしてサイドテーブルの引き出しに手を掛けた。微かに木の擦れる音をさせて開けたその引き出しには、小さな小瓶が入っていた。その小瓶の中には水の様なものが入っている。
「リズ、これをあなたに預けます」
「これは……?」
「毒薬です」
王妃へと伸ばしかけた手をビクリと留めて、エリィは王妃の顔をまじまじと見つめた。その顔はいつもよりは精彩を欠いているけれど王妃としての威厳があった。
「きっと何をバカな事とと思うでしょう。でも、持っていなさい。ヨハンとセシルは今恐ろしい程の窮地に立っています。身の潔白が証明されねば、侯爵家は一族全て処刑となるでしょう」
「……はい」
「その前にリズ、あなたはヴィスタの妻として殉死なさい」
「王妃様、なんてことを仰るんですか!」
ヨシュアが声を荒げるのを、王妃は静かに小さく手を上げて制した。その有無を言わせない瞳の力に、ヨシュアは少しだけたじろぐ。王妃は直ぐにそんなヨシュアから視線を反らすと、再びエリィに向き直った。
「あなたが私が認めたヴィスタの妻として後を追ってくれるのなら、侯爵家は王子妃の一族という事になります。いいですか、今のままだとヨハンはヴィスタを殺していない証拠を出さないとなりません。ですが、王家に連なる一族であるならば、断罪する側がヨハンがヴィスタを殺したと言う証拠を出さねばならないのです。わかりますか?」
王妃が言う言葉は明解だ。一貴族であるならば殺していない証拠を、殺していないと言う証明をしなければならない。だが、それが王族に連なるものであった場合なら。仮に疑わしいとしても証拠が無ければ断罪できないのだ。今のところディレスタ侯爵家は最も疑わしいという事で拘束をされている。その疑いを晴らさねば時間の経過ごとに立場が悪くなるのは見えていた。
「……納得できません。エリィはもう婚約も解消しております。無茶苦茶です」
「そうね、ではこう言えばどうかしら?私はこの子が不憫で仕方が無いわ。だから一人で逝かせたくないの。あの子の大好きだったリズがこの子と逝ってくれるのならば、どんな手を使っても侯爵家を助けると誓いましょう」
正気の沙汰とは思えない申し出だった。そもそもこの国に殉死などと言う風習は無い。余りの事にエリィは眩暈すら感じた。王妃はまともに見えたのが、悲しみのあまりどこか心が壊れてしまっているようにも思えた。だが、結局エリィは王妃の差し出した毒薬を受け取ることにした。エリィが毒薬を受け取ると、ヨシュアはショックを受けたように青ざめ、言葉を失ったようだった。
「直ぐにとは言わないわ。別れを言いたい人もいるでしょう?心を決めたら、明日来てちょうだい。ここでヴィスタと待ってるわ」
掌の中の小さな小瓶を握りしめ、エリィは小さく頷いて立ち上がる。そして、王妃に向かい深く一礼をして部屋を足早に後にした。
ここまで後が無い状況に、エリィは緊張が高まるのを感じた。余りにも八方塞がりな現状に気が付いて笑いすら込み上げそうだった。ヴィスタを助けようと思う気持ちは王妃を見ているうちに固まった。だがそれを抜きにしても、これでエリィはどうあってもヴィスタを助けねばならなくなった。もし失敗したなら、ヴィスタと同じ棺に入ってやろうではないかと言う気にさえなった。ヴィスタも、大好きな家族も守る手段がまだ残されている事に喜びを感じたのだ。
「どういうつもりだよ、エリィ!」
ヨシュアの意見も聞かず勝手に毒薬を受け取って部屋を出たエリィを小走りに追いかけてくると、ヨシュアは声を荒げてエリィの腕を取った。滅多に怒らないヨシュアの本気の怒気が言葉の端々からひしひしと感じ、エリィは困り顔でヨシュアを見上げた。
「どういうつもりもなにも、王妃様の提案を考えてみることにしただけよ」
「ありえないだろ!」
「最悪、これを飲めばヨシュアも父様も兄さまも、お母様と、それに未来の弟か妹を助けることが出来るわ。その手段が残されている事を私は僥倖だと思う」
「バカな事言うな。死ぬんだぞ、わかってるのか?」
「どっちにしても、私はもう長くないわ」
ピシャリとエリィが言えば、ヨシュアは酷く傷ついた顔をして黙り込んだ。エリィは少し苦笑して、そんなヨシュアの手を握った。するとヨシュアは戸惑った様にエリィの顔を見返す。
「ただで死ぬ気は無いから大丈夫」
その言葉はまさにエリィの心情そのままだった。無駄に死ぬつもりはなかった。ヴィスタを助け、侯爵家を守る。そう決めていた。たとえ死ぬことがわかっていても、最後の最後まで足掻いて、後悔の無いように死ぬつもりだった。
「なら、その毒薬は僕に渡して」
「だめよ。これは私のお守りなの」
「……飲んだら許さないよ」
怖いくらいに真剣な顔でヨシュアは言う。それにエリィは柔らかな笑みで返した。
「約束は、出来ないかな」
ふふふと笑いながらエリィは言い、ヨシュアに歩くように促すため手を引く。だがヨシュアはピンと腕を突っ張ったままその場を動かなかった。
「じゃあ、飲むときは僕も一緒に飲むよ」
「……凄い殺し文句ね。それじゃ簡単に死ねなくなっちゃうじゃない」
「簡単になんか死なせないよ」
そう言ってヨシュアはエリィを引き寄せて抱きしめた。息苦しさにエリィが顔を上げれば、つらそうに顔を歪めるヨシュアの端正な顔があった。その顔は今にも泣きそうなほど痛々しい。
エリィは小さくため息を吐くとヨシュアの背中に手を回してポンポンと宥めるように優しく叩く。
「大丈夫。きっと大丈夫だから、悲しまないで」
「……悲しんでなんかない。エリィがちっとも言う事聞かないから怒ってるんだよ、僕は」
「あら、そうなの?ふふ」
エリィが笑い声を上げると、ヨシュアは拍子抜けした様に腕から力を抜いてエリィを離した。エリィは離れようとするヨシュアの鼻を指でえいっっと掴むと小さく左右に振った。
「半べそかいてるわよ?」
「……いい加減子ども扱い止めろよ」
少し赤くなった頬を誤魔化す様にヨシュアは唇を尖らせて言う。その顔が面白くて、エリィは更に口元を綻ばせた。
「子ども扱いなんてしてないわ。ヨシュアは私よりもずっと大人だもの」
そう言って再び手を引けば、ヨシュアは渋々と言った感じで歩き始めた。小さい頃はいつもエリィの手を無理やり引くのはヨシュアだった。気が乗らない時、塞いでいる時、セシルはその優しさで包み込むように慰め、手を引いて一歩踏み出させてくれるのはヨシュアで、予想外の方法でエリィの気分を壊してしまうのがヴィスタだった。それを守れるのはエリィしかいない。いや、守ることが出来る特権を与えられている事を今のエリィは嬉しく思った。
王族の居住区を抜けたところに見知った顔と衛兵の姿を見つけ、エリィは首をかしげる。どう見てもエリィたちが出てくるのを待っていたようであった。
「フィリオ―ル様、どうかなさったんですか?」
「エイリーズ嬢……」
浮かない顔をしながらも、フィリオ―ルは無理にエリィに笑顔を作って見せた。そんなフィリオ―ルと厳しい顔をした衛兵がそこにいる理由がエリィにはわからない。
「エイリーズ嬢の身柄を公爵家で預かることになったんだ」
「どういうことですの?」
「ヨシュアの身柄はこのまま王城預かりとなる」
「なるほど、そう言う事ですか」
納得がいったという表情でヨシュアが口角を上げれば、フィリオ―ルは小さく「すまない」と言って視線を反らした。一人理解が追い付いていないエリィは、ヨシュアに尋ねるように視線を向ける。するとヨシュアは視線を反らしたまま不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「兄さんが王になれば、僕は繰り上がって次期侯爵になれる訳だよ。つまり、僕にも加担するだけの材料があると判断されたんだろうね」
「そんな、乱暴な……」
「ホント洒落にならない。エリィは逃亡防止のための公爵家預かりなんだろうさ」
「力が及ばず、申し訳ない」
吐き捨てるように言ったヨシュアにフィリオ―ルは謝罪の言葉を重ねた。ヨシュアはそんなフィリオ―ルをチラリと見て大仰にため息をつく。
「フィリオ―ル様は何も悪くないでしょう?」
「だが……」
「僕はフィリオ―ル様を信頼しています。だから、エリィの事、頼みます」
そう言うとヨシュアはフィリオ―ルに深々と頭を下げる。それを見て、フィリオ―ルはヨシュアに手を添え、顔を上げさせると苦笑してみせた。
「僕もまだあきらめていない。きっと侯爵家を助けるよ。父も尽力しているから、安心してほしい」
「期待してます、フィリオ―ル様」
衛兵がヨシュアを案内する為に軽く頭を下げながら手で促すと、ヨシュアは小さくなずいた。そして、その衛兵の後を数歩追従した後、立ち止まり振り返った。
「フィリオ―ル様」
その言葉にフィリオ―ルは視線を向ける。するとヨシュアはニヤリと笑って口を開いた。
「王妃様が、エリィに殉死を希望されました。エリィが今、その手に持ってるのは託された毒薬です。……絶対に飲ませないでくださいね」
そのヨシュアの言葉に、フィリオ―ルは一瞬信じられないと言ったような驚愕した表情をした。しかしすぐに真剣な表情で力強くヨシュアに頷き返す。
「約束するよ。そんなバカな真似、僕が絶対に許さない」
フィリオ―ルの力強いその言葉を聞いて、ヨシュアはホッとした様にパッと破顔してみせた。そしてフィリオ―ルとエリィに向かって小さく手を振ると、再び衛兵の後を追って姿を消した。
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ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。
タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~
とっていただく責任などありません
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