【完結】わるいこと

さか様

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とある夕方、テレビの中で静かなナレーションが流れていた。
草原を歩く動物の親子。
小さな命が、必死に母のあとを追いかけている。

ユイは床に座り込み、クッションを抱えたまま画面を見ていた。
風呂上がりの髪はまだ乾ききっていなくて、カラーを外した首元が少し冷たい。

「……ねえ」

ソファに腰掛けていた鷹臣が顔を上げる。

「なに?」

ユイは、画面を指差した。

「どうぶつも、あかちゃんでうむの?」

そう言いながら、何の迷いもなく鷹臣の前に立ちはだかり、向きを変えると、無防備にお尻を向けた。

「ここ、」

指で示したのは、なんとも曖昧な位置だった。
知識としては間違っていないが、仕草が妙に無邪気で――鷹臣の喉が、かすかに鳴った。

(……今のは、)

試されているわけじゃない。
煽っている自覚も、きっとない。

ただ、安心しているだけだ。
時間を重ねて、戻ってきた日常の中で、ユイが「怖がらなくなった」証拠とも言える。

それでも、鷹臣は視線を逸らそうとして、できなかった。

そんな鷹臣を尻目に、ユイは鼻歌混じりで、噛み跡のあった場所を指でなぞっている。
もう話は次へ勝手に進んでしまったらしい。

消えかけた痕。
それでも、そこに「繋がっている記憶」だけが残っている。

(特別な意味なんてない、)

鷹臣は、心の中でそう言い聞かせる。
しかし、ひとりの好きな相手として見えてしまうのは、止められない。

「……ユイ」

名前を呼ぶ声が、思ったより低くなった。
ユイはぱっと振り返る。

「なあに?」

無邪気な、何も知らない笑顔を向ける。

それが、余計にまずい。

鷹臣は立ち上がった。距離が一気に近づく。

「それ……そういうふうに見えるって、分かってる?」

「え?」

首を傾げた、その瞬間。
鷹臣は、耐えきれずにユイの頬に手を伸ばす。

ユイは反射的に息を呑んだ。
距離が詰まるだけで、空気が変わる。

「……たかおみ、さん……?」

名前を呼んだ声が、思ったより柔らかく溶けた。
鷹臣は一度だけ目を伏せてから、そっとそのままユイの頬に手を添えた。

唇が、重なる。
深く、離さない。

(伝わってほしい、)

「……んっ」

ユイの喉から、小さな音が漏れた。
それを合図みたいに、鷹臣はほんの少しだけ角度を変える。

「ごめ……」

ユイが言いかけた言葉は、途中で溶ける。

「……ぁ、ふ……」

呼吸が、うまく整わない。
唇が離れたと思った瞬間、また触れる。

「ごめ、なさ…?…っん……」

謝るたびに、声が揺れる。
キスの合間に、必死に言葉を探すみたいに。

鷹臣は一度、額を合わせた。

「……違う。謝らなくていいよ」

いつもより艶っぽい鷹臣の声。
それだけで、ユイの心臓が跳ねる。

(どう、して…?)

ユイは、無意識に手を伸ばしていた。
鷹臣の胸元に、触れようとして――

「だめだよ」

その手首を優しく、でも確かに取られる。

強くはないし、逃げられないわけでもない。

「……ぁ」

ユイは、きょとんと瞬きをする。

「いま、それすると……俺が、止まれなくなる」

言葉は静かで、どこか自嘲気味だった。
ユイはしばらく考えてから、小さく頷く。

「……ごめ……」

「いや、謝らなくていいよ」

鷹臣は、困ったように笑って、もう一度だけキスを落とした。

今度は、短く。

名残を残すための、最後の触れ方。

「……ねえ、くすぐったい……」

ぽつりと零れたその一言が、あまりに無防備で。
鷹臣は、思わず息を吐いて笑ってしまった。

「それ、今言う?」

「だって……」

ユイも、つられて笑う。
熱の残ったまま、でも、どこか楽しそうに。

鷹臣は、ユイの手首を離し、代わりに指先を軽く絡めた。

「……可愛い、」

そう言って距離を取る声が、少しだけ名残惜しそうだった。

ユイはまだ頬を赤くしたまま、首を傾げる。

「……あ…えっち、しない?」

鷹臣は一瞬だけ目を逸らしてから、苦笑する。

「……それ、後で俺が大変になりそう。
それに、ユイ、明日パン屋さん早かったでしょ」

ユイは分からないままの顔で頷く。

(…そのままでいい、今は)

ソファに座り直した二人の間には、まだ互いの体温が少しだけが残っていた。

――

夜、灯りを落とした寝室は静かだった。

同じベッドに並んで横になり、シーツの感触を確かめるように、ユイはもぞもぞと身体を動かしている。

鷹臣は目を閉じて、眠ろうと呼吸を整えていた。

「……たかおみさん…さっきの……いっぱいの、きす……」

小さな声で言い淀んでから、勇気を出したみたいに続ける。

「……また、してほしい」

鷹臣は、一瞬だけ目を閉じた。

(それ、今言うの反則だろ……)

確実に、先へ行きたくなる。
自分がどんなふうに触れてしまうかも、はっきり想像できてしまう。

だから――

「……だーめ」

きっぱり言う代わりに、体を少しユイの方へ向ける。

「今日は、それしたら……俺が、絶対止まれなくなる」

ユイは少し考えてから、しょんぼりした顔で「……そっか」と呟いた。
その様子が、鷹臣からすればまた危なっかしい。

鷹臣は、ふっと息を吐いてから、おもむろにユイの脇腹に手を伸ばした。

「え、」

次の瞬間。

「……くすぐったっ、えっ、なに……!」

不意打ちのように、指先で背中や脇をくすぐった。

「や、まって……っ、ふふっ」

ユイは笑い声をこらえきれず、身体をよじらせる。

「……ぁっ、たかおみさん、ずるい……」

「ずるくていいよ」

鷹臣はそう言いながら、加減を間違えないように、軽く、でも逃がさないようにくすぐり続ける。

「ほら、ほら、参った?」

「……ふっ、も、むり……」

笑い疲れたユイは、やがて力が抜けてシーツに沈み込む。

呼吸が乱れ、頬が赤い。

「…は、ぁっ…つかれた……」

「でしょ」

鷹臣は、今度はくすぐるのをやめて、ユイの眉毛を指先で軽く撫でた。

「今日は、寝る日ね」

「…ん……」

ユイは、まだ少し笑いを残した声で返事をして、そのまま目を閉じる。

しばらくすると、呼吸がゆっくりになっていく。

鷹臣は、ユイが完全に眠ったのを確かめてから、そっと距離を詰めた。

「……おやすみ」

小さく囁いて、今度こそ自分も目を閉じた。
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