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エデンの王子様

ミラの肖像画

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 エミールは押せば口を割る男だと思ったので、言葉巧みに攻めて情報を引き出すことに成功した。どうやら最初に探していたミラの肖像画もミラの部屋にあるようだ。

『母の部屋に入ってはいけない』

 そうジェラルドに言われたのは、ダンスパーティーの後、この邸宅に来た直後だった。だから、ここに住むようになってかなりの時間が経ったが、その部屋に近づくことはなかった。
 レオンの就寝時刻が過ぎれば、邸内の使用人たちは各自の部屋に戻る。あと三日間はジェラルドもノアも不在だから、今が忍び込むチャンスなのだ。レオンは身軽に動き、情報を手に入れたその日の晩に行動を起こした。

(こんな冒険は久しぶりだな……)

 レオンは息を潜めて廊下を歩いた。奥まった突き当たりに、重厚な扉が見える。それが、入ってはいけないと言われた〝ミラの部屋〟だ。レオンが住むことになって明るく爽やかに改装された他の部屋とは異なり、扉は古くてくすんだ色をしている。まるで、ここだけが別の世界として切り離されているかのようだ。

 扉には新しいタイプの魔術錠が付いている。普通の鍵穴であれば針金で開けられるだろうと思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。ちなみに針金で鍵を開ける方法は、孤児院に遊びに行った時にリックから教わったものだ。彼はいたずらをして反省室に閉じ込められた時、自力で鍵を開けて脱出する技術を身につけたと言っていた。

(魔術錠ならきちんと鍵がないと。とりあえず執務室のキーボックスを調べてみよう)

 レオンは周囲に誰もいないことを再確認し、扉に近づいた。そっとノブを回してみたが、やはり閉まっている。鍵の掛け忘れはなさそうだ。




 レオンはその足で執務室に向かった。鍵がかけられているが、ここは普通の鍵なので、『灯光』を発動して手元に小さく明かりを灯し、針金を使って素早く解錠する。カチリと小さく音がして、ノブを回せば扉が開いた。

(よし)

 レオンは中に入り、室内を見渡した。日中は常に人がいる執務室だが、今は誰もおらず、暗さも相まって別の部屋のようだ。執務机の背後にあるキーボックスのパスコードは知っている。ボックス内には邸内の全ての鍵が収められているという話を聞いている。ミラの部屋も管理と維持のために必要なので、きっとここに鍵があるはずだ。

「あった……」

 漁ることなく、最新型の鍵は一本だけだったので、すぐにわかった。鍵は頭に小粒の青い魔石が埋め込まれており、暗い室内で薄青く光を放っている。取り付けられた魔石にそっと触れると、わずかに魔力の波動を感じた。レオンはそれを手に取り、ポケットにしまった。そして、再びミラの部屋に向かう。




 鍵は正解のようで、扉の鍵穴に差し込むと、くすんだ色の扉全体に、線状の魔術光が勢いよく走った。暗い分、よく見えるが、古ぼけた扉がただ古いだけではないことが分かる。おそらく、扉は最新式のもので、表面に偽装が施されているのだろう。それをしたのは、好奇心旺盛なレオンが興味を示さないようにするためかもしれない。

「パスコード……」

 扉は物理的な鍵だけでなく、パスコードを求めてきた。研究所に乗り込んだ時のリックの設けた結界と同様、思念型で開くものだ。ぼんやりと三文字必要なことがわかる。ジェラルドの事に考えを巡らせれば、彼が設定するであろう三文字の言葉がストンと落ちてきた。レオンはゴクリと喉を鳴らし、それを心の中で呼んだ。

(〝レオン〟)

 静かな闇にカチリと無機質な音が響き、同時に扉が音もなく開いた。

(開いた……!)

 思わずレオンは心の中で喜びの声を上げた。中に滑り込み、扉を静かに閉める。廊下では消していた『灯光』を再び発動して手元に小さな明かりを灯し、暗い室内に手をかざした。


 ミラの肖像画は入ってすぐの場所に飾られていた。
 額装さえも芸術品のような、立派で大きな絵だ。


 ミラは肖像画の中で微笑んでいる。腰まで伸びた、まっすぐな黒い髪は艶やかで、オニキスのような黒い瞳は吸い込まれそうなほど深い。その宝石を輝かせるように入れられたハイライトは絵の中で最も明るく、生き生きと輝いた目元を演出している。肖像画では珍しく明るい背景は薄明かりのようなグレーで、そのモノトーンに浮かび上がる滑らかな白い肌や、鮮やかな色選びをしたバラ色の頬、そしてふっくらとした唇が彼女の体温を感じさせるようだった。身体に沿った軽やかな白いドレスは、彼女の曲線を際立たせており、まるで女神か、精霊かと思わせるほど美しかった。

 レオンは思わず息を呑んだ。

 その女性は、記憶の中のシェリーが大人になった姿と言ってもいい。アルファになると信じていた頃の自分は、幻である彼女とのダンスを夢見ていた。幼い頃のジェラルドとミラが瓜二つなら、やはり彼がシェリーで間違いないと確信した。

(薄らぎつつある顔かたちだったが……男性と女性でこうも成長後の顔の印象は変わるんだな)

 レオンは肖像画から目を離せなかったが、時間も惜しいので探索を続ける。広い室内にぐるりと光を向ければ、壁一面を埋め尽くす様々なサイズの油彩画が飾られているのが見えた。

(私、だ……)

 それらの絵は全てレオンが描かれていた。エデン入学頃から成長する様子が順番に並んでいる。中には襟を開けたり素足を見せたりと、肌を露わにしたものもあった。美しい絵ではあるが、描かれた対象がレオンだけでこの枚数が存在するのが不気味で、背筋にゾクゾクと寒気が走った。

(あ……)

 よく見ると窓には頑丈な鉄柵がはまっている。室内の窓すべてにだ。アルファはオメガを囲う習性があり、アルファ性が強いとオメガを閉じ込めてしまう者もいると聞く。ここはミラの部屋なのだから、ハロルドがミラをここに閉じ込めていたのだろうか。彼女がされていたのは軟禁で、庭まで出ることを許されていたと聞いたが、その情報は嘘だったのだろうか。それとも――。

 レオンが異様さに冷や汗をかいていると、背後で物音がした。振り返ると長身の黒い影が立っている。
 まだ、帰ってくるはずはないのに。夜も遅いのに。

「悪戯が過ぎるな、レオン。入ってはいけないと言っただろう?」
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