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「あ、いま、なんじだろう?」
ベッドに腰掛けたまま、ユイがふとこぼした。
ポテトチップスがぼろぼろベッドと床に落ちていた。
言われて鷹臣はスマートフォンを確認する。
鷹臣自身は幸いと言っていいのか、今日は休みだった。
「……10時42分、」
その数字を聞いた瞬間、ユイの表情が変わった。
一拍遅れて、眉が下がる。
「……パンやさん、まにあわない」
小さく、残念そうに呟く。
鷹臣は、その言葉を頭の中で転がした。
パン屋。昨夜見た、施設の名札。
(今日出勤日なのか…やってしまった、)
「でんわ、する」
ユイはかんたんスマホを取り出し、慣れた指の動きで発信する。
呼び出し音のあと、少し戸惑った声が聞こえた。
「はい、白河さん?」
ユイはスマホを耳には当てず、胸の前で持ち、はっきりと言った。
「きょうは、きらきらのホテルにいるので、おやすみします」
一瞬の沈黙。
「……え?」
電話口の困惑が、距離を越えて伝わる。
ユイは、それ以上説明しない。いや、説明の仕方を知らない。
鷹臣は、すっと手を差し出した。
「代わるよ」
スマホを受け取り、声の調子を整える。
「突然すみません。神崎と申します。
ちょっと事情があり、今朝はこちらでユイさんを保護しています」
簡潔に伝える。
余計なことは言わない。
「本人の体調と安全を優先し、今日はお休みさせてください」
電話口で、さらに数秒の間。
それから、理解の色が声に混じる。
「……わかりました。ありがとうございます」
通話を切り、スマホを返す。
ユイは、ほっとしたように息を吐いた。
「……でんわできたね」
「うん」
チェックアウトを済ませて外に出ると、朝の街はすでに動いている。
光が強く、人の足取りも軽い。
このままユイを家へ送り届けて、とりあえず今日の仕事は終わり。そう思っていていた鷹臣だったが。
「たかおみさん、ごはん」
ユイが、うわ言のように言った。
その目にはちょうどガラスケースに並べられたカフェメニューの食品サンプルが映る。
(…ここでいいか?いや、ここがいい、か…)
ユイに遠慮がちに袖を引っ張られ、そのままカフェに入ることになった。
窓際の席、鷹臣はメニュー表を一瞥して、短く言う。
「俺はコーヒーだけでいいかな」
ユイは、指でメニュー表の写真を追いながら、ひとつずつ確認ていく。
「ぱんけーきと、…いちごのパフェと、メロンソーダ、うえにアイスのやつ」
「胃もたれしそう…」
ほどなくして、主にユイが注文した品々で、テーブルが一気に賑やかになる。
鷹臣の呟きは、運ばれきた品々で塗りつぶされた。
ユイは目を輝かせて、ふわふわの髪を揺らした。
「おいしそう!
…あ、」
「ん?」
ユイは、かんたんスマホをテーブルの上に置き、ポケットから小さな財布を出す。
「おかね」
開くと、中には硬貨が数枚。
「よんひゃくえんなら、あるよ」
誇らしげに目を細めるユイに、鷹臣は思わず口元を緩めた。
とりあえず、可哀想というフィルターで見るのをやめてみようと思った。
「今日は、俺が出す」
「え?」
「パン屋に行けなかった代わりということで」
ユイは少し考えてから、ゆっくり頷いた。
「……じゃあ、ありがとう」
パンケーキに、フォークを入れる。
生クリームが崩れるのを見ながら、ユイは静かに言った。
「きょう、やすみだもんね?」
「そ、休み。帰ったら家帰ってゆっくりしてさ、」
鷹臣は、コーヒーを一口飲んだ。
苦い。でも、悪くなかった。
――
コーヒーの湯気が、ゆっくりと立ち上る。
ユイはパンケーキを一口運び、目を細めた。
「……おいしい」
「それはよかった」
鷹臣はカップを置き、少し間を取ってから言った。
「そういえばさ」
ユイが顔を上げる。
「昨日から、ユイのことばっかり聞いてたなと思って」
「……うん?」
「俺のこと、ちゃんと話してなかった」
ユイは、フォークを持ったまま首を傾げる。
「たかおみさん、だよ?」
「そう。神崎鷹臣。二十五歳。
仕事は……ただのサラリーマン。特別なことはしてない」
ユイは、真剣な顔で聞いていた。
「……わるいこと、しないひと」
「俺の評価、いいな」
ユイは誇らしげに被せた。
「ゆいはね、ひだまりベーカリーで、おしごとしてるよ」
「パン屋ね、」
「パン、すきなの」
「何パン?」
「めろんぱん!」
即答だった。鷹臣は思わず笑う。
「王道だな」
「おいしいよ」
呼応するみたいに、ユイも笑った。
しばらく、カトラリーの音だけが続く。
ふと、ユイが思い出したように言った。
「……たかおみさんの、なまえのカード、なくした」
「名刺?」
「うん。あったはずなのに」
鷹臣は、一瞬だけ視線を伏せた。
「……じゃあ、もう一回書こうか」
ポケットからペンを出し、紙ナプキンの端に名前を書いて差し出す。
「はい」
ユイはそれを受け取り、じっと見つめた。
「……なくさないように、ここにいれるね」
かんたんスマホを取り出し、連絡帳を開く。
画面に表示された文字を、一つずつ確かめるように入力する。
『たかおみさん』
「できた、でんわするね」
小さく、でも確かな声とともに鷹臣のスマホに着信履歴が表示された。
「ん、ありがとう」
(お友だちとあっくんと並ぶと複雑だけど…まぁ、これで連絡はとれるようになったし、)
その瞬間だった。
ぶる、とユイのスマホが震える。
一度。二度。
画面が光り、ユイの指が、止まった。
「……あ」
また、震える。
着信履歴が表示され、そのあと、短い通知音が続く。
SMSと不在着信の表示が交互に重なると、ユイの表情が目に見えて強張る。
「……大丈夫?」
鷹臣は静かに言い、ユイの手元からそっとスマホを取った。
画面を一度確認し、伏せて、テーブルの端に置く。
「あっくん、からだ」
鷹臣の問いかけに、ユイは小さく頷いた。
でも、目は置かれたスマホから離れない。
鷹臣は、声を落とした。
「ここでする話じゃないのは分かってるけど……お友だちのほかに、弟にも、わるいことされてる?」
ユイは、反射的に首を横に振った。
「ちがう……あっくんは、そういうのじゃ、ないよ」
言い切ろうとして、声が揺れた。
鷹臣は追い詰めないようにしながら、本当の事を聞き出そうとした。
ユイが"あっくん"をかばっているのが目に見えたから。
「本当?」
ユイはまた首を横に振った。
今度は、否定じゃない。
テーブルの上のスマホを、見つめる。
伏せられた画面。震えは、もう止まっている。
「……ほんとう、じゃない」
ユイの声は掠れ、目に涙が溜まる。
涙がこぼれないように細く長く息を吐きながら、瞬きを我慢していた。
「……いつも、いたい。こわい」
指が、テーブルの縁を掴む。
「でも……ゆいが、Ωだから……」
その先は、いつもの植え付けられた価値観。
鷹臣は何も言わずに、コーヒーのカップをユイの方へ少し寄せた。
「……とりあえず、今は、ここにいよう。
ごめんね、パンケーキおいしいのに、」
鷹臣はナプキンをユイにさしだすと、ユイは泣きそうな顔のまま、こくりと頷いて涙を拭いた。
カフェの中は、相変わらず賑やかだった。
誰も、こちらを見ていない。それでよかった。
いちごのパフェを頬張る頃には、ユイはまた笑顔を取り戻したのだった。
ベッドに腰掛けたまま、ユイがふとこぼした。
ポテトチップスがぼろぼろベッドと床に落ちていた。
言われて鷹臣はスマートフォンを確認する。
鷹臣自身は幸いと言っていいのか、今日は休みだった。
「……10時42分、」
その数字を聞いた瞬間、ユイの表情が変わった。
一拍遅れて、眉が下がる。
「……パンやさん、まにあわない」
小さく、残念そうに呟く。
鷹臣は、その言葉を頭の中で転がした。
パン屋。昨夜見た、施設の名札。
(今日出勤日なのか…やってしまった、)
「でんわ、する」
ユイはかんたんスマホを取り出し、慣れた指の動きで発信する。
呼び出し音のあと、少し戸惑った声が聞こえた。
「はい、白河さん?」
ユイはスマホを耳には当てず、胸の前で持ち、はっきりと言った。
「きょうは、きらきらのホテルにいるので、おやすみします」
一瞬の沈黙。
「……え?」
電話口の困惑が、距離を越えて伝わる。
ユイは、それ以上説明しない。いや、説明の仕方を知らない。
鷹臣は、すっと手を差し出した。
「代わるよ」
スマホを受け取り、声の調子を整える。
「突然すみません。神崎と申します。
ちょっと事情があり、今朝はこちらでユイさんを保護しています」
簡潔に伝える。
余計なことは言わない。
「本人の体調と安全を優先し、今日はお休みさせてください」
電話口で、さらに数秒の間。
それから、理解の色が声に混じる。
「……わかりました。ありがとうございます」
通話を切り、スマホを返す。
ユイは、ほっとしたように息を吐いた。
「……でんわできたね」
「うん」
チェックアウトを済ませて外に出ると、朝の街はすでに動いている。
光が強く、人の足取りも軽い。
このままユイを家へ送り届けて、とりあえず今日の仕事は終わり。そう思っていていた鷹臣だったが。
「たかおみさん、ごはん」
ユイが、うわ言のように言った。
その目にはちょうどガラスケースに並べられたカフェメニューの食品サンプルが映る。
(…ここでいいか?いや、ここがいい、か…)
ユイに遠慮がちに袖を引っ張られ、そのままカフェに入ることになった。
窓際の席、鷹臣はメニュー表を一瞥して、短く言う。
「俺はコーヒーだけでいいかな」
ユイは、指でメニュー表の写真を追いながら、ひとつずつ確認ていく。
「ぱんけーきと、…いちごのパフェと、メロンソーダ、うえにアイスのやつ」
「胃もたれしそう…」
ほどなくして、主にユイが注文した品々で、テーブルが一気に賑やかになる。
鷹臣の呟きは、運ばれきた品々で塗りつぶされた。
ユイは目を輝かせて、ふわふわの髪を揺らした。
「おいしそう!
…あ、」
「ん?」
ユイは、かんたんスマホをテーブルの上に置き、ポケットから小さな財布を出す。
「おかね」
開くと、中には硬貨が数枚。
「よんひゃくえんなら、あるよ」
誇らしげに目を細めるユイに、鷹臣は思わず口元を緩めた。
とりあえず、可哀想というフィルターで見るのをやめてみようと思った。
「今日は、俺が出す」
「え?」
「パン屋に行けなかった代わりということで」
ユイは少し考えてから、ゆっくり頷いた。
「……じゃあ、ありがとう」
パンケーキに、フォークを入れる。
生クリームが崩れるのを見ながら、ユイは静かに言った。
「きょう、やすみだもんね?」
「そ、休み。帰ったら家帰ってゆっくりしてさ、」
鷹臣は、コーヒーを一口飲んだ。
苦い。でも、悪くなかった。
――
コーヒーの湯気が、ゆっくりと立ち上る。
ユイはパンケーキを一口運び、目を細めた。
「……おいしい」
「それはよかった」
鷹臣はカップを置き、少し間を取ってから言った。
「そういえばさ」
ユイが顔を上げる。
「昨日から、ユイのことばっかり聞いてたなと思って」
「……うん?」
「俺のこと、ちゃんと話してなかった」
ユイは、フォークを持ったまま首を傾げる。
「たかおみさん、だよ?」
「そう。神崎鷹臣。二十五歳。
仕事は……ただのサラリーマン。特別なことはしてない」
ユイは、真剣な顔で聞いていた。
「……わるいこと、しないひと」
「俺の評価、いいな」
ユイは誇らしげに被せた。
「ゆいはね、ひだまりベーカリーで、おしごとしてるよ」
「パン屋ね、」
「パン、すきなの」
「何パン?」
「めろんぱん!」
即答だった。鷹臣は思わず笑う。
「王道だな」
「おいしいよ」
呼応するみたいに、ユイも笑った。
しばらく、カトラリーの音だけが続く。
ふと、ユイが思い出したように言った。
「……たかおみさんの、なまえのカード、なくした」
「名刺?」
「うん。あったはずなのに」
鷹臣は、一瞬だけ視線を伏せた。
「……じゃあ、もう一回書こうか」
ポケットからペンを出し、紙ナプキンの端に名前を書いて差し出す。
「はい」
ユイはそれを受け取り、じっと見つめた。
「……なくさないように、ここにいれるね」
かんたんスマホを取り出し、連絡帳を開く。
画面に表示された文字を、一つずつ確かめるように入力する。
『たかおみさん』
「できた、でんわするね」
小さく、でも確かな声とともに鷹臣のスマホに着信履歴が表示された。
「ん、ありがとう」
(お友だちとあっくんと並ぶと複雑だけど…まぁ、これで連絡はとれるようになったし、)
その瞬間だった。
ぶる、とユイのスマホが震える。
一度。二度。
画面が光り、ユイの指が、止まった。
「……あ」
また、震える。
着信履歴が表示され、そのあと、短い通知音が続く。
SMSと不在着信の表示が交互に重なると、ユイの表情が目に見えて強張る。
「……大丈夫?」
鷹臣は静かに言い、ユイの手元からそっとスマホを取った。
画面を一度確認し、伏せて、テーブルの端に置く。
「あっくん、からだ」
鷹臣の問いかけに、ユイは小さく頷いた。
でも、目は置かれたスマホから離れない。
鷹臣は、声を落とした。
「ここでする話じゃないのは分かってるけど……お友だちのほかに、弟にも、わるいことされてる?」
ユイは、反射的に首を横に振った。
「ちがう……あっくんは、そういうのじゃ、ないよ」
言い切ろうとして、声が揺れた。
鷹臣は追い詰めないようにしながら、本当の事を聞き出そうとした。
ユイが"あっくん"をかばっているのが目に見えたから。
「本当?」
ユイはまた首を横に振った。
今度は、否定じゃない。
テーブルの上のスマホを、見つめる。
伏せられた画面。震えは、もう止まっている。
「……ほんとう、じゃない」
ユイの声は掠れ、目に涙が溜まる。
涙がこぼれないように細く長く息を吐きながら、瞬きを我慢していた。
「……いつも、いたい。こわい」
指が、テーブルの縁を掴む。
「でも……ゆいが、Ωだから……」
その先は、いつもの植え付けられた価値観。
鷹臣は何も言わずに、コーヒーのカップをユイの方へ少し寄せた。
「……とりあえず、今は、ここにいよう。
ごめんね、パンケーキおいしいのに、」
鷹臣はナプキンをユイにさしだすと、ユイは泣きそうな顔のまま、こくりと頷いて涙を拭いた。
カフェの中は、相変わらず賑やかだった。
誰も、こちらを見ていない。それでよかった。
いちごのパフェを頬張る頃には、ユイはまた笑顔を取り戻したのだった。
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