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しおりを挟む一旦、集中するとなかなか止まらない比良木は、時々手を止めながらも無心に描き続ける。ひと段落するまで止まらなくて、気付いたら外は暗くなっていた、何てこともあった。
今日も、すっかり集中してしまって。
いつの間にか夕日が窓から差し込んできて、右頬に西日の熱を感じ、視界にオレンジがちらついて邪魔をし始めた。比良木は少し眉を寄せ、カーテンを閉めようと立ち上がる。カーテンを少しだけ引いて、再び席に座ろうとして思わず後ずさった。
「あ、やっと気付きましたね」
比良木と目が合うと、大杉はくしゃくしゃの笑顔を見せた。
キャンバスから少し離れた真後ろで、机に寄りかかるようにして腕を組んでいる。
「お、オーギー…、いつから」
「いつ?かな、15分ぐらい前ですかね」
大杉が少し微笑みを浮かべながら、首を傾げて見せた。
「…気づかなかった…」
比良木は呆然と大杉を見つめる。
集中していたせいもあるかもしれないが、まったく気配がなかった。
西日に邪魔されて、集中が切れた時も。
席に戻ろうと一歩踏み出すまで。
キャンバスの後ろの大きな影が、人であると認識するまで、数秒かかった気がする。
声を発するまで、完全に気配を消していた。
困惑に足がそれ以上進まず立ち尽くす。
大杉はそんな比良木に優しく笑いかけた。
「そうみたいですね、声もかけたんですけど」
「え!?うそっ」
「うそじゃないです」
即座に大声を出して否定した比良木を、大杉は楽しそうに笑った。
無邪気な笑顔にどきりとする。
「でも邪魔しちゃいましたね、もう行きますよ」
そう言うと、出口に向かって歩き出す。
「え、あ、別に邪魔じゃ」
比良木がもごもごと言うと、大杉は微笑んだ。
「また来てもいいですか?」
出口で一度振り向くと大杉が言う。
「え、あ、うん」
比良木が戸惑いながらも頷くと、にっこりと笑みを残して大杉は去っていった。
しばらく呆然と立ち尽くして、比良木は頭を掻いた。
驚いたなんてものじゃなかった。
自分を邪魔しないためかもしれないが、全く気配がしなかった。
それに、あんな笑顔を見たのも初めてだった。
「…反則だあ…」
そのままその場にへたへたと力なく座り込む。
どきどきした。
怖い、と勝手に思い込んでいたから、年相応の幼さを残した全力の笑顔を見せられて、不覚にもどぎまぎして、しどろもどろで返事を返してしまった。
よたよたと這うように椅子に座りなおして、自分の胸を抑える。
まだどきどきしてる。
印象がその笑顔だけでひっくり返されてしまった。
比良木は一つ大きな深呼吸をして、気を取り直して絵に向き直った。
けれど何故か集中が続かなくて。
目の前をちらつく西日と、ふっと蘇る幼さが残る全力の笑顔。
ちょっと筆を動かしては、止める。
比良木は大きな溜息と共に筆を置いた。
「…だめだぁ…」
集中できない。
西日に邪魔をされることぐらい慣れっこだ。
そんなことでいつもは集中は途切れない。
やはり問題は蘇ってくる笑顔で。
その度心臓がどくん、と跳ねる。
一体、どうしたというのだろう。
確かに印象がひっくり返るほどの笑顔だったけれど。
「も、帰ろ…」
比良木は諦めてキャンバスに布を掛け、後片付けを始めた。
その間もふいに頭をかすめていく。
「…王子、かぁ…」
変に納得しながら独り言ちた。
その後も様子を見て、美術室に足を運んではせっせと絵を描いた。
宮坂には「また行くの?」と苦笑いされたけれど。
また来てもいいか、と聞いてきたわりに大杉と美術室で会うことはなかった。
けれど、どうやら時々来ているらしいと比良木は感じていた。
と言うのも、あの日大杉が現れた後から、美術室で不思議なことが起こるようになった。
美術室に入るなり脱ぎ捨てたはずの制服が椅子にきちんとかけてあったり、筆洗いの水筒がいつの間にか水換えしてあったり、気付いたら缶ジュースが置いてあったりした。
それらは全部大杉が現れるまでは起きなかったことだ。
静かにやってきて、静かに眺めて、さらに静かに身の回りの世話を焼いていく。
根拠も証拠もないのだけれど、なぜか大杉の仕業だと比良木は思っていた。
大杉が気付かれないように置いていった缶ジュースや、取り替えられた水筒、きちんとシワまで伸ばしてかけられた制服を見ると、ほわほわと気持ちが浮く。
初日のように集中が途切れるわけではなくて、。
いつもは小さな箱の中で張り詰めて、キャンバスだけを見つめ続けているのに、今は水中か何か無重力の中で、ゆらゆら揺れながら見えないキャンバスに、筆を動かしているみたいだった。
そっと置いていかれた暖かい気持ち。
それが比良木を包み込む。
ここまでくると、比良木の大杉への印象がまるっきり変わってしまっていた。
怖い、という印象はもうなくて、すごく優しい、という印象に変わっていた。
一方、生徒会室で大杉は相変わらず隅の方で読書をしているだけ。
美術室で静かに比良木の世話を焼いてるようには見えなくて、特に比良木に話しかけてくることもしない。
こっそりと置いていかれるあったかい物も、生徒が騒ぐ微かな喧騒に埋もれてしまってどこにも見当たらない。
姿が見えない方が近くに感じるのは何故だろう。
先日、盗み聞きしたわけではないが、大杉と菅野、宮坂の間で交わされていた会話から、菅野が比良木たちのクラスメートと付き合いだしたことがわかった。
男同士なのに?!
とか。
大杉との噂はどこに行った?!
とか。
思うところは多々あったけれど、割とすんなりと受け入れてしまった。
それが男子校という隔離空間に馴染み過ぎたせいなのかはわからないが。
兎にも角にも隔てるものがなく、今、比良木から大杉の背中が見えている。
すっと伸ばされた背中からは何も読めなくて、美術室での出来事は気のせいなのかと思えてくる。
大きくもない部屋の隅の方にあるだけの背中が、すごく遠い。
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