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第三章 追放令嬢リュドミラ
第五十二話 真夜中の襲撃
しおりを挟む「なんつーか……またハードな人生送ってきてんだな」
リュドミラの経緯を詳しく聞き終えたところで、ミナヅキは飲むのをすっかり忘れていたお茶に口をつける。案の定すっかり冷めてしまっており、ほんの一瞬だけ顔をしかめていた。
一気に飲み干したところで、ミナヅキは長い息を吐く。
「まぁ、嵌められて堕とされる展開は、俺もいくつか聞いたことはあるが……ここまで凄いのは初めて聞いたかもな」
「しかしこれも、貴族や王族が絡んでいるからこそ、とも言えます」
「……だろうな」
ラスカーの言葉に、ミナヅキは重々しい口調で納得を示す。貴族や王族の面倒さもまた、フィリーネを通してそれとなく知っているのだ。
ふとリュドミラがアヤメを見ると、彼女が思ったよりも平然としている様子でいることに気づく。
「アヤメさんは、意外と驚いてないっぽいね?」
「あ、うん。私の場合も、貴族と似たような家柄で育ってきたから」
「そう言えばそんなこと言ってたね。やっぱり、そーゆー感じのを見たり聞いたりしてきたんだ?」
「まぁ、そんな感じかしらね」
アヤメが苦笑気味に答えると、リュドミラは興味深そうな反応を示す。同じような環境の育ちで、経緯は違えどお互いにその家を出ている。少なからず親近感を持たれているということは、アヤメも感じ取れていた。
もっともそれ自体に否定の気持ちはなく、むしろアヤメからすれば、歓迎したいとすら思えていた。
何だかんだで話が合う人がいるというのは、嬉しくて仕方がないのであった。
「新聞に出ていたレギーナが、リュドミラの妹ってのにも驚いたが……」
ミナヅキは立ち上がり、例の記事が載った新聞を持ってくる。
「こんなこと言うのもなんだけど、顔は似てないよな? この写真だけだと、血の繋がった家族には全然思えないくらいだぞ?」
「あ、それ私も気になってたわ」
アヤメもミナヅキの質問に頷く。しかしそれを聞いたリュドミラは、表情を暗くさせながらボソリと言った。
「無理もないよ。母親違いの妹だし」
「あっ……そういうことか。悪い、余計なことを聞いちまったな」
「いいよそんなの。どうせ話すつもりでいたからね」
申し訳なさそうな表情をするミナヅキに、リュドミラは慌てて明るく務め、顔を上げて笑顔を見せる。
そしてミナヅキが広げた新聞を――正確にはレギーナの顔写真を見下ろした。
「あたしの本当のお母さんは、あたしを生んですぐ死んじゃったらしいの。それでお父さんはすぐに再婚し、レギーナが生まれた」
二人は一歳違いの姉妹として育てられた。しかし愛情の注ぎ方は、物心ついたときから差は出ていた。
特に母親のイリヤは、リュドミラを娘と見なしていなかった。
リュドミラから話しかけても完膚なきまでに無視。更にイリヤからリュドミラに話しかけることすら皆無であり、母娘との会話が行えた試しも全くなかった。
――きっとおかあさんはりゅどみらをきらっているんだ。
幼いリュドミラはそう思い、母親を振り向かせてやろうと必死になった。
イタズラをしても叱る言葉すらない。本当にその場にいないような素振りは、決して変わることはなかった。
そしてリュドミラは、遂に母親に対する真相を知ることとなった。
ロディオンの婚約者として、厳しい教育が本格化すると同時に、父親であるルスタンから聞かされたのだ。
ずっと母親だと思っていた人が、実は本当の母親ではなかった。
幼いリュドミラはショックを受けたが、ルスタンは特に娘に対してフォローなどをすることもなく、話すだけ話して立ち去った。ついでに言えば、イリヤはその場に立ち会うことすらもしていない。
リュドミラはイリヤを母親だと思うことは諦めた。
あくまで父親が新しく見つけてきた夫人。それ以上でもそれ以下でもないと。
イリヤからすれば、自分は他人の子供でしかないのだ。そもそもアレクサンドロフ家の子供と思っていたかどうかすらも怪しい。
「――まぁ、あたしもあたしで、厳しい教育が待っていたからね。それに差し支える恐れもあったから、ひとまずイリヤさんに期待するのは止めたってワケよ」
「いや、よくそこまで割り切れるわね」
どこまでも明るく軽い口調で話すリュドミラに、アヤメは呆然としつつも、どこか感心した様子で言った。
するとリュドミラは、頬杖をつきながら軽く息を吐く。
「さっきもチラッと話したけど、気にしている余裕がなかったからね。だからこそ妹に嵌められて、追い出されることになっちゃったんだけどさ」
「私も旦那様に直訴してみましたが、全く聞き入れてはもらえませんでした」
ラスカーが深いため息をつきながら言う。
「今のアレクサンドロフ家が大きな立ち位置にあるのも、全ては王家との深い繋がりがあってこそ。王家との繋がりが途切れることだけは防ぎたい――それ故にあのような選択肢を迷いなく選ばれてしまいました」
「実の娘であるリュドミラを、無罪かどうかも確認せず切り捨てたってヤツか」
ミナヅキの言葉にリュドミラは苦笑しながら頷いた。
「まぁ、確かに最初はショックだったけどさ。後になって考えてみると、よくある話でもあるなぁって思ったんだよ。貴族や王族ともなれば尚更ね」
「それで今は、そうして開き直れたってことかしら?」
「多分ね」
アヤメが問いかけると、リュドミラはニカッと笑いながら相槌を打つ。そして思いっきり両腕を伸ばしながら、晴れやかな表情を見せた。
「今となっては、むしろ良かったとすら思ってるよ。長年の重圧から解放されて、のんびりと好きなことができる。これって幸せなことだなぁ、ってね」
「なによりなことだな」
「うん♪ だからあたしは追い出された後、さっさと船に乗って、あの国から出ちゃったんだよね。まぁ、忌々しい場所から逃げたかったっていう気持ちも、なかったと言えばウソにはなるんだけどさ」
相槌を打つミナヅキに、リュドミラはご機嫌よろしく答える。本気で清々しているということがよく分かる一面であった。
「もうメドヴィー王国にも、そしてアレクサンドロフ家にも未練はない。フレッド王都で冒険者登録も無事に済ませたし、晴れて魔法剣士として、あたしの新しい人生がスタートした……と思っていたんだけど」
明るかった表情と声から一転、半目と低くなった声とともにリュドミラは、隣に座るラスカーに視線を向けた。
「まさか、じい――ラスカーが目の前に現れるとはね。完全に予想外だったわ」
「お嬢様……」
ラスカーが悲しみと申し訳なさを入り混じった、複雑な表情で呟く。一方ミナヅキはというと、リュドミラが言い直した言葉の部分に、思わず注目していた。
(きっとラスカーさんのことは、普段は『爺や』とでも呼んでたんだろうな)
貴族のお嬢様に仕えていた執事ともなれば、むしろ自然なことだろう。しかしリュドミラもまた、それ相応の複雑な想いを抱えている。だから前の呼び名で呼ぶことができないということも、なんとなく分かるような気がした。
そんなミナヅキの推測を証明するかのように、リュドミラは怪しむ気持ちを一切隠そうとせず、ラスカーを睨みつける。
「久しぶりに私の顔を見るために、はるばる海を渡って探しに来た――とてもそんな単純な理由とは思えない。ロディオン王子の婚約絡みで、アレクサンドロフ家が更に何か企んでいるとでも言うつもりなのかな? タイミング的にもそうとしか思えないんだけど?」
あからさまに敵意を抱いている物言いだった。否、信用していないと言ったほうが正しいだろう。もう二度と関わりたくない場所が絡んでいるとなれば、その気持ちも分からなくはない。
そんなことをミナヅキが考えていると、ラスカーは表情を緩め、ゆっくりと首を左右に振った。
「私はもう、アレクサンドロフ家とは何の関係もございません。つい数日前に暇を出されてしまいましたので」
「……なんですって?」
疑惑から一転、驚愕の表情となったリュドミラに対し、ラスカーはどこまでも落ち着いた様子で語り出す。
「言葉のとおりですよ。レギーナ様がロディオン王子とご婚約されたと同時に、私はお払い箱となってしまったのです。理由は定かではありませんが、恐らくリュドミラ様に長く仕えてきたという私の実績が、邪魔になったのでしょうな」
「そんな……ラスカーほどの優秀な執事なんて、他のどこを探しても絶対に見つかるワケがないのに!」
リュドミラは苛立ちを込めて右手の拳を握り震わせる。あの家ならそれぐらいのことはやりかねない。心の底からそう思っているからこその怒りであった。
するとラスカーは、更に穏やかな笑みを深めた。
「そのお気持ちだけで十分でございます。今回私がリュドミラ様の前に顔を出した理由は、純粋にあなた様のお顔を、もう一度この目で見ておきたかった。こうしてお会いすることができて、本当に嬉しゅうございますぞ」
「ラスカー……」
リュドミラの中から怒りが消え、純粋にラスカーを想う気持ちがにじみ出る。それを確認したラスカーは満足そうに頷き、そして改めて姿勢を正し、ミナヅキとアヤメのほうに向き直る。
「ミナヅキ様にアヤメ様、どうかリュドミラ様を、今後ともお願い申し上げます」
ゆっくりと深く頭を下げるラスカー。それに対してミナヅキは、小さな笑みとともに頷いた。
数分前まで漂っていた険悪な雰囲気は、もうすっかりと消え去っていた。
◇ ◇ ◇
その夜――アヤメはベッドの中で考え事をしていた。
リュドミラから聞いた、メドヴィー王国での経緯の最後――レギーナが去り際に放った言葉が、どうにも気になっていたのだ。
(ヒロインであるこの私……そんな言い方をしてきたということは……)
地球で暮らしていた現代少女が、その手の知識を持ったまま転生してきた。
この世界は乙女ゲームか何かと同じで、自分はメインヒロインに生まれ変われたのだと思い込む。そしてその子はイケメン王子と結ばれるために、ゲーム感覚で自分の思うがままに過ごしてきたのだとしたら。
(……普通にあり得そうな話ね。むしろそれ以外の可能性が思いつかないわ。婚約破棄といい、ますます聞いたことのあるような展開が出てるっぽいわね)
アヤメは小さなため息を零しつつ、寝返りを打った。
(ミナヅキはこの考えについてどう思うかしら? こんなことなら、今日は一緒に寝ればよかったかなぁ?)
宿屋では基本的に同室だが、ラステカの自宅においては、基本的に二人は別々の部屋で寝ている。いくら夫婦と言えど、互いに自分のペースを崩したくないという意見が一致した結果だ。
とはいえ、二人が夫婦らしい生活を望んでいないというワケでもない。たまに一緒に寝るために、二人用の寝室も用意しているのだった。
勿論そこで、夜の営みも重ねてきている。
特にアヤメのほうが、割と激しく燃え上がったりもするのだが、それはあくまで夜だけの話。味わった『お楽しみ』の余韻を残した状態で、翌日の仕事に向かうことは基本的にない。
ミナヅキもアヤメも、仕事はキチンとしたいという意志がとても強いのだ。
ただし、二人揃ってあまりにも表に出さないため、お互いに冒険者仲間から心配されることも多い。
(そういえば、前にリゼッタから言われたっけ……)
――アンタたち若いのよね? 一晩中燃え上がったりとかはしないの?
彼女から真剣な表情でそう聞かれ、アヤメは妙に申し訳ない気持ちに駆られたことを思い出した。
その手のことで燃え上がりたい願望は普通にあるし、なんなら実際に、朝までずっと燃え続けたことだってあるくらいだ。
もっとも、流石にそれを大っぴらに話すのは恥ずかったため、曖昧に笑うことしかできなかったのだが。
(まぁ、私たちには私たちのやり方があるんだし、そんなに気にし――っ!?)
その時、妙な気配を感じた。アヤメはベッドから飛び起き、寝間着姿のまま短剣を手に取って、部屋を飛び出し一階に駆け降りる。
するとリビングで眠っていたリュドミラとラスカーも、目を覚ましていた。
「アヤメさん!」
「お気づきになられましたか?」
「えぇ……」
アヤメも頷きながら短剣を手に身構える。するとリビングの窓やガラス戸が盛大に割られ、そこから黒装束の人物が数人なだれ込んできた。
三人は取り囲まれる。相手は顔も黒いマスクで隠されており、顔も表情も、そして性別すらも判断できない。
それでも臆することなく、アヤメは強気な表情で声を放つ。
「あなたたちは誰? この家に一体何の用があるのっ!?」
しかし黒装束たちは答えない。無言のままスッと腕を掲げる。
その瞬間――黒い霧がブワッと噴き出した。
「なっ!?」
アヤメたちはなす術もなく霧を吸い込んでしまう。
完全に先手を打たれた――そう思う間もなく、体から力が抜けていき、三人はそのまま床に倒れる。
急速に意識が遠のく。武器を持ちたくても力が全く出ない。
アヤメが最後に見たのは、黒装束たちがリビングから家の中へと移動していく姿であった。
そして――気がついたら朝になっていた。
「ん……あぁ、今何時……あれ?」
ボーッとした表情でアヤメが起き上がり、周囲を見渡す。
(リビング? 何でこんなところに……そもそもガラス戸や窓が割れて……)
そんな疑問が頭を漂い、そして思い出す。
「そうだ! 昨夜いきなり曲者が飛び込んできて……っ、ミナヅキは!?」
途轍もなく嫌な予感がしたアヤメは、二階のミナヅキの部屋へ向かう。そしてノックもせず乱暴にドアを開けると――
「……いない」
部屋はもぬけの殻だった。そしてもう一つの可能性を思いつき、アヤメは急いで一階に駆け降り、家の奥にある調合場へと向かう。
しかし――
「ここにもいない……いるならさっさと出てきなさいよ……」
思わず弱気な言葉を出してしまう。段々と最悪な事態が想像できてしまう。
そしてそれは――当たらずとも遠からずな結果となるのだった。
「アヤメさーん、ちょっと来てーっ!」
リュドミラの声が聞こえる。とりあえず調合場の扉を閉め、アヤメは再びリビングへと戻った。そこには重々しい表情のラスカーと、泣きそうな表情を浮かべているリュドミラがいた。
「これを見て、アヤメさん! テーブルの上に置いてあったの!」
リュドミラが一枚の紙切れを広げて見せる。それは手紙だった。
『男を返してほしければ、リュドミラを連れてメドヴィー王都へ来い。我々は常に見張っている。このことを誰かに言えば、男の命はないと思え』
確かにそう書かれている。それが何を意味するのかは、もはや考えるまでもないことだった。
「つまりミナヅキは、連れ去られたということね?」
「……うん」
重々しく頷くリュドミラ。アヤメはその手紙を受け取り、改めてじっくりと目を通してみる。やはり書いてあることに変わりはない。
「やってくれたわね」
小さくも低い声でアヤメが呟いた。
自分たちの安らぎの場所を踏み荒らされ、なおかつ愛する旦那を奪い去った。本気で怒らせるには、十分過ぎるにも程があるレベルであった。
「この私を怒らせるなんて、いい度胸してるじゃないの」
アヤメは手紙をグシャッと握り潰しながら、怒りで拳を震わせるのだった。
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