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古いアパートの前に着くころ、ふたりの息は上がっていた。
抑制剤を飲んだαとヒートのΩ。
それ以前に、ここ数日の内容が濃すぎて心も体も疲弊した。
特に、鷹臣は。
ユイには日常なのかもしれないが、その日常はあまりにも浮世離れしていた。
外壁は色あせ、階段の手すりは錆びつき、郵便受けには、何日分かわからないチラシが溜まっている。
「ここだよ」
ユイが、何の躊躇もなく指差した。
二階の端。
鍵は少し引っかかりながら、ぎこちなく回った。
中は、古びたワンルームだった。
狭い玄関。靴は揃っていない。
床には脱ぎっぱなしの上着と、コンビニの袋。
「……きたないけど、どうぞ」
ユイが先に入り、鷹臣を招く。
部屋は、散らかっていた。
誰かが“住んでいる”痕跡はあるのに、
“守られている”感じが、どこにもない。
目に入るものが、次々に突き刺さる。
空のペットボトル。
読みかけのマンガ。
コンビニのお菓子の袋。
未開封のコンドームの箱。
ページが折れた成人向け雑誌。
ビニール袋に入った、アダルトグッズの説明書。
蓋の閉まっていない、強い抑制剤のボトル。
鷹臣は、息を止めた。
(……ヒート中のΩを、ここに一人で?)
危険すぎる。
αとして以前に、人として――理性が、はっきり警鐘を鳴らす。
「あ、ちが……」
鷹臣が衝撃を受けているのを勘違いしたのか、ユイが慌てて、コンドームと雑誌を拾い集める。
隠そうとして、落として、また拾って。
なかなかうまくいかない。
「……みちゃ、だめ」
声が掠れている。ヒートの熱か、わずかな羞恥かその頬は赤く染まっている。
鷹臣は視線を逸らしたまま、静かに言った。
「あー、無理に片付けなくていいよ」
ユイの手が止まる。
「……だってね、これは、ゆいのじゃないの……あっくんが……」
まただ。
言いかけて、口を閉じる。
名前が、喉の奥で引っかかる。
鷹臣は、確認するように訊き返した。
「……ここに来てる?」
ユイは少し間を置いて、小さく頷いた。
「……たまに」
“たまに”は、多分たまにではない。
そう判断するには、十分すぎた。
「親は?」
「……げんき、です」
「一緒に住んでる?」
「……ない、」
「生活費は」
「……まいつき、ちょっと、ふりこまれるよ」
責任だけ切り離された関係。
干渉しない代わりに、守らない。
鷹臣は、ゆっくり息を吐いた。
(……ここにひとりで置けるわけがない)
ヒート中で、明也が出入りしている場所。
抑制剤の管理もされていない。
――自分の家に連れて行くリスクは、分かっている。
抑制剤を飲んだとはいえ、ヒート中のΩを自宅に招くことの意味は理解している。
理性と責任が、正面衝突する。
それでも、鷹臣は決断した。
「ユイ」
「なに?」
「今日は、ここで寝ない」
ユイの目が揺れる。
「……だめ?」
「うん、危ないから」
即答だった。
ユイは、しばらく考えてから、床を見下ろした。
たくさん考えて、「あ、わかった」と、抑制剤のボトルを掴む。
「ゆい、これ、のむね」
量も確かめず、錠剤を口に放り込む。
「ちょ、待――」
鷹臣が制止する間もなく、水も飲まずに飲み下す。
「……あっくんがね、いつもこうして、まっててって」
悪びれず、にこっと笑う。
「ひーとの…おにごっこ、するの」
鷹臣の背中に、冷たいものが走る。
欲を鬼に見立てて、感覚をコントロールして、弄ぶ。
ヒートと暴力と性行為が、子供の遊びの言葉で上書きされていた。
「たかおみさんのおうち、おとまりかい…したいな」
無邪気な声。
目を細め微笑む顔が、ちぐはぐで色っぽく見えてしまい、あまりにも残酷だった。
鷹臣は、視線を外し深く息を吸う。
(……選ぶしかない)
「……うん、しよう」
少しだけ、沈黙があった。
ユイは、ぱっと顔を明るくした
これは衝動じゃない。覚悟の返事だった。
ユイは、鼻歌を歌いながら必要なものを適当にバッグに詰める。
成人向け雑誌も、抑制剤も、区別なく。
鷹臣は止めなかった。
今は、“連れ出す”ことが最優先だった。
ユイがぽつりと言う。
「……きょう、つかれたね」
「ああ、」
これから背負う責任の重さは、どれくらいなのだろう。
鷹臣はそんなことを考えながら、スマホでタクシーを手配した。
抑制剤を飲んだαとヒートのΩ。
それ以前に、ここ数日の内容が濃すぎて心も体も疲弊した。
特に、鷹臣は。
ユイには日常なのかもしれないが、その日常はあまりにも浮世離れしていた。
外壁は色あせ、階段の手すりは錆びつき、郵便受けには、何日分かわからないチラシが溜まっている。
「ここだよ」
ユイが、何の躊躇もなく指差した。
二階の端。
鍵は少し引っかかりながら、ぎこちなく回った。
中は、古びたワンルームだった。
狭い玄関。靴は揃っていない。
床には脱ぎっぱなしの上着と、コンビニの袋。
「……きたないけど、どうぞ」
ユイが先に入り、鷹臣を招く。
部屋は、散らかっていた。
誰かが“住んでいる”痕跡はあるのに、
“守られている”感じが、どこにもない。
目に入るものが、次々に突き刺さる。
空のペットボトル。
読みかけのマンガ。
コンビニのお菓子の袋。
未開封のコンドームの箱。
ページが折れた成人向け雑誌。
ビニール袋に入った、アダルトグッズの説明書。
蓋の閉まっていない、強い抑制剤のボトル。
鷹臣は、息を止めた。
(……ヒート中のΩを、ここに一人で?)
危険すぎる。
αとして以前に、人として――理性が、はっきり警鐘を鳴らす。
「あ、ちが……」
鷹臣が衝撃を受けているのを勘違いしたのか、ユイが慌てて、コンドームと雑誌を拾い集める。
隠そうとして、落として、また拾って。
なかなかうまくいかない。
「……みちゃ、だめ」
声が掠れている。ヒートの熱か、わずかな羞恥かその頬は赤く染まっている。
鷹臣は視線を逸らしたまま、静かに言った。
「あー、無理に片付けなくていいよ」
ユイの手が止まる。
「……だってね、これは、ゆいのじゃないの……あっくんが……」
まただ。
言いかけて、口を閉じる。
名前が、喉の奥で引っかかる。
鷹臣は、確認するように訊き返した。
「……ここに来てる?」
ユイは少し間を置いて、小さく頷いた。
「……たまに」
“たまに”は、多分たまにではない。
そう判断するには、十分すぎた。
「親は?」
「……げんき、です」
「一緒に住んでる?」
「……ない、」
「生活費は」
「……まいつき、ちょっと、ふりこまれるよ」
責任だけ切り離された関係。
干渉しない代わりに、守らない。
鷹臣は、ゆっくり息を吐いた。
(……ここにひとりで置けるわけがない)
ヒート中で、明也が出入りしている場所。
抑制剤の管理もされていない。
――自分の家に連れて行くリスクは、分かっている。
抑制剤を飲んだとはいえ、ヒート中のΩを自宅に招くことの意味は理解している。
理性と責任が、正面衝突する。
それでも、鷹臣は決断した。
「ユイ」
「なに?」
「今日は、ここで寝ない」
ユイの目が揺れる。
「……だめ?」
「うん、危ないから」
即答だった。
ユイは、しばらく考えてから、床を見下ろした。
たくさん考えて、「あ、わかった」と、抑制剤のボトルを掴む。
「ゆい、これ、のむね」
量も確かめず、錠剤を口に放り込む。
「ちょ、待――」
鷹臣が制止する間もなく、水も飲まずに飲み下す。
「……あっくんがね、いつもこうして、まっててって」
悪びれず、にこっと笑う。
「ひーとの…おにごっこ、するの」
鷹臣の背中に、冷たいものが走る。
欲を鬼に見立てて、感覚をコントロールして、弄ぶ。
ヒートと暴力と性行為が、子供の遊びの言葉で上書きされていた。
「たかおみさんのおうち、おとまりかい…したいな」
無邪気な声。
目を細め微笑む顔が、ちぐはぐで色っぽく見えてしまい、あまりにも残酷だった。
鷹臣は、視線を外し深く息を吸う。
(……選ぶしかない)
「……うん、しよう」
少しだけ、沈黙があった。
ユイは、ぱっと顔を明るくした
これは衝動じゃない。覚悟の返事だった。
ユイは、鼻歌を歌いながら必要なものを適当にバッグに詰める。
成人向け雑誌も、抑制剤も、区別なく。
鷹臣は止めなかった。
今は、“連れ出す”ことが最優先だった。
ユイがぽつりと言う。
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鷹臣はそんなことを考えながら、スマホでタクシーを手配した。
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