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第十七話 氷狼の子犬
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フワッ……フワフワッ……。
鼻先を、ふわふわとした何かがくすぐっている。
「ふふっ……くすぐったいですよ……」
温かい何かは顔の横を掠め、胸の上にうずくまる。
アリシアが目を開けると、目の前にブルーの瞳の子犬が座っていた。
「えっ……ブラン!? ブランですか!?」
子犬は驚いて飛び起きたアリシアの顔を舐め、嬉しそうに尻尾を振った。尻尾が揺れる度に銀色の毛並みが柔らかく波打ち、窓の光を受けて美しく輝く。
「その子犬はブランじゃない……ブランの子供だよ」
離れた所に座っていたセドリックが、腰を浮かせながら語りかける。
「昨日な……ブランが連れてきたんだ。ブランは随分前に森に帰っちまったが、時々ここに戻ってくるんでな。今回は何かと思ったら……驚いたよ」
近づいてきたセドリックは、優しい表情で子犬を撫でながら続けた。
「口に咥えた子犬を差し出して、『頼むよ』とでも言うように頭を下げるんだ。ブランは俺にとって息子みたいなもんだからな……言うなりゃ孫ってことか。息子の頼みじゃ、断れねぇよな」
「なるほど、ブランの子供……」
後ろ足で耳の後ろを掻いている子犬は、拾われてきた頃のブランにそっくりだ。ただ毛色だけが、ブランと違う。
「思うにこいつ、毛色が目立ち過ぎたんだろう。氷狼は雪のような白い毛並みだが……こいつは銀色だ。突然変異で生まれたんだろうが、この白い世界じゃ浮いちまう。自然じゃ生きていけないと、ブランも判断したんだろう」
「それはそうですね。……それにしても、ブランが元気そうで良かっ……」
アリシアの言葉が、ハタと止まる。
冷や汗がドッと吹き出し、背中を伝っていった。
(今、私……ブランの話を普通にセドリックとしていなかった?)
「お前さんがな、食事会の時に『あと足りないのは子犬』と言ったから、お望み通り連れてきたんだが……」
セドリックがニヤリと笑いながら、顔を近づけてくる。
「……お前、『アリシア』だな?」
アリシアは顔にダラダラと汗をかきながら、ゆっくりと顔を背けた。
「な、何のことでしょう……」
「最初から何か変だと思ってたんだ! 名乗ってないのに俺の事を『庭師』だと言い切るし、サングリアを好きなことも知ってやがる! それにお前……言ってることも、やってることも『アリシア』過ぎるぞ!」
セドリックは、人差し指をグリグリとアリシアの額に押し付けた。
「い、痛いですセドリック……」
「相変わらず人タラシだし、スープは同じ味だし、ランプから感じる魔力も……とにかく、お前がアリシアじゃなかったら、何だってんだ! シラ切ろうったって、そうはいかねぇんだからな!」
どう答えようか考えあぐねていると、セドリックは黙り込んでアリシアの手の甲に触れた。その指は昔よりも皺だらけで、微かに震えている。
「……なあ、アリィだよな? そうであってくれよ、なぁ……」
縋るような視線に、アリシアは思わず頷いていた。
「……はい。アリシアです。黙っていてごめんなさ……」
アリシアが言い切る前に、セドリックは声を上げて泣き始めた。
「セドリック!? どうしました……!?」
「ああ……アリィ、良かった……。俺は謝りたかったんだ、ずっと、ずっと……。俺が水路を作ったせいで、お前を死なせちまったんだと……」
「そんな! そんなはずはありません! セドリックのせいではありませんから……とにかく、顔を上げてください」
セドリックはグズグズになった顔を首に巻いていたタオルで拭くと、ヘラッと気が抜けたように笑った。
「とにかく、またお前さんに会えて良かった。何でこんなことになってるのか分かんねぇが……まあ、それはいいや。体が違くても、アリィは十分過ぎるほどアリィだもんな」
「セドリック……」
思えば、「ミーシャ」になってから、自分を自分と認めてもらったのは初めてだった。
借り物の体に、記憶の無い……中身の無い私。
そんな不安定な状態から、ようやく地に足を着けられた気がした。
「そういえば……坊ちゃんには、何で正体を隠してるんだ? 早く言ってやった方がいいだろう」
「それがですね……」
レイモンドに拒絶されたことを説明すると、セドリックは腕を組んで唸り声を上げた。
「うーん……。アリィが死んだ時、坊ちゃんは相当ショックを受けてたからな。赤の他人が突然『アリシアです!』って名乗ったって、受け入れらんねぇだろう。『真似すんじゃねぇ!』ってなる気持ちも頷けるよ、うん。まぁ、徐々に何とかするしかねぇわな」
セドリックが一息ついて鼻をかんでいると、アリシアの隣でもぞもぞと動く気配がある。
「うう……ん」
「あ……お嬢様!?」
見ると、足元にブルーベルが横たわっていた。
目を擦りながら起き上がったブルーベルは、アリシアの方を向いて目を見開いた。
「ミーシャさん……? おきたのね!!」
そのままアリシアに抱きつき、グスグスと泣き出す。
「ヨゼフからね、一回おきたときいたんだけど……それから、また一日ねむりつづけてたから。もしかしたら、もうおきないんじゃないかって……」
「ふふっ、ごめんなさい。お嬢様は心配性ですね」
ブルーベルは顔を上げると、控えめに頬を膨らませてアリシアを見つめた。
「ミーシャさんは、あやまってばっかり。しんぱいかけさせないでよねっ」
拗ねる様子が愛おしく、アリシアは本能のままギュウッとブルーベルを抱きしめる。
「その通りです、心配かけてごめんなさい!」
「う~っ、くるしい……それに、何でうれしそうなの~……」
「お嬢様が可愛すぎるからです~!」
じゃれていると思ったのか、目を輝かせた子犬が二人の間に体を滑り込ませてきた。驚いたブルーベルは、素早く体を飛び退かせる。
「わっ、まって! 凍らせちゃったらこまる……!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。手袋をしていれば動物に触れても平気ですし……それにこの子、氷狼の子供なんです。氷魔法を司っていますから、素手で触れてもへっちゃらなんですよ」
ブルーベルが衝撃を受けた顔をして、アリシアを見つめた。急に彫りが深くなったような険しい表情に、思わず吹き出してしまう。
「お、お嬢様……なんですかその顔は……」
「ほんとなの? ほんとにさわって平気?」
「大丈夫ですよ! レイモンド様も触られてましたから……」
「ほんとだね? しんじるからね?」
何度も念を押してからブルーベルは手袋を外し、恐る恐る子犬に触れた。子犬は我関せずといった顔で、大きなあくびをしている。
ブルーベルはゆっくりと子犬を撫でながら、変わらず彫りの深い顔でうわ言のように呟いた。
「ウワァ……フワフワダァ……フワッフワ……」
「お、お嬢様……何で片言なんですか……!」
「嬢ちゃん、面白過ぎるよ……! 坊ちゃんの子供の頃とそっくりだ……」
アリシアとセドリックは堪え切れず、大きな声で笑い出してしまった。
ブルーベルは頬を膨らませてむくれながらも、興奮に顔を赤くして子犬を撫で回す。
その様子が可愛らしくて面白くて、二人はさらに笑ってしまう。
笑い過ぎで出た涙を拭きながらふと横を見ると、サイドテーブルの上にはリボンの掛かった籐の籠が置かれていた。籠の中には、美しくカットされたフルーツ盛りと、全面に刺繍が施された絹のハンカチが一枚入っている。
添えられたメッセージカードには「奥様!早く元気になってね」という文字と、エリオットとマール、サリーの似顔絵が描かれていた。
三人も代わりばんこにお見舞いに来てくれたのだろう。みんなの心遣いに、胸が温かくなる。
「ミーシャ」として初めて目覚めた時は……見舞いに来てくれる人など、誰一人としていなかった。
父親は無関心、妹には「死ねば良かったのに」と言われる始末。記憶も無いし体は痛いし……布団の中が寒くて寒くて堪らず、声も出せずに震えていた。
それに比べて……いや、比べることすら出来ないだろう。
自分の身を案じて叱り、心配し、回復を祈ってくれる人達がいる。その幸せが、何より暖かった。
その有り難さを噛み締めながら、アリシアはブルーベルと子犬を力強く抱きしめた。
鼻先を、ふわふわとした何かがくすぐっている。
「ふふっ……くすぐったいですよ……」
温かい何かは顔の横を掠め、胸の上にうずくまる。
アリシアが目を開けると、目の前にブルーの瞳の子犬が座っていた。
「えっ……ブラン!? ブランですか!?」
子犬は驚いて飛び起きたアリシアの顔を舐め、嬉しそうに尻尾を振った。尻尾が揺れる度に銀色の毛並みが柔らかく波打ち、窓の光を受けて美しく輝く。
「その子犬はブランじゃない……ブランの子供だよ」
離れた所に座っていたセドリックが、腰を浮かせながら語りかける。
「昨日な……ブランが連れてきたんだ。ブランは随分前に森に帰っちまったが、時々ここに戻ってくるんでな。今回は何かと思ったら……驚いたよ」
近づいてきたセドリックは、優しい表情で子犬を撫でながら続けた。
「口に咥えた子犬を差し出して、『頼むよ』とでも言うように頭を下げるんだ。ブランは俺にとって息子みたいなもんだからな……言うなりゃ孫ってことか。息子の頼みじゃ、断れねぇよな」
「なるほど、ブランの子供……」
後ろ足で耳の後ろを掻いている子犬は、拾われてきた頃のブランにそっくりだ。ただ毛色だけが、ブランと違う。
「思うにこいつ、毛色が目立ち過ぎたんだろう。氷狼は雪のような白い毛並みだが……こいつは銀色だ。突然変異で生まれたんだろうが、この白い世界じゃ浮いちまう。自然じゃ生きていけないと、ブランも判断したんだろう」
「それはそうですね。……それにしても、ブランが元気そうで良かっ……」
アリシアの言葉が、ハタと止まる。
冷や汗がドッと吹き出し、背中を伝っていった。
(今、私……ブランの話を普通にセドリックとしていなかった?)
「お前さんがな、食事会の時に『あと足りないのは子犬』と言ったから、お望み通り連れてきたんだが……」
セドリックがニヤリと笑いながら、顔を近づけてくる。
「……お前、『アリシア』だな?」
アリシアは顔にダラダラと汗をかきながら、ゆっくりと顔を背けた。
「な、何のことでしょう……」
「最初から何か変だと思ってたんだ! 名乗ってないのに俺の事を『庭師』だと言い切るし、サングリアを好きなことも知ってやがる! それにお前……言ってることも、やってることも『アリシア』過ぎるぞ!」
セドリックは、人差し指をグリグリとアリシアの額に押し付けた。
「い、痛いですセドリック……」
「相変わらず人タラシだし、スープは同じ味だし、ランプから感じる魔力も……とにかく、お前がアリシアじゃなかったら、何だってんだ! シラ切ろうったって、そうはいかねぇんだからな!」
どう答えようか考えあぐねていると、セドリックは黙り込んでアリシアの手の甲に触れた。その指は昔よりも皺だらけで、微かに震えている。
「……なあ、アリィだよな? そうであってくれよ、なぁ……」
縋るような視線に、アリシアは思わず頷いていた。
「……はい。アリシアです。黙っていてごめんなさ……」
アリシアが言い切る前に、セドリックは声を上げて泣き始めた。
「セドリック!? どうしました……!?」
「ああ……アリィ、良かった……。俺は謝りたかったんだ、ずっと、ずっと……。俺が水路を作ったせいで、お前を死なせちまったんだと……」
「そんな! そんなはずはありません! セドリックのせいではありませんから……とにかく、顔を上げてください」
セドリックはグズグズになった顔を首に巻いていたタオルで拭くと、ヘラッと気が抜けたように笑った。
「とにかく、またお前さんに会えて良かった。何でこんなことになってるのか分かんねぇが……まあ、それはいいや。体が違くても、アリィは十分過ぎるほどアリィだもんな」
「セドリック……」
思えば、「ミーシャ」になってから、自分を自分と認めてもらったのは初めてだった。
借り物の体に、記憶の無い……中身の無い私。
そんな不安定な状態から、ようやく地に足を着けられた気がした。
「そういえば……坊ちゃんには、何で正体を隠してるんだ? 早く言ってやった方がいいだろう」
「それがですね……」
レイモンドに拒絶されたことを説明すると、セドリックは腕を組んで唸り声を上げた。
「うーん……。アリィが死んだ時、坊ちゃんは相当ショックを受けてたからな。赤の他人が突然『アリシアです!』って名乗ったって、受け入れらんねぇだろう。『真似すんじゃねぇ!』ってなる気持ちも頷けるよ、うん。まぁ、徐々に何とかするしかねぇわな」
セドリックが一息ついて鼻をかんでいると、アリシアの隣でもぞもぞと動く気配がある。
「うう……ん」
「あ……お嬢様!?」
見ると、足元にブルーベルが横たわっていた。
目を擦りながら起き上がったブルーベルは、アリシアの方を向いて目を見開いた。
「ミーシャさん……? おきたのね!!」
そのままアリシアに抱きつき、グスグスと泣き出す。
「ヨゼフからね、一回おきたときいたんだけど……それから、また一日ねむりつづけてたから。もしかしたら、もうおきないんじゃないかって……」
「ふふっ、ごめんなさい。お嬢様は心配性ですね」
ブルーベルは顔を上げると、控えめに頬を膨らませてアリシアを見つめた。
「ミーシャさんは、あやまってばっかり。しんぱいかけさせないでよねっ」
拗ねる様子が愛おしく、アリシアは本能のままギュウッとブルーベルを抱きしめる。
「その通りです、心配かけてごめんなさい!」
「う~っ、くるしい……それに、何でうれしそうなの~……」
「お嬢様が可愛すぎるからです~!」
じゃれていると思ったのか、目を輝かせた子犬が二人の間に体を滑り込ませてきた。驚いたブルーベルは、素早く体を飛び退かせる。
「わっ、まって! 凍らせちゃったらこまる……!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。手袋をしていれば動物に触れても平気ですし……それにこの子、氷狼の子供なんです。氷魔法を司っていますから、素手で触れてもへっちゃらなんですよ」
ブルーベルが衝撃を受けた顔をして、アリシアを見つめた。急に彫りが深くなったような険しい表情に、思わず吹き出してしまう。
「お、お嬢様……なんですかその顔は……」
「ほんとなの? ほんとにさわって平気?」
「大丈夫ですよ! レイモンド様も触られてましたから……」
「ほんとだね? しんじるからね?」
何度も念を押してからブルーベルは手袋を外し、恐る恐る子犬に触れた。子犬は我関せずといった顔で、大きなあくびをしている。
ブルーベルはゆっくりと子犬を撫でながら、変わらず彫りの深い顔でうわ言のように呟いた。
「ウワァ……フワフワダァ……フワッフワ……」
「お、お嬢様……何で片言なんですか……!」
「嬢ちゃん、面白過ぎるよ……! 坊ちゃんの子供の頃とそっくりだ……」
アリシアとセドリックは堪え切れず、大きな声で笑い出してしまった。
ブルーベルは頬を膨らませてむくれながらも、興奮に顔を赤くして子犬を撫で回す。
その様子が可愛らしくて面白くて、二人はさらに笑ってしまう。
笑い過ぎで出た涙を拭きながらふと横を見ると、サイドテーブルの上にはリボンの掛かった籐の籠が置かれていた。籠の中には、美しくカットされたフルーツ盛りと、全面に刺繍が施された絹のハンカチが一枚入っている。
添えられたメッセージカードには「奥様!早く元気になってね」という文字と、エリオットとマール、サリーの似顔絵が描かれていた。
三人も代わりばんこにお見舞いに来てくれたのだろう。みんなの心遣いに、胸が温かくなる。
「ミーシャ」として初めて目覚めた時は……見舞いに来てくれる人など、誰一人としていなかった。
父親は無関心、妹には「死ねば良かったのに」と言われる始末。記憶も無いし体は痛いし……布団の中が寒くて寒くて堪らず、声も出せずに震えていた。
それに比べて……いや、比べることすら出来ないだろう。
自分の身を案じて叱り、心配し、回復を祈ってくれる人達がいる。その幸せが、何より暖かった。
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