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幼少期編:王国
囚人
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時は少し遡り、エルピスが黒服の男達との戦闘を行う数分前。
エルピスとの戦闘に負けた憂さ晴らしとして祭りで遊ぼうと、あちらこちらの屋台をアウローラが歩き回っていた時のことだった。
アウローラ自身ただでさえ王国祭で他所の国から大量の人間が入ってきている上に、事前に危険人物が侵入して来ている事はなんとなく聞いているので警戒はしていた。
この国を代表する貴族の娘として命を狙われたことは一度や二度ではなく、前世ではとてもではないがなじみのなかった暗殺者という人物たちには随分と詳しくなったものだとアウローラ本人も自覚している。
ただ今回会場に向かう際の道中も一度酔った少年達が馬車に不用意に近付き過ぎてアルキゴスに酔い覚ましパンチを食らった以外には特に何も問題はなく、加えてエルピスが開発したらしい魔法の効果によって既に怪しい人物たちのほとんどが捕縛されているため王都は前代未聞というとなんだかおかしな響きであるが、少なくとも前例がないくらいには平和な場所になっていた。
王国際初日の目玉である時期王達の大立ち回りに参加したアウローラは、その疲れを癒すためにとお忍びで王都をぐるぐると回って数年に一度の祭りを楽しむ。
とはいえ護衛を連れていないと少し怖いので宮廷魔術師を六人、兵士を四人、こんなにも大人を周りに囲っているとなんだか悪目立ちをしてしまうが、エルピスがいない状況での外出を許して貰うためにはこれが条件だったのだ。
知っている場所知らない場所、どんどん色々な屋台を巡って行き、アウローラは少しずつ自分の胸に何か違和感が溜まっていくことに気がつく。
なんなのかはわからないが嫌な予感というのは意外と当たるもので、別に当たらなくても警戒するに越したことはない。
それを一応周辺にいる兵士達にも伝えつつ、その違和感の正体を詳しく探ろうともせず進んでいくとその違和感は現実となって現れる。
人通りが明らかに減っているのだ。
大きな通りというわけでない場所を歩いていたが、それでもいまの王都で人が点在するような通りなどほとんどありえない。
違和感を感じて即座に大通りへ向かって走ってみれば、それほど広くも狭くもない通りに複数の人影がアウローラ達を取り囲む。
高低差も特になく、家々に囲まれてすこし視界は悪いとはいえ相手とこちらで明確に有利不利が分かれるほどではない。
そんな状況で相手がこちらを襲ってきたのはそれでも倒せると踏んでいるから、それを分かっているからこそアウローラを守る兵士たちの行動は速い。
「お前達は何処の国の奴等だ!? 帝国か? それとも共和国か! ヴァスィリオ家のご令嬢を拐ってただで済むと思っているのか!」
辺りを見回しながら兵士の一人がそう問いかけるが、帰ってくるのは殺意だけで、周りから向けられる無機質な目は目的を遂行するためだけにしか動けない機械のように思える。
宮廷魔術師の一人が空へ向かって魔法を放つと大きな花火のようなものが王都の空に打ちあがった。
一目見れば遠方からもわかる其れは救難信号であり、様々な色によって事態を現すそれが赤色に輝いているのは護衛対象に命の危機がある証でもある。
(前世の私ならもう逃げ出してるわねこれ)
この場所から逃げ出すことは簡単だ。
ここは王都、常駐する兵士の数はもちろん王国内でも最多であり叫べば即座に人がすっ飛んでくる。
赤い花火は一定の実力者以上は近寄らないように言われているため兵士たちが寄ってくることはもはやないが、それでもエルピスたちがいる方に向かって走れば間違いなくアウローラは助かるだろう。
だがいまの王都は人通りがほんの少し減っただけでアウローラが敵の攻撃だと理解できるほどに人通りが多く、そしてどうしようもなく甘いアウローラは無関係の人間に攻撃が向けられる可能性を考慮に入れると途端ににげだすという選択肢を放棄してしまう。
人影のように見えた周囲を取り囲むものが徐々に実態を帯びていき、そうして自分の命を狙うものたちがこちらの3倍はいることにアウローラが気付くと同時、向かいに立っていた男が全身をまとう服によって顔色すらわからせないままに言葉を紡ぐ。
「随分と腕に自信が有る様だな。この人数を相手にどう戦う?」
外見からは黒い衣装を全身に纏っているため年齢を把握できないが、相手の頭領らしき人物がそう言いながら上に上げていた手を下ろすと様々な角度から小さな短剣が飛んでくる。
だが宮廷魔術師達はそれを許すほど甘くはない。
転移の魔法を使用するには長い詠唱が必要なのでこの場から直ぐに離脱する方法は無いが、人を効率的に破壊する魔法の展開において彼らの速度は確かなものであった。
お返しとばかりに宮廷魔術師が放った魔法が数人の影を焼き倒し、相手に攻め入ることを躊躇させる。
その躊躇した一瞬、それを鍛えられた兵士たちは見逃さない。
「魔法に驚いてばかりだが、我らも忘れないでいただきたい!」
そう言いながら兵士達は周囲を取り囲む敵を吹き飛ばし、魔法使い達の盾として前衛を買って出る。
近衛兵達には及ばないにしろ、彼等は王族や貴族の護衛を任せられるほどの優秀な人材。
相手が何人居ようと亜人種の様な特例でもない限り負ける事はないと彼らは自負している。
実際彼らを倒すのは相当難しいだろう、この人数差を前にしても救援の為に時間を稼ぎきれると判断できるだけの自信を有しているのだから侮りがたい。
「だがまぁ仕事だからな、苦戦することくらい織り込み済みなんだ。――行け」
男の号令と共に確かにアウローラの目の前で戦闘が開始した。
戦術級魔法を使用するに至ったアウローラが魔法を一度放てば目の前の者達はことごとく肉に変わっただろう。
宮廷魔術師たちの魔法は確かに強く細やかで洗練されているが、暴力的な魔力消費によって放たれる戦術級魔法は彼らの作り出した戦果など一瞬で塗りつぶしてしまう。
だがアウローラが魔法を放つことはない。
エルピスとの戦闘で魔力を使いすぎたから? ――違う。王族達は既に空になった魔力だがアウローラはいまだに余力を残している。
自分以外にも誰かを巻き込むことを恐れたから? ――これも違う。魔法範囲の指定をいまさら失敗するような未熟者ではない。
彼女が魔法を使わない理由はただ一つ、人を殺すことを恐れているからである。
生き死にが身近な世界においても他者を殺すことはそれほど多いことではない。
ましてや日本からやってきたアウローラに人を殺せというのは無理難題といっていい。
それを分かっているからこそ周りの兵士達はアウローラに戦えとは言わずに自分たちが戦うのだ。
「技の冴えはさすが宮廷魔術師殿、こちらに合わせていただいてかたじけない」
「いやいや、貴殿らが抑えていてくれていればこそだ。あと数分でここに応援の魔術師が殺到する、それまで待てばいい」
そう言って仕返してやったとばかりに兵士達は青年の方を見たが、そこまで気にしてない様子である。
だがもう既に勝敗は決しているのだ。
初手で護衛を殺せなかった時点で敵は既に失敗したとそう言ってもいい。
そんな兵士の思考を読んでいたかの如く、男はにやりと笑みを浮かべて言葉を発する。
「さすが貴族の娘、たいそうな警備だ。あぁ確かに普通ならもう無理だな」
「何を言っている……? この周辺に生命反応はもう貴様しか」
まさかまだ伏兵がいるのかと思い辺りを見回すが、周囲に脅威として認識出来るほどの強さの敵は1人もいない。
魔法によって行われる探知には周囲に人がいないと発しており、もし仮に敵がいたとしてもいまさら何人増えたところで変わらない。
ただそれでも警戒を緩めることはなく兵士達が注意深く観察していると、男が体の目の前でパンと大きく手を叩き合わせる。
「――――」
この世界では鳴るはずのない音がアウローラ達の耳に届くよりもほんの少し早く、兵士の頭部に小さな鉄の礫が突き刺さった。
回復魔法が存在するこの世界においても明確に直せないラインである脳機能の損傷、異世界人がこの場にいたならばそれがなんなのか嫌でも理解させられる。
頭を打たれた兵士は自分が攻撃されたことにも気が付かないままに絶命、意思を失った体はその場に倒れ伏しピンクと赤の物体をあたりにまき散らしながら二度と動くことはない。
理外の一撃に頭を白くする兵士たちの前でアウローラは即座に自分がなすべきことを、この武器に対する対処法を伝える。
「全員物理障壁を展開! 早く!」
アウローラが言った通りに物理障壁を宮廷魔術師が展開したその瞬間に二発目が放たれ、障壁に深い傷跡を残す。
命を刈り取るそれを未然に防げたことで宮廷魔術師たちの顔色には安堵の表情が見て取れた。
だが続く男の言葉にその顔はすぐにゆがませられる。
「物理障壁? それなら問題ないんだよ」
「ーーまさかッ!?」
アウローラが言葉を発したその時、放たれた弾丸が小規模の爆発を発生させる。
命を奪う目的ではなく相手の非殺傷を目的としたそれから放たれた小さな破片はアウローラを守る男たちの身体に深々と突き刺さる。
気が付けばいつの間にか周りには先ほどよりも多い影が辺りを支配しており、兵士たちの顔にも暗いものが映り込み始めていた。
「それじゃあお嬢ちゃん、来てもらおうか」
「ーーっ!」
/
鼻歌を歌いながら転移魔法を使用して、エルピスはようやく王城までたどり着く。
さすがに街中を堂々と黒服の人間を引きずりながら歩く訳にもいかなかったのでなるべく裏路地を使い近くまで徒歩で移動してから魔法を使用したのだが、それでも魔力の消費量はバカにならない。
転移系魔法は飛ばす人数と距離が多ければ多いほどに消費魔力が上がるので、エルピスも含めて七人も転移させようと思うとかなりの魔力量を消費してしまうのだ。
普段ならばその程度なんとも無いのだが先程まで大会に出ていた影響もあって、エルピスはかなり魔力を消費していた。
おそらく今の状態では、魔法を使えてあと数発程度と言うところだろう。
魔力調整を失敗したなと思いながら、転移を終えたことによって感じる若干の浮遊感に酔っていると、鎧を着た者が動く時特有の音と共に目の前から慌ただしい声が聞こえてくる。
「そっちはどうだ! いたか!?」
「いや、こっちは居ないぞ! もしかしたらもう既に城の外に出たんじゃーー!」
「俺達は余計な事を考えなくていい! もし外に出て居たとしてもそれはそれで他の奴らが見つけてくれる! 今は死ぬ気で城内を探せ!!」
全身に鎧を着込んだ城兵達が、休む暇もなく城の中を駆け巡る。
その様子はさながらどこか他の国との戦時中のようにすら思えるほどで、エルピスは〈神域〉を使用しアルキゴスと近衛兵達の位置を割り出すと、事情を把握する為にその場所に移動する。
「ーーこの事から、おそらく敵は数十名程度だと思われる。誰か質問はあるか?」
「質問というより儂からの疑問なのじゃが、あの包囲網からどうやって彼奴らは抜け出したのじゃ? 完全に取り囲んだだけでは無く、魔法的にも逃げられん様にしておったのに」
「それはまだ原因が分かってーー戻ったかエルピス! とりあえずそこに座れ」
昼に会った時は打って変わって、完全に戦闘用の衣服に着替えたアルはエルピスの事を見つけると、用意された席に座る様に促す。
周囲に控えて居た近衛兵達は表情こそ変わらないものの、戦力の一つ程度には数えてくれているのか、エルピスが参加する事に文句を付けるものは居なかった。
黒服達をそのまま引きずっても邪魔になるだけなので、起きないように弱い魔法をかけて眠らせ、近くの地面に縛った状態で置いておく。
「一体何が有ったんですか? 城どころかあちこちで騒ぎが起きている様ですし、そこで寝転がっている黒服に襲われたんですが」
視線を黒服達の方に向けながら、エルピスはアルに対してそう言った。
いまの状況を何も把握して居ないエルピスからすれば、直ぐにでも話を聞きたかったのだが、口を開きかけたアルは躊躇うようにして首を振ると口を閉じマギアの方を向く。
それに対してマギアがゆっくりと首を縦に振ると、アルはゆっくりと口を開く。
「……アウローラが何者かに攫われた」
「アウローラ様が……? 本当ですか? 本当にアウローラ様が?」
「ーーああ」
事実を告げるアルの言葉は、エルピスにはどこか遠くで発した言葉のように小さく聞こえた。
だがそれは確実にエルピスの耳に届き、そして今日一日ーー具体的に言うのであれば黒服達に出会ってからの一連の騒動ーーはこれに関連するのだと理解する。
つまりあの黒服のリーダーが言っていた協力しないかと言う言葉は、家庭教師であるエルピスに対して"アウローラを攫うのに協力しろとそういう事だったのだ。
勝手な固定観念に襲われて、エルピスはてっきり王族やそれらの関係者だと勘違いしていた。
だがよく考えればその相手がアウローラだったとしても、なんらおかしくは無かったのだ。
「ーーそうですか。アルさん、そこに寝転がっている奴らの処理は任せてよろしいですか?」
「悪いが先に言っておくぞエルピス、アウローラの事を追いかけるのは禁止する。敵がここまでしたという事は、他にも何か手があるかもしれない。近衛兵に俺と師匠とお前は、王城で待機だ」
アウローラを助けに行けない、その事実だけがエルピスの胸に深く突き刺さる。
あの時点で、黒服達に囲まれたあの時点で全員を捕らえて居たのならば、まだ少しは希望が見えたというのに。
苛立ちをぶつけるように奥歯を噛み締め落ち着きを取り戻すと、エルピスはアルに言葉を返す。
「分かりました。確かに何か他にもあるかもしれないですし、素直にここで待ちます」
「ーーお前なら飛び出してでも行くかと思っていたが、冷静な判断が出来てるようでなによりだ」
「……そんな顔されてたら僕が身勝手に動く訳にも行きませんよ」
おそらく無意識なのだろうが、噛み締められた唇と握り締められた手にはアルの怒りが分かりやすい程に出ており、エルピスも頭を冷やす事が出来た。
とは言えアウローラを攫った者たちに対する怒りは消える事がなく、そしてそれを見逃した自分に対する怒りも消える事は無い。
だからエルピスは自分が動けないのならばと、一番信用している者達に声をかける。
「ーーみんな集合してくれ」
エルピスが魔力を込めた声で呟くと、フィトゥスを始めアルヘオ家の召使い全員がその場に集合し膝を折る。
主人からの命令が彼らにとっての最優先事項であり、そして一番の喜びでもある。
一番最初にエルピスの前に現れたフィトゥスが他の者を代表して、顔を上げエルピスに問う。
「ーーお呼びでしょうかエルピス様」
「アウローラ様が攫われた。敵はそこに転がっている奴らの仲間だ、見つけ次第直ぐに報告し、絶対に逃がすな。余裕があれば敵が誰なのかも探ってこい。行け!」
「「了解!!」」
必要な事だけを伝えてエルピスが腕を振るうと、フィトゥス達は他方面に散開していく。
目的を伝えるだけで動いてくれる全員に感謝しながら、エルピスもその場でいくつかの技能を使用する。
絶対に何があろうとも逃しはしない。
そう決意を込めながら、エルピスは再びアルキゴス達の元に戻るのだった。
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夕日が地平の彼方に沈み、静かに夜の訪れを告げる。
王族達は王城の中でも特に頑丈な一室に纏められ、その部屋の中には近衛兵全員とエルピスが。
外にはアルキゴスとマギアに、数人ほどヴァスィリオ家から派遣された兵士が立っていた。
「……すいませんエルピスさん、僕達が居るせいでここに留めさせてしまって」
「構いませんよ、ここに居ても出来る事は有りますし。それにあと数十分ほどで国王様も帰ってくるようですので、特に問題はありません」
「……そうですか、それなら良かったです」
グロリアスとエルピスの会話が終わると、再び部屋の中は静寂に包まれた。
王国祭で大貴族の娘が攫われたと知られれば、他国だけでなく国の内側からも批判の声が上がる可能性がある。
その為、国王とヴァスィリオ家の夫妻は予定通り王国祭を行なっている。
薄情と言ってしまえばそれだけの事だが、上に立つものとしての義務を果たしているというのにそれを責める事は出来ない。
そうは思いながらも〈神域〉を使用して王都の外を探していると、部屋の扉が開く。
付け慣れて居ないのかどこか服装から浮いた王冠を頭につけ、儀礼用の服装を見にまとい、国王が部屋に入ってくる。
「エルピス、いま戻った。イロアス達が呼んでいたぞーーってもう居ないか」
「国王様は行かなくてもよろしいのですか?」
「俺は自分の子供達を守らないと行けないからな。お前達もいつでも出られる様にしておけよ? ビルムかイロアスか、どちらかは知らないが そのうちやって来るだろうからな」
「了解致しました」
「アルももう行ってきて良いぞ、王都を守るのは俺一人で十分だ」
驕りとも取れるほどの圧倒的な自信を持って、国王はそれが簡単な事のように告げる。
とはいえ事実、英雄と呼ばれるイロアスと肩を並べることが出来る存在である国王からすれば、この王国を一人で守るのは難しいこととは言えないのだが。
ただただ笑みを浮かべながら、王は来る敵に備えて魔力を高めるのだった。
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国王が自由に動けるようになった事で、同じく自由に動けるようになったエルピスが一番最初に向かった場所は、王城の地下に秘密裏に作られた地下牢だった。
秘密裏に作られたと言っても違法性のある物と言うわけではなく、敵国のスパイなどを奪還させない為にあえてこの場所は隠蔽されているのだ。
そこには魔法をかけられた事によって力を奪われ、ぐったりと横たわる黒服達の姿があった。
事前に拷問にはかけないようにと言っておいたので目立った外傷はなく、エルピスが引きずったせいで少々身体に泥が付いているが、それ以外には特に問題は無さそうに見える。
「こんにちは黒服の皆さん。僕の名前はエルピス・アルヘオ、ご機嫌はいかがですか?」
「……最悪だよ。最悪、上司に捨てられて、力を奪われた状態で拷問にもかけられず牢屋の中だぞ? 良い気分になる訳が無い」
「ーーそれもそうですね、すいません気が利かなくて。何か料理をお持ちしましょうか? それとも毛布でもいりますか?」
「まったく面白くないジョークだな、せめて顔くらい笑って見せたらどうだ?」
表情を変えない様に技能を使っているエルピスとは違い、コロコロと変わる相手の表情は技能を使って居ない証だ。
子供だからと舐められているわけでは無いだろう。
きっと誰が相手であろうと、この黒服達は同じような態度を取る筈だ。
とは言えエルピスがここに来たのは、何も相手の口から直接情報を聞き出すためではない。
(技能使用、〈完全鑑定〉)
盗神の称号と合成された事で、完全鑑定はその能力を飛躍的に上昇させていた。
視界いっぱいに、相手の体重から病気の有無、精神状態や空腹状態まで事細かく記載される。
それら全ては事細かく記載されているわけではなく、纏められたものを意識して見ると情報が細かく分かれていった。
その中に秘匿情報と記載された欄を見つけ、躊躇うことなくエルピスはそれを見て行く。
好きな人や恋人の有無、コンプレックスや仲間に秘密にしている大量の金など、見ているだけで気が滅入るようなそこにエルピスの目的の情報が記載されていた。
〈所属組織:共和国第九暗殺部隊)
ただその一文を探すためだけに随分と嫌なものを見せられたと辟易してしまうのも無理はないだろう。
「ふーん、なるほどねぇ。偵察に来ていたのは分かっていたけれど、まさか馬鹿正直に攻めて来ていたとはね」
「……何が言いたい」
「共和国第九暗殺部隊所属、団員番号は十二番」
「ーーっ?! いったいどうやって……」
「言う気はありませんよ。そういえばですが、貴方達が今から舌を噛み切って死んだところで、どちらにしろ情報を得られる事には変わりません。死ぬならお好きにどうぞ」
先程まで目の奥に秘めていた怒りはどこに行ったのか、技能すら解除し、軽く笑顔を浮かべながらエルピスはそう言った。
いや、正確に言うのならば、怒りが何処かに行ったわけではないだろう。
ただ怒りの矛先が少しずれただけの事だ。
興味を無くした牢獄の中の生き物には、もはやエルピスは感知することすら面倒だと判断を下した。
そんかエルピスに対して、エルピスと喋って居たのとは別の黒服が大きな笑い声をあげる。
「ふは、ふはは、ふははははははっっ!!! 薄々そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりお前もこっち側かよ!
仲間を守る為って免罪符を背負っているから、こんな事が出来ているんだと自分に言い聞かせているのかも知れないが、お前は違う! 最初っから頭のどっかがぶっ飛んでんだよこの怪物がっ!」
「急になんですか、怖いですね。人を急に怪物呼ばわりするなんて」
言葉を咀嚼するようにして何度か呟くと、笑みを浮かべていた顔を急に無表情に戻してエルピスは牢屋の奥の黒服に目を向ける。
そんなエルピスに対して、黒服は更に笑みを深め言葉を継ぎ足して行く。
元からお前は狂っているのだと、なのに甘さを受け入れようとするからヘマをするのだと、さながらわざとエルピスを怒らせるようにして、様々な言葉を投げかける。
そんな黒服に対してエルピスはため息を吐き、澄ました顔でまた笑う。
「友達を助けるために頑張ることはおかしいことですか?」
「その友達を助ける為なら何人殺しても良いと? ああまぁ確かにそりゃあそうだ! こんなご時世、友達を助けたいなら他人の命なんて気にするだけバカだ! だがな小僧! お前のその黒い髪が! 年齢にそぐわない口調が! お前が異世界人だと教えてくれている。」
エルピスの言葉に対して苛立ったように言葉を返したのは、エルピスの事を怪物といった人物ではなく最初にエルピスと会話をして居た人物だ。
いつのまにかその黒服は柵のギリギリまで詰め寄って来ており、エルピスの服を掴んでそのままエルピスの身体を柵に引き寄せ当てる。
その程度の行動では今のエルピスと黒服の能力差を考えれば、もはや攻撃と呼ぶことすらおこがましく、エルピスには一切のダメージを負った様子は無い。
エルピスは事前に転生者の見分け方を聞いて知っているので、動揺もせずただまっすぐ視線だけを合わせて居た。
だが黒服も同じように、エルピスが動揺しなかった事に何も思わない。
だから黒服はそのままただこちらを見つめる少年に吐き捨てるように言葉を投げる。
「お前がこの世界の事をどれくらい知ってるかは知らねぇ。俺は知らねぇが! 俺は闇で生きて来たからお前らがどんな世界で生きて来たかは知ってるつもりだ。
表立った戦争もなく、努力は報われ明日が来るのが当然だと思っている奴らが過ごす、そんな世界だって聞いてんだよ。
そんな世界に居てなんでそんなに冷静でいられる? 何故そうして平静を保てるんだ?」
エルピスを何度も揺さぶるうちに顔を隠して居た布が剥がれ、黒服はその素顔を露わにする。
年齢にしておそらくは三十代後半だろうか。
きっとこの世界に生まれ落ちた者からすれば、夢の世界にすら思えるだろう元の世界。
だがエルピスからすればあそこは辛い、ただ辛いだけの場所だ。
目の前の男はそれを知らない。
エルピスの目に再び炎が映る。
それは先ほどまでの怒りよりもさらに大きな怒りの炎、エルピスのもっとも触れてはならない場所に彼は触れてしまったのだ。
「さっきから人が黙って聞いてれば好き勝手言いますね。焦ってるんですよこっちは、これ以上ないくらいにこれまでにない程に。分かりますか? これが人生で初めての失敗です、俺はこの世界で両親に愛される為に全てを完璧にこなそうと努力して来た。メイドや執事達にああこの程度なんだと思われないように精一杯頑張って来た。なのに俺は貴方達の行いによって人生で初めて失敗し、あろうことかこの世界で初めてできた出来た友達を無くそうとしてるんですよ?」
襟首をつかんで来たあいての手を無理やり剥がし、逆にエルピスが黒服の襟首を掴む。
「俺にとって一番大事なのは家族、その次に友達、それ以外は正直どうだっていい。アンタらが俺の知らない人を攫うなら、俺の知らないところでやってるなら俺だって何も言いませんよ。
ただ貴方達はそうじゃなかった、俺の大事なものに汚い手をかけてあろうことかまるでゴミみたいに簡単に人を殺した。なんで冷静でいられるか? そうしないと今すぐ全員殺しちゃうじゃないですか。あなたたちに利用価値がある限り、簡単に殺すことができないんですよ本当に残念ですが」
「お前、頭おかしいよ」
「善人ぶらないで下さいよ気持ち悪い」
そう吐き捨て、エルピスは牢屋を後にする。
罵詈雑言を背中に飛ばされながらもエルピスはそれを一切気にする様子はなかった。
あれらはもはやこれから先エルピスの人生に関わってこない物、長い人生の一幕でエルピスにアウローラの情報を与えることこそが彼らがするべきだけの事。
どこの国の所属か分かり、身柄を抑えられているのであれば相手を特定しアウローラの場所を割り出すのもそう難しい話ではない。
地下牢がある場所から階段を上り上へと上がっていくと、そこには暗い顔をしたアルキゴスが立っていた。
距離はかなりある上に地下牢と外を繋ぐ扉はとても分厚く声が通るようなものではない。
だがエルピスはアルキゴスの顔色を見て彼はエルピスと名も知らない共和国の密偵との会話を聞いていたのだろうとそう思った。
「エルピス」
「――そんなにひどい顔色、してますか?」
「グロリアス様がみたら気絶しそうな顔してるよ」
急がなければいけないとそう分かっているのに、アウローラがいままさに助けを求めていると理解しているのにエルピスの身体は動かない。
こんなところで話している暇なんてないんだ、今すぐにアウローラのところに行かないと。
こんなところで自分は休んでいるわけにはいかないんだ――
Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼
アルキゴスが尋問室の前にいたのは、イロアスに頼まれてだった。
いわくエルピスはアウローラが捕まったのを自分のせいにするだろうから、あの子のことを慰めてやってほしいと。
アルキゴスはそんなイロアスに対して1時間後程度に合流予定なのだから自分の口から言えばいいと言ったしイロアスもそれを納得していたのだが、なんとなく気になってこうしてエルピスを迎えてしまったのだ。
地下でのエルピスの言葉をアルキゴスは彼が想像していた通り聞いていた。
その子供らしいとはとても言えない口ぶりと、尋常ではないほどの怒りを漂わせた彼は、地下から上がってきたときにはアルキゴスですら半歩下がるほどの威圧感を纏っていたのにその相貌がアルキゴスを貫いた途端に目に見えて雰囲気が変化する。
まるで自分が失敗したことを親に知られてしまったように、取り返しのつかない失敗をしてしまったように、ひどく絶望したその顔は初めて見るエルピスの表情であった。
「エルピス、俺はお前の師匠だ。そうだな?」
一体何を言っているのだとそんな顔をするエルピスに対して、答えろとばかりにアルキゴスは首をしゃくってエルピスの答えを待つ。
するとエルピスは一瞬戸惑ったような様相こそあったが、すぐにすんなりと答えを口にした。
「そうですね、俺の剣の師匠はアルさんです」
アルさんとそう呼ばれることにももはや違和感すら感じない。
数か月の付き合いではあるがお互いに剣を通して会話を重ねてきたのだ、積み重ねた絆は確かなものだろう。
だからこそいまのエルピスの目がアルキゴスは気に食わなかった。
捨てられることを恐れているような目が、その目を自分に向けるエルピスが、そして何よりその眼を向けさせてしまっている自分自身が。
だからアルキゴスは自分が最も得意な方法でエルピスにものを教えることにした。
腰にある剣を抜き、エルピスの元へと投げ渡す。
王国の軍部に所属しているものならば誰もが持つその剣を渡されて、エルピスは頭の上にハテナを浮かべながらアルキゴスを見ている。
「いったい何を?」
「いまのお前じゃアウローラは救えない。俺がお前の迷いを払ってやる」
「アルさん、いまは冗談を言っているときじゃーー」
殺意を込めて剣を振るえばエルピスは無条件でそれに反射する。
エルピスが作り出した剣とかち合った軍部支給の剣はまるで紙細工のように粉砕され、エルピスの身体を薄皮一枚切りながら剣はアルキゴスの手元に残る。
一度こうしてしまえばあとはほんの少しだけ背中を押してやるだけだ。
「お前いま、死んだぞ」
ギリッとかみしめるような音がアルキゴスの耳を貫く。
そして遅れて先ほど敵に向けられていたのと同じような質量すら伴った怒りがアルキゴスのほほを撫でる。
「……ですか……なんなんですかっ!!」
エルピスが叫ぶと同時に近くにあった硝子は圧力に耐えられず粉々に粉砕され、扉は軋み外からは生物たちが逃げ惑う声が聞こえてくる。
いままで一度だってアルキゴスに向けてこなかった全力を確かに今だけは殺意だけでも向けられていることに、アルキゴスは自分がイロアスに頼むといわれたことを一瞬忘れかけるほどの高揚感を抱いていた。
戦士として戦うのであればきっとこのまま高揚感に身を任せて戦っていただろう。
だがこの場に師匠として立っているアルキゴスは、エルピスの力任せの拳による一撃を剣で受け止める。
「何をそんなに怯えているんだ?」
「逆になんでアルさんはそんなに落ち着いてるんですか!? アウローラが──っ 攫われたんですよ!?」
「違うだろエルピス、お前が怯えてるのはそこじゃない。正直になれよ、アウローラの事を大事に思ってるのは理解してる。だがお前が恐れてるのはそこじゃないだろ」
エルピスかアウローラを救おうとする気持ちが本心ではないと、そんな戯言を口にするつもりはない。
アルキゴスが問うているのはエルピスが何を恐れているのかというところであり、それをエルピスの口から聞けなければアルキゴスはエルピスを通すつもりもない。
その事を理解してかどうか、エルピスはアルキゴスの言葉を受けて静かに語り始める。
「――僕が恐れてるのは失敗ですよ」
「失敗を恐れる? 今回の事は別として人生失敗の一つや二つするべきもんだぞ」
「そういう事じゃないです。どうせ聞くなら茶化さないで聞いてくださいよアルさん。僕がどうして失敗を恐れるのか」
失敗を恐れない人物などいない。
天才として認められるに十分な才能を持っているエルピスは確かに他者に比べて失敗に敏感なのだろう。
そう思って居たアルキゴスの言葉を本質ではないと切って捨て、エルピスはぽつぽつと言葉をこぼす。
「僕が失敗を極端に恐れるのは両親に捨てられることを恐れているからです。エルピス・アルへオとして生きる以上、あの両親の――英雄の子供として生きる以上は僕は失敗が許されません。
たとえ世界中の人間に嫌われることになったとしても、あの二人と僕をエルピス・アルへオと呼んでくれる人たちには嫌われるわけにはいかないんですよ。僕がこうして怒ってるのも、もしかしたらそれを邪魔されたからかもしれませんね」
「どうして、そう思うんだ? 俺にはあの二人がお前を捨てるなんてそうはとても思えないがな」
最大多数の幸福のために自らを切り捨てることを是とする二人だが、ことエルピスの話になると全ての優先順位をひっくり返してでもその物事に対処するというのがアルキゴスが持つ二人への感想だ。
エルピスが口にしたように世界中の人間がエルピスを嫌うようなことをしたとしても、あの二人だけはエルピスの事を嫌うことはなく悪いことをしたのならば叱るだろうと確証を持てている程である。
そんな二人にただの一度の失敗で見捨てられると考えるのであれば随分と心配性だ、あの母親の子供であると考えるならそれもおかしくはないのかもしれないがどうやらそれだけではないらしいことくらい話をしていれば自ずと理解できた。
だからアルキゴスはエルピスに素直に問う。
時間をかけてゆっくりと話をするには状況が状況だ、いまは答えを優先するしかない。
「僕だってあの二人が自分の子供を見捨てるとはとても思えませんよ。だから僕はエルピス・アルへオとして、二人の子供として恥ずかしいことはできないんです。止めないでくださいよアルさん、次からは本当に加減ができそうにないので」
窓を開けてそこに足を添えればエルピスは一息で夜空へと溶け込むほどに飛んでいけるだろう。
自分の前で話を勝手に終わらせて飛び立とうとするエルピスに対してアルキゴスはここしかないと声をかける。
「あの二人を舐めすぎだなお前。その黒い髪と黒い目の意味を、知らないわけがないだろ。まだお前がガキのままで安心したよ」
「…………」
言葉を返すことはなくエルピスはアルキゴスに一瞬視線を移してから夜の街へと飛んでいく。
転生者としてこの世界に生まれたからこそだろう。
前の世界でいったい何があったのか、それを知らないが異常なまでの家族への固執と信頼への執着はエルピスに戦闘の動機を付けさせるには十分すぎるものらしい。
自分ではどうにもならない事を理解したアルキゴスは、エルピスを見送ってから彼を救える二人の元に向かって走り出す。
可愛い馬鹿弟子を救ってくれる、頼りになる夫婦の元へと。
エルピスとの戦闘に負けた憂さ晴らしとして祭りで遊ぼうと、あちらこちらの屋台をアウローラが歩き回っていた時のことだった。
アウローラ自身ただでさえ王国祭で他所の国から大量の人間が入ってきている上に、事前に危険人物が侵入して来ている事はなんとなく聞いているので警戒はしていた。
この国を代表する貴族の娘として命を狙われたことは一度や二度ではなく、前世ではとてもではないがなじみのなかった暗殺者という人物たちには随分と詳しくなったものだとアウローラ本人も自覚している。
ただ今回会場に向かう際の道中も一度酔った少年達が馬車に不用意に近付き過ぎてアルキゴスに酔い覚ましパンチを食らった以外には特に何も問題はなく、加えてエルピスが開発したらしい魔法の効果によって既に怪しい人物たちのほとんどが捕縛されているため王都は前代未聞というとなんだかおかしな響きであるが、少なくとも前例がないくらいには平和な場所になっていた。
王国際初日の目玉である時期王達の大立ち回りに参加したアウローラは、その疲れを癒すためにとお忍びで王都をぐるぐると回って数年に一度の祭りを楽しむ。
とはいえ護衛を連れていないと少し怖いので宮廷魔術師を六人、兵士を四人、こんなにも大人を周りに囲っているとなんだか悪目立ちをしてしまうが、エルピスがいない状況での外出を許して貰うためにはこれが条件だったのだ。
知っている場所知らない場所、どんどん色々な屋台を巡って行き、アウローラは少しずつ自分の胸に何か違和感が溜まっていくことに気がつく。
なんなのかはわからないが嫌な予感というのは意外と当たるもので、別に当たらなくても警戒するに越したことはない。
それを一応周辺にいる兵士達にも伝えつつ、その違和感の正体を詳しく探ろうともせず進んでいくとその違和感は現実となって現れる。
人通りが明らかに減っているのだ。
大きな通りというわけでない場所を歩いていたが、それでもいまの王都で人が点在するような通りなどほとんどありえない。
違和感を感じて即座に大通りへ向かって走ってみれば、それほど広くも狭くもない通りに複数の人影がアウローラ達を取り囲む。
高低差も特になく、家々に囲まれてすこし視界は悪いとはいえ相手とこちらで明確に有利不利が分かれるほどではない。
そんな状況で相手がこちらを襲ってきたのはそれでも倒せると踏んでいるから、それを分かっているからこそアウローラを守る兵士たちの行動は速い。
「お前達は何処の国の奴等だ!? 帝国か? それとも共和国か! ヴァスィリオ家のご令嬢を拐ってただで済むと思っているのか!」
辺りを見回しながら兵士の一人がそう問いかけるが、帰ってくるのは殺意だけで、周りから向けられる無機質な目は目的を遂行するためだけにしか動けない機械のように思える。
宮廷魔術師の一人が空へ向かって魔法を放つと大きな花火のようなものが王都の空に打ちあがった。
一目見れば遠方からもわかる其れは救難信号であり、様々な色によって事態を現すそれが赤色に輝いているのは護衛対象に命の危機がある証でもある。
(前世の私ならもう逃げ出してるわねこれ)
この場所から逃げ出すことは簡単だ。
ここは王都、常駐する兵士の数はもちろん王国内でも最多であり叫べば即座に人がすっ飛んでくる。
赤い花火は一定の実力者以上は近寄らないように言われているため兵士たちが寄ってくることはもはやないが、それでもエルピスたちがいる方に向かって走れば間違いなくアウローラは助かるだろう。
だがいまの王都は人通りがほんの少し減っただけでアウローラが敵の攻撃だと理解できるほどに人通りが多く、そしてどうしようもなく甘いアウローラは無関係の人間に攻撃が向けられる可能性を考慮に入れると途端ににげだすという選択肢を放棄してしまう。
人影のように見えた周囲を取り囲むものが徐々に実態を帯びていき、そうして自分の命を狙うものたちがこちらの3倍はいることにアウローラが気付くと同時、向かいに立っていた男が全身をまとう服によって顔色すらわからせないままに言葉を紡ぐ。
「随分と腕に自信が有る様だな。この人数を相手にどう戦う?」
外見からは黒い衣装を全身に纏っているため年齢を把握できないが、相手の頭領らしき人物がそう言いながら上に上げていた手を下ろすと様々な角度から小さな短剣が飛んでくる。
だが宮廷魔術師達はそれを許すほど甘くはない。
転移の魔法を使用するには長い詠唱が必要なのでこの場から直ぐに離脱する方法は無いが、人を効率的に破壊する魔法の展開において彼らの速度は確かなものであった。
お返しとばかりに宮廷魔術師が放った魔法が数人の影を焼き倒し、相手に攻め入ることを躊躇させる。
その躊躇した一瞬、それを鍛えられた兵士たちは見逃さない。
「魔法に驚いてばかりだが、我らも忘れないでいただきたい!」
そう言いながら兵士達は周囲を取り囲む敵を吹き飛ばし、魔法使い達の盾として前衛を買って出る。
近衛兵達には及ばないにしろ、彼等は王族や貴族の護衛を任せられるほどの優秀な人材。
相手が何人居ようと亜人種の様な特例でもない限り負ける事はないと彼らは自負している。
実際彼らを倒すのは相当難しいだろう、この人数差を前にしても救援の為に時間を稼ぎきれると判断できるだけの自信を有しているのだから侮りがたい。
「だがまぁ仕事だからな、苦戦することくらい織り込み済みなんだ。――行け」
男の号令と共に確かにアウローラの目の前で戦闘が開始した。
戦術級魔法を使用するに至ったアウローラが魔法を一度放てば目の前の者達はことごとく肉に変わっただろう。
宮廷魔術師たちの魔法は確かに強く細やかで洗練されているが、暴力的な魔力消費によって放たれる戦術級魔法は彼らの作り出した戦果など一瞬で塗りつぶしてしまう。
だがアウローラが魔法を放つことはない。
エルピスとの戦闘で魔力を使いすぎたから? ――違う。王族達は既に空になった魔力だがアウローラはいまだに余力を残している。
自分以外にも誰かを巻き込むことを恐れたから? ――これも違う。魔法範囲の指定をいまさら失敗するような未熟者ではない。
彼女が魔法を使わない理由はただ一つ、人を殺すことを恐れているからである。
生き死にが身近な世界においても他者を殺すことはそれほど多いことではない。
ましてや日本からやってきたアウローラに人を殺せというのは無理難題といっていい。
それを分かっているからこそ周りの兵士達はアウローラに戦えとは言わずに自分たちが戦うのだ。
「技の冴えはさすが宮廷魔術師殿、こちらに合わせていただいてかたじけない」
「いやいや、貴殿らが抑えていてくれていればこそだ。あと数分でここに応援の魔術師が殺到する、それまで待てばいい」
そう言って仕返してやったとばかりに兵士達は青年の方を見たが、そこまで気にしてない様子である。
だがもう既に勝敗は決しているのだ。
初手で護衛を殺せなかった時点で敵は既に失敗したとそう言ってもいい。
そんな兵士の思考を読んでいたかの如く、男はにやりと笑みを浮かべて言葉を発する。
「さすが貴族の娘、たいそうな警備だ。あぁ確かに普通ならもう無理だな」
「何を言っている……? この周辺に生命反応はもう貴様しか」
まさかまだ伏兵がいるのかと思い辺りを見回すが、周囲に脅威として認識出来るほどの強さの敵は1人もいない。
魔法によって行われる探知には周囲に人がいないと発しており、もし仮に敵がいたとしてもいまさら何人増えたところで変わらない。
ただそれでも警戒を緩めることはなく兵士達が注意深く観察していると、男が体の目の前でパンと大きく手を叩き合わせる。
「――――」
この世界では鳴るはずのない音がアウローラ達の耳に届くよりもほんの少し早く、兵士の頭部に小さな鉄の礫が突き刺さった。
回復魔法が存在するこの世界においても明確に直せないラインである脳機能の損傷、異世界人がこの場にいたならばそれがなんなのか嫌でも理解させられる。
頭を打たれた兵士は自分が攻撃されたことにも気が付かないままに絶命、意思を失った体はその場に倒れ伏しピンクと赤の物体をあたりにまき散らしながら二度と動くことはない。
理外の一撃に頭を白くする兵士たちの前でアウローラは即座に自分がなすべきことを、この武器に対する対処法を伝える。
「全員物理障壁を展開! 早く!」
アウローラが言った通りに物理障壁を宮廷魔術師が展開したその瞬間に二発目が放たれ、障壁に深い傷跡を残す。
命を刈り取るそれを未然に防げたことで宮廷魔術師たちの顔色には安堵の表情が見て取れた。
だが続く男の言葉にその顔はすぐにゆがませられる。
「物理障壁? それなら問題ないんだよ」
「ーーまさかッ!?」
アウローラが言葉を発したその時、放たれた弾丸が小規模の爆発を発生させる。
命を奪う目的ではなく相手の非殺傷を目的としたそれから放たれた小さな破片はアウローラを守る男たちの身体に深々と突き刺さる。
気が付けばいつの間にか周りには先ほどよりも多い影が辺りを支配しており、兵士たちの顔にも暗いものが映り込み始めていた。
「それじゃあお嬢ちゃん、来てもらおうか」
「ーーっ!」
/
鼻歌を歌いながら転移魔法を使用して、エルピスはようやく王城までたどり着く。
さすがに街中を堂々と黒服の人間を引きずりながら歩く訳にもいかなかったのでなるべく裏路地を使い近くまで徒歩で移動してから魔法を使用したのだが、それでも魔力の消費量はバカにならない。
転移系魔法は飛ばす人数と距離が多ければ多いほどに消費魔力が上がるので、エルピスも含めて七人も転移させようと思うとかなりの魔力量を消費してしまうのだ。
普段ならばその程度なんとも無いのだが先程まで大会に出ていた影響もあって、エルピスはかなり魔力を消費していた。
おそらく今の状態では、魔法を使えてあと数発程度と言うところだろう。
魔力調整を失敗したなと思いながら、転移を終えたことによって感じる若干の浮遊感に酔っていると、鎧を着た者が動く時特有の音と共に目の前から慌ただしい声が聞こえてくる。
「そっちはどうだ! いたか!?」
「いや、こっちは居ないぞ! もしかしたらもう既に城の外に出たんじゃーー!」
「俺達は余計な事を考えなくていい! もし外に出て居たとしてもそれはそれで他の奴らが見つけてくれる! 今は死ぬ気で城内を探せ!!」
全身に鎧を着込んだ城兵達が、休む暇もなく城の中を駆け巡る。
その様子はさながらどこか他の国との戦時中のようにすら思えるほどで、エルピスは〈神域〉を使用しアルキゴスと近衛兵達の位置を割り出すと、事情を把握する為にその場所に移動する。
「ーーこの事から、おそらく敵は数十名程度だと思われる。誰か質問はあるか?」
「質問というより儂からの疑問なのじゃが、あの包囲網からどうやって彼奴らは抜け出したのじゃ? 完全に取り囲んだだけでは無く、魔法的にも逃げられん様にしておったのに」
「それはまだ原因が分かってーー戻ったかエルピス! とりあえずそこに座れ」
昼に会った時は打って変わって、完全に戦闘用の衣服に着替えたアルはエルピスの事を見つけると、用意された席に座る様に促す。
周囲に控えて居た近衛兵達は表情こそ変わらないものの、戦力の一つ程度には数えてくれているのか、エルピスが参加する事に文句を付けるものは居なかった。
黒服達をそのまま引きずっても邪魔になるだけなので、起きないように弱い魔法をかけて眠らせ、近くの地面に縛った状態で置いておく。
「一体何が有ったんですか? 城どころかあちこちで騒ぎが起きている様ですし、そこで寝転がっている黒服に襲われたんですが」
視線を黒服達の方に向けながら、エルピスはアルに対してそう言った。
いまの状況を何も把握して居ないエルピスからすれば、直ぐにでも話を聞きたかったのだが、口を開きかけたアルは躊躇うようにして首を振ると口を閉じマギアの方を向く。
それに対してマギアがゆっくりと首を縦に振ると、アルはゆっくりと口を開く。
「……アウローラが何者かに攫われた」
「アウローラ様が……? 本当ですか? 本当にアウローラ様が?」
「ーーああ」
事実を告げるアルの言葉は、エルピスにはどこか遠くで発した言葉のように小さく聞こえた。
だがそれは確実にエルピスの耳に届き、そして今日一日ーー具体的に言うのであれば黒服達に出会ってからの一連の騒動ーーはこれに関連するのだと理解する。
つまりあの黒服のリーダーが言っていた協力しないかと言う言葉は、家庭教師であるエルピスに対して"アウローラを攫うのに協力しろとそういう事だったのだ。
勝手な固定観念に襲われて、エルピスはてっきり王族やそれらの関係者だと勘違いしていた。
だがよく考えればその相手がアウローラだったとしても、なんらおかしくは無かったのだ。
「ーーそうですか。アルさん、そこに寝転がっている奴らの処理は任せてよろしいですか?」
「悪いが先に言っておくぞエルピス、アウローラの事を追いかけるのは禁止する。敵がここまでしたという事は、他にも何か手があるかもしれない。近衛兵に俺と師匠とお前は、王城で待機だ」
アウローラを助けに行けない、その事実だけがエルピスの胸に深く突き刺さる。
あの時点で、黒服達に囲まれたあの時点で全員を捕らえて居たのならば、まだ少しは希望が見えたというのに。
苛立ちをぶつけるように奥歯を噛み締め落ち着きを取り戻すと、エルピスはアルに言葉を返す。
「分かりました。確かに何か他にもあるかもしれないですし、素直にここで待ちます」
「ーーお前なら飛び出してでも行くかと思っていたが、冷静な判断が出来てるようでなによりだ」
「……そんな顔されてたら僕が身勝手に動く訳にも行きませんよ」
おそらく無意識なのだろうが、噛み締められた唇と握り締められた手にはアルの怒りが分かりやすい程に出ており、エルピスも頭を冷やす事が出来た。
とは言えアウローラを攫った者たちに対する怒りは消える事がなく、そしてそれを見逃した自分に対する怒りも消える事は無い。
だからエルピスは自分が動けないのならばと、一番信用している者達に声をかける。
「ーーみんな集合してくれ」
エルピスが魔力を込めた声で呟くと、フィトゥスを始めアルヘオ家の召使い全員がその場に集合し膝を折る。
主人からの命令が彼らにとっての最優先事項であり、そして一番の喜びでもある。
一番最初にエルピスの前に現れたフィトゥスが他の者を代表して、顔を上げエルピスに問う。
「ーーお呼びでしょうかエルピス様」
「アウローラ様が攫われた。敵はそこに転がっている奴らの仲間だ、見つけ次第直ぐに報告し、絶対に逃がすな。余裕があれば敵が誰なのかも探ってこい。行け!」
「「了解!!」」
必要な事だけを伝えてエルピスが腕を振るうと、フィトゥス達は他方面に散開していく。
目的を伝えるだけで動いてくれる全員に感謝しながら、エルピスもその場でいくつかの技能を使用する。
絶対に何があろうとも逃しはしない。
そう決意を込めながら、エルピスは再びアルキゴス達の元に戻るのだった。
/
夕日が地平の彼方に沈み、静かに夜の訪れを告げる。
王族達は王城の中でも特に頑丈な一室に纏められ、その部屋の中には近衛兵全員とエルピスが。
外にはアルキゴスとマギアに、数人ほどヴァスィリオ家から派遣された兵士が立っていた。
「……すいませんエルピスさん、僕達が居るせいでここに留めさせてしまって」
「構いませんよ、ここに居ても出来る事は有りますし。それにあと数十分ほどで国王様も帰ってくるようですので、特に問題はありません」
「……そうですか、それなら良かったです」
グロリアスとエルピスの会話が終わると、再び部屋の中は静寂に包まれた。
王国祭で大貴族の娘が攫われたと知られれば、他国だけでなく国の内側からも批判の声が上がる可能性がある。
その為、国王とヴァスィリオ家の夫妻は予定通り王国祭を行なっている。
薄情と言ってしまえばそれだけの事だが、上に立つものとしての義務を果たしているというのにそれを責める事は出来ない。
そうは思いながらも〈神域〉を使用して王都の外を探していると、部屋の扉が開く。
付け慣れて居ないのかどこか服装から浮いた王冠を頭につけ、儀礼用の服装を見にまとい、国王が部屋に入ってくる。
「エルピス、いま戻った。イロアス達が呼んでいたぞーーってもう居ないか」
「国王様は行かなくてもよろしいのですか?」
「俺は自分の子供達を守らないと行けないからな。お前達もいつでも出られる様にしておけよ? ビルムかイロアスか、どちらかは知らないが そのうちやって来るだろうからな」
「了解致しました」
「アルももう行ってきて良いぞ、王都を守るのは俺一人で十分だ」
驕りとも取れるほどの圧倒的な自信を持って、国王はそれが簡単な事のように告げる。
とはいえ事実、英雄と呼ばれるイロアスと肩を並べることが出来る存在である国王からすれば、この王国を一人で守るのは難しいこととは言えないのだが。
ただただ笑みを浮かべながら、王は来る敵に備えて魔力を高めるのだった。
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国王が自由に動けるようになった事で、同じく自由に動けるようになったエルピスが一番最初に向かった場所は、王城の地下に秘密裏に作られた地下牢だった。
秘密裏に作られたと言っても違法性のある物と言うわけではなく、敵国のスパイなどを奪還させない為にあえてこの場所は隠蔽されているのだ。
そこには魔法をかけられた事によって力を奪われ、ぐったりと横たわる黒服達の姿があった。
事前に拷問にはかけないようにと言っておいたので目立った外傷はなく、エルピスが引きずったせいで少々身体に泥が付いているが、それ以外には特に問題は無さそうに見える。
「こんにちは黒服の皆さん。僕の名前はエルピス・アルヘオ、ご機嫌はいかがですか?」
「……最悪だよ。最悪、上司に捨てられて、力を奪われた状態で拷問にもかけられず牢屋の中だぞ? 良い気分になる訳が無い」
「ーーそれもそうですね、すいません気が利かなくて。何か料理をお持ちしましょうか? それとも毛布でもいりますか?」
「まったく面白くないジョークだな、せめて顔くらい笑って見せたらどうだ?」
表情を変えない様に技能を使っているエルピスとは違い、コロコロと変わる相手の表情は技能を使って居ない証だ。
子供だからと舐められているわけでは無いだろう。
きっと誰が相手であろうと、この黒服達は同じような態度を取る筈だ。
とは言えエルピスがここに来たのは、何も相手の口から直接情報を聞き出すためではない。
(技能使用、〈完全鑑定〉)
盗神の称号と合成された事で、完全鑑定はその能力を飛躍的に上昇させていた。
視界いっぱいに、相手の体重から病気の有無、精神状態や空腹状態まで事細かく記載される。
それら全ては事細かく記載されているわけではなく、纏められたものを意識して見ると情報が細かく分かれていった。
その中に秘匿情報と記載された欄を見つけ、躊躇うことなくエルピスはそれを見て行く。
好きな人や恋人の有無、コンプレックスや仲間に秘密にしている大量の金など、見ているだけで気が滅入るようなそこにエルピスの目的の情報が記載されていた。
〈所属組織:共和国第九暗殺部隊)
ただその一文を探すためだけに随分と嫌なものを見せられたと辟易してしまうのも無理はないだろう。
「ふーん、なるほどねぇ。偵察に来ていたのは分かっていたけれど、まさか馬鹿正直に攻めて来ていたとはね」
「……何が言いたい」
「共和国第九暗殺部隊所属、団員番号は十二番」
「ーーっ?! いったいどうやって……」
「言う気はありませんよ。そういえばですが、貴方達が今から舌を噛み切って死んだところで、どちらにしろ情報を得られる事には変わりません。死ぬならお好きにどうぞ」
先程まで目の奥に秘めていた怒りはどこに行ったのか、技能すら解除し、軽く笑顔を浮かべながらエルピスはそう言った。
いや、正確に言うのならば、怒りが何処かに行ったわけではないだろう。
ただ怒りの矛先が少しずれただけの事だ。
興味を無くした牢獄の中の生き物には、もはやエルピスは感知することすら面倒だと判断を下した。
そんかエルピスに対して、エルピスと喋って居たのとは別の黒服が大きな笑い声をあげる。
「ふは、ふはは、ふははははははっっ!!! 薄々そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりお前もこっち側かよ!
仲間を守る為って免罪符を背負っているから、こんな事が出来ているんだと自分に言い聞かせているのかも知れないが、お前は違う! 最初っから頭のどっかがぶっ飛んでんだよこの怪物がっ!」
「急になんですか、怖いですね。人を急に怪物呼ばわりするなんて」
言葉を咀嚼するようにして何度か呟くと、笑みを浮かべていた顔を急に無表情に戻してエルピスは牢屋の奥の黒服に目を向ける。
そんなエルピスに対して、黒服は更に笑みを深め言葉を継ぎ足して行く。
元からお前は狂っているのだと、なのに甘さを受け入れようとするからヘマをするのだと、さながらわざとエルピスを怒らせるようにして、様々な言葉を投げかける。
そんな黒服に対してエルピスはため息を吐き、澄ました顔でまた笑う。
「友達を助けるために頑張ることはおかしいことですか?」
「その友達を助ける為なら何人殺しても良いと? ああまぁ確かにそりゃあそうだ! こんなご時世、友達を助けたいなら他人の命なんて気にするだけバカだ! だがな小僧! お前のその黒い髪が! 年齢にそぐわない口調が! お前が異世界人だと教えてくれている。」
エルピスの言葉に対して苛立ったように言葉を返したのは、エルピスの事を怪物といった人物ではなく最初にエルピスと会話をして居た人物だ。
いつのまにかその黒服は柵のギリギリまで詰め寄って来ており、エルピスの服を掴んでそのままエルピスの身体を柵に引き寄せ当てる。
その程度の行動では今のエルピスと黒服の能力差を考えれば、もはや攻撃と呼ぶことすらおこがましく、エルピスには一切のダメージを負った様子は無い。
エルピスは事前に転生者の見分け方を聞いて知っているので、動揺もせずただまっすぐ視線だけを合わせて居た。
だが黒服も同じように、エルピスが動揺しなかった事に何も思わない。
だから黒服はそのままただこちらを見つめる少年に吐き捨てるように言葉を投げる。
「お前がこの世界の事をどれくらい知ってるかは知らねぇ。俺は知らねぇが! 俺は闇で生きて来たからお前らがどんな世界で生きて来たかは知ってるつもりだ。
表立った戦争もなく、努力は報われ明日が来るのが当然だと思っている奴らが過ごす、そんな世界だって聞いてんだよ。
そんな世界に居てなんでそんなに冷静でいられる? 何故そうして平静を保てるんだ?」
エルピスを何度も揺さぶるうちに顔を隠して居た布が剥がれ、黒服はその素顔を露わにする。
年齢にしておそらくは三十代後半だろうか。
きっとこの世界に生まれ落ちた者からすれば、夢の世界にすら思えるだろう元の世界。
だがエルピスからすればあそこは辛い、ただ辛いだけの場所だ。
目の前の男はそれを知らない。
エルピスの目に再び炎が映る。
それは先ほどまでの怒りよりもさらに大きな怒りの炎、エルピスのもっとも触れてはならない場所に彼は触れてしまったのだ。
「さっきから人が黙って聞いてれば好き勝手言いますね。焦ってるんですよこっちは、これ以上ないくらいにこれまでにない程に。分かりますか? これが人生で初めての失敗です、俺はこの世界で両親に愛される為に全てを完璧にこなそうと努力して来た。メイドや執事達にああこの程度なんだと思われないように精一杯頑張って来た。なのに俺は貴方達の行いによって人生で初めて失敗し、あろうことかこの世界で初めてできた出来た友達を無くそうとしてるんですよ?」
襟首をつかんで来たあいての手を無理やり剥がし、逆にエルピスが黒服の襟首を掴む。
「俺にとって一番大事なのは家族、その次に友達、それ以外は正直どうだっていい。アンタらが俺の知らない人を攫うなら、俺の知らないところでやってるなら俺だって何も言いませんよ。
ただ貴方達はそうじゃなかった、俺の大事なものに汚い手をかけてあろうことかまるでゴミみたいに簡単に人を殺した。なんで冷静でいられるか? そうしないと今すぐ全員殺しちゃうじゃないですか。あなたたちに利用価値がある限り、簡単に殺すことができないんですよ本当に残念ですが」
「お前、頭おかしいよ」
「善人ぶらないで下さいよ気持ち悪い」
そう吐き捨て、エルピスは牢屋を後にする。
罵詈雑言を背中に飛ばされながらもエルピスはそれを一切気にする様子はなかった。
あれらはもはやこれから先エルピスの人生に関わってこない物、長い人生の一幕でエルピスにアウローラの情報を与えることこそが彼らがするべきだけの事。
どこの国の所属か分かり、身柄を抑えられているのであれば相手を特定しアウローラの場所を割り出すのもそう難しい話ではない。
地下牢がある場所から階段を上り上へと上がっていくと、そこには暗い顔をしたアルキゴスが立っていた。
距離はかなりある上に地下牢と外を繋ぐ扉はとても分厚く声が通るようなものではない。
だがエルピスはアルキゴスの顔色を見て彼はエルピスと名も知らない共和国の密偵との会話を聞いていたのだろうとそう思った。
「エルピス」
「――そんなにひどい顔色、してますか?」
「グロリアス様がみたら気絶しそうな顔してるよ」
急がなければいけないとそう分かっているのに、アウローラがいままさに助けを求めていると理解しているのにエルピスの身体は動かない。
こんなところで話している暇なんてないんだ、今すぐにアウローラのところに行かないと。
こんなところで自分は休んでいるわけにはいかないんだ――
Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼Δ▼
アルキゴスが尋問室の前にいたのは、イロアスに頼まれてだった。
いわくエルピスはアウローラが捕まったのを自分のせいにするだろうから、あの子のことを慰めてやってほしいと。
アルキゴスはそんなイロアスに対して1時間後程度に合流予定なのだから自分の口から言えばいいと言ったしイロアスもそれを納得していたのだが、なんとなく気になってこうしてエルピスを迎えてしまったのだ。
地下でのエルピスの言葉をアルキゴスは彼が想像していた通り聞いていた。
その子供らしいとはとても言えない口ぶりと、尋常ではないほどの怒りを漂わせた彼は、地下から上がってきたときにはアルキゴスですら半歩下がるほどの威圧感を纏っていたのにその相貌がアルキゴスを貫いた途端に目に見えて雰囲気が変化する。
まるで自分が失敗したことを親に知られてしまったように、取り返しのつかない失敗をしてしまったように、ひどく絶望したその顔は初めて見るエルピスの表情であった。
「エルピス、俺はお前の師匠だ。そうだな?」
一体何を言っているのだとそんな顔をするエルピスに対して、答えろとばかりにアルキゴスは首をしゃくってエルピスの答えを待つ。
するとエルピスは一瞬戸惑ったような様相こそあったが、すぐにすんなりと答えを口にした。
「そうですね、俺の剣の師匠はアルさんです」
アルさんとそう呼ばれることにももはや違和感すら感じない。
数か月の付き合いではあるがお互いに剣を通して会話を重ねてきたのだ、積み重ねた絆は確かなものだろう。
だからこそいまのエルピスの目がアルキゴスは気に食わなかった。
捨てられることを恐れているような目が、その目を自分に向けるエルピスが、そして何よりその眼を向けさせてしまっている自分自身が。
だからアルキゴスは自分が最も得意な方法でエルピスにものを教えることにした。
腰にある剣を抜き、エルピスの元へと投げ渡す。
王国の軍部に所属しているものならば誰もが持つその剣を渡されて、エルピスは頭の上にハテナを浮かべながらアルキゴスを見ている。
「いったい何を?」
「いまのお前じゃアウローラは救えない。俺がお前の迷いを払ってやる」
「アルさん、いまは冗談を言っているときじゃーー」
殺意を込めて剣を振るえばエルピスは無条件でそれに反射する。
エルピスが作り出した剣とかち合った軍部支給の剣はまるで紙細工のように粉砕され、エルピスの身体を薄皮一枚切りながら剣はアルキゴスの手元に残る。
一度こうしてしまえばあとはほんの少しだけ背中を押してやるだけだ。
「お前いま、死んだぞ」
ギリッとかみしめるような音がアルキゴスの耳を貫く。
そして遅れて先ほど敵に向けられていたのと同じような質量すら伴った怒りがアルキゴスのほほを撫でる。
「……ですか……なんなんですかっ!!」
エルピスが叫ぶと同時に近くにあった硝子は圧力に耐えられず粉々に粉砕され、扉は軋み外からは生物たちが逃げ惑う声が聞こえてくる。
いままで一度だってアルキゴスに向けてこなかった全力を確かに今だけは殺意だけでも向けられていることに、アルキゴスは自分がイロアスに頼むといわれたことを一瞬忘れかけるほどの高揚感を抱いていた。
戦士として戦うのであればきっとこのまま高揚感に身を任せて戦っていただろう。
だがこの場に師匠として立っているアルキゴスは、エルピスの力任せの拳による一撃を剣で受け止める。
「何をそんなに怯えているんだ?」
「逆になんでアルさんはそんなに落ち着いてるんですか!? アウローラが──っ 攫われたんですよ!?」
「違うだろエルピス、お前が怯えてるのはそこじゃない。正直になれよ、アウローラの事を大事に思ってるのは理解してる。だがお前が恐れてるのはそこじゃないだろ」
エルピスかアウローラを救おうとする気持ちが本心ではないと、そんな戯言を口にするつもりはない。
アルキゴスが問うているのはエルピスが何を恐れているのかというところであり、それをエルピスの口から聞けなければアルキゴスはエルピスを通すつもりもない。
その事を理解してかどうか、エルピスはアルキゴスの言葉を受けて静かに語り始める。
「――僕が恐れてるのは失敗ですよ」
「失敗を恐れる? 今回の事は別として人生失敗の一つや二つするべきもんだぞ」
「そういう事じゃないです。どうせ聞くなら茶化さないで聞いてくださいよアルさん。僕がどうして失敗を恐れるのか」
失敗を恐れない人物などいない。
天才として認められるに十分な才能を持っているエルピスは確かに他者に比べて失敗に敏感なのだろう。
そう思って居たアルキゴスの言葉を本質ではないと切って捨て、エルピスはぽつぽつと言葉をこぼす。
「僕が失敗を極端に恐れるのは両親に捨てられることを恐れているからです。エルピス・アルへオとして生きる以上、あの両親の――英雄の子供として生きる以上は僕は失敗が許されません。
たとえ世界中の人間に嫌われることになったとしても、あの二人と僕をエルピス・アルへオと呼んでくれる人たちには嫌われるわけにはいかないんですよ。僕がこうして怒ってるのも、もしかしたらそれを邪魔されたからかもしれませんね」
「どうして、そう思うんだ? 俺にはあの二人がお前を捨てるなんてそうはとても思えないがな」
最大多数の幸福のために自らを切り捨てることを是とする二人だが、ことエルピスの話になると全ての優先順位をひっくり返してでもその物事に対処するというのがアルキゴスが持つ二人への感想だ。
エルピスが口にしたように世界中の人間がエルピスを嫌うようなことをしたとしても、あの二人だけはエルピスの事を嫌うことはなく悪いことをしたのならば叱るだろうと確証を持てている程である。
そんな二人にただの一度の失敗で見捨てられると考えるのであれば随分と心配性だ、あの母親の子供であると考えるならそれもおかしくはないのかもしれないがどうやらそれだけではないらしいことくらい話をしていれば自ずと理解できた。
だからアルキゴスはエルピスに素直に問う。
時間をかけてゆっくりと話をするには状況が状況だ、いまは答えを優先するしかない。
「僕だってあの二人が自分の子供を見捨てるとはとても思えませんよ。だから僕はエルピス・アルへオとして、二人の子供として恥ずかしいことはできないんです。止めないでくださいよアルさん、次からは本当に加減ができそうにないので」
窓を開けてそこに足を添えればエルピスは一息で夜空へと溶け込むほどに飛んでいけるだろう。
自分の前で話を勝手に終わらせて飛び立とうとするエルピスに対してアルキゴスはここしかないと声をかける。
「あの二人を舐めすぎだなお前。その黒い髪と黒い目の意味を、知らないわけがないだろ。まだお前がガキのままで安心したよ」
「…………」
言葉を返すことはなくエルピスはアルキゴスに一瞬視線を移してから夜の街へと飛んでいく。
転生者としてこの世界に生まれたからこそだろう。
前の世界でいったい何があったのか、それを知らないが異常なまでの家族への固執と信頼への執着はエルピスに戦闘の動機を付けさせるには十分すぎるものらしい。
自分ではどうにもならない事を理解したアルキゴスは、エルピスを見送ってから彼を救える二人の元に向かって走り出す。
可愛い馬鹿弟子を救ってくれる、頼りになる夫婦の元へと。
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