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序章

#9 事態の急変

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「う……そだろ…………!」
 リュシファーは、突然の物騒な言葉の登場に、まるで時間が止まったような衝撃を受ける。
「――本当。俺達も少し成長して、城の中を駆け回ったりして、うろちょろするようになってた。正妃の子であるエル兄と違って俺達妾の子は、別に部屋を出る時も、誰かが付いて来るわけでもなかったからな。……言ってみれば、いつでも俺達の命を狙う機会があったってわけだ」
 レティシアと二人、何度も殺されそうになったり、誘拐されそうになったりと、そんな目に遭って来たことを、ミグは平然と話している。
 毒殺、絞殺、転落事故、誘拐――どれも未遂ではあるものの、『リーディア様がお呼びです』という言葉で、人気のない場所に誘い込まれたりしたこともあったそうだ。そして、危険な目に遭いそうになったことを聞いた時、リュシファーはつい目頭を押さえた。
 まだ幼く、滅多に母親と会えなかった二人に、そんな言葉をかけたら、喜んで付いていくに決まっているのだ。
「あー……っくそ、何てことを……」
 リュシファーは、溢れそうになった涙が溢れないよう、夜空を見上げて息を吐いた。しかし、やはり涙は止まってはくれないようだ。
 リュシファーは、涙を見られないようミグを抱き締めた。
「…………っ」
「あれ? はは……お前泣いてんのか? 意外と涙脆いな……よしよし。平気だよ……過去の話だ。それに、全部回避できたから、今ここにいるんだぜ? 未遂だって言ったろ?」
「……お前が……こんな…………話……っ」
「……はは……ごめん」

 あの時、どういうわけか全て未遂で終わって、奇跡としか言いようがないと、皆、口々に言った。
 度重なる奇跡、偶然に、幸運の申し子だと言われ、きっと神様や精霊に祝福でもされ、守護されているに違いない――などとも言われた。
 レティシアが、西塔の塔上から転落しそうになった時は、奇跡が起きて、落下地点を考えると、絶対にあり得ない位置にある木の上に落ちていた。二人して誘拐されそうになった時は、既に城外であったが、偶然買い出ししていた執事に助けられ、絞殺されかけている時は、執事と魔法研究員が通りがかり、その足音がした途端に、犯人は逃走したので事なきを得た。しかし、今思うと執事は買い出しになど滅多に出ないと思うし、滅多に足を運ばないような場所に、執事や魔法研究院が通りがかる――そんな偶然あるのだろうか。
 何はともあれ助かったので良しとしよう。
 
 毒殺されそうになっていた時は、ミグは時々聞こえる不思議な声に助けられた。老人のしわがれた声だ。“忠告じじさま”――。いつからかそう呼んでいた。
『ほほほ、そりゃええの。忠告じじさまか』
 本人も、その呼び名を結構気に入ってくれているみたいだった。
 忠告じじさまからされる、予言のような忠告――。
『ん? ワシの気のせいじゃったかの……ま、そんな時もあるわい』
 外れてしまった時、忠告じじさまはそう言うものの、九十パーセント以上の高い確率でその通りとなっていたため、無視しても碌なことにはならないと、既に経験上、よく理解していた。

 その日、侍女がお茶と茶菓子を運んで来た時、久々にその声が、面倒くさそうに聞こえてきた。
『――やれやれ。……これ。聞こえておるか。片割れにも伝えろ。死にたくなかったら、茶も菓子も食うな』
『!』
 突然のその忠告に、ミグは慌ててレティシアが手に取ったお菓子を叩き落として、すぐにお茶も観葉植物の土にかけて空にした。ミグは息を切らしながら溜め息を吐いた。
 死にたくなかったら――とは、毒が入れられていたということだ。ミグは顔が青褪めた。
 老人の声は、うむ、と頷いたように言うと、いつも茶を運んで来る侍女ではなかったこと、手が震えていたこと、気にせず本を読んでいるレティシアとミグに勘付かれないか、チラチラと気にしていたことをミグに伝えると、今後もよく気を付けろと忠告した。
 ちなみに翌日、部屋の観葉植物は黒く変色し、翌々日には、枯れていた――。

「――色々、さ……既にレティと二人、危険な目に遭ってきたから、毎日警戒しながら過ごしてた。気をつけろとか……言われてもさ、それが、自分達が口にするものまでに及ぶとか……そんなの気付かないじゃん……。忠告じじさまが……教えてくれなかったら……レティはお菓子、口にしてたし……俺も、そうだったって思って。正直、怖くなって、お茶と菓子を奪われて、文句を言ってるレティに謝りながら、抱き寄せて泣いた。俺達が一体、何をしたっていうんだって。俺ひとりで、妹を守ってやれるのか……? どうして、殺されそうになってるのか……? いつまでこんなことが続くんだ……って思った。いつか……運なんて尽きて、死んじゃうんじゃないかって……怖くて、不安で……たまらなかった……っ」
 身体を震わせながら、ついに声を押し殺しながら泣き始めたミグが、幼い子供に思えた。
 そうだ。子供だったのだ。まだほんの五歳や六歳という幼さだった。
「……よく……生き延びたな……怖かったな……うん……よし……頑張った……」
 リュシファーはそう言いながら、ミグの背中を撫でた。

 しかし、なんて過去を生き延びて来たのか――。

 ミグが泣き止むのを待つ間、ふと、リュシファーは、この教育係の話が来た時のことを思い出した――。

 学院長直々に呼び出され、エンブレミア王国の宰相様が、国王直筆の書状を持ち、遠路はるばる俺に会いにお見えになったとのことで、レイモンド様とお会いした。
 受ける受けないの返事は、すぐにしなくても良いので、是非ともご検討いただけないだろうか――と、この話をいただいたものの、俺は悩まずにはいられなかった。
 教室に戻ってからも、俺は溜め息ばかり吐いていた。
『――おいおい。首席様がそんなに溜め息ばかり吐くとは、めーずらしい。何かあったのか? そういえば……さっき学院長が呼びに来てたよな。……お前、珍しく何かやらかしたのか?』
『はぁ……違う。お前と一緒にするな。ちょっとな……。遠方の大陸の……とある地位のあるお方の子供達の教育の面倒を頼まれた。生活面の監視役も、できる範囲で兼任――とのことだ。給料は破格過ぎるくらい破格、待遇面も申し分ない。ただ――』
『――そ……そんなお呼びがかかるとは。やっぱすげーな……お前。それで? どこなんだ? 遠方って。地位のあるお方って? つーか、破格の給料なんて、美味し過ぎるじゃねーか。何を悩む必要がある?』
『……はぁ。ルーセスト大陸、ここから遥か西の大陸だ。……その……驚いても絶対に声を上げるなよ……? 依頼主は、エンブレミア王国って国の――国王陛下だ……』
『な⁉︎ 何だって……⁉︎ ってことは、もしかして、子供ってゆーのは……?』
『そう、双子だそうだ。歳は十五。もしかしなくても、王子様と王女様の教育係、及び目付け役ってこと』
『はぁぁ? お……お前……そんな王室の教育担当に抜擢されるなんて、そんな御光栄なチャンス滅多にあるもんじゃないし、輝かしい経歴になるってことじゃないか。羨ましいくらいだぞ……? 何が不満だって言うんだ』
『――んー。確かにそうなんだが……。仮にもが、王子様と王女様の……言ってみれば、“お守り”だぞ?』
『リュシファー……。その、声をかけられたんだろう? あんまり図に乗っていると、いつか後悔するぞ?』
『そういうわけではないんだが……。ま、もう少し考えてみるよ……』
 リュシファーはその後、友人の言った通り、給料面、良い経歴となる事を考慮し、結局、前向きに検討し始めたものの、やはり思う所があったため、交渉条件を打診した。
 通常は試用期間を設ける目的は、雇い主側の方が、その人材を引き続き雇っても問題がなさそうであるか、判断したい意味合いの方が強いが、リュシファーは逆に、自分の方が雇われ先のエンブレミア王国で、三ヶ月間その業務に就いてみて、引き続き勤務しても問題がないと判断できたら、本就職させていただきたいと、何とも強気な申し出をしたのである。
 しかしそれは、本当に試用期間が欲しかったわけではなく、依頼主である国王陛下の熱量を測るため、申し出た事であった――。
 その交渉結果は――……

(――あっさり快諾されたことで、俺も意向が固まって、引き受けることにしたんだったな……。そのこともそうだが、アイツの言う通り、めちゃくちゃ図に乗っていた……! あ、あの時の俺を……殴れるものなら一発殴ってやりたい! 何も知らない癖に、固定概念に囚われ、二人のことをぬるま湯に――などと決め付け、うぁぁぁぁぁ。俺は何という事をっ。二人の前で土下座でもして、今すぐ謝罪しろと言いたい……! 本当にすまなかった。許してくれっ。あぁぁぁ……)
 リュシファーは、今更、反省してもしきれないほどに反省していた。

「……シファー? リュシファー?」
 リュシファーは、自分を呼ぶ声にハッと気が付いた。
「――あ、あぁ、ごっごめんっ。本当にすまなかった……!」
「えっ? ど、どうしたんだ。いや、そんなに謝らなくても、あはは。へーんなリュシファー」
 リュシファーは、脳内で何度も二人に土下座して謝っていて、気付かなかったことに苦笑を浮かべた。
「い、いや……す、すまん……えと、お前こそ大丈夫か……話すの辛かったら少し休憩でも」
「いや、ごめんな。ついちょっと思い出しちゃって……でももう大丈夫。話を続けよう……。それで、そろそろ本当に悲劇が起こりそうだって、誰もが嫌な予感がしていたわけなんだけど、実は父上も内密に動いていたんだ」
「え……⁉︎ じゃあもしかして、陛下は全部ご存知だったのか?」
 ミグは口元に笑みを作って頷いた。

 通称『聖剣エクスカリバー』……国王直属の命で、そうやって堂々と動くにはいかない問題を、裏で片付けて内密に処理をする特別な隠密部隊というのが、極秘に存在しているそうで、その正体も人数も不明だが、今も普通に使用人や兵に紛れてたりするらしい。
 その聖剣エクスカリバーによって、内密に調査され、時に対処されていたほぼ全てのことが、その国王の耳に入れられていたのだという。

「だけど、死人に口無しって言うだろう? 手を下した者達は、翌日には行方不明、謎の死、自決薬で自害――だとか、なかなか立証させられる証人を得られなくて。父上も悶々としていた。でもある日突然、事態は急変した――――」


 ――――突然の王妃の急死。


 因果応報か――。
 朝、遺体となって発見されたソフィア様は、とても穏やかな表情で亡くなっていた。
 死因は、急性的な心臓の病と表向きされたが、実際の所は原因不明の突然死だった。これにより、様々な噂が飛び交うようになってしまうこととなる。
 実は、第一発見者である侍女がこっそりと持ち出し、事実を隠蔽したが、ソフィアは闇魔法を使っていた。対象者の名前を入れた魔法陣を血文字――おそらくソフィアの血で描いた羊皮紙が、ソフィアのその手に、憎しみを込めるように握り締められていたのである。
 当然、書かれていたのは側妃とその子らの名前だった。ソフィアがどれだけ、側妃と側妃の子らを嫉妬していたのかが窺えたものの、正直、書かれていても決しておかしくはないのに、そこに国王エリックの名はなかった。
 もしかしたら、ソフィアはエリックのことを愛し続けていたのではないかと哀れまれたが、自身のこれまでの三人への行き過ぎた嫉妬と憎悪が、ついに闇魔法にまで及び、その報いを受けることとなってしまったのではないか――と侍女達の間だけで密かに噂された。
 しかし、聖剣エクスカリバーの存在を忘れてはいけない。その噂もやはり、しっかり国王の耳に入れられている。
 隠蔽した侍女が、自室に隠し持っていたその羊皮紙も、聖剣エクスカリバーに密かに持ち出され、調査もされたものの、どうやら一文字、二文字――魔法陣の字に間違いがあったため、発動は失敗に終わったことが判明した。
 そして、その闇魔法の失敗が何を意味するか――。
 それを考えれてみれば、死因は明らかであった。
 国王と聖剣エクスカリバー二名の間で、明らかになったこの事実。当然、やはり皆に知らされることはなかった。
 近しい当事者達だけの間――つまり、第一王子エルト、側妃リーディアとその子ら、それから宰相レイモンドにのみであった。口外などできる筈もないが、決して口外しないようにと言われて明かされたその真実は、母親を失ったという失意の中のエルトにとって、さぞ酷な話だっただろう。
「……明るみにはされないとはいえ、まだ子供だというのに、そんな母親の罪も……背負って生きなくてはならなくなったのか……。エルト様は、さぞお辛かっただろうな……」
「……うん……そうだね。それに、俺達とも今みたいな関係になるのには、時間がかかった。……結局、ソフィア様を失った原因は、やはり俺達のせいだって思って当然だしな……。ソフィア様がしようとしていた事は、いくら何でも許される事ではないと、頭では理解できても……どうしても母上を死に追いやったという思いは拭い去れなかっただろうし……。すぐに打ち解ける事はできなかった――えと、そこらへんの話もしたいけど、今は、一旦置いておくな……。色々ありすぎて、全部話してたら朝になっちゃうから」
「あ……あぁ。そうだな……」

 ソフィアの息がかかった使用人達にとって、ソフィアのその死は、自身の破滅を意味していた。
 国王エリックが、『一年間、喪に服した後、側妃リーディア様を、空席となる正妃に即位させる』という前代未聞の計画まで、城の者達の間で噂されていた。

 側妃リーディアが、正妃に――。その子であるレティシアとミグが、正妃の王子と王女に――。
 これが何を意味するかは、明らかであった。
 正妃となる元側妃や、正妃の子となる元側妃の子を、元だろうがなんだろうと、そうやって元妾や元妾の子と蔑むなど、言語道断になる。
 形勢逆転どころか、遥か高見に上りに上り詰めるのである。
 
 もともと、正妃ソフィアの子である第一王子エルトに対しては、畏まって礼儀正しい態度で接していた侍女達は、側妃の子のレティシアとミグ達には、自身の判断で二人への態度を自由にとっていた。本来は、エルト同様に畏まるべきなのではあるが、『必ず畏まった扱いをしなくてはならないわけではない。したい者はすればいいけど、妾の子なんかにと思う者は、特に待遇を良くなんてしなくても良い』と、暗黙の了解のような慣習があった。それは、これまでの側妃の子も同様だ。側妃自体に対しては、陛下の目もあるのでまともだったが、陰では蔑まれていた。
 その慣習から二人への待遇を、自身で判断して行ってきた者達は、ここに来て焦っていた。
 二人に優しくしていた者は、全く問題ないが、そうではなかった者がかなりいたのである。

 どんな報復を受けるだろうか――。下手したら罪に問われるかもしれない。どうしよう……。
 程度はどうあれ、心当たりのある使用人達は皆、形勢逆転の時を恐れた。
 そして、急に二人への態度を変えた――。
「急に、怖かった人も皆、ビクビクした感じで丁重に扱おうとしてきたり、畏まった感じになってさ。なんか気持ち悪いくらいだったよ……」
 しかし、これまで二人は、自分達に待遇よくしてくれている者と悪い待遇の者がいることに、違和感を感じてはいなかった。幼さ故に、“そういうもの”なんだと思って過ごしていた。
 そして既に全員、どんな人なのか分類済だった。
 いい人、嫌な人、どちらでもない人――。どちらかというといい人……といった区分から、さらに分類して、いつも優しい人、ニコニコ挨拶してくれていい人、おやつくれる人、冷たい人、通りすがりに溜め息吐いてきて感じ悪い人、冷たいかと思ったけど意外とそうじゃないかも……な人だとか、細かくその者達の詳細を評価済みであった。
 今更、態度を変えてきた者達は、『なんか急に顔色を窺ってくるようになった人』という新しい分類に分けられただけであった。……自業自得である。
 ソフィアの息がかかり、二人を冷遇するよう指示されていた者達は、殺そうとまではしていなかったものの、今やったら確実に罰せられる扱いを二人にしていたので、慣習によるもの以上の心当たりに怯えていた。
 
「……そんな中、レティの魔法訓練の事故が起きる。レティが放ったあの恐ろしい火炎の魔法……。あの火事を目撃した使用人は、レティを怒らせたら、あの魔法で消し炭にされるかもしれないと、仕返しを恐れてビクビクし始めた。でもレティは、事故後、時々、事故のことを思い出して怯える以外は、ぼーっと喋りもせずに、おとなしくしてるだけだ……。恐れるに足りないのは、誰が見てもわかるし……むしろ、精神が壊れちゃってて、可哀想でしかない。すると、今度は……レティがこうなったのは、ソフィア様の呪いのせいだ。“呪われた姫”だとかまで、好き勝手言い始めて……」
「……闇魔法を使った形跡も残されていたせいか」
「そうだろうな。……それで、いよいよ母上を正妃にするのが、どうやら噂ではなく本当らしいとわかった頃、ついに事件が起きる」
「事件――?」

続く
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