【完結】わるいこと

さか様

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夜更け、雨音が窓を叩いていた。
強くもなく、弱くもない、同じ調子の音が延々と続いている。

春は近いはずなのに、部屋の空気はまだ冷たく、湿っていた。
カーテンの隙間から街灯の光が滲み、天井に淡い影を落としている。

鷹臣はベッドの上で仰向けになり、目を閉じていた。
眠ってはいない。
ただ、動かないようにしている。

少し距離を取って敷いた布団の上で、ユイは何度も寝返りを打っていた。

布団が擦れる音。
抑えきれない吐息。
浅く、途切れがちな呼吸。

(……ヒート、来てる)

空気が違うことを互いの身体が察していた。
甘さの奥に、切実さと焦りが混じった匂いが広がっている。

抑制剤は飲んでいるが、本能が完全に眠ることはない。

鷹臣は、意識してゆっくり息を吐いた。

――そのとき。

「……うっ」

布団の上で、ユイが小さく身を縮めた。

胸の奥が焼けるように熱い。
皮膚の内側を、何かがじわじわと這い回る。
喉が渇いているのに、水には手が届かない。

(……おもい、ひーと)

いつものヒートとは、明らかに違っていた。
波が高く、引く気配がない。

そして、勝手に過去の記憶まで引きずり出される。

求められた夜と拒めなかった身体。
楽にしてやると囁かれて、何度も差し出した熱。

とにかく苦しくて、考える余裕なんてなかった。

「……たかおみ、さん……」

呼ぶつもりは、なかった。

ユイははっとして、すぐに両手で自分の口を塞いだ。
大きく首を振る。

(だめ、だめ、だめ……)

戻れなくなると思った。
だから欲しがる声を、外に出してはいけない。

目を開けると、暗がりの中でユイの輪郭が見える。
布団の中で丸くなり、肩を小さく震わせている。

その仕草を見た瞬間、鷹臣の胸が強く締めつけられた。

鷹臣はベッドを降り、布団の脇に腰を下ろした。
いつもの手を伸ばせば届く距離だった。

「……ユイ」

意識して声を抑える。
欲に振り回されたくない、鷹臣の抵抗だった。

ユイは、口を塞いだまま、涙を滲ませて首を振る。
呼吸が乱れている。

「……ちがうよ……」

上ずり掠れた声が続く。

「……いま、ほしいって……いっちゃ、だめだよ……」

自分に言い聞かせるような言葉だった。

鷹臣は、ゆっくり息を吸い、そしてユイを抱きしめた。

ユイの額を胸元に近付け、背中に腕を回す。
互いのフェロモンを嫌でも感じてしまうが、もう遅い。

「……呼吸、合わせられる?」

そう言って、わざとゆっくり息をする。

ユイの身体は最初はびくりと強張ったが、やがて、少しずつ鷹臣の呼吸に引きずられていく。

「……つらいよな」

鷹臣の声は、低く掠れていた。

「楽になる方法は……俺もユイも、知ってる。
でも、それを選ぶと……ユイの未来が、変わらない」

正直な言葉に、ユイの肩が大きく揺れた。

「……でも、こわい……」

欲してしまう自分と、流されそうになる感覚。

「……大丈夫だから」

鷹臣は、ユイの背中をゆっくり撫でた。
何も起こさないために、一定のリズムで。

「ユイは壊れてない。
欲しくなるのは……生きてるから」

ユイは、しばらく声を出さずに泣いていた。
やがて、小さく鷹臣の服を掴む。

「……まだ、しない…?」

「うん、」

ヒートは、すぐには引かない。
波のように、何度も押し寄せる。

それでも鷹臣は、抱きしめた腕を緩めなかった。
流されれば、楽だと知っている。
満たせば、幸せだと知っている。

それでも――今は、選ばない。

夜が深まり、雨音が弱まるころ、ユイの呼吸が、ようやく安定してきた。

鷹臣の胸に顔を埋めたまま、ユイは浅い眠りに落ちる。

窓の向こうがわずかに白み始めたころ、鷹臣は目を閉じたまま、ユイとの未来を想った。

(……待つよ)

それは条件でも、我慢でもない。
未来を信じる、ただそれだけの選択だった。

重くのしかかった夜は、静かに二人の間を通り過ぎていった。
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