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10章 王都動乱
第37話 矜持と自罰
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騒乱は、もう幾日も続く。いっそ勢いを増している。敢えて庁舎を的にしたおかげで、王都の大半はどこ吹く風だ。それだけは功を奏している。
膨れ上がった庁舎の包囲は、王都の患部を顕にしていた。飢えさえ知らぬ自称弱者が不平等を叫ぶ。上だけを見て偏りに怒る。ありもしない隠蔽を責め、よりにもよって貴族に縋った。明確な断罪こそが彼らの納得に必要だからだ。
これが、市民に安定と充足を与えようとした市政の結末だ。やはり、人は人のみでは平等を享受できない。たとえ、御使いの導きがあろうとも。
オルガはそっと息を吐いた。気づけば己の目線の先は、ぼんやりと傍の小机を彷徨っている。人に足りないのは信心か、支配か。それとも魂の成熟だろうか。やはりあれの言った通り、すべてを追うのは儘ならない。いずれ、今生で人の行先を見届けるのは難しいだろう。オルガは机上に意識を戻そうとした。
塀の向こうもさることながら、執務室も相当に慌ただしい。人の行き来と指示の声、飛び交う書類と舞う埃。仕方はないが、騒々しい。
閉鎖された執政庁舎は、いわば夜逃げの真最中だ。
情勢の決した今、オルガの為すべきはひとつしかない。職員を含めた市政機能の移管と継続だ。今、その準備に追われている。
幸い、オルガにはそれをなし得る有力な伝手があった。宮廷の、それも王党派の象徴たる第三王女ペトロネラ・グランフェルトだ。
一見する限りは最悪で、考え得る限り最良の相手だ。王党派のお飾りとはいえ、今ではペトロネラが陣営の理性だ。唯一、過熱する状況を押し留めている。王都の情勢がこうも局地的なのは、彼女の手腕とも言えるだろう。
立場上、彼女は以前からオルガの知己だった。役職の遥か以前から、天の腐れ縁でもある。王国の第三王女は、血族神のレイヴに他ならない。
せめて、これくらいはしてもらわねば。オルガはやさぐれ、そう思う。
こうも市政が揺らぐのならば、いっそお前が国に立て。オルガは幾度もそう彼女に迫った。民主で安寧が遠いなら、支配でそれを為すしかない。
どうせ人はその繰り返しだ。それは幾度も見おろして来た。
埒が明かぬと気を揉むオルガだが、受肉の弊害との自覚もある。秩序神が民の護り手と性格づけられ、スルーズはその代行者となった。受肉した身には否応なく、その神格が擦り込まれてしまっている。
そも、御柱の支配は種の単位だ。人に与えられた恩恵など、たかが生存の権利でしかない。安寧は人が自ら得るものだ。本来ならば御使いの視座も、尺度が違うはずだった。血肉の寿命と人格配分のせいだ。
成熟した身に降りたせいで、オルガは人の我が強い。もはや、思いの区別もない。故にオルガは絶望を知った。執政官としても、御使いとしてもだ。
ペトロネラに為政を託そうとしたのも、その為だった。だが、血統の護り手たる血族神の御使いは、王侯貴族の尻拭いに終始している。考えてみれば、当然だ。あれもオルガと同様に、レイヴの神格が擦り込まれている。
ならば、せめて国家の延命を図れ。国がなければ血も絶えよう――そう説いて、オルガは密約を承諾させた。屁理屈ではあっても、レイヴにも執政庁陥落の先にある動乱は見えている。滅びの備えは必要な筈だ。
「執政官」
ラルセンの声に我に返った。オルガは席の傍に持ち込んだ小机から目を逸らし、机の向こうで無表情を取り繕う副官に目を遣った。
「進捗を、第三書庫の選抜は?」
移管と退避の状況を逐次に報告させる。段取りはつけたが作業は膨大だ。抜いた手の数だけ滅亡は近づく。いずれ、猶予は指を折る段階だ。
淀みない報告を聴きつつ、オルガはこっそりラルセンの表情を窺った。
傍らの小机は書類置きと言い張っている。あれ以来、何気に目を遣る自分にも気づいている。すっかり癖になっていた。ラルセンは、件のラングステンに同行させた副官のひとりだ。もしかしたら、気取られているかも知れない。
「次は限界の三割手前で報告に来い、時期を読み違えるなよ」
気まずさを押し殺し、何か言いたげなラルセンを追い払った。むしろ、口に出したら只ではおかぬ、とオルガの視線に慄いて逃げた。どうやら真相は知らずとも、心情は見透かされている。オルガは内心の動揺を抑えた。
オルガにも後悔はある。むしろ、後悔しか残っていない。追跡の断念は大きな選択だった。御柱の使命に沿うか、御使いの責任に沿うか、あるいは――。
オルガは吐息と一緒に切り捨てた。
あれは恐らく誘拐された。手引きは聖堂商会に身を置くヘルフだろう。追うとなれば執政官との両立は難しい。オルガにとって、あれが最後の機会だった。
とはいえ、未だ賞牌は天界にも、魂の選別場にも落ちてはいない。何故か逃げ遂せている。天界の争奪戦は継続中だ。
ならば、いま自分にできるのはあれの弾除けだけだ。
賞牌を掠め取られた腹いせに、奴は王都の情勢に油を注ぎ、こうしてオルガの行動を封じている。貴族連中を嗾け、地上の幕引きを早めようとしている。奴は組織と言葉を巧みに使うが、実働が弱い。オルガが鬱陶しいのだ。
ヘルフであれレイヴであれ、賞牌を前には同じ競合に違いない。だが、奴にだけは不穏な意図を感じる。あれを渡す訳には行かなかった。
執政庁舎を的にしたように、オルガは自身を的にした。奴がオルガに手を取られるほど、あれは生き延びる機会を得る。現にこうしてオルガの手を逃れ、今も地上に生きている。もしかしたら、寿命を全うすることさえ出来るかも知れない。
あれが持ち前の不運を発揮し、渦中に踏み込むことさえなければだが。
膨れ上がった庁舎の包囲は、王都の患部を顕にしていた。飢えさえ知らぬ自称弱者が不平等を叫ぶ。上だけを見て偏りに怒る。ありもしない隠蔽を責め、よりにもよって貴族に縋った。明確な断罪こそが彼らの納得に必要だからだ。
これが、市民に安定と充足を与えようとした市政の結末だ。やはり、人は人のみでは平等を享受できない。たとえ、御使いの導きがあろうとも。
オルガはそっと息を吐いた。気づけば己の目線の先は、ぼんやりと傍の小机を彷徨っている。人に足りないのは信心か、支配か。それとも魂の成熟だろうか。やはりあれの言った通り、すべてを追うのは儘ならない。いずれ、今生で人の行先を見届けるのは難しいだろう。オルガは机上に意識を戻そうとした。
塀の向こうもさることながら、執務室も相当に慌ただしい。人の行き来と指示の声、飛び交う書類と舞う埃。仕方はないが、騒々しい。
閉鎖された執政庁舎は、いわば夜逃げの真最中だ。
情勢の決した今、オルガの為すべきはひとつしかない。職員を含めた市政機能の移管と継続だ。今、その準備に追われている。
幸い、オルガにはそれをなし得る有力な伝手があった。宮廷の、それも王党派の象徴たる第三王女ペトロネラ・グランフェルトだ。
一見する限りは最悪で、考え得る限り最良の相手だ。王党派のお飾りとはいえ、今ではペトロネラが陣営の理性だ。唯一、過熱する状況を押し留めている。王都の情勢がこうも局地的なのは、彼女の手腕とも言えるだろう。
立場上、彼女は以前からオルガの知己だった。役職の遥か以前から、天の腐れ縁でもある。王国の第三王女は、血族神のレイヴに他ならない。
せめて、これくらいはしてもらわねば。オルガはやさぐれ、そう思う。
こうも市政が揺らぐのならば、いっそお前が国に立て。オルガは幾度もそう彼女に迫った。民主で安寧が遠いなら、支配でそれを為すしかない。
どうせ人はその繰り返しだ。それは幾度も見おろして来た。
埒が明かぬと気を揉むオルガだが、受肉の弊害との自覚もある。秩序神が民の護り手と性格づけられ、スルーズはその代行者となった。受肉した身には否応なく、その神格が擦り込まれてしまっている。
そも、御柱の支配は種の単位だ。人に与えられた恩恵など、たかが生存の権利でしかない。安寧は人が自ら得るものだ。本来ならば御使いの視座も、尺度が違うはずだった。血肉の寿命と人格配分のせいだ。
成熟した身に降りたせいで、オルガは人の我が強い。もはや、思いの区別もない。故にオルガは絶望を知った。執政官としても、御使いとしてもだ。
ペトロネラに為政を託そうとしたのも、その為だった。だが、血統の護り手たる血族神の御使いは、王侯貴族の尻拭いに終始している。考えてみれば、当然だ。あれもオルガと同様に、レイヴの神格が擦り込まれている。
ならば、せめて国家の延命を図れ。国がなければ血も絶えよう――そう説いて、オルガは密約を承諾させた。屁理屈ではあっても、レイヴにも執政庁陥落の先にある動乱は見えている。滅びの備えは必要な筈だ。
「執政官」
ラルセンの声に我に返った。オルガは席の傍に持ち込んだ小机から目を逸らし、机の向こうで無表情を取り繕う副官に目を遣った。
「進捗を、第三書庫の選抜は?」
移管と退避の状況を逐次に報告させる。段取りはつけたが作業は膨大だ。抜いた手の数だけ滅亡は近づく。いずれ、猶予は指を折る段階だ。
淀みない報告を聴きつつ、オルガはこっそりラルセンの表情を窺った。
傍らの小机は書類置きと言い張っている。あれ以来、何気に目を遣る自分にも気づいている。すっかり癖になっていた。ラルセンは、件のラングステンに同行させた副官のひとりだ。もしかしたら、気取られているかも知れない。
「次は限界の三割手前で報告に来い、時期を読み違えるなよ」
気まずさを押し殺し、何か言いたげなラルセンを追い払った。むしろ、口に出したら只ではおかぬ、とオルガの視線に慄いて逃げた。どうやら真相は知らずとも、心情は見透かされている。オルガは内心の動揺を抑えた。
オルガにも後悔はある。むしろ、後悔しか残っていない。追跡の断念は大きな選択だった。御柱の使命に沿うか、御使いの責任に沿うか、あるいは――。
オルガは吐息と一緒に切り捨てた。
あれは恐らく誘拐された。手引きは聖堂商会に身を置くヘルフだろう。追うとなれば執政官との両立は難しい。オルガにとって、あれが最後の機会だった。
とはいえ、未だ賞牌は天界にも、魂の選別場にも落ちてはいない。何故か逃げ遂せている。天界の争奪戦は継続中だ。
ならば、いま自分にできるのはあれの弾除けだけだ。
賞牌を掠め取られた腹いせに、奴は王都の情勢に油を注ぎ、こうしてオルガの行動を封じている。貴族連中を嗾け、地上の幕引きを早めようとしている。奴は組織と言葉を巧みに使うが、実働が弱い。オルガが鬱陶しいのだ。
ヘルフであれレイヴであれ、賞牌を前には同じ競合に違いない。だが、奴にだけは不穏な意図を感じる。あれを渡す訳には行かなかった。
執政庁舎を的にしたように、オルガは自身を的にした。奴がオルガに手を取られるほど、あれは生き延びる機会を得る。現にこうしてオルガの手を逃れ、今も地上に生きている。もしかしたら、寿命を全うすることさえ出来るかも知れない。
あれが持ち前の不運を発揮し、渦中に踏み込むことさえなければだが。
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