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91話 気づけなかった危険信号
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翌朝――。
昨夜は眠れず、何度も春菜に電話をかけた。何度も何度も。ただ虚しくコール音が流れるばかりで、返事は一度もなかった。
(……どうして)
胸の奥を、鈍い痛みがじわじわ広がる。
昨日、春菜は言った。
「それは……絶対、ありえないです……」
嫌っていない、と。震えた声で、涙をこらえながら。
あの瞬間だけは、その言葉を疑わなかった。
なのに。
連絡は一切返ってこない。電話も出ない。既読すらつかない。
オフィスの自動ドアが開くたびに、胸がざわついた。
出社してきているかどうかさえ、不安で仕方がなかった。
(……俺、やっぱり何かした?嫌われてないって……嘘だったのか?)
思考が堂々巡りを始める。
自分を責め、春菜を責めたい気持ちも湧き、結局また自分を責める。
どうにもならない苛立ちだけが、静かに積もっていく。
昨日の春菜の“震えた声”が、逆に蒼真の胸の傷を抉っていた。
(……俺の何が、春菜を追い詰めてるんだ)
その答えがわからないまま、蒼真は KITE 社に足を踏み入れた。
足元が重い。
胸が苦しい。
そして――
共有デスクで書類を確認していた春菜の横に、梨花が音もなく立つ。
「……それ、まだ終わってないんですか? 余裕ありますね。まだ全部揃ってませんよ」
声は柔らかいのに、明らかに挑発的だった。
「……もうすぐ終わるよ」
「へえ……。こんな調子でプロジェクト回るんですかね? もうちょっと集中した方がいいですよ」
春菜は、思わずため息が漏れた。
「……他の人に迷惑かけないでくださいね」
ささやくような声。それでいて鋭く刺さる。
春菜の胸に、また小さな痛みが沈んだ。
(なんで……私にだけこんな言い方?)
---
共有デスクで作業していた春菜に、篠原が声をかけた。
「水沢さん、今いい?」
「はい」
「プロジェクトには私は参加してないけど……また一緒に仕事できるの、やっぱり嬉しいなって思って」
「ありがとうございます」
篠原は、少し言いづらそうに眉を寄せた。
「それと……さっきの相川さんの言い方、気になって。
水沢さんにだけ、ちょっと厳しいっていうか……ピリピリしてて」
春菜はびくりと肩を揺らす。
「やっぱり……そう見えますよね」
「うん。普通じゃなかったよ、今のあれ。
試用期間中なのにあんな態度、ちょっと……」
春菜の喉が小さく鳴る。
「でも、余計なお世話にならないか迷ったの」
篠原は、春菜の表情を確認するようにそっと目を向けた。
「このまま見てるだけっていうのも、違う気がして」
春菜は慌てて首を振った。
「そんなこと……でも、他社同士のいざこざになったら……」
「ううん、まずは私が話してくる。
水沢さんはここで待ってて」
「……すみません……」
声が震える。
涙が溢れそうになるのを、必死でこらえた。
篠原はやさしく微笑み、春菜の肩をぽんと叩いて席を離れていった。
---
数分後。
篠原は社長室の前に立ち、深く息を吸った。
ノックし、社長室へ入った。
「高瀬社長、少しお時間よろしいですか?」
「ん……いいよ。どうした?」
篠原は静かに扉を閉め、机の前に立つ。
その表情はいつもより硬かった。
「相川さんの態度について、お伝えしておくべきだと思いまして」
蒼真がゆっくりと手を止めた。
「……相川の?」
「はい。水沢さんにだけ、明らかに不自然な言い方をしていました。
業務的な注意ではなく……攻撃に近いです」
語尾にわずかな怒気が混じる。
「他社の社員にあんな接し方をするのは問題です。プロジェクトにも影響が出かねません」
「……何があった?」
「正直に申し上げると――水沢さんが精神的に参っています。周囲の社員も空気を悪く感じています。
放っておけば火種になります」
「……そうか」
「社長が一度、相川さんと話されたほうがいいと思います」
蒼真の表情が、静かに険しくなる。
「……わかった。ありがとう」
篠原が退室する。
扉が閉まった瞬間、室内には冷たい沈黙が落ちた。
---
蒼真は資料に視線を落としたまま、動けなかった。
(……いじめじゃないか)
その言葉が、心臓の奥に落ちる。
(張り合ってるだけじゃ……なかったのか)
自分が軽く流した“火花”は、違うものだった。
(大丈夫じゃ……なかったんだ。本当は)
昨日の春菜の震える声。
電話に出なかった理由。
(違う。……言えなかったんだ)
理解が落ちた瞬間、喉がきゅっと痛む。
(俺が……守れていなかった)
深い後悔が胸を刺し、静かな怒りが積もっていく。
(相川……)
名前を思い浮かべるたび、温度が下がる。
(ただの業務上の相手が――なんで、“俺の大切な人”を傷つける)
資料の端が握りつぶされる。
(許せる事じゃない)
蒼真はゆっくり息を吐き、決意を固めた。
(……俺が直接、相川に話す)
---
篠原は席に戻ると、そっと春菜に声をかけた。
「水沢さん。社長には、私から全部話しておいたから」
その優しい言葉に、春菜の胸がじわっと熱くなる。
「……ありがとうございます」
---
午後。
「相川さん、ちょっと後で時間、いいかな?」
蒼真の落ち着いた声。
だが、いつもと違う冷たい響きがあった。
(え……私だけ呼ばれた? 何か特別な用事?)
梨花は一瞬目を丸くし、そのあとぱっと頬を赤くした。
「はいっ!もちろんです!」
声が自然と半音高くなる。
心臓がドクドクとうるさいほど鳴っている。
(なんだろう……期待していいの……?)
蒼真はそんな勘違いに気づかない。
返事を聞いた蒼真は、ふっと一瞬だけ春菜を見る。
その瞳には、心配、怒り、守る想い――いろんな色が混じっていた。
(……蒼真さん、怒ってる)
春菜はその目を見ただけでわかった。
怖くはない。ただ、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
梨花は、この視線の意味にはまったく気づかず、
胸の前で両手をぎゅっと握りしめていた。
昨夜は眠れず、何度も春菜に電話をかけた。何度も何度も。ただ虚しくコール音が流れるばかりで、返事は一度もなかった。
(……どうして)
胸の奥を、鈍い痛みがじわじわ広がる。
昨日、春菜は言った。
「それは……絶対、ありえないです……」
嫌っていない、と。震えた声で、涙をこらえながら。
あの瞬間だけは、その言葉を疑わなかった。
なのに。
連絡は一切返ってこない。電話も出ない。既読すらつかない。
オフィスの自動ドアが開くたびに、胸がざわついた。
出社してきているかどうかさえ、不安で仕方がなかった。
(……俺、やっぱり何かした?嫌われてないって……嘘だったのか?)
思考が堂々巡りを始める。
自分を責め、春菜を責めたい気持ちも湧き、結局また自分を責める。
どうにもならない苛立ちだけが、静かに積もっていく。
昨日の春菜の“震えた声”が、逆に蒼真の胸の傷を抉っていた。
(……俺の何が、春菜を追い詰めてるんだ)
その答えがわからないまま、蒼真は KITE 社に足を踏み入れた。
足元が重い。
胸が苦しい。
そして――
共有デスクで書類を確認していた春菜の横に、梨花が音もなく立つ。
「……それ、まだ終わってないんですか? 余裕ありますね。まだ全部揃ってませんよ」
声は柔らかいのに、明らかに挑発的だった。
「……もうすぐ終わるよ」
「へえ……。こんな調子でプロジェクト回るんですかね? もうちょっと集中した方がいいですよ」
春菜は、思わずため息が漏れた。
「……他の人に迷惑かけないでくださいね」
ささやくような声。それでいて鋭く刺さる。
春菜の胸に、また小さな痛みが沈んだ。
(なんで……私にだけこんな言い方?)
---
共有デスクで作業していた春菜に、篠原が声をかけた。
「水沢さん、今いい?」
「はい」
「プロジェクトには私は参加してないけど……また一緒に仕事できるの、やっぱり嬉しいなって思って」
「ありがとうございます」
篠原は、少し言いづらそうに眉を寄せた。
「それと……さっきの相川さんの言い方、気になって。
水沢さんにだけ、ちょっと厳しいっていうか……ピリピリしてて」
春菜はびくりと肩を揺らす。
「やっぱり……そう見えますよね」
「うん。普通じゃなかったよ、今のあれ。
試用期間中なのにあんな態度、ちょっと……」
春菜の喉が小さく鳴る。
「でも、余計なお世話にならないか迷ったの」
篠原は、春菜の表情を確認するようにそっと目を向けた。
「このまま見てるだけっていうのも、違う気がして」
春菜は慌てて首を振った。
「そんなこと……でも、他社同士のいざこざになったら……」
「ううん、まずは私が話してくる。
水沢さんはここで待ってて」
「……すみません……」
声が震える。
涙が溢れそうになるのを、必死でこらえた。
篠原はやさしく微笑み、春菜の肩をぽんと叩いて席を離れていった。
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数分後。
篠原は社長室の前に立ち、深く息を吸った。
ノックし、社長室へ入った。
「高瀬社長、少しお時間よろしいですか?」
「ん……いいよ。どうした?」
篠原は静かに扉を閉め、机の前に立つ。
その表情はいつもより硬かった。
「相川さんの態度について、お伝えしておくべきだと思いまして」
蒼真がゆっくりと手を止めた。
「……相川の?」
「はい。水沢さんにだけ、明らかに不自然な言い方をしていました。
業務的な注意ではなく……攻撃に近いです」
語尾にわずかな怒気が混じる。
「他社の社員にあんな接し方をするのは問題です。プロジェクトにも影響が出かねません」
「……何があった?」
「正直に申し上げると――水沢さんが精神的に参っています。周囲の社員も空気を悪く感じています。
放っておけば火種になります」
「……そうか」
「社長が一度、相川さんと話されたほうがいいと思います」
蒼真の表情が、静かに険しくなる。
「……わかった。ありがとう」
篠原が退室する。
扉が閉まった瞬間、室内には冷たい沈黙が落ちた。
---
蒼真は資料に視線を落としたまま、動けなかった。
(……いじめじゃないか)
その言葉が、心臓の奥に落ちる。
(張り合ってるだけじゃ……なかったのか)
自分が軽く流した“火花”は、違うものだった。
(大丈夫じゃ……なかったんだ。本当は)
昨日の春菜の震える声。
電話に出なかった理由。
(違う。……言えなかったんだ)
理解が落ちた瞬間、喉がきゅっと痛む。
(俺が……守れていなかった)
深い後悔が胸を刺し、静かな怒りが積もっていく。
(相川……)
名前を思い浮かべるたび、温度が下がる。
(ただの業務上の相手が――なんで、“俺の大切な人”を傷つける)
資料の端が握りつぶされる。
(許せる事じゃない)
蒼真はゆっくり息を吐き、決意を固めた。
(……俺が直接、相川に話す)
---
篠原は席に戻ると、そっと春菜に声をかけた。
「水沢さん。社長には、私から全部話しておいたから」
その優しい言葉に、春菜の胸がじわっと熱くなる。
「……ありがとうございます」
---
午後。
「相川さん、ちょっと後で時間、いいかな?」
蒼真の落ち着いた声。
だが、いつもと違う冷たい響きがあった。
(え……私だけ呼ばれた? 何か特別な用事?)
梨花は一瞬目を丸くし、そのあとぱっと頬を赤くした。
「はいっ!もちろんです!」
声が自然と半音高くなる。
心臓がドクドクとうるさいほど鳴っている。
(なんだろう……期待していいの……?)
蒼真はそんな勘違いに気づかない。
返事を聞いた蒼真は、ふっと一瞬だけ春菜を見る。
その瞳には、心配、怒り、守る想い――いろんな色が混じっていた。
(……蒼真さん、怒ってる)
春菜はその目を見ただけでわかった。
怖くはない。ただ、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
梨花は、この視線の意味にはまったく気づかず、
胸の前で両手をぎゅっと握りしめていた。
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