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第十三話 足跡を踏む
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翼にとって、曲沃からの攻撃を追い払うはずの戦争は大損害を出した。
戦死者ではない。隰氏だけではなく、いくつかの氏族が同時に曲沃へ走っていったのである。
戦の状況に合わせ、翼に三行半を突きつけ、曲沃の別働隊を中に入れた。隰叔の差し金のようであった。
その中には異姓の氏族だけでなく、晋室から分かれた公族もいた。翼の戦力だけでなく、財も人材も一気に減ったと言ってよい。
欒成の復命を聞いた光は、表情が抜け落ち、ふわふわと頷くだけであった。
朝政の終わりに光があえぐように声を出した。そろそろ声変わりが始まっており、しゃがれている。
「欒成と二人で話したい。残れ」
みな立ち去り、夏の湿気の中、政堂で二人向かい合う。光が肩を落とし、下を向いた。
「……我が君。下を向いてはなりませぬ。下を向いて背を丸めれば、地に飲み込まれる。地は陰、心地よいですが歩けなくなる」
傅の声で、しずしずと欒成は諭した。光がかぶりを振った。まるで子供のしぐさであった。数え十四才であるから、子供ではある。
「……欒成の父は桓叔の傅として全うした。そなたがここにいるのは、違っているのではないか?私は……足かせではないか?」
うずくまるように屈み、しゃくりあげながら光が呻いた。
その呻き声もすすり泣くしぐさも、幼児のむずがりではなかった。一人の男として、苦しんでいる姿であった。彼は君主として言うべきではない、言ってはならない言葉を、血を吐くように出した。
光は欒成に絶対の信を寄せており、この瞬間でさえ痛いほど伝わってくる。
その上で、己が欒成の人生を縛り、無駄にしているという恐怖に陥っていた。
この少年は、凡人である。痩せ細り続ける翼を、欒成という巨人の庇護の元、背負おうと必死になっているが、一人で立つには強くない。不安を出さぬように口を閉じながら、隠せない、普通の少年である。
欒成は、
「ご無礼」
と言った後、光の背を撫でた。
君主に対して極めて不敬であったが、大人として労りたかった。しかし、光を解放できぬのも欒成である。偽善である、とも思った。
「このまま言上つかまつります、我が君。私に死ねと、ご命じください。戦場にて死ね、と。私は死ぬまで我が君と共にある。私は父により生まれ、師により教えられ、我が君に養われる身です。これは則ち、生きるということ。生に報いるには死を以てするは当然。我が君の恩恵に私は全力で報います。私は翼の臣であり、我が君の臣です。出て行けなどと仰るな。翼のために、君公のために死ねとご命じください」
そこまで言ったあと、欒成は柔らかく笑んで
「私は我が君が好きです。私は出来うる限り、傅として支えましたが、足りぬところもあった。それを責めることなく、研鑽するため務めておられる。辛いことあり、お腹立ちのことあっても、人に当たることせず、頑張っておられている。斉姜を慈しむお優しさもある。文侯を尊ぶお姿も、先君を大切にする孝も、ひたむきで、好きです。……臣としても傅としても、相応しくない不敬な言葉、申し訳ございませぬ」
と、続けた。光がゆっくりと起き上がり、欒成を見上げて、許す、と言った。くしゃりと潰れたような笑みであった。
「……欒成は文侯と桓叔をその目で見ていたのだったな。文侯は桓叔を疎んでいたのか。桓叔は文侯を嫌っていたのか。兄弟で、憎しみあっていたのか」
唐突な問いであった。
欒成は、遠く靄がかった昔を思い出す。
己はまだ若輩で父の後ろについてまわっていただけの青二才であった。既に老年にさしかかろうとしていた文侯と桓叔しか知らぬ。が、その時の晋の明るさは良く覚えていた。
「……謹んで問いにお答え致します。文侯は桓叔を信頼され、桓叔は文侯を良く支えておられた。私がまだ幼い頃、文侯は周王さまのために働いておられました。その時、晋を守っていたのは桓叔です。私が垣間見たあのご兄弟は、お年を召しておられたが、若々しく互いを信じ合い気の置けぬご様子でした」
文侯は内紛の中、新たな勢力を引き連れて即位した不屈の賢君でもある。桓叔が弟として支えていたと、欒成は今でも思っている。
無論、真実はわからない。
だが、文侯も桓叔も後ろ暗い感情を笑顔でごまかすような卑しさは無かった。
誰もが、晋の繁栄を疑っていなかった。文侯崩御の後、桓叔は甥を支えていくものであると、誰もが思っていた。
その甥、文侯の息子である昭侯は、桓叔を曲沃へ封じた。公族ではなく臣になれ、という意味であったが、曲沃という文字通り肥沃な土地を第二都市として治めろ、ということでもあった。
――本家が小さく分家が大きくなる。文侯の血筋は絶える。
そう、予言した賢人がいた。
その通り、昭侯は殺され、桓叔は自立し、翼を亡ぼす道を選んだ。
ずっと野心を抱いていたのか、曲沃に封じられ野心が生まれたのか。ただ、甥より叔父の方が優れていたことは確かである。
誠実に返す欒成に、光が淡く微笑んだ。そこには確かな影と傷があった。
「どうして、今、こうなのだろう」
泣きそうな顔をしていたが、涙は無かった。欒成は、天でさえわからぬことです、と不器用に慰めた。
その不器用さが妙に滑稽で、光が声を上げて笑った。久々の、無邪気な笑い声であった。
戦死者ではない。隰氏だけではなく、いくつかの氏族が同時に曲沃へ走っていったのである。
戦の状況に合わせ、翼に三行半を突きつけ、曲沃の別働隊を中に入れた。隰叔の差し金のようであった。
その中には異姓の氏族だけでなく、晋室から分かれた公族もいた。翼の戦力だけでなく、財も人材も一気に減ったと言ってよい。
欒成の復命を聞いた光は、表情が抜け落ち、ふわふわと頷くだけであった。
朝政の終わりに光があえぐように声を出した。そろそろ声変わりが始まっており、しゃがれている。
「欒成と二人で話したい。残れ」
みな立ち去り、夏の湿気の中、政堂で二人向かい合う。光が肩を落とし、下を向いた。
「……我が君。下を向いてはなりませぬ。下を向いて背を丸めれば、地に飲み込まれる。地は陰、心地よいですが歩けなくなる」
傅の声で、しずしずと欒成は諭した。光がかぶりを振った。まるで子供のしぐさであった。数え十四才であるから、子供ではある。
「……欒成の父は桓叔の傅として全うした。そなたがここにいるのは、違っているのではないか?私は……足かせではないか?」
うずくまるように屈み、しゃくりあげながら光が呻いた。
その呻き声もすすり泣くしぐさも、幼児のむずがりではなかった。一人の男として、苦しんでいる姿であった。彼は君主として言うべきではない、言ってはならない言葉を、血を吐くように出した。
光は欒成に絶対の信を寄せており、この瞬間でさえ痛いほど伝わってくる。
その上で、己が欒成の人生を縛り、無駄にしているという恐怖に陥っていた。
この少年は、凡人である。痩せ細り続ける翼を、欒成という巨人の庇護の元、背負おうと必死になっているが、一人で立つには強くない。不安を出さぬように口を閉じながら、隠せない、普通の少年である。
欒成は、
「ご無礼」
と言った後、光の背を撫でた。
君主に対して極めて不敬であったが、大人として労りたかった。しかし、光を解放できぬのも欒成である。偽善である、とも思った。
「このまま言上つかまつります、我が君。私に死ねと、ご命じください。戦場にて死ね、と。私は死ぬまで我が君と共にある。私は父により生まれ、師により教えられ、我が君に養われる身です。これは則ち、生きるということ。生に報いるには死を以てするは当然。我が君の恩恵に私は全力で報います。私は翼の臣であり、我が君の臣です。出て行けなどと仰るな。翼のために、君公のために死ねとご命じください」
そこまで言ったあと、欒成は柔らかく笑んで
「私は我が君が好きです。私は出来うる限り、傅として支えましたが、足りぬところもあった。それを責めることなく、研鑽するため務めておられる。辛いことあり、お腹立ちのことあっても、人に当たることせず、頑張っておられている。斉姜を慈しむお優しさもある。文侯を尊ぶお姿も、先君を大切にする孝も、ひたむきで、好きです。……臣としても傅としても、相応しくない不敬な言葉、申し訳ございませぬ」
と、続けた。光がゆっくりと起き上がり、欒成を見上げて、許す、と言った。くしゃりと潰れたような笑みであった。
「……欒成は文侯と桓叔をその目で見ていたのだったな。文侯は桓叔を疎んでいたのか。桓叔は文侯を嫌っていたのか。兄弟で、憎しみあっていたのか」
唐突な問いであった。
欒成は、遠く靄がかった昔を思い出す。
己はまだ若輩で父の後ろについてまわっていただけの青二才であった。既に老年にさしかかろうとしていた文侯と桓叔しか知らぬ。が、その時の晋の明るさは良く覚えていた。
「……謹んで問いにお答え致します。文侯は桓叔を信頼され、桓叔は文侯を良く支えておられた。私がまだ幼い頃、文侯は周王さまのために働いておられました。その時、晋を守っていたのは桓叔です。私が垣間見たあのご兄弟は、お年を召しておられたが、若々しく互いを信じ合い気の置けぬご様子でした」
文侯は内紛の中、新たな勢力を引き連れて即位した不屈の賢君でもある。桓叔が弟として支えていたと、欒成は今でも思っている。
無論、真実はわからない。
だが、文侯も桓叔も後ろ暗い感情を笑顔でごまかすような卑しさは無かった。
誰もが、晋の繁栄を疑っていなかった。文侯崩御の後、桓叔は甥を支えていくものであると、誰もが思っていた。
その甥、文侯の息子である昭侯は、桓叔を曲沃へ封じた。公族ではなく臣になれ、という意味であったが、曲沃という文字通り肥沃な土地を第二都市として治めろ、ということでもあった。
――本家が小さく分家が大きくなる。文侯の血筋は絶える。
そう、予言した賢人がいた。
その通り、昭侯は殺され、桓叔は自立し、翼を亡ぼす道を選んだ。
ずっと野心を抱いていたのか、曲沃に封じられ野心が生まれたのか。ただ、甥より叔父の方が優れていたことは確かである。
誠実に返す欒成に、光が淡く微笑んだ。そこには確かな影と傷があった。
「どうして、今、こうなのだろう」
泣きそうな顔をしていたが、涙は無かった。欒成は、天でさえわからぬことです、と不器用に慰めた。
その不器用さが妙に滑稽で、光が声を上げて笑った。久々の、無邪気な笑い声であった。
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