32 / 103
32話 胸の奥の棘
しおりを挟む
ローンチイベント当日。
都内の高級ホテル、メインホールには150名の業界関係者とメディアが集まっていた。春菜が企画した通り、洗練された装飾でKITE社のコーポレートカラーが効果的に使われている。
「春菜さん、受付の準備完了しました」
「ありがとう。パネルディスカッションの資料配布も確認して」
運営スタッフとして動き回る春菜。自分が企画したイベントが形になっていく達成感と、緊張感で胸がいっぱいだった。
そのとき、会場の入口から蒼真と香澄が並んで現れた。
蒼真は濃紺のスーツに身を包み、香澄は上品なベージュのドレスを着ている。まさに、会社の顔となるカップルとしての装いだった。
(……やっぱり、お似合いなんだ)
春菜の胸が、きゅっと締めつけられる。頭では分かっていても、実際に目にすると心が揺れる。でも、運営スタッフとしての笑顔を崩すわけにはいかない。
「高瀨社長、香澄さん、お疲れさまです。本日はよろしくお願いいたします」
「春菜さん、準備ありがとうございます。素晴らしい会場ですね」
香澄が微笑みながら言った。その笑顔に、春菜は複雑な気持ちになる。
蒼真は一瞬、春菜の表情を気にするような視線を送ったが、すぐに視線を逸らした。
「ありがとうございます。それでは、開始10分前にお声がけしますので」
春菜は仕事としての対応を続けた。蒼真の微妙な気遣いに気づいて、胸の奥がさらに複雑になる。
---
基調講演が始まった。ステージ上で新サービスについて語る蒼真の姿は、いつも以上に輝いて見えた。
客席の最前列に座る香澄が、誇らしげに見つめている。
(この企画を提案して良かった……でも)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな棘のような痛みが走る。
蒼真の言葉が、心の奥で静かに響いていた。
『僕の気持ちは、あなたに向かっている』
でも、現実は違う。彼は今、香澄の前で完璧な婚約者を演じている。
春菜は会場の隅で、進行表を持つ手にわずかに力を込めた。
達成感と、どうしようもない切なさが、同じ場所で渦を巻いていた。
続いてパネルディスカッション。春菜が選んだ登壇者たちが、活発に議論を交わしている。会場からも積極的な質問が飛んでいた。
「成功ですね」
隣に立っていた成瀬が、小さく声をかけてきた。
「……うん。みんなが頑張ってくれたから」
「春菜さんの企画力のおかげですよ。高瀬社長も、すごく満足そうじゃないですか」
ステージを見ると、蒼真が満足そうに頷いている姿が見えた。でも、春菜にはそれが演技にも見えてしまう。
(本当の彼の気持ちは、どこにあるんだろう……)
---
交流会が始まると、春菜は会場を見回りながら各ブースの様子を確認していた。個別相談ブースでは、新サービスに関心を示す参加者への対応が活発に行われている。
ふと顔を上げると、少し離れた場所で蒼真と香澄が並んで立っているのが見えた。香澄が蒼真の腕に軽く手を添えながら、参加者と談笑している。
でも、春菜には分かってしまった。蒼真の笑顔が、どこかぎこちないことを。
(あの夜に言ってたこと、本当だったんだ……)
胸が痛む。彼も苦しんでいるのだと分かったから。
「春菜さん、お疲れさまでした」
交流会の終盤、蒼真が一人で近づいてきた。香澄の姿は見えない。
「高瀬社長。素晴らしいイベントになりましたね。新サービスへの反響も上々のようで」
「君の企画のおかげです。本当に、ありがとう」
蒼真の目に、深い感謝の色が浮かんでいた。でも、その奥に申し訳なさも混じっているのを春菜は感じ取った。
「それでは、片付けがありますので」
春菜は会釈して、その場を離れようとした。
「春菜さん」
呼び止められて振り返ると、蒼真が少し苦しそうな表情を浮かべていた。
「……今日は、本当にありがとうございました。そして……」
彼は言いかけて、口をつぐんだ。きっと、言いたいことはたくさんあるのだろう。でも、この場では言えない。
「こちらこそ。では、失礼します」
春菜は最後まで、仕事としての笑顔を保った。でも、心の奥では蒼真の複雑さを理解していた。
---
イベント終了後、春菜は会場の片付けを手伝いながら、静かに達成感に浸っていた。
「春菜さん、本当にお疲れさまでした!」
成瀬をはじめとする同僚たちが、労いの言葉をかけてくれる。
「みんなのおかげです。ありがとうございます」
笑顔で応えながら、春菜の心は不思議と穏やかだった。
ホテルを出ると、夜風が頬を撫でた。
昼間の熱気が嘘のように引き、空には細い月が浮かんでいる。
(頑張った。本当に、よく頑張った)
胸の奥で何度もそう繰り返す。
達成感と、まだ整理しきれない想い。
そのどちらもが心を満たし、そして空っぽにした。
完全に諦められるわけではない。蒼真の苦しみを理解できたからこそ、余計に彼のことを想ってしまう自分がいる。
(どうすればいいんだろう……)
頭では分かっている。
でも、心はまだ彼を求めてしまう。気づけば、頬を伝うものがあった。
それが涙だと分かったのは、駅前の明かりが滲んで見えたときだった。それは諦めの涙でも、絶望の涙でもなかった。ただ、どうしようもない想いを抱えた、混乱の涙だった。
都内の高級ホテル、メインホールには150名の業界関係者とメディアが集まっていた。春菜が企画した通り、洗練された装飾でKITE社のコーポレートカラーが効果的に使われている。
「春菜さん、受付の準備完了しました」
「ありがとう。パネルディスカッションの資料配布も確認して」
運営スタッフとして動き回る春菜。自分が企画したイベントが形になっていく達成感と、緊張感で胸がいっぱいだった。
そのとき、会場の入口から蒼真と香澄が並んで現れた。
蒼真は濃紺のスーツに身を包み、香澄は上品なベージュのドレスを着ている。まさに、会社の顔となるカップルとしての装いだった。
(……やっぱり、お似合いなんだ)
春菜の胸が、きゅっと締めつけられる。頭では分かっていても、実際に目にすると心が揺れる。でも、運営スタッフとしての笑顔を崩すわけにはいかない。
「高瀨社長、香澄さん、お疲れさまです。本日はよろしくお願いいたします」
「春菜さん、準備ありがとうございます。素晴らしい会場ですね」
香澄が微笑みながら言った。その笑顔に、春菜は複雑な気持ちになる。
蒼真は一瞬、春菜の表情を気にするような視線を送ったが、すぐに視線を逸らした。
「ありがとうございます。それでは、開始10分前にお声がけしますので」
春菜は仕事としての対応を続けた。蒼真の微妙な気遣いに気づいて、胸の奥がさらに複雑になる。
---
基調講演が始まった。ステージ上で新サービスについて語る蒼真の姿は、いつも以上に輝いて見えた。
客席の最前列に座る香澄が、誇らしげに見つめている。
(この企画を提案して良かった……でも)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな棘のような痛みが走る。
蒼真の言葉が、心の奥で静かに響いていた。
『僕の気持ちは、あなたに向かっている』
でも、現実は違う。彼は今、香澄の前で完璧な婚約者を演じている。
春菜は会場の隅で、進行表を持つ手にわずかに力を込めた。
達成感と、どうしようもない切なさが、同じ場所で渦を巻いていた。
続いてパネルディスカッション。春菜が選んだ登壇者たちが、活発に議論を交わしている。会場からも積極的な質問が飛んでいた。
「成功ですね」
隣に立っていた成瀬が、小さく声をかけてきた。
「……うん。みんなが頑張ってくれたから」
「春菜さんの企画力のおかげですよ。高瀬社長も、すごく満足そうじゃないですか」
ステージを見ると、蒼真が満足そうに頷いている姿が見えた。でも、春菜にはそれが演技にも見えてしまう。
(本当の彼の気持ちは、どこにあるんだろう……)
---
交流会が始まると、春菜は会場を見回りながら各ブースの様子を確認していた。個別相談ブースでは、新サービスに関心を示す参加者への対応が活発に行われている。
ふと顔を上げると、少し離れた場所で蒼真と香澄が並んで立っているのが見えた。香澄が蒼真の腕に軽く手を添えながら、参加者と談笑している。
でも、春菜には分かってしまった。蒼真の笑顔が、どこかぎこちないことを。
(あの夜に言ってたこと、本当だったんだ……)
胸が痛む。彼も苦しんでいるのだと分かったから。
「春菜さん、お疲れさまでした」
交流会の終盤、蒼真が一人で近づいてきた。香澄の姿は見えない。
「高瀬社長。素晴らしいイベントになりましたね。新サービスへの反響も上々のようで」
「君の企画のおかげです。本当に、ありがとう」
蒼真の目に、深い感謝の色が浮かんでいた。でも、その奥に申し訳なさも混じっているのを春菜は感じ取った。
「それでは、片付けがありますので」
春菜は会釈して、その場を離れようとした。
「春菜さん」
呼び止められて振り返ると、蒼真が少し苦しそうな表情を浮かべていた。
「……今日は、本当にありがとうございました。そして……」
彼は言いかけて、口をつぐんだ。きっと、言いたいことはたくさんあるのだろう。でも、この場では言えない。
「こちらこそ。では、失礼します」
春菜は最後まで、仕事としての笑顔を保った。でも、心の奥では蒼真の複雑さを理解していた。
---
イベント終了後、春菜は会場の片付けを手伝いながら、静かに達成感に浸っていた。
「春菜さん、本当にお疲れさまでした!」
成瀬をはじめとする同僚たちが、労いの言葉をかけてくれる。
「みんなのおかげです。ありがとうございます」
笑顔で応えながら、春菜の心は不思議と穏やかだった。
ホテルを出ると、夜風が頬を撫でた。
昼間の熱気が嘘のように引き、空には細い月が浮かんでいる。
(頑張った。本当に、よく頑張った)
胸の奥で何度もそう繰り返す。
達成感と、まだ整理しきれない想い。
そのどちらもが心を満たし、そして空っぽにした。
完全に諦められるわけではない。蒼真の苦しみを理解できたからこそ、余計に彼のことを想ってしまう自分がいる。
(どうすればいいんだろう……)
頭では分かっている。
でも、心はまだ彼を求めてしまう。気づけば、頬を伝うものがあった。
それが涙だと分かったのは、駅前の明かりが滲んで見えたときだった。それは諦めの涙でも、絶望の涙でもなかった。ただ、どうしようもない想いを抱えた、混乱の涙だった。
0
あなたにおすすめの小説
皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?
akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。
今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。
家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。
だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる
若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ!
数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。
跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに?
ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。
朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。
【完結】ルースの祈り ~笑顔も涙もすべて~
ねるねわかば
恋愛
悪路に閉ざされた貧しい辺境ルースライン領。
兄を支えたい子爵令嬢リゼは、視察に来た調査官のずさんな仕事に思わず異議を唱える。
異議を唱えた相手は、侯爵家の子息で冷静沈着な官吏ギルベルト。
最悪の出会いだった二人だが、領の問題に向き合う中で互いの誠実さを知り、次第に理解し合っていく。
やがてリゼが王都で働き始めたことを機に距離を縮める二人。しかし立ちはだかるのは身分差と政略結婚という現実。自分では彼の未来を縛れないと、リゼは想いを押し込めようとする。
そんな中、故郷の川で拾われる“名もなき石”が思わぬ縁を呼び、リゼの選択と領の未来を動かしていく――。
想いと責務の狭間で揺れる青年と、自分を後回しにしがちな少女。
すれ違いと葛藤の先で、二人は互いを選び取れるのか。
辺境令嬢の小さな勇気が恋と運命を変えていく。
※作中の仕事や災害、病、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。
※8万字前後になる予定です。
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる