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季節は、確かに進んでいた。
朝の光は高く、以前よりもはっきりと床を照らす。
空気はまだ涼しさを残しているが、窓を開けると、どこか甘い匂いが混じった。
それはもう、「特別」ではない日々だった。
ユイはカラーをつけたまま眠り、目覚め、出かける。
朝、並んで歯を磨き、どちらが先にシャワーを使うかで小さく譲り合い、出勤前になんとなく触れる指先。
その日も、一日が始まった。
――
変化は、唐突ではなかった。
むしろ、気づこうとしなければ見逃せる程度のものだった。
ある朝、ユイはパンを焼くのをやめた。
トースターの前で立ち止まり、少しだけ眉を寄せる。
「……きょう、いい」
「いらない?」
「うん。なんか……」
言葉を探すように首を傾げて、それ以上は言わない。
鷹臣は何も言わず、トースターのスイッチを切った。
代わりに、冷たい牛乳をコップに注ぐ。
「じゃあ、ヨーグルトにする?」
「……うん」
選択肢が変わるだけで、問題はなかった。
その後ユイは普通に笑って、鷹臣と一緒に支援施設までの道のりを歩いた。
――
眠気が抜けにくくなったのは、数日後だった。
ソファに座ったまま、ユイがこくりと頭を落とす。
声をかけると、慌てたように瞬きをして顔を上げる。
「……ごめん、ねてた」
「いいよ。疲れてる?」
「うーん……」
曖昧な返事。
本人も、理由が分かっていない。
そのまま毛布をかけると、ユイは素直に身を委ねた。
それを見ながら、鷹臣は胸の奥に小さな引っかかりを覚える。
(……疲れてる?のかな、)
ヒートの話が出たのは、夜だった。
食後、食器を洗い終えて、二人でソファに並んでいるとき。
ユイが、ふと首元のカラーを指でなぞった。
「……ねえ」
「ん?」
「ゆい、さいきん……こないね」
一瞬、何の話か分からなかったが、すぐに理解する。
「……ヒート?」
「うん」
声は軽い。
困っているというより、気づいたことを報告する調子だった。
鷹臣は、少し考えてから答える。
「ズレることは、あるって言ってたよね」
「うん、いつもばらばらだったから」
「ストレスとか、生活変わったりするとさ」
ユイは納得したように頷く。
「……そっか、じゃあ、だいじょうぶかな」
そのまま話題は途切れた。
けれど、鷹臣の中には、今朝より少し重い引っかかりが残った。
――
数週間。
ユイ自身に大きな異変はなかった。
ただ、眠気や食欲の振れ幅がいつもよりあった。
ある夕方、帰り道で、パン屋の前を通りかかった。
焼き上がりを知らせるベルと、甘い香り。
ユイは、ぴたりと足を止めた。
「……」
「どうした?入る?」
「……なんでもない、」
それだけ言って、でも入ろうとはしなかった。
鷹臣は一瞬迷ってから言った。
「明日、休みだしさ」
ユイを見る。
「……一回、病院行ってみる?」
声音は、あくまで日常の延長だった。
ユイは、少し考えてから頷く。
「……うん、いく」
その一言は、落ち着いていた。
――
その夜。
ユイは、先にベッドに入って、珍しくすぐに眠った。
鷹臣は明日の予定を頭の中でなぞりながら、静かに横になる。
あの日の心と体の傷がある。念の為、診てもらうだけ。
(……何もなければ、それでいい)
天井を見つめながら、そう思う。
ユイが寝返りを打ち、無意識に距離を詰めてくる。
その小さな体温を手放したくなくて、鷹臣はそっと腕を回した。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく、胸の内で繰り返す。
カーテンの向こうで、街は静かに夜を深めていった。
朝の光は高く、以前よりもはっきりと床を照らす。
空気はまだ涼しさを残しているが、窓を開けると、どこか甘い匂いが混じった。
それはもう、「特別」ではない日々だった。
ユイはカラーをつけたまま眠り、目覚め、出かける。
朝、並んで歯を磨き、どちらが先にシャワーを使うかで小さく譲り合い、出勤前になんとなく触れる指先。
その日も、一日が始まった。
――
変化は、唐突ではなかった。
むしろ、気づこうとしなければ見逃せる程度のものだった。
ある朝、ユイはパンを焼くのをやめた。
トースターの前で立ち止まり、少しだけ眉を寄せる。
「……きょう、いい」
「いらない?」
「うん。なんか……」
言葉を探すように首を傾げて、それ以上は言わない。
鷹臣は何も言わず、トースターのスイッチを切った。
代わりに、冷たい牛乳をコップに注ぐ。
「じゃあ、ヨーグルトにする?」
「……うん」
選択肢が変わるだけで、問題はなかった。
その後ユイは普通に笑って、鷹臣と一緒に支援施設までの道のりを歩いた。
――
眠気が抜けにくくなったのは、数日後だった。
ソファに座ったまま、ユイがこくりと頭を落とす。
声をかけると、慌てたように瞬きをして顔を上げる。
「……ごめん、ねてた」
「いいよ。疲れてる?」
「うーん……」
曖昧な返事。
本人も、理由が分かっていない。
そのまま毛布をかけると、ユイは素直に身を委ねた。
それを見ながら、鷹臣は胸の奥に小さな引っかかりを覚える。
(……疲れてる?のかな、)
ヒートの話が出たのは、夜だった。
食後、食器を洗い終えて、二人でソファに並んでいるとき。
ユイが、ふと首元のカラーを指でなぞった。
「……ねえ」
「ん?」
「ゆい、さいきん……こないね」
一瞬、何の話か分からなかったが、すぐに理解する。
「……ヒート?」
「うん」
声は軽い。
困っているというより、気づいたことを報告する調子だった。
鷹臣は、少し考えてから答える。
「ズレることは、あるって言ってたよね」
「うん、いつもばらばらだったから」
「ストレスとか、生活変わったりするとさ」
ユイは納得したように頷く。
「……そっか、じゃあ、だいじょうぶかな」
そのまま話題は途切れた。
けれど、鷹臣の中には、今朝より少し重い引っかかりが残った。
――
数週間。
ユイ自身に大きな異変はなかった。
ただ、眠気や食欲の振れ幅がいつもよりあった。
ある夕方、帰り道で、パン屋の前を通りかかった。
焼き上がりを知らせるベルと、甘い香り。
ユイは、ぴたりと足を止めた。
「……」
「どうした?入る?」
「……なんでもない、」
それだけ言って、でも入ろうとはしなかった。
鷹臣は一瞬迷ってから言った。
「明日、休みだしさ」
ユイを見る。
「……一回、病院行ってみる?」
声音は、あくまで日常の延長だった。
ユイは、少し考えてから頷く。
「……うん、いく」
その一言は、落ち着いていた。
――
その夜。
ユイは、先にベッドに入って、珍しくすぐに眠った。
鷹臣は明日の予定を頭の中でなぞりながら、静かに横になる。
あの日の心と体の傷がある。念の為、診てもらうだけ。
(……何もなければ、それでいい)
天井を見つめながら、そう思う。
ユイが寝返りを打ち、無意識に距離を詰めてくる。
その小さな体温を手放したくなくて、鷹臣はそっと腕を回した。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく、胸の内で繰り返す。
カーテンの向こうで、街は静かに夜を深めていった。
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