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番外編

番外編3「水科家の人々」3話 

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「最近、咲が『リアル・エリカ様には嫌われたくないから』って、自分の行動に気を使うようになったのよ」
「咲が!?」
 百合子の言葉に誰よりも驚いたのが篤樹だった。
「そうなの。あれほどお兄ちゃんたちを困らせていたのに、最近はとてもおとなしくなったのよ。これも依里佳ちゃんのお陰ね」
 篤樹が口元を引きつらせながら兄へと目をやると、幸希は口元を緩ませてうなずいた。
「確かに、最近はデートの邪魔はされなくなったし、ワガママもほとんど言わなくなったよ。デザイナーになりたいって勉強も始めたみたいだ。うちのデザイン部門の人間とコンタクトも取っているらしい」
「咲が……?」
 篤樹がその細めた目に疑いを孕ませている。どうやら百合子や幸希の言葉がにわかには信じられないようだ。
 咲の以前の行動によほど辟易していたのがうかがえる。
「――ちなみに依里佳、咲とはどんな風にやりとりしてた?」
 依里佳と咲は初めて会った日に連絡先を交換し、その後も頻繁にスマートフォンでのやりとりをしていた。主に咲の方からメッセージが来ているのだが、時間がある時は依里佳から出すこともあった。
 篤樹はその内容を確認したいようだ。
「えっと……普通のやりとり、だけど? 変なメッセージは来てないよ?」
「ほんとに?」
「最初の内は、『エリカ様の誕生日は九月ですが、依里佳様はいつですか?』とか、エリカ様と私を比較したかったみたいでいろいろ聞かれたけど、最近は普通の話ばかりしてたよ?」
「そっか……」
 一応納得したような口振りだったが、その表情は釈然としないものだった。
 その時、客間のドアがノックされた。
「旦那様にお電話が入っておりますが」
 コードレスフォンの受話器を持った静恵が、開いた扉から姿を現した。
「あぁ、分かった。――ちょっと失礼するよ」
 依里佳に対して会釈をし、嘉紀が退室した。篤樹が苦笑う。
「相変わらず忙しそうだね、父さんは。お盆休みもないんだろ?」
「そうねぇ。何とか一日だけは休めるようにはしたみたいだけど。……あ、そうだわ、篤樹、あなたパソコンとか得意よね? 今日新しいパソコンが来たんだけど、インターネットに繋いでくれないかしら。業者にお願いするの忘れてしまって」
「えー……後で兄貴にやってもらえばいいだろ?」
「幸希はこういうの苦手なのよ。……ごめんなさいね依里佳ちゃん、ちょっと篤樹借りるわね? 幸希、依里佳ちゃんのお相手よろしくね」
 そんな会話を繰り広げた末に、依里佳と幸希を残して百合子が篤樹を連れて行ってしまった。
「……」
 いきなり篤樹の兄と二人きりにされ、依里佳は困り果てた。営業先の人間なら何とか話を繋ぐことも出来るが、何しろ相手は篤樹の家族だ。緊張していて何を話したらいいのか浮かばない。
 ふと見ると、幸希がクスクスと笑っていた。
「ど、どうかされました?」
 依里佳が不安げに尋ねると、
「……いや、母がわざとらしく篤樹を連れて行ったな、と思って。僕は普通にネットくらい繋げるからね、本当は」
「じゃあどうして……」
「僕が依里佳さんと話をしたい、って、前もって母に言っておいたんだ」
 幸希は見た目の精悍さとは相反し、とても穏やかな声遣いで話す。そういうところは篤樹に似ているな、と依里佳は思った。
「お話……ですか」
「そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ。別に取って食おうってわけじゃないし」
「は、はい」
 そうは言っても自然と背筋が伸びてしまうもので。依里佳は軽く腰を上げてソファに座り直した。それを確認した後、幸希が口を開いた。
「僕たちの生い立ちのこと、篤樹から聞いている?」
「い、一応……」
「じゃあ、母と僕たちに血の繋がりがないことも知っているよね?」
「はい」
「聞いていると思うけど、実母は生まれた僕たちをほとんど抱っこしたこともないくらいの人でね。僕は割と図太い性格だから、早々にあの人に【母親】を求めることを放棄してしまったんでまだよかったんだ。でも篤樹は……僕よりも幼かったこともあるけれど、どんなに冷たくされても、笑ってあの人を慕い続けてたんだよ。だけど突き放されている内に、やっぱりだんだんと笑えなくなってきて……そして遂に――」

『少しは愛想よくして媚びてみたらどうなのよ! この役立たず!』

 篤樹の心を深く傷つけた凶器とも言える言葉が、実母の留美子から放たれた。同時に、彼女は実の息子を突き飛ばしたため、幼かった篤樹は倒れたはずみでタイル張りの床に頭を打ち、気を失ってしまった。
 留美子は篤樹に構うことなく外出してしまい、彼はそのまま十五分ほど放置されていた。
 使用人が発見したのと同時に篤樹は意識を回復し、すぐに病院で検査してもらったのだが、彼は気を失う直前の記憶を失っていたらしい――唯一、母親から受けた刃のような一言のみをその幼い脳内に残して。
「そんなことが……」
 篤樹からはそこまで詳しくは聞いていなかったため、幸希が語った事実にショックを隠しきれない依里佳。
「幸いそれ以外の異常は認められなかったから、すぐに帰宅出来たけれど。それ以降、篤樹は実母に近づくのを異様に怖がるようになったんだ。それはそれであの人の気に障ったようで、僕たちを見るたびに口汚く罵ってきてね。さすがにそこまですると使用人たちにも伝わって。実母の代わりに僕たちを育ててくれた使用人が虐待の証拠を集めてくれたんだ。だから父も親権を取って離婚することが出来た」
 改めて聞くと、本当に残酷でむごいと思った。
 蓮見家は水科家のような素封家ではないけれど、依里佳は家族からの愛情を一身に受けて育ってきて。支えてくれる家族がいたからこそ、外で嫌な目に遭っても乗り越えられた。
 篤樹がそんな自分を敬遠することなく、結婚を前提とした恋人として選んでくれたのは、もしかしたら奇跡のような出来事なのではないかと。
 依里佳は身体が震えた。
「だから常日頃から『結婚するなら絶対に子供好きの女性ひとがいい』と言っていた篤樹が、電話で『理想の女性と出逢った』って嬉しそうに報告してくれた時は、僕も本当に嬉しかったんだ」
 心緩んだ表情の幸希。本当に篤樹のことを思っているのが見て取れる。
(あぁ、そうか……)
 篤樹にもいるのだ。つらい時に支えてくれる家族ひとたちが。家族に対する愛情を知っているのだ。だからこそ、依里佳を選んでくれたのだ。
 水の甘さを知っているホタルのように。
「――だから、一度はこうして話してみたかった。依里佳さん、一つ聞きたいんだけど……君は篤樹のどこが好き?」
 いきなりの質問に面食らうも、依里佳は躊躇うことなく、
「篤樹さんは、私の景色を鮮やかにしてくれた人です」
 と、切り出した。
 今までルックスだけで勝手に人物像を作り上げられて、そこから外れていると分かると幻滅されてきた。けれど篤樹は、これまで貶されてきた自分の本質や嗜好をことごとく掬い上げ、長所へと変えてくれた。見た目だけでなく、ちゃんと中身も愛してくれる。そして、依里佳が家族をとても大事にしていることを知った上で、ともに大切に思ってくれている。
 篤樹は依里佳の澱や憂いをなぎ払い、見えるものすべてを色濃くしてくれたのだ。
 そう幸希に語った。
「――よかった」
 幸希が安堵を滲ませた口調で呟いた。
「はい?」
 彼の小さな声を聞き取れなかった依里佳が聞き返す。
「篤樹が本当に理想の女性に巡り会えて。本当に安心したよ」
「あ……ありがとう、ございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです」
 幸希が居住まいを正し、改めて依里佳に向き直る。
「依里佳さん、さっきも言ったけれど、改めて、弟を……篤樹を末長くよろしくお願いします」
 深々と頭を垂れる幸希に、依里佳も慌てて同様に下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
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