モブ令嬢に魔王ルートは荷が重い

雨花 まる

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砂漠の神殿編

16.モブ令嬢とトラウマ

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 しかし、きっと、それは間違っている。シルヴィは、言い様のない切なさに襲われ目を伏せた。
 精霊王は“景色”と言った。だが、ナルジスが愛したのは“風景”だったのではないのだろうか。あの丸机の側にある椅子には誰かが座っていた筈だ。
 これはおそらくでしかないが、ナルジスも散策が好きであったのならば街の人々と親しかったのではないのだろうか。声を掛けられ、挨拶を交わし、何気ない会話をする。
 そんな、平穏で暖かな日常風景。何も変わっていない等と、そんな嘘に騙されてあげるほどシルヴィは優しくなかった。
 なるほど。彼は、間違いなく精霊だ。

「そうだ。泉を見に行こうか」
「……え?」
「畔を歩くのが好きだっただろう。涼しくて心地好いと」
「い、いえ、わたくしは……」

 ここはオアシスだ。遠目に水場が見えてもいた。そこへ行こうと流れでなるだろうことも予想は出来ていた。しかし、いざそう言われると焦って口が上手く回らない。

「え、遠慮しておきます」
「……何故?」
「わたくしは、あの、に、苦手なのです」

 思わずシルヴィは、組んでいた腕を放してしまった。溺れた恐怖が甦って、シルヴィはソワソワと自身の腕を撫で擦る。
 前世の記憶と今世で池に突き落とされた記憶。両方共に、シルヴィの心に深い傷をつけていた。そのため、深さのある水場にシルヴィは近づかないようにしている。
 勿論、周りの者はそれを把握しているので、誰もシルヴィをそういう所へは連れ出さない。
 因みに、フルーレスト邸の植物園の池と王宮の庭園にある池は、頑丈な柵に囲われており立ち入りは不可になっている。アミファンス伯爵邸にあるものは、即日埋められた。

「泉は、い、嫌です。近寄りたくありません」
「……違う」
「え?」
「違う。何故だ。そんな筈はない」
「……?」

 精霊王は無遠慮にシルヴィの手首を掴み、半ば引き摺るようにして歩き出す。それに、シルヴィの口から不自然に息を吸った音が聞こえた。

「いやです! い、いや! はな、して……っ!」

 幼子がするように、いやいやとシルヴィは首を左右に振る。パニックになり呼吸が上手く出来ず、どんどんと呼吸が浅くなっていった。

「ひゅっ、はぁ、やめ、や、やだ」

 シルヴィの黄緑色の瞳からボロボロと涙が溢れ落ちているのにも気付いていないのか。精霊王はひたすら「違う」と繰り返すのみで、歩みを止めることはしなかった。
 どんどんと陽光を反射し、美しく煌めく青が迫ってくる。シルヴィはいよいよ自分の置かれている状況も何も分からなくなり、いつも通りただ助けを求めてしまった。

「やっ、たす、け……」
「ほら、ナルジス。美しい泉だろう?」

 優しげに微笑んだ精霊王の薄い桃色の瞳を視界に捉えたシルヴィは、酷く落胆した。シルヴィに安心をもたらすのは、その色ではない。その色では、ないのだ。

「ルノーくん……っ!!」

 静寂の街にその名が、やけにはっきりと響き渡る。精霊王の瞳が大きく見開かれ、次いでシルヴィの体に鋭い痛みが走った。
 遠退く意識の中でシルヴィは、折角ルノーくんとトラウマ克服のために頑張っていたのに、全て水の泡だなぁ。などと、何処か冷静にそんなことを考えていたのだった。

 体から力が抜け、その場に崩れ落ちていくシルヴィに引っ張られるようにして、精霊王もその場に座り込む。地面に横たわるシルヴィを精霊王は助け起こすでもなく暫し呆然と見下ろしていた。
 何十分間、そうしていたのだろうか。精霊王はふと我に返ったように、その顔に苦悶の表情を浮かべた。

「私は、お前に……。ただ、もう一度……」

 ぶつぶつと精霊王は縋るような声を出す。それに返事をする者はいなかった。

「あぁ、ナルジス。頼む。私を――あいしてくれ」

 それは、神への祈りのようであった。


******


 黒髪の女性が雨の中、傘をさし歩いている。まだ日が沈む前である筈なのに、厚い雨雲に覆われた空はどんよりと暗い。
 雨に纏わる童謡を口ずさみながら、女性はいつも通り通学路の堤防を家に向かって進んでいた。不意に、奇妙な感覚がして女性は足を止める。

『何か、視線を感じる? 気のせい?』

 辺りをキョロキョロと見回した女性は、川の中に立つ人影を見つけた衝撃に息を呑んだ。

「え? えぇ!?」

 何故なのだろう。その日に限って、恐怖よりも心配が勝ってしまったのは。
 川は雨のせいで増水し、流れも速い。立っていられる筈がないのだ。ただの人間が。冷静に考えれば分かることであったのに。

「だ、大丈夫ですか!?」

 女性は河川敷へと続く階段を全て降りようとして、途中で足を止める。河川敷にまで水が届きそうになっているのが見えたからだ。

「えっと、あの、警察、じゃなくて、消防、でいいのか? 連絡しないと! 番号、スマホ」

 女性はオロオロとポケットに手をやる。瞬間、「あぁ、やっとだ」そんな声が耳元でした気がした。それに、女性は弾かれたように視線を上げる。急激に恐怖が襲ってきた。

「え、なに……?」

 本能的に、女性は足を引く。何故か薄暗い中で、浮世離れしたプラチナブロンドの長髪が風に靡いているのがはっきりと見えた。
 逃げようとしたというのに、体は金縛りにでもあったかのように動かない。代わりに強く川の方へと引き寄せられる感覚がして、体が落ち葉のように宙に投げ出された。
 川とは距離があった筈であるのに、眼前まで迫ってきている。女性の喉から引きつった悲鳴が漏れでた。

「やっと、見つけた」

 女性が最後に見たのは、うっとりと狂喜に歪んだ薄い桃色の瞳であった。

『たすけ――』

 その声は、川の濁流に呑まれて消えた。

「いやぁあぁあっっ!!」

 シルヴィは自分の口から出た悲鳴に目を開けた。心臓が痛いくらいに鳴っている。息が苦しかったので水の中にいるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
 ベッドの感触が少しの安心感をくれて、シルヴィは縋るように掛け布団を握り締める。夢と現の境目が曖昧だ。それが恐ろしくて堪らない。

「はっ、ふぅ……っ、る、のっ、るのーくん」

 涙が出るのを止められなかった。幼子のように泣きじゃくりながら、助けを求め彼の名前をひたすらに繰り返す。そうしている内に、段々と落ち着きを取り戻していった。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

 私は、シルヴィ。アミファンス伯爵家の娘。損なく、楽しく、生きてみせる。
 シルヴィは気合いを入れ直すために、両頬を手の平で挟むようにして叩く。結構ないい音が鳴り、痛みが夢から現へと意識をはっきりさせた。

「夢……」

 なのだろうか。そんな疑心が気分を重くさせた。あれが前世の記憶であるのならば、前世の死因は事故死ではないということになる。
 精霊王に都合の悪いことを思い出したものだと、シルヴィは嘲笑を滲ませた。精霊王の望みは一生、叶いそうもない。
 自分を殺した男を、どう愛せというのか。

「さいあく」

 それでも笑顔を貼り付けて、シルヴィは楽しそうに笑むのだ。彼の迎えを心待ちにしながら。
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