愛しの海賊

琴葉

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前編

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「今日こそ!貴方を捕まえてみせますっ」
中型船の船首に仁王立ちし、剣を前に突き出して、海軍将校・ホワイル中尉は大声を出した。
前方の海賊旗を掲げる船を剣で指し示し、部下達を振り返る。
「さあ、行きますよ!」
一方、海賊船の船尾の手すりに頬杖をついて、海賊船長アカザはそんなホワイルを穏やかな微笑みで眺める。
「熱心だな、ホワイル中尉」
緊張感のかけらもなく、楽しそうにホワイルに話しかける。
「僕は貴方を絶対捕まえると決めたんです!」
そう大真面目な顔で叫ぶホワイルを見ると、くすくすと笑いだす。
「アンタになら捕まってやってもいいんだが、クルーが嫌がるんだ」
「また!僕をからかって遊んで!」
顔を赤くして、ホワイルが憤慨するとアカザは楽しそうに笑う。
「からかってないんだが」
「船長!いい加減にしてください!」
後ろから切羽詰まった声で呼びかけられ、アカザはゆっくりと振り向いた。
「ホワイル中尉を甘く見ないでください。現にこうやって追い詰められてるんですから」
クルーの中で最年長の、いつもなら穏やかな表情を浮かべているヤコブが、額に汗を滲ませアカザを睨みつけてくる。
「甘く見てはいない。優秀だぞ、ホワイル中尉は」
「はいはい、船長のお気に入りだもんね」
少年のような風貌の小柄な少女アリスンが呆れたようにアカザの隣に立ち、ホワイルに手を振った。
遠くでホワイルが「あ、アリスンさんまで!」と怒っている声がした。それを見ながらアリスンも楽しそうに笑う。
「ほんと!抜けてそうなのに、毎度毎度、よく追い詰めてくれるわ。てか、なんでいつも私達をこうも簡単に見つけちゃうのかしら」
ちょっと際どい服装をしたミッシュがうんざりしたような表情で髪を手で梳いた。
「今回は完璧なはずだったのにね」
「まさか、船長。中尉に構って欲しくてリークしてるなんてことないですよね」
「自力で見つけて来るんだ、仕方ないだろう」
アカザもホワイルを振り返る。
ホワイルは部下たちになにか大声で指示を出しながら、アカザ達を睨みつけてくる。
ホワイルのふわふわとした髪が、さらにふわふわと潮風に揺れる。
「あの髪が可愛いと思わないか?」
アカザが呟くと、船は静まり返った。
「………そろそろ、本気で逃げよう。船長」
ずっと腕組みをして黙っていたクロウが呆れて言葉を発した。
「まだ、いいだろう」
ちょっと眉を寄せて発したアカザの返事に、ヤコブとミッシュが顔を見合わせて肩をすくめ、クロウの元へ足早に向かった。
「行きましょう、クロウさん。船長は今、使えません」
「ほんと、中尉がらみだと途端に使えなくなるんだから」
アリスンはそんな二人を追いかけながら、楽しそうに言った。
「でも僕も、中尉、嫌いじゃないよ」
そんなアリスンを苦笑いで振り返りつつ、ヤコブが答えた。
「それは我々も同じですよ」
「船長ほどじゃないけどね」
船が速度を上げ、ホワイルの船と距離が開いていく。
「くそ!また…」
なんとか風を予測して追い詰めようとするのに、いつももう少しというところで距離を開けられてしまう。
一度距離を開けられてしまうと、なかなか詰めることが出来ない。
微妙な風や波の変化に柔軟に、かつ迅速に対応してくる。
海賊船も小回りを生かすためか、船長の格の割に小さい。
かといってホワイル側も小型船にしてしまうと装備で心許ない。
遠ざかっていく船尾でアカザが手を小さく振っているのが見えて、ホワイルはじたんだを踏んだ。
「もう~~~!」

船を海軍島へつけると、ホワイルは部下に後を任せて一人降り立った。
また逃げられた。
いつもいつも逃げられるので、行動を予測して先回りしてるし、今日は不意打ちもかけたのに。
「なんで捕まえられないんだ!」
思わず声に出して、ぎゅっと拳を握った。
「また逃げられたのか」
振り向くとかつての上司、キリング少尉が大声で笑っていた。
武骨で強面。
そんな言葉がよく似合う男だ。
真っ直ぐで裏表のない性格で、下士官から慕われている。
世話好きなのも理由の一つで、かくいうホワイルも新兵の時にお世話になった。
ホワイルが階級を追い越しても、変わらず優しく接してくれる。
ホワイル自身も階級を抜きにして、先輩として慕っていた。
「今回はうまくいくと思ったんですけどね」
二人で並んで歩きながら、キリングは豪快に笑った。
「あのアカザだぞ。海軍が何年追ってると思ってるんだ。お前みたいなひよっこに簡単に捕まえられてたまるかよ」
「それは、わかってるんですけど」
ホワイルが海軍に入る前から、アカザは海賊として名を轟かせている。
たった5人の小さな海賊。
それほど凶悪な事件を起こしているわけでもない。
なのに海軍はずっとアカザとそのクルーを重要視してきた。
そして今だに誰にも捕まえられない。
ホワイルは将校に昇格した直後にアカザと対面して、それからずっと追いかけていた。
理由は、海賊だから。
と、無理にこじつけていることは自分でも自覚していた。
わからないのだ。
なぜ、捕まえたいのか。
追いかけているのか。
ただ周りや部下たちには海賊だから、といい続けている。
もう数年追い続けているので、今だに成果が出せないことに時々上官からいびられる時もあるが。
それでも海軍が彼らを取り逃がし続けている期間よりずっと短い、とホワイルは開き直っている。
「そういや、お前聞いてるか。明日の作戦」
キリングがホワイルの肩を掴んで声を潜める。
「聞いてますよ。それで呼び戻されたんです」
呼び戻されなければ、そのままアカザを追って別の海域に入るつもりだった。
大げさに溜息を吐く。
「わざわざ別の海域にいる下士官呼び戻さなくったって、ここにはいっぱいいるのに。なんで僕だったんですかね」
「あ、なんだ、しらねぇんだな」
キリングが少し驚いた顔をした。
「何をですか?」
「作戦の指揮官がお前を指名したって話だぞ」
「…誰ですか、それ。僕、上官に知り合いなんて」
いないし、高評価を得ていないことも知っている。
「例の幼馴染だろ?」
「…イーダか…」
「俺も詳しくは知らないんだけどな。俺も指名されてるから、間違いないな」
「…あいつ…」

キリングと連れ立って訪れた海軍支部。
すれ違う上官には敬礼をし、下士官とは敬礼を交わす。
ホワイルはこの海軍島が好きではなかった。
本部でもないのに海軍兵が集まってくる。
そして島にある街を我が物顔で歩き、住民達を脅かしている。
海軍に逆らうな。
住民達はお互いにそう注意し合っている。
まるで、海賊。
だから、ホワイルはいつもここには指令を受けたり報告する以外では近づかないようにしていた。
奥まった部屋で、重い扉を開けると数人の海兵士官が集まっていた。
キリングと共に一番奥へ入り込み、こっそりと座った。
見渡した中に幼馴染の姿はない。
「起立!」
やがて現れた上官に全員で立ち上がり敬礼をする。
バラバラと席に座り始めると、上官が軽く咳払いをしてから話し始めた。
内容は奴隷商人組織の摘発。
海軍島から約1日の行程の島に巣食っている奴隷商人組織のアジトを攻めるという内容だ。
斥候になぜかホワイルとキリングが指名された以外、大した作戦でもない。
噂の幼馴染の姿も見えない。
ホワイルの船とキリングの船はすぐに出発して、奴隷商人のいる島を調査することになった。
「調査には諜報部の少佐が同行する。少佐とは港での待ち合わせだ。以上」
また起立、敬礼。
そして解散。
「…指揮官ではないみたいだな…」
キリングがぼそりと呟いた。

食料や武器の積み込みを済ませた船は、出航準備を続けていた。
「よお」
ようやく現れた諜報部少佐は、小柄でメガネをかけている。
白っぽいホワイル達の軍服とは違い。黒を基調とした色合いだ。
「…お前ね、事あるごとに俺を使うなよ…」
ホワイルは顔を見るなり呟いた。
部下たちに聞こえないようにひっそりと。
「私情は挟んでない。お前が適任だと判断したんだよ」
「…嘘つけ…」
ホワイルがさらに睨みつけて呟くと、イーダはわざとらしく咳払いをした。
「中尉!何か問題はあるか」
「いえ、ありません」
とっさにホワイルが姿勢を正して敬礼をすると、イーダはニヤリと笑った。

イーダの指示のもと辿り着いた島は一見普通の田舎の島だった。
船は沖に隠れて停泊し、軍服を脱いだホワイル、イーダ、キリングの三人で小舟で島へ上陸する。
密やかに活気を持つ港を抜けて、街へ向かう。
のどかな田園もあり、人々の格好も慎ましく、奴隷商人が巣食うような街には見えなかった。
イーダが案内するのはさらにその奥。
というより、島の裏側。
崖の端まできて、イーダが覗き込むように地面に伏せた。
キリングとホワイルも従って同じようにする。
ゆっくりと崖から顔を出すと、崖をくり抜いて作ったような小さな街。
小さな港もある。
人相の悪い男たちが船を取り囲み、周囲を見渡していた。
イーダがそっと無言で指差した先には崖の中腹に取って付けたような小屋。
二人が頷くと、そこを目指して一旦崖から離れた。
窪みを見つけて這い降りていく。
「おいおい、結構な重労働じゃないかよ」
思わずキリングがぼやくほど、足場は悪く、体力を使う。
二人より体力的に劣るイーダを補助しつつ、下っていくと、すぐ近くの窓へと辿り着いた。
中を見渡して、入り込む。
足音を消して、中を調査する。
細い岩作りの廊下にボロく、腐りかけたような扉が点在し、こっそりと覗くと中には鎖が散らばっていたり、異臭がしたりと酷い有様で。
「誘拐してきた人をここに一時的に監禁しているんだろう」
イーダが小さく呟く。
「酷い」
ホワイルは鼻を摘みながら、眉を寄せた。
身を潜めて確認した窓からは港が見える。
階段などはなかったが、ゆっくりとした坂で降っていたらしく下に近付いていた。
「上から攻めるのは無理だ。下からじゃないと」
「港も使えないぞ。狭すぎる」
「迂回してくるしかなさそうだな」
崖を下りきった先には上からは見えなかったが広いホールがあった。
「ここで競売にかける気だな」
イーダにつられて覗き込んだホールの先に、またひとつ小さな部屋が見えた。
微かに見えるのは壁に張り付けられた人達。
「今夜の商品か?」
キリングが嫌そうに言う。
同じく返そうとしたホワイルに一人の捕虜が目に入った。
食い入るように見つめて、喉を鳴らす。
「…あり得ない…」
思わず漏らしたホワイルの声に二人が反応する。
「どうした?」
急に飛び出そうとしたホワイルをキリングが慌てて抑えて、イーダもとっさにホワイルの口を押さえた。
ホワイルはキリングの腕から逃れようと暴れる。
ホワイルの取り乱しように首を傾げながらも、先程からホワイルが視線を外さない先をイーダも確認した。
「…う、そだろ…」
イーダも同じく驚愕する。
「ありゃ、アカザじゃねーか」
キリングも確認したらしく呟いた。
それからホワイルを振り向く。
ホワイルはキリングの腕を引き剥がそうと、爪を立てて来る。
「ホワイル、落ち着け!」
ホワイルは目を見開き、少し青ざめている。
一度も視線を外さない。
微かに見える張り付けられた人々の中で、長身で細身の、ひときわ鞭で責められたのか血だらけの姿で両手を壁に張り付けられて足にも枷が付いているのが見える。
項垂れる他の捕虜と違い、顔は正面を向き、無表情で目を閉じている。
顔にも傷がある。
「キリング、一旦離れるぞ」
こんな状態のホワイルを同行させては調査どころではない。
作戦自体にも支障がでかねない。
力づくでホワイルをキリングに押さえつけさせて、迂回して突入するはずの経路を逆に辿り始める。
ホールをキリングに押さえつけられながらも離れる直前に、ホワイルは確かにアカザと目があった。

船に戻ってきてもホワイルは落ち着かず、階段に座り込んだまま手を組み、その手に顎をつけるようにしてじっと空中を見つめていた。
なぜ。
どうやって。
いつから。
疑問は尽きない。
ただ言えるのは、ホワイルがアカザを取り逃がした後に捕まってしまったことになる。
他のクルーは、助けに来ないのか。
考え込むホワイルをキリングは静かに見下ろしていた。
そこへ静かにやってきたイーダが小さく言う。
「アカザの件は報告した。手を出すな、との命令だ」
ばっと顔を上げたホワイルにイーダが眉を寄せる。
「アカザは海賊だ。救出の価値はない。作戦は一般市民の解放を目的としている」
「だけど!」
あのまま放っておけば、近々行われる競売でアカザが競り落とされる。
奴隷?
あのアカザが?
ホワイルにふつふつと怒りがこみ上げていた。
許せない。
「命令だ」
「………」
長年追ってきた海賊を救出の名目で拿捕できるチャンスなのに、手を出すなという命令。
海軍は明らかにおかしい。
もちろんホワイルもおかしい。
捉えるために追いかけてきた海賊が、奴隷として囚われているのを目の当たりにし、こんなにも動揺している。
しかも助けたいと思っている。
助け出して、逃がしたい。
そう考えていた。
もう一度ぎゅっと手を組んだホワイルを、イーダは眉を寄せて見下ろし低く繰り返した。
「アカザには手を出すな」
ホワイルは決して頷かなかった。

夜、闇がすっかり辺りを包み込んだ頃。
ホワイルはこっそりと船を抜け出した。
そして昼間辿った道を再び歩き出す。
作戦は夜明け前に実行されることになった。
調査で発見した迂回経路での突入を目指す。
だからホワイルは作戦への支障を考えて、崖上からの侵入を試みた。
もし気づかれた場合に、迂回経路を意識させては一般市民の救出という作戦が遂行できなくなってしまう可能性があるからだ。
昼間の窪みは夜には深い真っ暗な落とし穴のようだった。
予想はしていたので縄を落として、慎重に降りる。
静まり返る中を足音に気をつけながら、ホールを目指した。
だがアカザは昼間の部屋にいなかった。
他の捕虜と分けられたようだ。
慌てて周辺を探し回る。
奴隷商人達はアカザの価値を知っているらしい。
そう考えながら探していると、今までの見窄らしいドアと違って鍵のついたドアを見つけた。
近くには警備をしているものも見える。
慎重に人数を確認する。
3人。
武器は腰の剣のみ。
ホワイルは壁に背を向けながら、静かに近付き、順に気絶させていく。
相手は素人らしくあっさりと倒させた。
1人から鍵を取り上げ中を覗くと、探し人がいた。
倒した三人を中に入れ込んで、アカザにそっと近付く。
「…見間違いじゃなかったか…」
近付ききる前にアカザが静かに呟いた。
ホワイルを見ると、微かに微笑む。
「…独りか?…」
ホワイルは答えずにアカザの手枷足枷を外した。
「とうとうあんたに捕まる時が来たか」
傷だらけの顔で楽しそうに微笑まれ、ホワイルの胸が痛んだ。
「逃げますよ」
そう言ってホワイルがアカザに肩を貸す。
そのホワイルをアカザが驚いたように見つめた。
「捕まえるチャンスだぞ、二度と来ない」
「わかってます。でも僕はこんなあなたを捕まえても嬉しくありません」
アカザの腕を首に回し、腰を支える。
思った以上に細い腰にどきりとした。
近づくと香る血の匂いに胸が締め付けられた。
アカザを抱え、来た道順を逆に辿る。
案外、警備が手薄なのが気になった。
警備らしい警備に出会ったのはアカザが捉えられていた部屋と、帰り道にばったり鉢合わせた二人だけ。
奴隷の脱走や、海軍の介入などないと決めつけているようで。
ただの奴隷商人の組織、ではないかもしれない。
そんな考えが浮かんだものの、今はアカザを連れ出すのが先決。
奴隷商人達とも海軍とも鉢合わせたしたくない。
海軍は、アカザを捉えたらどうするだろうか?
即刻、処刑?
それとも別の?
自分も海軍で、実際に捉えようと追いかけてきたくせに、ホワイルの中で海軍に渡してはいけないという気持ちが強くなってきた。
一番の手こずったのは窪みだった。
アカザは体力を消耗しているのか縄を掴み続けていることが出来なかった。
「置いていけ。後は自力で逃げる」
早々に諦めを口にするアカザにホワイルは苦笑いした。
「そうしたいんですけど、出来ないんですよ。自力で逃げるにしても逃げ道はここしかないんです」
首を傾げるアカザを無理やり背中に乗せ、縄を手に巻きつけるようにしてなんとか這い上がった。
降りる時の何倍もの時間を要して窪みを這い上がると、ホワイルは膝をついた。
いくら軽いといっても、ただでさえ足場の悪いところを大人を抱えて登ったのだ。
体力の消耗が著しい。
このまま逃げるのは得策ではない。
ホワイルはそう判断し、予め見つけておいた洞窟内に身を隠した。

暗く湿った洞窟の中ほどで、ホワイルは焚き火を起こした。
チラチラと揺らめく炎の揺らぎがアカザの横顔を照らし出す。
しばらく見惚れるように見つめていたホワイルだが、ふと自分の上着を脱ぎアカザの肩にかけた。
薄い布を羽織らされているだけのアカザが微かに震えていたから。
一枚布を頭が通るだけ穴を開けられた感じで、両脇は雑に縫いとめられ、所々素肌が露わになっている。
むき出しの細い足にも、折れそうな腕にも無数の鞭に打たれたミミズ腫れが見えた。
いつもの海賊服姿からは想像できないほど、弱々しく、儚い。
不意に掛けられた上着を振り返ることも、ホワイルを見やることもせずアカザはふっと笑った。
「馬鹿なことをしたな、中尉」
ホワイルはアカザと同じように炎を見つめた。
「馬鹿なことだとは思ってません。僕は自分の信念に従っただけです」
「海賊を助けることがか?」
「海賊でも人間です。奴隷のように扱われる謂れはありません」
「…だが、昼間現れた時に、あの組織を拿捕するつもりだったんだろう?ならば放っておいても…」
「貴方は助かりません」
「………」
「海軍は貴方を見捨てる決断をしました。僕はそれが納得できず、単身乗り込んできたんです」
ゆっくりとホワイルを振り向くアカザに、ホワイルは少し視線を合わせただけで、俯いた。
「あのまま、繋がれたままのあなたに手を出すなと言われました。あなたを助けに仲間が近くまで来ています。貴方を餌に彼らも捕まえる手筈でした」
「…それが海軍のやり方だ。犯罪者を捕まえる作戦だろう?」
「そんな卑劣な手段など必要ありません。僕は必ず貴方を捕まえる」
そう答えたホワイルを見ながら、アカザが楽しそうに笑った。
「海軍組織に似合わないな、中尉は」
「…よく言われます…」
「正義漢の塊なのに、海軍という組織に向かない。残念だ」
「…心にもないことを…」
「心からそう思っている」
思わず振り向いたホワイルに、アカザがふわりと笑う。
「命を助けられたな、中尉。まさかこの俺が海軍将校に助けられる日が来るとは思わなかったが」
「…結果的に助けたことになっただけです…」
苦しい言い訳だった。
アカザはニヤリと笑うと、ホワイルの肩を掴み、その足に跨った。
膝で立ち、ホワイルの首に腕を回すと、妖しい笑みを浮かべる。
「褒美をやる」
「え」
それからゆっくりと合わされる唇。
一度触れると、離れて、ホワイルの反応を待つように口元を緩ませたまま、見下ろしてくる。
もう一度、今度はホワイルの唇を舐め、下唇を食まれた。
ぎゅっと目を閉じたホワイルは何かに耐えるように、アカザの体に手を掛け押しもどそうとする。
アカザはそれを許さず、足をホワイルの腰に絡ませ、さらに体を押し付けてきた。
唇をなぞるように舐めていた舌が割り入ってくると、ホワイルはアカザの身体を抱き返し、アカザの頭を後ろから押さえつけ、舌を絡めた。
アカザの舌を追いかけ絡めてくるホワイルを薄く開いた目で確認すると、アカザは楽しそうに口元を歪めホワイルの背に手を回した。ホワイルは眉を寄せ、何かに耐えるように、それでも深く唇を合わせた。
深く、何度も角度を変えながら長く口付けを交わしていると、アカザはホワイルの腕を取り、自らの後ろへ導く。
少し驚いたホワイルが目を開けると、同じように目を開け、それでも口端を緩めるアカザと目があった。
アカザの手はホワイルの下肢へ、服を乱し、素肌を探りながら降りていく。
アカザの手に導かれたのは、通常、こんな行為では使わない場所。
そのままアカザの指とともに侵入させられた。
「ん、ふっ」
口付けを止めないアカザから吐息が漏れる。
色のある吐息。
意外と柔らかいその場所は、二人の指でさらに解れていく。
アカザのもう片方の手は、ホワイルのズボンの中に入り込み、少し芯を持ち始めたそれを包み込み摩った。
「んん」
どちらともなく口付けが激しくなる。
アカザはホワイルの指をもう一本導くと、離れていった。
そして擦りつけるように腰が揺れる。
ぞくぞくとホワイルの背を快感が走る。
アカザが急に発し始めた色香に、完全に惑わされ、興奮していた。
不意に離れたアカザが膝をついて腰を持ち上げる。
ずるりとアカザからホワイルの指が抜けた。
その感覚にアカザが身を震わせる。
そしてペロリと上唇を舐めると、自分で育てたホワイルの屹立に腰を落とした。
「ああああ」
ゆっくりと飲み込まれていく。
熱く、吸い付くような内部の熱にホワイルは必死に耐えた。
ホワイルを全て飲み込むと、ホワイルと目を合わせながら、ちゅっと音を立てて口付けをする。
そしてホワイルの肩に手を乗せ、腰を動かし始めた。
「あ、あ、んん、あ」
動きに合わせアカザから漏れてくる喘ぎが、ホワイルを揺さぶる。
絡みつくような内壁がホワイルをさらに快感へと追い上げた。
ホワイルの上で淫らに腰を振るアカザの顔も恍惚としていて、快感に囚われているのがわかる。
ホワイルはアカザの腰を掴むと、下から突き上げた。
「ああああ、いい、あああ、ちゅ、うい」
倒れんばかりに背を反らせ、アカザはそれでも腰を揺らす。
「ん、いい、ああ、も、っとだ、中尉」
アカザはホワイルを熱く潤んだ瞳で見下ろしながら、煽ってくる。
煽られるままに突き上げて。
「ああっ」
一際高い喘ぎを漏らしたアカザがびくんと跳ね達すると、内部がホワイルを搾り取るように収縮し、耐えきれずホワイルも後を追った。
弛緩して倒れてくるアカザを抱きしめて、ホワイルも深く息をして呼吸を整える。
突然腕の中のアカザが堪えるように笑い始めたので、ホワイルは覗き込んだ。
ホワイルの肩に額を乗せて、少しだけ振り向いたアカザと視線が合う。
「どうしたんですか」
「いや、想像以上だった。中尉」
「…褒められてるんですかね…」
くっくっ、と笑い声を漏らし、ホワイルの頭を引き寄せると口付けを交わす。
「もちろんだ」
「…それは、どうも…」
アカザの上機嫌さを不思議に思いながらも、そのままホワイルの上着を布団代わりに抱き合って眠った。

翌朝、まだ薄暗く靄も立ち込める中、2人は洞窟を後にし反対側の港を目指した。
港にはちらほらと海軍の姿があった。
「もう、手配されてる?」
建物の陰に二人で身を潜め、港を眺めた。
「さあな、早すぎる気もするが」
奴隷商人の組織の者ならまだしも、海軍の耳に入るのは早すぎる。
アカザ脱走後、海軍が押し入ったならありえるが。
そもそも現在、救出作戦中ではないのか。
こんなに早く作戦が終了するとは思えない。
救出作戦自体、何かの布石だったのか。
イーダはそんなことは言っていなかったし、利用はしても騙すことはないはず。
ホワイルの上着を羽織ったアカザが、自分を見下ろす。
「…この格好は間違いなく人目を引く…」
「どうします?」
ホワイルはアカザを見下ろした。
「俺の船はここには来ないな」
「え、じゃあ」
「東側には何がある」
「何も、ないですよ。崖があるだけで」
「行くぞ」
踵を返したアカザにホワイルは続いた。

こうして一緒に行動していてホワイルは気付いたことがある。
アカザは戦闘向きではない。
かなりの優れた頭脳は持っている。
だが、無用心というか…。
今まで海軍から逃げ通せたことが不思議なくらい。
追われる身でありながら、不用意に建物の陰から出たりする。
その度、ホワイルが慌てて腕や腰を引き寄せねばならなかった。
思えばアカザ率いる海賊の面々は全員かなりの頭脳を持っていることがわかっている。
だがメンバーの二人は女性であり、非戦闘員であることは確かだし、ヤコブは気功のような体技を使うことが確認されているが防戦に徹するのみで、攻撃はクロウのみだ。
前々から細いと思っていたが昨夜、ホワイル自ら確認したアカザの体は細く、軽い。
今まで彼らが無事だったのは、全員の頭脳をフル稼働させた成果かもしれない。
だとするならば、ホワイル一人で二人とも逃げ通すのは困難かもしれない。
先程から見かける海兵の数は増える一方だ。
そして微かに海兵達の会話が漏れ聞こえたところによると、ホワイルの知る人物が指揮を執っている。
非常に厄介な相手だ。
物陰から海兵が通り過ぎるのをじっと待っていると、腕の中でアカザが微かに笑った。
「何ですか、急に」
声を潜めてアカザを覗き込むと、ニヤリと笑う。
「こうしていると、昨夜を思い出す」
「不謹慎ですよ」
即座に返しながらも思わず顔を赤くする。
「だな」
呑気なのは、ホワイルを信用しているからなのか。
それとも何か策があるのか。
東の崖に近付くと、騒がしくなってきた。
戦いの音と、砲台の音と。
「来てるな」
「そうですね」
アカザの呟きにホワイルも頷いた。
だが、応戦中だ。
長引けば囲まれてしまうだろう。
「一気に行きましょう」
崖まで数百メートル。
行くしかなかった。
アカザと共に走り出しながら、アカザの道を開き、背後を守る。
海兵の数は思ったよりも多く、ホワイル達を見つけると押し寄せてきた。
待ち伏せされた。
指揮を執っているのがあの人ならば仕方ないことなのかもしれない。
「とにかく走ってください!」
アカザの背を押しながら、ホワイルは剣を抜き応戦する。
遠くに見知った顔を見つけ、眉を寄せるもそのまま崖を目指した。
「ホワイル⁈」
アカザが時折ホワイルを振り向く。
ようやくホワイルの戦闘がおかしいことに気付いたらしい。
「何してる⁈防御だけでこの数、押し切れると思ってるのかっ」
「思ってませんっ」
だが同胞達に剣を刺すことなどできない。
剣を叩き落すか、殴る蹴る、しかホワイルには出来なかった。
「ホワイル⁈」
援護をしようと足を止めるアカザの背をさらに押した。
「ミッシュさん、聴こえたら船を出してください」
アカザの船員であるミッシュは優れた聴覚を持っていると聞く。
もしかしたらここからでも聞こえるかも。
そんな願いを込めてホワイルは呟いた。
「何を…」
「行きますよ、アカザさん」
ホワイルはアカザの腰を掴み、もうそこまで見えている崖を目指した。
押し寄せてくる海兵を掻き分けて全力で走りこむ。
何かを察したように掴まれたアカザの手を振りほどいて、ホワイルはアカザを渾身の力で崖から放り投げた。
「ホワイル⁈」
放物線を描きながら落下していくアカザが、船の帆に音を立ててぶつかりそのまま滑り降りていくのを見守る。
膝を蹴られ、地面に倒れこみながらそれを確認してホワイルはほっと安堵の息を漏らした。
「ホワイルー!」
クロウに抑えられながら、船尾から身を乗り出すアカザの姿を見送っていると、後ろから声がかけられた。
「なに、やってるんだ…ホワイル…」
思わず苦笑が漏れる。
「なんで俺がお前なんかを捕まえなきゃならないんだ」
「なんかとは失礼ですよ。僕、一応上官です。キリング少尉」
「…元…だろ。この馬鹿が…」
小さくなっていく船影を見送って、ホワイルは自ら立ち上がる。
腕は後手に縛られていた。
振り向くと、キリングが眉根を寄せホワイルを見ていた。
「そんな顔しないで、キリングさん。僕は後悔してませんから」
キリングは一層顔を歪ませると、何も言わず踵を返した。
ホワイルも乱暴にその後をついて行かされる。
ふと振り返った海には、海軍の船を振り切り、小さくなったアカザの船。
見える限り、ホワイルはその姿を見送った。

暗く、湿った空気が纏わりついてくる船底の牢屋の中。
手にも足にも枷を付けられ、ホワイルは膝を抱えその間に頭を埋めていた。
自分の行き先はわかっている。
海軍島。
極悪人の処刑が大抵この島で行われる。
見せしめと、誇示のために。
 「ホワイル君」
ふいに声をかけられ顔を上げると、キリングの部下であるツヴァイ軍曹が歪んだ微笑みを浮かべていた。
海軍の中ではまだ数少ない女海兵。体力では劣るものの、機動性を活かした戦闘を得意としており、時折行う戦闘訓練では5回に一回は背中を取られてしまうほど。
ただ
女性特有の優しさが弱点。
最後の一太刀を躊躇う傾向にあり、キリングに何度も怒鳴られていた。
躊躇いは自らの首を絞める。
たが今回はそれを利用されたようだ。
「これ、キリングさんから」
手には丁寧に紙に包まれた新鮮なパン。
「…サリさん、キリングさんに罪人への対応はきちんとするように言ってください」
「…罪人て…」
「受け取れません。キリングさんの迷惑になります」
「ホワイル君」
ツヴァイは眉を寄せ、唇を噛む。
「すいません、キリングさんにもサリさんにもそんな顔をさせてしまって」
ぶんぶんと首を振ったツヴァイにホワイルは微笑んで見せた。
「僕は覚悟の上ですから。大丈夫、ね?キリングさんにも僕に構い過ぎないように伝えてください」
「………」
ツヴァイは手元の包みを見下ろした。
「…海軍島へ、向かってるんですよね…」
「…うん。報告したら、すぐに連行するように言われて…」
「マッド大佐ですか」
「知ってたの?」
少し驚いた顔でホワイルを見る。
「海兵が話してるのを少し…」
「…そう…」
マッドはホワイルより少し年上の若い女性士官。
文武両道、容姿端麗、女海兵達ならず男海兵達の憧れの存在。
下士官からとある作戦時の活躍によって一気に駆け上ってきたと言われる。
心無いものからは身体で得た地位だと噂もたったが、彼女が優秀なのは誰が見ても明らかなので、ただのやっかみだと思われる。
そんな才女様とホワイルはほとんど接点はない。同じ作戦に就いたこともないし、定例の上層会議で顔を合わせる程度で言葉を交わしたこともない。と言うのに、なぜか物凄く嫌われているのだ。何か理由があると思うのだが、ホワイルに心当たりはない。
「あの人には嫌われてるからなあ、僕。速攻、処刑でしょうね」
ホワイルは誰ともなく苦笑いしてみせる。
「…ホワイル君…」
「ほら、サリさんも戻って。誰かに見られたらまずいですよ」
しばらく動かなかったツヴァイもホワイルが再び膝の間に顔を埋めると、ため息一つ残して去っていった。
ただただ自分に残された時間を、暗闇で過ごすことしか許されていないホワイルの頭には、崖から放り投げたアカザの驚愕に見開かれた瞳と必死に呼ぶ声だけがあった。
ちゃんと、逃げられただろうか。
見送った限りでは海軍を振り切っていたけれど、指揮を執っていたのがあのマッド大佐ならばどこかで待ち伏せされたかもしれない。
二人で捕まるよりはと、思わず取った苦肉の索だったが、乱暴に放り出したりして怪我などさせなかっただろうか。
ふと蘇ったアカザの甘い吐息と声。
ふっと吹き出すような笑いが漏れる。
自分もアカザを責められないな、と。
こんな時に思い出すのが一度きりの情事とは。
顔を上げて見上げれば、遥か上の方に微かな明り採りの窓が見えた。
あれからさらに一晩が過ぎて、もう夜明けだ。
時間から考えて、そろそろ海軍島へ着くはず。
「…アカザさん…」
知らず知らず呟いていた。

海軍島へ着くと今度は石の牢獄へ移された。
その一角には他に囚われている罪人もいない。
何度か訪れたことのある監獄と違い、静まり返っていた。
「すごい特別待遇だなあ」
苦笑いが出る。
ここでも微かに光を取り入れる窓が一つあるだけ。
牢獄の物悲しさを示しているようで、笑える。
罪人には空を仰ぐことすら許されないらしい。
落ちて初めて知る現実だった。
ふと近付いてくる靴音に振り向いた。
拷問、などはないが面会もない。
微量の食料が1日1回運ばれてくるだけだ。
それ以外には音の聞こえる範囲に人はいなかった。
思わず見つめた檻の端に現れた人物にホワイルは眉を寄せた。
「…なんできたんだ…」
「失礼な奴だな。親友に会いに来ちゃ行けないのか」
黒基調の軍服に身を包んで、縁なしメガネをかけたイーダ少佐だった。
今は諜報活動を主に行っているため、海軍島にはあまり近づかない。あの作戦の後、またどこかへ出かけているはずだった。
「それはどうも。こんなところで悪いな、お茶も出せない」
「ふん。笑える」
「………」
「………」
お互い黙り込む。
視線も合わせない。
「ホワイル」
沈黙を破ったのはイーダだった。
檻の前に仁王立ちして、手を前で合わせている。
だが視線は足元に落ちたまま。
「…説教なら聞かないからな…」
「そうじゃない。…キリングが辞めた…」
思わず振り向いたホワイルをイーダは見ようとしない。
「表向きは家業を継ぐといっていたが、お前を捕まえなきゃならん海軍に愛想を尽かしたようだ」
「……キリングさんは、前から今の海軍に不満があったから…」
ホワイルは窓を見上げた。
「だが、お前がきっかけになったのは確かだろう」
「……まさか、サリさん、も?」
「それは引き止めた。俺とキリングで」
「…そう…」
「色々問題がある海軍だが、本当に正義を通したいなら辞めるべきじゃない。そう、説得した」
「…それは、自分に言い聞かせたんじゃないのか…」
「…………」
また沈黙。
「ホワイル」
再び、イーダが声を出す。
「…やだ…」
「…まだ何も言ってないぞ…」
「お前がわざわざこんな所に現れたんだ。目的は一つしかないよ。…だから、やだって言った」
「………」
「お前を道連れにするつもりはないよ。お前には俺と約束した野望があるだろ?それを果たして貰わないと、困るからな。俺の面倒にお前が犠牲になる必要なんてないんだ」
ホワイルは寄りかかった壁に後頭部を擦り付けるようにして、窓を見上げる。
池田はそんなホワイルをちらりと見ると、再び目を伏せた。
「…不可能、かも知れない…」
「珍しく弱気なんだな」
「…弱気にもなる。親友の処刑など誰が見たがる?」
思わずホワイルから苦笑いが漏れた。
「ごめん。でも俺は俺の正義を通しただけ。後悔もしてないし、約束を違えた気もないよ。…それでもお前が俺を連れ出すというなら、俺に剣をくれ」
「………」
「お前を巻き込むくらいなら、ここで自分を終わらせる方を選ぶよ」
イーダが髪をくしゃくしゃと掻きむしった。
「…言うと思ったよ。この頑固者め」
「お前に言われたくないよ」
「…確実なんだぞ…」
「絶対やだ」
「………」
黙り込んだイーダが少しだけ顔を上げた。
ホワイルもイーダを振り返ると、ふわっと笑った。
「ほら、行けよ。お前がここにいると怪しまれる。俺たちの友人関係は上も知ってるんだから」
イーダはあからさまな舌打ちをした。
それからすっと体を横に向けた。
「俺は諦めないからな」
「…ばか。こういう時は諦めるんだよ…」
「やだね」
そう言ってまた靴音を立てて去っていった。
「ばか。本当に、何もするな。諦めろよ」
ホワイルは祈るように手を組むと、そこに額を押し付けた。
幼い頃から二人で海軍に憧れて、それぞれの野望を抱いて海軍に同期で入隊した。ホワイルは正義を貫き弱者を助けたいと、イーダはそのためにも海軍のあり方に疑問を抱き、頂点に上り詰めて改革をと。それをお互いに約束をした。
イーダがその半ばホワイルの野望ありきな野望を遂げるために、下げたくもない頭を下げ、プライドが高いくせに時に諂いながらも出世していったことをホワイルは知っている。
もしも、自分を助けたりすればそれらが全て無駄になる。
これまでの苦労も努力も全て。
例えホワイルが居なくなっても、ホワイルと同じ野望を持つものは少なくない。
キリングやツヴァイがそうだ。
他にも数人知っている。
イーダはそんな彼らのために上り詰めてもらわなくてはいけないのだ。
「…イーダ、頼むよ…。俺に構うな」

小さな窓から月が見えていた。
あれからイーダは現れない。
やっと冷静に自分の立場を理解して、諦めてくれたのならいいが。
冷たく青ざめる月を見ていると、最後に見たアカザを思い出してしまう。
ホワイルの行動を理解できない、そんな顔をしていた。
自分でもよくわかっていない。
ただ海軍に渡してはいけない、そう思った。
ずっと捉えるつもりで追いかけていたのに。
繰り返し蘇る記憶が、微かな感触さえ再現する。
細く硬い体。小麦色の肌に滑らかな感触。
腕の中でしなり、乱れていた。
甘く、熱い吐息。
思わず手を握りしめ、それを眺めた。
捉えたかったのはこの腕の中。
ほんの数時間、手に入れただけだったが、最後に触れられたのは神の恩恵かも知れない。
…慈悲、か。
ホワイルはくっ、くっと笑い始めた。
神など今まで信じたこともないくせに。
じわじわとこの陰気な孤独が自分を蝕んでいると思うと、我ながら笑えた。

海軍はよほどホワイルを生かしておきたくないらしい。
その1日後には処刑が決まり、その夕方には執行されることになった。
法の審判にもかけられなかった。
まあ、今の海軍には法に乗っ取って執行される刑はほとんどないが。
手足に枷を付けられたまま、引きずるように光の元へ出された。
長く光から離れていたため、目が痛んで開けることもしばらくできなかった。
やっと光になれた時、視界に移ったのは嘲るように自分を眺める観衆。
ぞっとした。
そのあまりにも冷たい視線が、人のものとは思えなかった。
首に荒々しく縄をかけられ、誰かが罪状を読み上げている。
色々と身に覚えのない罪が雑多に並べられていたが、否定する気にもなれなかった。
よくあることだったからだ。
捕まえた海賊達があらぬ罪を被せられ、この処刑がいかに正義かと観衆に知らしめるために海軍本部がでっち上げるのだ。海賊でない者も中にはいた。
海軍将校に逆らっただけ。
そんなものですら、見せしめに海賊に仕立てられ、処刑される。
ホワイルもその現状を目の当たりにして、海軍に対する不信を抱いた。
だからこそ、イーダに正して貰わねばならないのだ。
見渡した会場にイーダの姿はない。
安堵した時、足元が崩れ、首に全体重がかかった。
苦しみの中、思い出したのは親しかった者たちや家族の顔。
そして一度だけ手に入れた美しい人。
最後に見たのは残念ながら、その美しい顔が歪んでいたが。
朦朧とする意識の中で、はっきりと浮かんでくるその顔。
声。
「ホワイル‼︎」
幻聴を聴いた、そう思った時、どこかで爆発音がして同時に体が落下した。
どさりと地面に足から落ちて、転がった。
何が起きたのか、理解できない。
確かに死んだと思ったのに。
急に肺や喉に入り込んできた酸素に思わず噎せて、強く咳き込んだ。
「ホワイル!」
体を抱き起こされ、見上げるとあるはずのない顔が近くにあった。
「え、アカザさん?」
アカザがホワイルの首の縄を解き、手足の枷をナイフで切り取る。
「な、どうして…あれ、僕、死んだのかな…」
ぼーっとする頭を振りながら呟くと、ホワイルの腕を肩に担いだアカザが笑う。
「せっかく来たのに死なれては困るな」
「船長!急いでください!」
顔を上げると、少し先でヤコブが大きく手招きをしていた。
そのさらに先でクロウが海兵を相手にしているのが見えた。
「行くぞ、ホワイル」
「…え、ええ…」
ホワイルを抱えるようにして歩き出したアカザをぼんやりと眺めて、だんだんと意識が覚醒してくる。
アカザが助けに来たのか?
自分を?
なんと無謀な。
こんな海兵だらけの島に、たった5人で。
遠くで爆発音が二つ上がった。
「急いで!」
クロウが焦ったような声を上げている。
だが背丈はそんなに変わらない上に、体重差があるホワイルを抱えてアカザが素早く動けるはずもない。
ヤコブの所に辿り着くのがやっとだった。
反対側からヤコブの腕が伸びてきて、ホワイルはそれを静かに拒絶した。
「⁈」
「何してる⁈早くヤコブに」
「…そんなことをしてたら、全員捕まります。…僕に剣をください。戦います」
「無理だ。弱りきっている」
アカザが眉を寄せ、ヤコブを促した。
そのヤコブにホワイルは視線を投げる。
「…僕一人なら自分でなんとか出来ます…。アカザさんを行かせてください」
ヤコブが戸惑ったようにアカザとホワイルを見比べている。
そこへすっとクロウが海兵から取り上げた剣をホワイルに差し出した。
「はやく!集まってきてる」
ホワイルはアカザの肩から腕を引き抜くと、ヨタつきながらも自力で立ち、剣を構えた。
「…絶対においてはいかないぞ…」
アカザに睨まれると、ホワイルは苦笑いした。
「一度死んでるんですから。足手まといなら置いていってください」
「嫌だ」
即答され、ホワイルは苦笑いした。
「…頑張ってついて行きますよ」
「クロウ!ホワイルの後ろを」
ホワイルはそっとアカザの背を押して先に行かせ、ヤコブに合図した。
それからクロウと並ぶようにして剣を振る。
なるべく傷を負わせたくない。
自分に向かってくる者にだけ剣を向け、武器を奪い、手の平を切りつけていく。
ホワイルを気にするアカザは先に行かせたはずなのにいつの間にか隣にいた。
その前にはヤコブと入れ替わったクロウが、道を開いていく。
アカザの後ろでヤコブが追っ手を足止めし、どこから放たれているのか大砲のような爆発音が辺りに響く。
少し動いただけでホワイルの体は息を喘がせた。
時々よろめく体をアカザの腕が支えた。
「ホワイル、走れる?」
クロウの声が聞こえて、小さく頷くとアカザに背を押されるようにして走り出した。
向けられる剣を叩き落としながら、視線の端でイーダを見た。
建物の陰でほくそ笑んでいる姿に、思わず笑みが漏れた。
「…お前、何した?…」
届くはずもない呟きを漏らすと、ちょっとだけイーダと目があった気がした。
それからすぐ背を向けられ、ホワイルもそれ以上イーダを視線に捉える事が出来なくなった。
クロウが向かっているのが港ではなく河川の方だと気付いたホワイルが、思わずクロウを呼んだ。
「本当にこっちですか」
「大丈夫」
河と海の境目を目指しているのはわかったが、開けた前方に船の姿はない。
それでもまっすぐにはしり続ける三人にホワイルは付いて行くよりない。
時折よろけるとアカザが支えてくれた。
河岸に近付くと、待ち構えたように海から船が現れた。
「はやくー!」
船からアリスンが大きく手を振っている。
近付いてくる船の縄梯子に順番に飛びついて這い上がる。
先に上がったクロウが帆を操作し、ヤコブが舵をとる。
ホワイルはアカザに引っ張られるようにして、ようやく這い上がった。
ホワイルが甲板に上がると、アカザがミッシュを振り向いた。
「切れ」
追ってくる海兵達を縄梯子ごと追い払う。
「じゃあね~」
落ちていく海兵達にアリスンが笑顔で手を振った。
それを甲板にへたり込んだまま眺めていると、ふと目の前に座り込んだアカザがホワイルを覗き込んできた。
「大丈夫か?」
同じように息を喘がせ、額に汗を浮かばせている。
ホワイルはそっと手を伸ばして、その頬に触れた。
軽く触れて、手を離し、じっと手を見つめる。
「…夢、じゃ、ないんですね…」
小さく呟く。
アカザはふと笑うと、膝立ちでホワイルの頬を両手で挟み口付けた。
「船長!いちゃついてる場合じゃないですよ⁈」
ヤコブの声にアカザが苦笑いしながら離れていく。
「ミッシュ、風は?」
「あっちから」
ミッシュが即座に指を指し、アカザの指示のもと船が速度を上げた。
ホワイルは呆然とそれを眺めていたが、やがてよろよろと立ち上がると船尾に移動した。
追ってくる海軍の船と砲弾と。
小さくなっていく島。
置いてきた全てを見送るようにじっと見つめた。
的確に風を捉える船は、図体がでかいだけの海軍船をぐんぐんと引き剥がしていく。
「……」
まっすぐに後方を見つめるホワイルにアカザが近づいた。
「もう、追いつかないだろう」
アカザの声にもホワイルは振り向かない。
黙って見つめ続ける横顔をアカザはじっと見つめた。
「…信じられない…海軍島から逃げ出すなんて」
ぼそりとホワイルが呟いた言葉に、アリスンが得意げに答えた。
「作戦勝ち!」
振り向くと少年のような小柄な女の子がくしゃくしゃな笑顔でこちらを見ていた。
「…作戦、ですか…」
「船はある程度潰してあるし、風の変わり目を狙ったの。スピードならこの船の方が早いわ」
肌を露わにした長髪の女性が答えると、ヤコブが付け足した。
「あとは少人数での機動力を生かした、感じですかね」
クロウは親指をぐっと立てて見せた。
一通りクルーに目を走らせてから、ホワイルはアカザに向き直った。
「僕の縄を切ったのはアカザさんですか」
「…なんのことだ?」
アカザがきょとんとホワイルを見上げてきた。
ホワイルは一瞬黙って、それから微笑んだ。
「いえ。なんでもありません」
それからまた後方を振り返る。
まあ、心配はいらないだろう。
あのあざとい親友の事だから、証拠はちゃんと隠したに違いない。
「…助けて下さってありがとうございます」
全員を振り返りながらホワイルは言う。
「すいませんが、僕をどこかの港に下ろしてください。このままこの船にいると迷惑が…」
「なにを言ってるんだ」
アカザが眉を寄せて睨みつけてきた。
「アンタはこの船に残る」
「え、でも」
ホワイルが戸惑っていると、ヤコブのからかうような声がした。
「船長命令ですよ、逆らえません」
「うちの船長、我儘だから」
アリスンが笑う。
「言い出したら聞かないし」
呆れ声のミッシュと。
「ホワイルならいい」
クロウも笑っている。
一通り驚きで持って見渡すと、ホワイルはふわりと微笑んだ。
「…お世話になります…」
ぺこりと頭を下げた。

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