【完結】わるいこと

さか様

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繋いだ手の温度が、少しずつ遠くなる。

歩きながら、ユイの意識は外ではなく、内側へ沈んでいった。
現実の音はあるのに、膜を一枚挟んだみたいに、はっきりしない。

ヒートの時はいつも記憶が曖昧だった。

明也が家に来てからは、まず時間が壊れる。
昼なのか夜なのか、何日目なのかも分からなくなる。

『もっと強請ってみろ、』
『ゆっくり舐めろ』
『奥まで咥え込めよ』

言葉の意味はよくわからなかった。

近づいては、離れる。
触れられては、途中でやめられる。

泣いてパニックになっても殴られて終わる。
だから絨毯の硬いところを必死に掴んで、流されないようにする。
あの角に指を引っ掛けているうちは、まだ大丈夫。

『項なんか噛んでやらない』
『もっと我慢しろ』
『早く潮、吹けよ』
『頭も尻も緩すぎだろ、飽きた』

言葉だけが、同じ形で繰り返される。
拒まれているわけじゃない。
でも、終わらせてもくれない。

やっと許可が出る頃には、身体の方が先に壊れていた。すべてがおざなりになる。

声の温度がもっと下がって、目を合わせなくなって。
終わったあとの処理は、決まって冷たかった。

『ヒートの処理してもらえるだけありがたいと思ってよ』
『ガキできたら困るから、早くこれ緊急避妊薬飲んで』
『本当に飲んだの?飲んだふりしてガキ作って俺のこと脅すつもりでしょ』
『口開けて、舌も、出して』

できているかどうかだけを確かめられる。
“大丈夫”かどうかじゃない。

ユイは、従うだけの役目だった。
それ以外の役目は、最初から与えられていない。

それが“守られている”ことだと、そう教えられてきた。

記憶はところどころ抜けているのに、身体の感覚だけが、いやに正確だった。

(あそこに、かえる…)

胸の奥が、ゆっくり沈む。
音もなく、底が見えないまま。

隣を歩く人の存在が、少しだけ、遠くて、重い。

(……たかおみさん)

名前を浮かべて、すぐに消す。
思ってはいけない、と判断する前にそうしていた。

困らせたくない。嫌われたくない。

だから、言わない。
だから、考えない。

ユイは、繋いだ手を、少しだけ強く握り直した。

――

一方で、鷹臣は歩調を乱さないようにしていた。

抑制剤は、まだ完全には効いていない。
喉の奥が乾き、背中にじっとりと汗が滲む。

自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。
それを悟られないように、意識して整える。

隣のユイは、気づいていない。
いや、気づけない。

それが、今は救いだった。

会話はないが、その沈黙は自然でも安心でもない。

昼下がりの街は相変わらず平和で、無関心だ。
その中を、二人は手を繋いで歩いている。

まるで、何も起きていないみたいに。
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