高橋課長と佐藤君

琴葉

文字の大きさ
5 / 11

佐藤君 2 恋人への昇格計画

しおりを挟む


凛とした背中。
他のくたびれサラリーマンの背中とは大違い。
こんなにかっこいいのに、俺なんかに抱かれて…。
俺はただただ、その背中に見惚れながらついていく。
課長が歩き出せば歩き、立ち止まれば止まる。
ふと立ち止まった課長が振り向いた。
思わず背を伸ばして。
そんな俺にふっと笑いかけてくれた。
「ちょっと買い物してくる。お前はここで待っていろ」
「え、え?」
見渡すといつの間にか一軒のスーパーマーケットの前にいた。
出入りするのは子供連れの主婦や、小さな買い物袋を重たそうに下げているお婆さんばかりだ。
明らかに課長とは不釣り合いな…。
戸惑う俺を置いて、課長はさっさと店内へと入っていった。
ぽつん、と置き去りにされた俺は辺りを見渡して、仕方なく自動販売機の横のブロック塀に腰掛けた。
飲みに行くんじゃなかったのか?
そういえば、ここはどこだろう?
課長の背中を見ながら考え事をしていたから駅名も見ていない。
ふう…。
知らず溜息が漏れた。
考えれば考えるほど、俺は課長と不釣り合いで。
まだまだ色々なものが不足している未熟者。
こんな俺が課長を絡め取ることが出来たのは奇跡だろう。
せっかくの奇跡。
無駄にしたくはない。
女性と付き合った経験はある。
でもテクニックがあるか、と言われると自信はない。
それでも懸命に考えた計画。
手コキに付き合ってくれたから、その後なんとか誘惑して、それに応じるように仕向けることに成功した。
快楽だけを与えて。
でも変に意識されないように余計な所には触らずに。
例えば、胸とか、項とか。
本当は身体中にキスしたいけど。
唇で我慢。
俺の所有の証だって付けたいけど。
我慢、我慢。
快感で思考が鈍くなったところで、後ろに触れて。
触られることにも中での刺激にも慣れ、快感に変わった頃、挿入。
痛みが伴ってしまったらしくて、最初の時はかなり焦った。
次がないかも。
それでも後ろへの刺激を忘れずにいると、なんとか慣れてきて。
今はこの段階。
「待たせたな」
不意に声を掛けられて、見上げた課長の手に買い物袋が下げられていることに驚いた。
「行くぞ」
俺が驚いていることに気づいているはずなのに、課長はそのまま歩き出した。
俺は黙って付いていくしかない。
俺の計画は今の所順調だ。
この後、どうにかして恋人へと昇格し、課長の部屋へお泊りしたり、所有の証を残せるようになりたいのだが、ここにきて俺の計画は頓挫していた。
何か、きっかけでもあれば…。
でもどんな?
それも偶然起こるのを待っていても、課長の中でセフレ確定してしまっては元も子も…。
俯きながら考え事をしていて、立ち止まった課長の背中にぶつかってしまった。
「あ、すいません」
顔を上げながら言ってから、言葉を失った。
じっと俺を見上げてくる課長と、目の前の建物を見比べる。
「…ここ…」
飲屋街どころか完全な住宅街に、シンプルで小綺麗なマンション。
俺の想像していた目的地じゃない。
「飲みに行くんじゃ」
「ああ。俺の部屋でな」
歩き出した課長の背中を、俺は追いかけられなかった。
いや、だって。
「どうした?」
俺の計画など知りもしない課長が不審に思って振り向いた。
俺は首を振る。
「ど、どっか、別のとこで飲みましょう?なんなら俺、奢りますし」
「部下に奢らせる上司がどこにいる。いいからこい!」
戻ってきた課長に腕を引っ張られるも、俺はそれを振り払った。
「駄目です!まだ早い」
まだ恋人に昇格できてないっ。
そ、そりゃあ、恋人になってからして貰おうと思ってた口淫とか予定が狂ったりしてるけど。
これは、本当にまだ早い。
「何言ってるんだ?早く来い」
ぐいぐいと腕を引っ張っていく課長を振りほどこうにも結構な力で掴まれていて、対抗するとなると俺もそれなりの力を加えなければならず、そうすると課長に乱暴をすることになり…。
抵抗しつつも振りほどくことが出来ず、とうとう部屋のドアの前まで来てしまった。
「動くな」
まるで飼い犬にでも命令するように、俺の足元を指差しクギを刺す。
取り出した鍵で課長がドアを開ける間、そわそわと辺りを見渡した。
なにか、なにか、入れない理由を作らなくては…。
俺の様子を察したように課長の手が腕をぐいっと引いた。
それから開いたドアの中に連れ込まれる。
俺の腕を乱暴に放すと、ドアに鍵を掛けて、さっさと部屋へ上がっていく。
どうしよう。
入ってしまった。
まだ、そんな段階じゃないし。
確かに昇格するきっかけを求めていたけど。
これはなにか違う。
むしろ危険?
変に意識させたり、俺と課長が男同士でさらにゲイとかホモとか言われる関係であると気付かせてしまうかもしれない。
それは困る。
いや、全く気付いてないとは思わないけど。
快楽で忘れさせてる自信がある。
自慰の延長だ、とか。
それに俺がこんなに課長に惚れてる事を認識もらっても困る。
いずれはわからせるつもりだけど。
まだ、好きとか嫌いとか意識してもらう段階じゃ…。
「何してる?上がってこい」
声を掛けられて、散々迷った挙句、俺は靴を脱いだ。
これだけ勧められて、拒み続けるのもまずい。
恐る恐る部屋に足を踏み出し、つい部屋を見渡してしまう。
綺麗に整頓された部屋。
そんなに物は多くなくて。
シンプルで、課長らしい。
課長の部屋を何度想像しただろう。
ある意味想像通りで。
今更ながら緊張してきた。
こうなったら、なんとかここからいつも通りの流れを作るしかない。
それこそ、セフレっぽくて嫌だが、仕方ない。
変に意識されて、挙句に抵抗されたり嫌悪を覚えられたり、逃げられたりしたらここまでの苦労が水の泡。
課長は俺が知る限りゲイではないはず。
俺たちの関係がその二文字に当てはまると意識させたくないんだ。
流されているだけ、という逃げ道も今はまだ必要。
ぐるぐる考えながら作戦を練っていて、ふと視界に課長が居ない事に気付いた。慌てて見渡すと、小さなキッチンに立つ後姿を見つける。
そういえば。
なんでここにいるんだっけ?
飲みに出るはずが、課長は最初から家飲みのつもりだったってことだよな?
なんで、家飲み?
「…課長…」
「なんだ?」
「なぜ課長の部屋で…」
「ちょっと待ってろ。すぐに準備できる」
忙しなく動く背中に、俺は口を噤んだ。
課長、料理もできるのか…。
俺、外食ばっか。
後はコンビニ弁当とか。
「ぼーっと立ってないで、座るか、シャワー浴びてくるなり好きに待ってろ」
「え?!」
シャワー?!
それってお泊りってこと!?
え!?
だ、だって平日…。
そ、そもそも平日夜に一緒に過ごしたことなんてない。
やばい…。
ますますセフレ感が…。
俺は見渡した室内でソファを見つけ腰掛けた。
落ち着かず、ぎゅっと膝を掴む。
やがて課長がいくつかの皿を持ってテーブルに広げ始めた。
そして再びキッチンに戻ると今度は缶ビール。
一つを俺に差し出すと向かい側に腰掛けた。
「ざっと作っただけだが、つまみにしろ」
「は、はい」
そして先に缶を開けるとぐいっと飲む。
俺も真似をした。
自分で作った料理に箸をつけながら課長は言う。
「お前は外で飲むのがいいんだろうが、俺は苦手だ。一人の時も誰かと飲む時も大抵、部屋で飲む」
さっきの俺の疑問に対する答えだとわかった。
誰か、と…。
「渡辺課長とも、ですか?」
思わず口から出た言葉に自分で驚いた。
課長も同様で、すぐに首を傾げる仕草を見せる。
「渡辺?まあ、一緒に飲んだこともあるし、ここにも来たことがあるが」
「…そう、ですか…」
思わず嫉妬を口走ってしまって、動揺が消えない。
かき消すようにビールに口をつける。
「あいつは、ああ見えてずぼらなんだ。料理もしねーし。人につまみを作らせて、飲むだけ飲んで、散らかした挙句にソファーを陣取りやがったんで、出禁にした」
「え?!」
俺にちらりと視線を投げる。
「言っとくが、あいつと俺はそういう関係じゃないからな」
「………」
「噂があったのも知ってるし、実際ここに来たことも泊まってったこともあるが、断じてない」
「…言い切るんですね…」
俺は疑いを晴らし切らずに、皮肉のように言った。
「なぜならあいつには長いこと付き合ってる男がいる」
「え」
「ついでに言えば。ここに来た時も泊まった時も男が一緒だ」
「…え…」
面食らってる俺に課長は少し笑みを浮かべる。
「その割には社の誰も知らない、とでも言いたそうだな」
実際、そんな話は全然聞いたことがない。
「理由は相手のせいだな」
「相手?」
「元妻帯者だ」
「元?」
「今は別れたらしいが。…つまりそういうことだ…」
元々は不倫関係だったってこと?
それで関係を隠して。
課長はカモフラージュ?
「納得したか?」
「え、ええ、まあ…」
「ちなみに相手は俺もお前もよく知る人物だから、このことは聞かなかったことにしろ。いずれ、なんらかの動きがあるまで、な」
そう言いながらビールに口を付け、さらにTVを付ける。
ごくごく日常のような課長の様子に、逆に俺は落ち着かない。
「あの」
「ん?」
TVから視線を外さず、課長が返事をする。
なんでそんなに平然としてるんですか?
とは聞けなくて。
「渡辺課長の件を知ってるのは」
「俺とお前だけだな」
また平然と言う。
なんでそんな重要なこと、俺に話すんですか?
信用してくれるのは嬉しいけど。
それだけ俺に昇格の見込みがある証拠ではあるけれど。
今は、そんなに気を許さないでほしい。
俺にも都合とか、我慢とか理性の限界とか、あるんですから。
「………」
けれどそれを口に出すことも出来ず、俺はせっかくの課長の手料理を味わうことも、課長の日常に入り込んだことも喜べず、課長のTVに対する感想や意見にただただ生返事を繰り返した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

処理中です...