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2話
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崎本昴は未央が入社した時には既に【横綱】と呼ばれていた。何故【王子】でも【プリンス】でも【貴公子】でもなく【横綱】なのか──相撲経験者だったわけでも、ましてや体型が横綱級だったわけでもない。
本人が持つスペックと会社で置かれている環境が、いつの間にか崎本に【西の横綱】という称号を与えていた。本人は「その称号は喜んでいいのか?」と苦笑しているが。
「はー、西の横綱は本日もイケメンですな」
「ねー」
「美形だし爽やかすぎだしガツガツしてないし。どうしてあの人サラリーマンなんかやってんだろ」
「まぁ、イイ男なんて自然と女が寄って行くんだから、ガツガツする必要ないしなぁ」
「だね」
「観賞するにはもってこいの男ですな」
「観てる分には、だね」
「あ~あ、俺も女に不自由しない生活送ってみてぇなぁ」
社員食堂で女性社員の麻巳子と聡美が、少し離れた席に座って昼食を取っている崎本をネタに酒……ならぬ食後のコーヒーを飲んでいる。その隣で同じく男性社員の成田が崎本と自分を比べてぼやく。未央は三人と一緒にコーヒーを飲みながら、ふと思った。
(確かに、傍から鑑賞してる分には目の保養になる人だよね……)
「実際つきあったら精神的に疲弊しそう」
「いろいろ心配で夜眠れなくなりそうだもんね」
「そーいえば! 崎本さん、前に【ヴィーナスリップ】で下着買ってたんだって。二課の安斉さんが見たらしいよ!」
【ヴィーナスリップ】とは、某国内下着メーカーが展開している女性用ランジェリーブランドで、主にデザイン性の高い華やかなランジェリーを取り扱っている。当然ながら男性にとっては敷居の高い分野の商品ではあるが【男性が選ぶ女性へのランジェリー】というコンセプトの元に男性客をターゲットとする店舗も存在している。
「うわぁ……それって彼女に!?」
「すげぇ……俺なんてデパートの女性下着売り場の横通るのもちょっと恥ずかしいのに」
「あと年上美女とつきあってて、月に何度も桜浜のタワーマンションに通ってるとか聞いたことあるよ」
「あ~、ありそう」
「一夜限りとかでなら相手してくれそうだけど、つきあうとか絶対無理ですわ」
「一夜限りどころか、そういうことしないでフラれた子も結構いるらしいよ?」
「ひ~、余裕あるぅ」
「【本気になったらダメ。ゼッタイ。】だもんねぇ」
「くっそ、そんなキャッチフレーズつけられてみてぇよ」
「ここまで天から二物も三物も与えられた人ってなかなかいないよねぇ」
「東西横綱くらいじゃん? うちの会社だと」
「だよねだよね」
天から何物も与えられたと評される崎本は、一八〇を優に超える身長に長い手脚、スラリとしたスタイル――スーツを華麗に着こなすのに恵まれた体躯を持っている。そして端正ここに極まれりといった整った顔立ちは美形と評されるに相応しい。その眉目秀麗さは一見近寄りがたい印象を周囲に与えている。
しかし普段の崎本は、その物腰の柔らかさと明るい性格でもって周囲に溶け込んでいるので、その美形ぶりに臆することなく皆が彼に懐く。当然ながら社内で彼を狙っている女性社員は相当数存在する。
誰もが崎本のことを【明るく裏表のない好青年】だと言う。「人に好かれる天賦の才を持っている」とまで言い切る人間までいた。
確かに崎本は人を魅了するオーラをまとっている。同僚や上司には誠実さを備えたナチュラルカラー、取引先に対しては折り目正しい淡彩色など、いずれも人当たりがよく、ルックスが秀麗なこともあり評判もすこぶるつきでいい。同僚の前で未央をからかう時でさえ、清涼飲料水のCMが如き爽やかな色で覆われている。この清爽さたるや、もう生まれ持った才能の一部と言ってもいい。
しかし、未央と二人きりになるとそのオーラが一変する──爽やかからはほど遠い原色そのものだ。一度未央を捕らえたら、すべてをその色で塗りつぶしそうなほど、鮮やかで、濃い。
一度同僚たちに崎本のオーラについて尋ねたことがあった。『崎本さんのオーラって、時々怖くない?』と切り出してみたところ、『そんな風に思うの未央だけだよぉ。いつもからかわれてるからそう見えるんじゃない?』と、一笑に付されてしまった。それ以来、未央はその話をするのをやめた。
(誰が【明るく裏表のない好青年】よ……あんなにガラリと雰囲気変える人、見たことない)
未央は崎本をちらりと見ながらカップを口元に運んだ。
「っていうか崎本さんって、未央のことペットか何かと思ってるよね、絶対」
「ペットというより、ネコに弄ばれるネズミみたいだよね~。トムとジェリーの逆バージョン、って感じ」
「ちょっ、ネズミ、って……私のこと?」
いきなり自分のことに言及され、思わずコーヒーを噴きそうになる。
「でも崎本さん、意外と西村のこと本気だったりして? だってあの人があんなにからかうの西村だけじゃん。ってか、俺はそうであってほしい! あの人が早く誰かのものにならないと他の女子たちの目がこっちに向いてもくれねぇよ」
「もしそうだったら、未央快挙!」
「あ、あれ見て」
麻巳子が崎本が座っている方向を指さした。彼の元に一人の女性が近づき、そして当然のように隣に腰を下ろしたのだ。
「わ……秘書課の芹沢さんじゃん」
「うわぁぁ! 彼女も横綱狙いか! チクショウ!」
「成田、泣くな! ……ってかあんた芹沢さん狙ってたの? すごいチャレンジャー」
「うっせぇ。好きなくらいいいじゃねぇか!」
彼らが話題にしているのは、芹沢真澄という今年入社したばかりの新人のことである。受付に配属された秘書課員であり、その中でも一番の美女と言われるほどの美貌の持ち主である。秘書課で一番ということは【=会社で一番】と言っても過言ではなく、当然ながら彼女を狙っている男性社員は山のようにいるわけで。そんな真澄が崎本に好意を寄せているとあっては、大半の社員は彼女を諦めざるを得ないだろう。
真澄は誰もが魅了されそうな輝く笑みで崎本に話しかける。それに対し、崎本は模範解答のような爽やかこの上ない笑顔で返している。
「ベッタベタじゃん。肩に頭寄せたりしてもう、あざとい! 可愛いけどあざとい!」
「でもそこでデレデレしたりしないところが崎本さんだね~。さり気な~く離れてるし。さすが横綱」
「あんな美人にベタベタされても平然としてるなんて、東西横綱くらいじゃねぇの?」
「だねー。でも東の横綱はもう奥さんいるしね」
「だから西の横綱を狙ったのかねぇ」
うんうん、と頷き合う同僚たち。そこへ、
「ここ、座るぞー」
唐突に上から声が降って来た。未央と同じ部署の門真優がトレーを持って未央の隣へ腰を下ろした。
「えらく話盛り上がってんじゃん? 何の話?」
「あ、崎本さんの話ですー。ほら、あの芹沢さんが一緒にいるんですよ?」
「おー、美男美女だなぁ」
門真が示された方向を見て感心したように漏らした。
「芹沢さんは明らかに崎本さん狙ってるのが分かるんですけど、崎本さんがどう考えてるのか分からないんですよねぇ」
「あんまり人のこと面白おかしく話すなよ~。人の噂で振り回されるイケメンも結構大変なんだぞ。ちなみにそれは俺のこと……ではないけどな」
「あ、それって東の横綱のことですか? 門真さん同期ですもんね」
「そそ、あいつ昔『人の据え膳まで食う』とか『またいだだけで女を妊娠させる』とか言われてたから。まぁ、実際はそんなヤツじゃないんだけどさ。イイ男もラクじゃねぇなぁ、って思ったね、俺は」
「へぇ~。でも門真さんだってイイ男じゃないですか!」
「ね~、可愛いもんね~。アイドルみたい」
門真は未央の四年先輩であるが、童顔でアイドルのような顔をしている上に面倒見もいいので、男女問わず後輩から親しまれていた。
「おまえら、俺の入社の頃のあだな知ってる? 【わんこ】だぜ?」
「あ~、門真さん、確かにわんこっぽいもんね!」
「うんうん、豆柴、ってカンジ!」
「営業先のおねーさま方にも可愛がられてるって聞いてますよぉ?」
「……西村、笑いたかったら我慢しないで笑っていいんだぞ? そんなに気を使ってくれなくていいから」
門真が黙って俯いたまま震えている未央の背中を叩いた。
「──す、すみません……っ。あまりにも的確すぎるというか……っ、あ、すみません」
「いいよいいよ、気にすんな」
そう苦笑して言うと、門真は自分の食事に手をつけ始めた。
本人が持つスペックと会社で置かれている環境が、いつの間にか崎本に【西の横綱】という称号を与えていた。本人は「その称号は喜んでいいのか?」と苦笑しているが。
「はー、西の横綱は本日もイケメンですな」
「ねー」
「美形だし爽やかすぎだしガツガツしてないし。どうしてあの人サラリーマンなんかやってんだろ」
「まぁ、イイ男なんて自然と女が寄って行くんだから、ガツガツする必要ないしなぁ」
「だね」
「観賞するにはもってこいの男ですな」
「観てる分には、だね」
「あ~あ、俺も女に不自由しない生活送ってみてぇなぁ」
社員食堂で女性社員の麻巳子と聡美が、少し離れた席に座って昼食を取っている崎本をネタに酒……ならぬ食後のコーヒーを飲んでいる。その隣で同じく男性社員の成田が崎本と自分を比べてぼやく。未央は三人と一緒にコーヒーを飲みながら、ふと思った。
(確かに、傍から鑑賞してる分には目の保養になる人だよね……)
「実際つきあったら精神的に疲弊しそう」
「いろいろ心配で夜眠れなくなりそうだもんね」
「そーいえば! 崎本さん、前に【ヴィーナスリップ】で下着買ってたんだって。二課の安斉さんが見たらしいよ!」
【ヴィーナスリップ】とは、某国内下着メーカーが展開している女性用ランジェリーブランドで、主にデザイン性の高い華やかなランジェリーを取り扱っている。当然ながら男性にとっては敷居の高い分野の商品ではあるが【男性が選ぶ女性へのランジェリー】というコンセプトの元に男性客をターゲットとする店舗も存在している。
「うわぁ……それって彼女に!?」
「すげぇ……俺なんてデパートの女性下着売り場の横通るのもちょっと恥ずかしいのに」
「あと年上美女とつきあってて、月に何度も桜浜のタワーマンションに通ってるとか聞いたことあるよ」
「あ~、ありそう」
「一夜限りとかでなら相手してくれそうだけど、つきあうとか絶対無理ですわ」
「一夜限りどころか、そういうことしないでフラれた子も結構いるらしいよ?」
「ひ~、余裕あるぅ」
「【本気になったらダメ。ゼッタイ。】だもんねぇ」
「くっそ、そんなキャッチフレーズつけられてみてぇよ」
「ここまで天から二物も三物も与えられた人ってなかなかいないよねぇ」
「東西横綱くらいじゃん? うちの会社だと」
「だよねだよね」
天から何物も与えられたと評される崎本は、一八〇を優に超える身長に長い手脚、スラリとしたスタイル――スーツを華麗に着こなすのに恵まれた体躯を持っている。そして端正ここに極まれりといった整った顔立ちは美形と評されるに相応しい。その眉目秀麗さは一見近寄りがたい印象を周囲に与えている。
しかし普段の崎本は、その物腰の柔らかさと明るい性格でもって周囲に溶け込んでいるので、その美形ぶりに臆することなく皆が彼に懐く。当然ながら社内で彼を狙っている女性社員は相当数存在する。
誰もが崎本のことを【明るく裏表のない好青年】だと言う。「人に好かれる天賦の才を持っている」とまで言い切る人間までいた。
確かに崎本は人を魅了するオーラをまとっている。同僚や上司には誠実さを備えたナチュラルカラー、取引先に対しては折り目正しい淡彩色など、いずれも人当たりがよく、ルックスが秀麗なこともあり評判もすこぶるつきでいい。同僚の前で未央をからかう時でさえ、清涼飲料水のCMが如き爽やかな色で覆われている。この清爽さたるや、もう生まれ持った才能の一部と言ってもいい。
しかし、未央と二人きりになるとそのオーラが一変する──爽やかからはほど遠い原色そのものだ。一度未央を捕らえたら、すべてをその色で塗りつぶしそうなほど、鮮やかで、濃い。
一度同僚たちに崎本のオーラについて尋ねたことがあった。『崎本さんのオーラって、時々怖くない?』と切り出してみたところ、『そんな風に思うの未央だけだよぉ。いつもからかわれてるからそう見えるんじゃない?』と、一笑に付されてしまった。それ以来、未央はその話をするのをやめた。
(誰が【明るく裏表のない好青年】よ……あんなにガラリと雰囲気変える人、見たことない)
未央は崎本をちらりと見ながらカップを口元に運んだ。
「っていうか崎本さんって、未央のことペットか何かと思ってるよね、絶対」
「ペットというより、ネコに弄ばれるネズミみたいだよね~。トムとジェリーの逆バージョン、って感じ」
「ちょっ、ネズミ、って……私のこと?」
いきなり自分のことに言及され、思わずコーヒーを噴きそうになる。
「でも崎本さん、意外と西村のこと本気だったりして? だってあの人があんなにからかうの西村だけじゃん。ってか、俺はそうであってほしい! あの人が早く誰かのものにならないと他の女子たちの目がこっちに向いてもくれねぇよ」
「もしそうだったら、未央快挙!」
「あ、あれ見て」
麻巳子が崎本が座っている方向を指さした。彼の元に一人の女性が近づき、そして当然のように隣に腰を下ろしたのだ。
「わ……秘書課の芹沢さんじゃん」
「うわぁぁ! 彼女も横綱狙いか! チクショウ!」
「成田、泣くな! ……ってかあんた芹沢さん狙ってたの? すごいチャレンジャー」
「うっせぇ。好きなくらいいいじゃねぇか!」
彼らが話題にしているのは、芹沢真澄という今年入社したばかりの新人のことである。受付に配属された秘書課員であり、その中でも一番の美女と言われるほどの美貌の持ち主である。秘書課で一番ということは【=会社で一番】と言っても過言ではなく、当然ながら彼女を狙っている男性社員は山のようにいるわけで。そんな真澄が崎本に好意を寄せているとあっては、大半の社員は彼女を諦めざるを得ないだろう。
真澄は誰もが魅了されそうな輝く笑みで崎本に話しかける。それに対し、崎本は模範解答のような爽やかこの上ない笑顔で返している。
「ベッタベタじゃん。肩に頭寄せたりしてもう、あざとい! 可愛いけどあざとい!」
「でもそこでデレデレしたりしないところが崎本さんだね~。さり気な~く離れてるし。さすが横綱」
「あんな美人にベタベタされても平然としてるなんて、東西横綱くらいじゃねぇの?」
「だねー。でも東の横綱はもう奥さんいるしね」
「だから西の横綱を狙ったのかねぇ」
うんうん、と頷き合う同僚たち。そこへ、
「ここ、座るぞー」
唐突に上から声が降って来た。未央と同じ部署の門真優がトレーを持って未央の隣へ腰を下ろした。
「えらく話盛り上がってんじゃん? 何の話?」
「あ、崎本さんの話ですー。ほら、あの芹沢さんが一緒にいるんですよ?」
「おー、美男美女だなぁ」
門真が示された方向を見て感心したように漏らした。
「芹沢さんは明らかに崎本さん狙ってるのが分かるんですけど、崎本さんがどう考えてるのか分からないんですよねぇ」
「あんまり人のこと面白おかしく話すなよ~。人の噂で振り回されるイケメンも結構大変なんだぞ。ちなみにそれは俺のこと……ではないけどな」
「あ、それって東の横綱のことですか? 門真さん同期ですもんね」
「そそ、あいつ昔『人の据え膳まで食う』とか『またいだだけで女を妊娠させる』とか言われてたから。まぁ、実際はそんなヤツじゃないんだけどさ。イイ男もラクじゃねぇなぁ、って思ったね、俺は」
「へぇ~。でも門真さんだってイイ男じゃないですか!」
「ね~、可愛いもんね~。アイドルみたい」
門真は未央の四年先輩であるが、童顔でアイドルのような顔をしている上に面倒見もいいので、男女問わず後輩から親しまれていた。
「おまえら、俺の入社の頃のあだな知ってる? 【わんこ】だぜ?」
「あ~、門真さん、確かにわんこっぽいもんね!」
「うんうん、豆柴、ってカンジ!」
「営業先のおねーさま方にも可愛がられてるって聞いてますよぉ?」
「……西村、笑いたかったら我慢しないで笑っていいんだぞ? そんなに気を使ってくれなくていいから」
門真が黙って俯いたまま震えている未央の背中を叩いた。
「──す、すみません……っ。あまりにも的確すぎるというか……っ、あ、すみません」
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そう苦笑して言うと、門真は自分の食事に手をつけ始めた。
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