俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章49 偃鼠ノ刻の狩庭 ⑧

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 ゴミクズーとともに時計塔の最上階から地上へ落下しながら、弥堂は数秒間の攻勢を仕掛ける。


 先行落下するゴミクズーに追い付き並走すると、強く壁を蹴って横に飛んだ。


 膝蹴りをするように巨体に取りつき、その膝を支点に身を回し不完全ではあるが零衝を打ち込む。

 ゴミクズーの落下の軌道が僅かに変わった。


 もう一発打ち込む。

 今度は何も影響を起こせない。


 下方向へ向いて落ちていくモノに乗って踏み込んでも反発は得られず力は生み出せない。


 弥堂は舌打ちをしてゴミクズーの躰を蹴り塔の方へ飛ぶ。

 無理矢理体勢を変え、落ちながら壁を走った。


 先程以上に落下速度を加速させゴミクズーを追い越すと、強く壁を蹴りつけ再びゴミクズーに襲い掛かる。


 少し下の軌道からゴミクズーに当たり、相手の重みが反発する力を体内で反転させ、右の拳からゴミクズーの体内へ徹す。

 先程以上の威力を生み出すことに成功し、大きく軌道が変わり時計塔の壁から離れた。

 もう戻ることは出来ない。


 無理矢理ゴミクズーの躰をよじ登ると、低く唸りながら怨嗟の目を向けられる。

 しかし、攻撃はしてこない。

 鼻面に拳を叩きつけた。


 目まぐるしい事態にパニックになり、攻勢に移ることを思いつけないのだろう。

 それを幸いと弥堂は巨大化したネコの顔面を殴り続ける。


 零衝を打てているわけではないので大したダメージにはなっていない。

 ただの嫌がらせだ。


 この状況下で生き残ることを考えず、只管殺意を実行し続ける男の狂気にゴミクズーは呑まれる。

 その瞳に確かな怯えの色が映った。


 顔を撃たれることを嫌がり、ゴミクズーは首を捩る。


 それを待っていたとばかりに弥堂は両手で顎を押し込み、全体重をかけて頭部が下になるように向きを変えてやった。


 ゴミクズーの躰は空中で縦になり、頭から真っ逆さまに地上へ落下していく。

 地面はもう近い。



 弥堂はチラリと下方を確認する。


 ほぼ想定していた落下地点だ。


 ゴミクズーの躰を蹴り大きく空中へ飛んだ。


 右腕を目いっぱい伸ばして、時計塔北口前の広場に生える背の高い植木の枝を掴む。

 枝はほぼ掴んだ瞬間に圧し折れた。

 すぐに逆の手で別の枝を掴む。


 ゴミクズーとの戦闘で損傷していた左腕は負荷に耐えられず簡単に肩の関節が外れ、木の枝も折れた。

 今度はまた右腕で別の枝を掴むが、あの高さからの落下エネルギーがこんなことでゼロになることはない。

 次々と枝を折りながら終には掴める枝がなくなり、弥堂は地上へ落ちていった。



 自分に恐怖を与えたニンゲンのそんな様子を見上げていたゴミクズーは、これでヤツも死ぬだろうと安心し眼下へ目を向ける。

 どうにか着地を成功させねばと考えたその時、自分が落ちていく先にある物が視界に映る。


 黒い先端。


 ゴミクズーを貫く為に待ち構えていたようなそれは、時計塔前広場の大きな円錐のオブジェクトだ。

 ゴミクズーの噛みつきにも耐えた強靭さがそれにはある。



 罪人を刺し貫く棘の鋭利な先端に籠められた冷たき殺意が夜闇の中で煌めいた。


 ゴミクズーは恐怖に叫びを上げる。


 その開いた大口の中に黒い棘が吞み込まれた。





 弥堂とて無事では済まない。


 地上と弥堂との間にはもはや何もない。


 あと一回の思考しか許されぬ状況で脳裏に浮かぶのは一人の女。


 免れぬ死の間際に思うのは過去の情景でもなければ未来への未練でもない。


 過去の女ではあるが、彼女は師でもある。


 エルフィーネの言葉を――教えを実行する。


 墜落まであと1秒もない最期の瞬間――弥堂はフッと息を吐き出し脱力した。


 そして地面に足を伸ばす。


 まず片足、どっちでもいいのでここでは左足からとする。左足のつま先から地面に接する。次に踵を着けてから膝を曲げ衝撃を抜く。そして左の膝を抜くと同時に右足のつま先を着け同様の工程を熟す。このままではこれで終わりなので、右足の踵が着くと同時に、先に接地していた左足を上げ地面から離し、右足の膝を曲げて衝撃を抜いたと同時に再度左足のつま先を接地させて同じ工程を行い、そして右足もまた一回上げてまた下す。

 エルフィーネのように高速で足踏みをすることで、足だけで落下による全ての衝撃をいなす――



――のは当然失敗し、膝下から骨が拉げ皮膚を突き破って飛び出す。身体はすぐにバランスを失い、弥堂は反射的に五点接地に切り替える。


 膝は抜くまでもなく砕けたので骨の露出した側面を地面に着け、転がるように体を動かし次に尻を着けようとすると腰骨が砕け、あばら、肩と順番に潰れていく。

 折れた腕を無理矢理動かしギリギリで頭部を抱えながら地面を何度も転がった。


 やがてその勢いが治まると、糸の切れた操り人形のように力を失った手足はアベコベの方向に折れ曲がり投げ出され、弥堂はグッタリと地面に横たわる。


 五階建ての屋上からの落下、着地の処理も失敗した。

 誰が判断しても絶命必至の状況で普通ならば生き残れるわけがない。

 一目で人間とわかる形状が残っただけでも上出来かもしれない。


 数秒間ほどの空中落下の最中の激しい戦いから一転して、動くものが居なくなったこの場には冷えた静けさが漂う。



 10秒か、20秒か。



 それくらいの時間を狭間に数えた頃――


 カリ……、カリ……、と――路面を掻く音が微かに鳴った。


 震える手を地面に着こうとして上手く動かせず、弥堂は爪をアスファルトに引き摺りながら右手を引き寄せる。


(やっぱり役にたたねえじゃねえか……、ふざけんなよエル……っ)


 朦朧とする視界と意識の中で、自身の生命を救ったここには居ない女に八つ当たりの恨み言を投げかけながら、神経の一つ一つを認知と繋げて自らの状態を確認していく。


(また、生き残ったか……、運がないぜ……)


 だが、生き残ってしまったのなら、続きをしなければならない。



 右手で左手を地面に押さえつけ身体を起こそうとする。

 すぐにボギンッと音を立てて左肘が折れ、頭から崩れ落ちた。


 また新たに裂けた額の傷からカッと全身に熱が奔る。


 折れた腕の代わりに額を地面に押し付けて支えにし、痙攣するように震える膝を殴りつけ強引に立ち上がる。


 ガバっと勢いまかせに上体を起こすが支えることが出来ずにグラリと大きく揺れる。背骨に致命的な痺れがあった。

 下半身はどうにか直立を保ち、ダラリと頭を垂らすとボタボタと地面に血が落ちる。


 躰を動かしたことで内臓が動いたせいか、腹の奥から食道を通って逆流したものが喉まで迫りあがってくる。

 堪える気も起きず口を開けると、内臓が出てきたのかと錯覚するような固形物染みた血塊が喉奥からドボドボと零れていった。


 せっかく戻ったのに早くも薄れ始めた意識の中で血溜まりを見て焦点を合わせようとする。


 血液なら多少流しても問題ない。頭蓋骨が割れて脳が流れ出すよりはマシだ。


 上体を揺らしながら光の定まらぬ茫洋とした瞳で周囲を写そうとする。



 最初に目に付いたのは地面に突き立った巨大な剣の様な鉄塊だ。


 それが自分が圧し折った時計塔の秒針だとはこの時の弥堂にはすぐに思い至らなかったが、そんなことはどうでもいい。


 目的のモノはその隣にあった。


 地面に刺さった剣の横には趣味の悪いオブジェ。


 黒い棘のような円錐のオブジェがネコのゴミクズーを串刺しにしていた。


 大きく開けた口を通って、円錐の先端は尻から飛び出して貫通している。

 オブジェをつたってドロドロと血が垂れ落ちており、白いコンクリの台座を塗り替えていく。


(――敵……)


 弥堂にとってこの世で唯一意味のある存在を発見し、薄ぼやけた瞳の中心に蒼い焔が灯る。


 ダラリと両腕を下げ上体がグラグラと揺れる。


 闇夜の中で蒼銀の灯火がゆらめいた。


 その灯りが映すのは串刺しのまま晒された獣の骸。


 弥堂と同じように高所から落下して、その落下エネルギーを以て躰を貫かれている。

 まさしく弥堂の狙い通りの結果だ。

 普通なら生きているわけがない。


 しかし――


――それは自分とて同じことだ。


 時計塔の屋上から落ちて地面に叩きつけられて、普通の人間ならば生き残れるわけがない。


 完璧には成功しなかったが、エルフィーネが教えてくれた着地技術がいくらばかりかの衝撃を軽減してくれたのだろう。

 そういった理屈は後付け出来るかもしれないが、それを加味したとしても生存の確率は限りなくゼロに近かった。


 そんな自分が生き残ったという普通ではないことが起きているのなら、敵の方にも同様のことが起こったとしてもおかしくはない。


 なにより――


 この眼には――


 ヤツの魂の設計図が未だ解けておらず――


 未だその存在のカタチを保ち――


 未だヤツという存在の意味を失ってはいないことが、はっきりと視えている。


 意識は揺れ、視界はぼやけていようとも、それだけは視えている。


「――殺してやる……」


 敵を殺す。

 もう随分前に己をただそれだけの装置とし、そう為った。


 敵を殺す。

 それだけが弥堂 優輝という存在の意味だ。


 敵を殺す。

 敵が居ればただ殺せばいい。


 だが、逆にそれが居なければ途端にその存在は揺らぎ、その意味を失う。


 今、この時が――


 この瞬間だけがこの世界で弥堂 優輝という意味を為し、この『世界』に存在することを許されるのだ。



 一歩、引き摺って歩き出したその足に体重を乗せると踏ん張りが効かずに転倒する。


 見ればその足の膝下、側面から折れた骨が飛び出していた。


 緩慢に手を伸ばしその傷口に指を突っ込んで穴を拡げる。

 そして飛び出している骨を乱暴にぶっ叩いて無理矢理足の中に仕舞い、グチャグチャと傷の中を指で搔きまわして何となく折れた部分を合わせた。


 なんの応急措置にもなっていないが、とりあえず少しは体重を乗せられるようにはなった。


 ズルズルと靴底で擦音を鳴らしながら、最高にイカしたオブジェに為り果てた化け物へ近付く。


 円錐のオブジェの乗った台座へ這いずるようにして上がると、ゴミクズーの耳がピクピクと震えた。


 怯えているのかもしれない。

 化け物は一体どちらの方か――


 とりあえず特に何も考えずにその頭蓋骨を殴りつけようとすると、先程仕舞った足の骨がまた外へ突き出してしまいバランスを崩す。

 僅かに上体を仰け反らしながら腰が抜けたように尻もちをつくと、頭の少し上でゴミクズーの前足が大きく空ぶった。


 どうやら死んだふりをして弥堂が近付いてきた瞬間の反撃を狙っていたようだ。


「ハッ、ツイてねえなお前……」


 皮肉げに嘯いて台座のネームプレートを殴りつける。


 すると内開きの扉が開くようにして、プレートが台座の中へ折れる。

 弥堂はその中に手を突っ込んで仕込んでおいた物を取り出す。


 出てきた物は灯油と建材のゴミのような大量の木切れだ。


 何度も何度も芸がないが、ここでゴミクズーを火炙りにするつもりだ。


 このまま数日放置すれば流石にこの化け物も滅びるだろうが、こいつを人目に晒すわけにはいかない。

 こういう趣向の芸術作品だと言い張ったとしてもおそらく保護者の皆様のご理解は得られないだろう。


 だから夜が明けるまでにその魂の一切を滅ぼす必要がある。


 円錐の周辺に木切れを雑に積んで灯油を撒き散らす。

 灯油を染み込ませた布に着火して文化祭にはまだ何か月か早いが、深夜のキャンプファイヤーと洒落こむ。


 燃え盛る炎に炙られゴミクズーは叫びをあげようとするが、口腔内を貫通する黒棘に喉を埋め尽くされていて声も出せない。ただ手足だけを動かして生きたいと藻掻いていた。


 チリチリと間近で燃える火に頬を煽られながら弥堂はその様子をジッと視る。


 間違いなく弱っていて存在は解けかけているが、これではまだ足りない。


 もっと殺す必要がある。


 燃料や火種を一緒に取り出して転がしておいた鉄杭とハンマーを両手にそれぞれ握る。


 自身も火に焼かれることを厭わずゴミクズーに近付き、その頭蓋骨の頂点に鉄杭の先端を押し当てた。


 逆さまに串刺しになっているゴミクズーからは体勢的に弥堂を見上げる形になる。

 その獣の怯えの混じった隻眼と眼を合わせ、右手に握ったハンマーを打ち付ける。


 ガンッと鉄と鉄と打ち合う音が鳴り、鉄杭の先端が僅かにゴミクズーの頭に喰いこむ。


 もう一発――とハンマーを打ち下ろすが、今度は同様の音は鳴らず何の手応えもなかった。


「あ?」


 眉を顰めて自身の右手を視ると、手首からポッキリと折れていてプランプランと手が揺れていた。


 どうやらガタがきているのは自分も同じようだ。


 ベッと唾を吐き捨てるのと一緒にハンマーを手離し、役立たずの両手で鉄杭を抑えつける。


 そして躊躇いなく自身の額を鉄杭に打ち付けた。


 衝撃が頭蓋の中を奔り抜けギィーンと耳鳴りをするような音が耳から飛び出していく。


 砕けた手足では零衝はおろか、もうまともに殴ることさえ出来ない。

 今使えるのはもう頭しかない。


 視界が弾け意識が白み皮膚は裂けて鼻血が噴き出す。

 それでも構わず何度も何度も頭を鉄杭に打ち付ける。


 一瞬だけクリアになった視界にゴミクズーの怯え切った目から涙が流れているのが視えた。


 ガンッ……、ガンッ……と杭を打つと潰れた額に、鉄杭の向こう側がヤツの皮膚を裂いて肉に喰いこんだ感触が伝わってくる。


 ガンッ……、ガンッ……と打ち続ける。


(どうせ……、同じことだ……)


 頭を打たれ死んでも――

 火に焼かれ死んでも――

 重症が祟り死んでも――


 それが今でも生き延びた先のいつかであろうとも。


 どうせ死ぬのならいつ死んでも同じことだ。

 だから少しでも殺す。


 視界の中で、眼の奥で、頭の中で――

 生命の火花が散る。


 ここで死んでこいつと一緒に燃え尽きてしまえば、それで目的は達せられる。

 弥堂は無心で生命を叩きつける。



 トラよりも大きな動物と成人男性を焼き尽くすに足る火力も燃料もここにはない。

 木切れはもう燃え尽きかけ火の勢いも既に弱まっている。


 今の弥堂にはそれすらももう判断できない。


 半分以上暗闇に覆われた視界には解けかけの『魂の設計図アニマグラム』が一つだけ視える。


 それはゴミクズーのものか、自分のものか。


 それはどちらでもよく、ただ間違いなく二つの生命が潰えようとしている。


 もはや意思も殺意もなく自動化された動作で頭を振り下ろすと、今までにあった衝撃が額にはない。


 ズルリと身体をズラして弥堂は前のめりに倒れる。

 背中に熱がある。

 火で焼かれるものとは別の熱。

 これは自身の外から伝わる熱ではなく、裡から流れ出ていく熱だ。



「――冗談じゃ、ねェぞ……っ」



 俯せに倒れる背中の上から声が聴こえる。


「冗談じゃねェぞクソッタレが……っ!」


 聞き覚えのある声。


 背後に立っていたのは悪の幹部ボラフだ。


 ボラフの右腕は鎌に形状を変えており、その黒い刃は血で濡れている。


 ボラフは苛ただしげに弥堂を台座の上から蹴り出した。


 地面に叩きつけられ上下左右もわからぬまま数度転がってから止まる。

 背中を打ち息が止まったことで咳き込むと喉が血で溢れて溺れかける。

 弥堂に出来た僅かながらのことは頭を横に向けて口を開け、少しでも外へ血を流すことだけだった。


「まただ……、存在が解けかけてる……」


 ボラフは円錐に串刺しにされたゴミクズーを見上げ呆然と呟く。


「昨日といい……、今日といい……、なんなんだテメェはっ……! なんでゴミクズーを殺せる……っ⁉」


 怒りをこめた言葉を吐き出しながら地面を打ち鳴らして弥堂に近寄る。


 そしてグッタリと横たわる弥堂の胸倉を掴みあげて宙吊りにした。


「オマエ、なんだ⁉ オマエはなんなんだよぉっ⁉」


 唾を飛ばして怒鳴りつけるボラフの顔を、弥堂は光の消えかけた目玉を動かしてジロリと視る。


 そして手を伸ばした。


「……ア?」


 ボラフはわけがわからずに呆ける。


 手を顔面に押し付けられ、その手が離れまた押し付けられる。


「な、にを……? オマエ、なにをしてる……?」


 呆然と問うも答えは返ってこず、ただ弥堂は同じ動作を繰り返すのみ。


「オマエ、まさか……、殴ってんのかこれ……? 攻撃してるつもりなのか……?」


 途切れ途切れに想像を言葉にしてボラフはゾッとする。

 反射的に胸倉を掴む手を離してしまうと、何の抵抗もなく弥堂はグシャッと地面に落ちた。


「――っ⁉」


 しかし、すぐその手が伸びてきてボラフの足を掴もうとする。

 ボラフは息を呑み、咄嗟にその場を飛び退いた。


 2歩ほどの離れた位置で弥堂の姿を見る。


 顔面は血みどろで、四肢は複雑骨折し、身体の至るところも皮膚が裂け血塗れだ。

 瞳は茫洋と光を失いかけ、だがそれでもまだ戦いを挑んでくる。


 ボラフはこの時、はっきりとこのニンゲンの男への恐怖を認めた。


「……やめろ」


 弥堂は不細工に折れ曲がった手足を無理矢理使ってノロノロと立ち上がってくる。

 見えているのかどうか定かでない眼球を左右に動かしている。


 自分を探しているのだと理解してボラフは背筋を震わせた。


「く、来るな……っ!」


 大きく声を発すると、それに反応した弥堂の顔が自分へ向く。

 そして彼の開いた瞳孔の奥に蒼銀の焔が僅かに灯った。


「ヒッ――⁉」


 悲鳴をあげてボラフは後退る。

 ズルズルと身体を引き摺りながら弥堂は追う。


 逃げようと思えば逃げられるはずの速度差なのに、どんどんと距離を詰められる。

 それは身が恐怖に竦んだせいなのか、それとも『ニンゲン如きに』という僅かばかりのプライドなのか。


 弥堂はあと数歩歩くのも億劫になり倒れ込むようにして両腕を伸ばす。


「く、来るんじゃねェッ!」


 咄嗟にボラフも腕を伸ばす。

 迎撃の手ではなく制止の手だ。


「……ぅ、アァ……ッ⁉」


 グチュリと――


 右腕の鎌が弥堂の腹部に刺さる。


 そういうつもりではなかったが、押しのけるために伸ばした腕はまだ鎌の形状のままであり、それが偶然刺さってしまっただけだ。


 敵を刺し貫いただけのことであり、なにも問題のないことだ。

 しかし、それすらも今はボラフの混乱を助長させた。


 だから、そこから先に動いたのは死に体の弥堂の方だった。


 再度前のめりに体重を投げ出し、自分から鎌に刺さりにいく。


 ズプズプと肉と内臓を掻き分けて鎌は弥堂の背中を抜けて先端を向こう側へと飛び出させた。


「オ、オマエ……ッ⁉」


 腹を刺し貫かれながら弥堂はボラフへ肉薄する。


 弥堂は一言たりとも言葉を返さない。

 敵がいるならただ殺せばいい。

 それだけが弥堂 優輝の意味で、殺されるまで殺し続けるだけの存在だ。


 再び弥堂は右手をボラフへ打つ。

 力のないその拳ですらない打撃はなんの痛みも生み出せない。

 しかし、そのことが却ってボラフの恐怖と混乱を加速させる。


 もはやこのニンゲンは打ち付けることも出来ないようで、折れた手首をグイグイと押し込んでくるだけだ。


 折れ曲がった手が明後日の方向を向き、皮膚を歪めて盛り上げた中の骨の先端で顔を擦りつけられる。


「う、うわぁぁぁーーーーっ⁉」


 堪らず悲鳴をあげてボラフは弥堂を力づくで引き剥がした。


「こ、この……っ! このバケモノがァ……ッ!」


 そのまま倒れ込んだ弥堂を、どこを狙うでもなく只管に蹴りつける。


「テメェが……! テメェのせいで……ッ! テメェさえいなければ……ッ!」


 もはや反撃はおろか抵抗する力もない弥堂は為すがままだ。


 人外の力で何度も踏みつけられるが、もう痛みも衝撃も感じない。


 身体も思考も重く、視界の全てが暗闇に呑まれていった。

 まるで眠りに落ちる直前のように。

 二度とは醒めない眠りへ。


 お前のせいで――

 お前さえいなければ――


 頭上の闇の向こうから聴こえてくるそんな怨嗟の言葉はとても聞き慣れたものでどこか心地よく、まるで子守歌のようにも感じられた。


 もう何もかもがわからなくなっていたが、一つだけ――


――どうやら、ようやく、これで終われるのだということだけがわかった。



「――もういい……っ! 本当は元々そのつもりだったんだ……っ!」


 息巻いて、ボラフは鎌を振り上げる。


「ここでもう! テメェは殺してやる……っ!」


 そしてもう躊躇いもなくその鎌の先端を弥堂の頭を狙って振り下ろした。




「――だめぇぇぇーーーっ!」


 ボラフの鎌が弥堂の頭を串刺しにするよりも速く、そんな叫び声が届くよりも先に、上空からピンク色の光弾が猛スピードで降ってきてボラフと弥堂の間に落ちた。


 ボラフは反射的に大きく飛び退き、串刺しのゴミクズーの横まで後退する。


 すると、今しがた着弾した箇所にもの凄い勢いで人影が落ちてきた。


 余程に余裕がなかったのか、制御もブレーキもなく下に向かって飛んできて地面にぶつかって無理矢理止まる。


 時計塔前の広場にクレーターが出来上がり、一面に放射状の罅割れが拡がった。


 砕け散ったコンクリの破片が辺りに吹き飛ぶが、不思議と弥堂の倒れている場所だけは何も壊れずに無事のままだった。


 突然の闖入者の姿を視認し、ボラフは荒れた息を無理矢理呑み込んで抑えつけた。


「来たな……、ステラ・フィオーレ……ッ!」


 闇の秘密結社の幹部にとっての宿敵――魔法少女へ叫ぶ。


 なにがなんだかわからなくなり自失しかけたが、これは彼の予定通りの展開だ。

 そのはずだ。

 だから予定通りにやるだけだ。


 消えかけた戦意をボラフは漲らせる。


 その敵意を受けて、魔法少女ステラ・フィオーレ――水無瀬 愛苗も少しも怯まない。


 それよりももっと遥かに大事なことがある。


「弥堂くんをイジメないでっ!」


 魔法少女は強い光。


 世界を照らし影をくれる弱い者の味方。


 戦う力のない弱い普通の人間を助けるために戦う。


 廻夜が言っていた言葉を断片的に弥堂は思い浮かべる。


 暗く閉ざされかけた視界の中で、誰よりもなによりも強い輝きを放つ魂を視た。

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