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洗濯機の回る音が、一定のリズムで部屋に響いている。
ユイはその前にしゃがみ込み、透明な窓の向こうでぐるぐる回る衣類をじっと見つめていた。
「……あ、そうだ」
何か思いついたように立ち上がり、エプロンを掴んで身につける。
今日の仕事は休みで、ゆっくりしていていいはずだが、それでもユイは、やけに張り切っていた。
テーブルを拭き、床を掃き、冷蔵庫の中を確認しては首を傾げる。
順番も効率もめちゃくちゃだが、動きだけはやたらと多い。
ダイニングでは、鷹臣がノートパソコンを開いて仕事をしていた。
キーボードを打つ指は止まらないが、視線はときどきユイの方へ流れてしまう。
(……元気?だな)
それがまず、少しだけ胸に引っかかる。
ユイは鼻歌まじりでマグカップを並べ、インスタントコーヒーにお湯を注ぐ。ドリップコーヒーは豆をこぼしてしまって駄目だった。
「たかおみさん」
「ん?」
「コーヒー、のめる?」
「……ありがとう」
受け取ったコーヒーは少しお湯が多めで薄い色だった。
それでも、鷹臣は何も言わずに一口飲む。
ユイはそれを見て、満足そうに頷いた。
(……気を遣わせている?)
問いかけは、仕事の合間に何度も浮かんでくる。
鷹臣が少し言葉を減らしていることも、考え事が増えていることも、ユイはきっと正確には分かっていない。
ユイなりに、考えて人のために動くというのは初めてに近かった。
「ゆいがね、」
いつの間にか脱水まで終わった洗濯物を干しながら、ユイは唐突に言った。
「げんきにしてたら、たかおみさんも、げんきになるかなって」
洗濯ばさみをひとつ落として、首を傾げる。
「そういうの、あるでしょ?」
説明はうまくはできない。
ただ、自分が元気なら相手も元気になる気がするという考えのようだった。
鷹臣は、返事をするまでに少し時間がかかった。
「……優しい、」
そう言うと、ユイはぱっと笑う。
「えへへ」
その笑顔が、救いになる瞬間もあれば、
同時に、胸の奥を締めつける瞬間でもあった。
――
仕事中、何度目かわからないが、ふと鷹臣の手が止まる。
画面の文字が頭に入らなくなり、昨夜の会話、選択、そして“結果”がよぎる。
合意だった。
気持ちもあった。
未来の話も、逃げずにしている。
それでも、「してしまった」という感覚だけが、底に残る。
夕方、仕事を終えた鷹臣が椅子から立ち上がると、ユイが駆け寄ってきた。
「おわった?」
「ああ」
「…つかれた?」
少しだけ、様子をうかがう瞳と視線がぶつかる。
鷹臣は長く目を合わせられず、視線を逸した。
「……ちょっと、ね」
ユイはそれを聞いて、少し考え込む。
そして、何の前触れもなく言った。
「じゃあ……えっちは?する?!」
あまりにも唐突で、場違いで、しかも、なぜかちょっと怒っているような言い方だった。
逸した視線は再びユイに戻された。
「……え?」
鷹臣が思わず聞き返すと、ユイは腕を組んでむっとする。
「だって!えっちしたら、げんきになるかなって……」
言いながら、自分でもよく分からなくなってきたのか、眉が寄る。
「……あれ?ならない?」
その様子があまりにも真剣で、でも、ずれていて。
鷹臣は、思わず小さく笑ってしまった。
「ユイ」
呼ばれて、ユイは顔を上げる。
「そんなこと、簡単に言わないで」
責める声じゃない。
でも、少し困った声だった。
ユイは一瞬きょとんとして、それから少し照れたように視線を逸らす。
「……だめ?」
「あー、いや…だめ、じゃないけど」
鷹臣は言葉を探しながら、また少しだけ笑う。
「それは……ちょっと違うかも」
ユイはしばらく考えてから、素直に言った。
「……んー、むずかしいね」
「うん」
そう言いながらもユイがここにいて、声をかけてくれること自体が、鷹臣にとっては十分すぎるほどだった。
「……ちょっと、げんきになった?」
少し間を置いて、ユイが聞く。
鷹臣は一瞬だけ迷ってから、正直に答える。
「……そうだね、ちょっと」
鷹臣は咄嗟に、それ以上を求めてはいけない気がした。
これはユイの問題じゃなく、自分の中に残っているものだ。
その答えに、ユイは満足そうに目を細めて頷いた。
「よかった」
ユイはその前にしゃがみ込み、透明な窓の向こうでぐるぐる回る衣類をじっと見つめていた。
「……あ、そうだ」
何か思いついたように立ち上がり、エプロンを掴んで身につける。
今日の仕事は休みで、ゆっくりしていていいはずだが、それでもユイは、やけに張り切っていた。
テーブルを拭き、床を掃き、冷蔵庫の中を確認しては首を傾げる。
順番も効率もめちゃくちゃだが、動きだけはやたらと多い。
ダイニングでは、鷹臣がノートパソコンを開いて仕事をしていた。
キーボードを打つ指は止まらないが、視線はときどきユイの方へ流れてしまう。
(……元気?だな)
それがまず、少しだけ胸に引っかかる。
ユイは鼻歌まじりでマグカップを並べ、インスタントコーヒーにお湯を注ぐ。ドリップコーヒーは豆をこぼしてしまって駄目だった。
「たかおみさん」
「ん?」
「コーヒー、のめる?」
「……ありがとう」
受け取ったコーヒーは少しお湯が多めで薄い色だった。
それでも、鷹臣は何も言わずに一口飲む。
ユイはそれを見て、満足そうに頷いた。
(……気を遣わせている?)
問いかけは、仕事の合間に何度も浮かんでくる。
鷹臣が少し言葉を減らしていることも、考え事が増えていることも、ユイはきっと正確には分かっていない。
ユイなりに、考えて人のために動くというのは初めてに近かった。
「ゆいがね、」
いつの間にか脱水まで終わった洗濯物を干しながら、ユイは唐突に言った。
「げんきにしてたら、たかおみさんも、げんきになるかなって」
洗濯ばさみをひとつ落として、首を傾げる。
「そういうの、あるでしょ?」
説明はうまくはできない。
ただ、自分が元気なら相手も元気になる気がするという考えのようだった。
鷹臣は、返事をするまでに少し時間がかかった。
「……優しい、」
そう言うと、ユイはぱっと笑う。
「えへへ」
その笑顔が、救いになる瞬間もあれば、
同時に、胸の奥を締めつける瞬間でもあった。
――
仕事中、何度目かわからないが、ふと鷹臣の手が止まる。
画面の文字が頭に入らなくなり、昨夜の会話、選択、そして“結果”がよぎる。
合意だった。
気持ちもあった。
未来の話も、逃げずにしている。
それでも、「してしまった」という感覚だけが、底に残る。
夕方、仕事を終えた鷹臣が椅子から立ち上がると、ユイが駆け寄ってきた。
「おわった?」
「ああ」
「…つかれた?」
少しだけ、様子をうかがう瞳と視線がぶつかる。
鷹臣は長く目を合わせられず、視線を逸した。
「……ちょっと、ね」
ユイはそれを聞いて、少し考え込む。
そして、何の前触れもなく言った。
「じゃあ……えっちは?する?!」
あまりにも唐突で、場違いで、しかも、なぜかちょっと怒っているような言い方だった。
逸した視線は再びユイに戻された。
「……え?」
鷹臣が思わず聞き返すと、ユイは腕を組んでむっとする。
「だって!えっちしたら、げんきになるかなって……」
言いながら、自分でもよく分からなくなってきたのか、眉が寄る。
「……あれ?ならない?」
その様子があまりにも真剣で、でも、ずれていて。
鷹臣は、思わず小さく笑ってしまった。
「ユイ」
呼ばれて、ユイは顔を上げる。
「そんなこと、簡単に言わないで」
責める声じゃない。
でも、少し困った声だった。
ユイは一瞬きょとんとして、それから少し照れたように視線を逸らす。
「……だめ?」
「あー、いや…だめ、じゃないけど」
鷹臣は言葉を探しながら、また少しだけ笑う。
「それは……ちょっと違うかも」
ユイはしばらく考えてから、素直に言った。
「……んー、むずかしいね」
「うん」
そう言いながらもユイがここにいて、声をかけてくれること自体が、鷹臣にとっては十分すぎるほどだった。
「……ちょっと、げんきになった?」
少し間を置いて、ユイが聞く。
鷹臣は一瞬だけ迷ってから、正直に答える。
「……そうだね、ちょっと」
鷹臣は咄嗟に、それ以上を求めてはいけない気がした。
これはユイの問題じゃなく、自分の中に残っているものだ。
その答えに、ユイは満足そうに目を細めて頷いた。
「よかった」
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