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第十八話 おやすみ前の訪問者
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食事会から数日が経ち、アリシアの体力もほとんど回復した。
ヨゼフの言いつけ通り部屋から出ずに過ごしていたが、ひっきりなしに誰かがお見舞いにやってきて、一人で過ごす時間はほぼ無い状態だ。
その事態を重く見たヨゼフが、面会時間のシフトを決めたほどである。
本日最後の面会者……子犬を抱えたブルーベルに手を振り、別れを告げる。氷狼の子犬はブルーベルがお世話をすることになり、毎日忙しくも楽しそうに過ごしているようだ(子犬の名前は「アルジョン」、通称「アル」に決まった)。
静まり返った部屋の中で、アリシアはゆっくりとクローゼットに近付く。
元客間だったこの部屋は、過去の「アリシア」が整えた部屋だった。壁紙もクローゼットもベッドも……全てアリシアが手配したものである。
色の無い吹雪の中、この屋敷にやって来たお客様がホッと一息つけるように。壁や床、装飾品は暖色でまとめ、木の温もりが感じられる家具を揃えた。
「まさか……自分で用意した客室に、自分が迎え入れられることになるとはね」
「ミーシャ」としてこの部屋に初めて来た時に感じた好ましさも、当然のことだろう。自分自身の「好き」が詰め込まれた部屋なのだから。
「そういえば……過去のアリシアの部屋は、どうなっているのかしら? 流石に八年も経っていると、片付けられているわよね……」
そんなことを考えながら、寝巻きに着替えてココアを淹れていると、コンコンッと控えめなノックの音がする。
「お嬢さまかしら? ……どうぞ!」
カチャリと音を立ててドアが開いた先には……俯き気味のレイモンドが立っていた。
「……少し、良いか」
「まあ、旦那さ……レイモンド様! もちろんです、こちらへどうぞ」
アリシアに促され、レイモンドは暖炉の側のソファへと腰掛けた。風呂上がりのようで、髪はしっとりと濡れ、柔らかな寝巻きを身につけている。
「……こんな夜に、女性の部屋を訪ねるなど……無礼だったかもしれない。……申し訳ない」
そわそわと座り直して目線を動かしているレイモンドに、アリシアはココアを差し出しながら応えた。
「と、とんでもない! ええと、その……私達は一応、夫婦なのですし……?」
これほど至近距離で成長したレイモンドを見るのは初めてだったので、アリシアも何だか落ち着かない気分になってしまう。思えば、二人きりなのも初めてだ。
レイモンドの体は、すっかり大人の男性へと成長していた。細く身長だけが伸びたような少年の面影は無くなり、引き締まった筋肉や大きな手、喉仏などが目に入ってしまう。
八年前……レイモンドのことは勿論大好きだったし、尊敬もしていた。
今にも壊れそうな繊細さと、全てを凌駕する力強さを併せ持ち、十六歳という若さで立派に領土を治めていた旦那様。
一人の領主として厳格に振る舞う一方で、アリシアの前では子供らしい一面も見せてくれていた。
それに彼は……誰よりも優しかった。自分が不遇の時を過ごしていたからこそ、人の痛みに対しても敏感だった。
メイドであるアリシアのことも至極大切に、家族として愛してくれていたレイモンドに、淡い恋心に似た気持ちも抱いていたように思う。
しかし二人の関係は、雇い主と従者。身分だって違う。伯爵で領主のレイモンドに対し、自分は身元も分からない孤児で、メイド。
抱いてはいけない好意は、胸の奥に丁寧に丁寧に仕舞い込んで、見えない振りをしていた。
だが……今はどうだろう。身分だって不相応なものでもないし、仮にも「妻」なのである。そのことを意識すると、急速に緊張してきた。顔に血が上り、「頬が真っ赤になっているのでは」と考えてさらに熱くなる。
何を話せば良いか分からず俯いていると、レイモンドが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ヨゼフから、ほぼ全快と聞いていたが……まだ熱があるのではないか? 顔が真っ赤だが……」
額に手のひらを当てられ、情けなくも「ひゃっ……」と声が漏れた。目と目がバチリと合った瞬間、恥ずかしさで余計に顔が熱くなるのを感じる。
「これはその……暖炉に当たり過ぎたようで、はい……。体調は大丈夫ですので……」
「そうか? とにかく、無理はしないように」
アリシアの額から手を離すと、レイモンドはコホンッと咳払いをする。
「それで、だな……。食事会の褒美のことだが……」
「そのことでしたら、本当に結構ですよ! 私がしたくてしたことですし、メイドとして当然のことです」
「そういう訳にはいかない。貴方が食事会の為にどれほど働いてくれたか、ヨゼフからも聞いた。努力に正当に報いるのは、領主としての務めでもあるし……何より、俺がそうしたいのだ。あんなに楽しい食事は、久しぶりだったから」
レイモンドの彫刻のような横顔が暖炉の炎に照らされ、光と影がゆらゆらと揺らめく。
「それで、色々と考えてはみたのだが……プレゼントを贈ろうにも、貴方のことを知らないのだ。何色が好きなのかも、どんな服を着るのかも」
下を向いたレイモンドは、小さな声で続ける。
「今まで色々と、すまなかった。許して貰えるならば……貴方のことを教えてほしい。これから知っていくから、今回だけは……欲しいものを教えてくれないか」
レイモンドとの間に厚く張られていた壁が、ほんの少しだけ、崩れた気がする。アリシアは胸を熱くし、声を詰まらせながら言った。
「……ありがとうございます。レイモンド様のことも、ゆっくり教えてくださいね。そのお気持ちだけで十分、と言いたいところですが……」
「それでは困る!」
「ふふっ、そうですよね。──それでは、私……『温室』が欲しいです」
「……温室?」
アリシアは指を組み、目をキラキラと輝かせる。
「ええ、温室です! 野菜を育てたり、果物やお花を植えたりして……。セドリックから、以前は屋敷の一室を温室代わりにしていたと伺いました。お金はかけませんので、空き部屋を温室として使う許可をいただければと……」
レイモンドは腕を組み、黙り込んで眉に皺を寄せた。
(あ、あれ……!? 難しかったかしら? 以前温室にしていた部屋もそのままのようだし、承諾いただけるかと思ったのだけれど……。少しは打ち解けたと思い込んで、調子に乗り過ぎたかしら……!?)
「あ、あのう……難しいようでしたら、ご無理には……」
「いや、大丈夫だ。少し準備があるから。そうだな……三日後まで待っていてくれるか?」
「? ええ、はい……待つ分には構いませんけれど……」
「ありがとう。では、三日後に」
レイモンドは立ち上がると、何か考え込んだ様子のまま部屋を出て行ってしまった。
アリシアは夢見心地のまま、ポフンッとソファに座り込んだ。冷めたココアを飲みながら、炎が映り込んだブルーの瞳を思い出す。甘くてほんのり苦い液体が、じんわりと口いっぱいに広がった。
コップを置こうとした瞬間、机の上に置かれた紙が目に入りハッと我に帰る。それは、ブルーベルが描いてくれた似顔絵だった。
(そうだ。私がいない間……旦那様には愛する奥様がいて、お嬢様も生まれていたのだったわ。昔の旦那様が、そのまま大きくなったわけじゃない。ましてや以前の「アリシア」とは別の体の私に対して、同じように接してくれるはずもないわ。)
似顔絵を手に取り、冷静になろうと深呼吸をする。
(再会した時、旦那様はハッキリと「亡き妻以外愛するつもりはない」と仰ったもの。今以上の関係を求めるなんて、贅沢よ。昔みたいに旦那様の元で働けるだけで、十分幸せなのだから。)
「私はメイド、私はメイド、私はメイド……」
言い聞かせるように呟き、アリシアは火照った頬をパチパチと叩いた。
ヨゼフの言いつけ通り部屋から出ずに過ごしていたが、ひっきりなしに誰かがお見舞いにやってきて、一人で過ごす時間はほぼ無い状態だ。
その事態を重く見たヨゼフが、面会時間のシフトを決めたほどである。
本日最後の面会者……子犬を抱えたブルーベルに手を振り、別れを告げる。氷狼の子犬はブルーベルがお世話をすることになり、毎日忙しくも楽しそうに過ごしているようだ(子犬の名前は「アルジョン」、通称「アル」に決まった)。
静まり返った部屋の中で、アリシアはゆっくりとクローゼットに近付く。
元客間だったこの部屋は、過去の「アリシア」が整えた部屋だった。壁紙もクローゼットもベッドも……全てアリシアが手配したものである。
色の無い吹雪の中、この屋敷にやって来たお客様がホッと一息つけるように。壁や床、装飾品は暖色でまとめ、木の温もりが感じられる家具を揃えた。
「まさか……自分で用意した客室に、自分が迎え入れられることになるとはね」
「ミーシャ」としてこの部屋に初めて来た時に感じた好ましさも、当然のことだろう。自分自身の「好き」が詰め込まれた部屋なのだから。
「そういえば……過去のアリシアの部屋は、どうなっているのかしら? 流石に八年も経っていると、片付けられているわよね……」
そんなことを考えながら、寝巻きに着替えてココアを淹れていると、コンコンッと控えめなノックの音がする。
「お嬢さまかしら? ……どうぞ!」
カチャリと音を立ててドアが開いた先には……俯き気味のレイモンドが立っていた。
「……少し、良いか」
「まあ、旦那さ……レイモンド様! もちろんです、こちらへどうぞ」
アリシアに促され、レイモンドは暖炉の側のソファへと腰掛けた。風呂上がりのようで、髪はしっとりと濡れ、柔らかな寝巻きを身につけている。
「……こんな夜に、女性の部屋を訪ねるなど……無礼だったかもしれない。……申し訳ない」
そわそわと座り直して目線を動かしているレイモンドに、アリシアはココアを差し出しながら応えた。
「と、とんでもない! ええと、その……私達は一応、夫婦なのですし……?」
これほど至近距離で成長したレイモンドを見るのは初めてだったので、アリシアも何だか落ち着かない気分になってしまう。思えば、二人きりなのも初めてだ。
レイモンドの体は、すっかり大人の男性へと成長していた。細く身長だけが伸びたような少年の面影は無くなり、引き締まった筋肉や大きな手、喉仏などが目に入ってしまう。
八年前……レイモンドのことは勿論大好きだったし、尊敬もしていた。
今にも壊れそうな繊細さと、全てを凌駕する力強さを併せ持ち、十六歳という若さで立派に領土を治めていた旦那様。
一人の領主として厳格に振る舞う一方で、アリシアの前では子供らしい一面も見せてくれていた。
それに彼は……誰よりも優しかった。自分が不遇の時を過ごしていたからこそ、人の痛みに対しても敏感だった。
メイドであるアリシアのことも至極大切に、家族として愛してくれていたレイモンドに、淡い恋心に似た気持ちも抱いていたように思う。
しかし二人の関係は、雇い主と従者。身分だって違う。伯爵で領主のレイモンドに対し、自分は身元も分からない孤児で、メイド。
抱いてはいけない好意は、胸の奥に丁寧に丁寧に仕舞い込んで、見えない振りをしていた。
だが……今はどうだろう。身分だって不相応なものでもないし、仮にも「妻」なのである。そのことを意識すると、急速に緊張してきた。顔に血が上り、「頬が真っ赤になっているのでは」と考えてさらに熱くなる。
何を話せば良いか分からず俯いていると、レイモンドが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ヨゼフから、ほぼ全快と聞いていたが……まだ熱があるのではないか? 顔が真っ赤だが……」
額に手のひらを当てられ、情けなくも「ひゃっ……」と声が漏れた。目と目がバチリと合った瞬間、恥ずかしさで余計に顔が熱くなるのを感じる。
「これはその……暖炉に当たり過ぎたようで、はい……。体調は大丈夫ですので……」
「そうか? とにかく、無理はしないように」
アリシアの額から手を離すと、レイモンドはコホンッと咳払いをする。
「それで、だな……。食事会の褒美のことだが……」
「そのことでしたら、本当に結構ですよ! 私がしたくてしたことですし、メイドとして当然のことです」
「そういう訳にはいかない。貴方が食事会の為にどれほど働いてくれたか、ヨゼフからも聞いた。努力に正当に報いるのは、領主としての務めでもあるし……何より、俺がそうしたいのだ。あんなに楽しい食事は、久しぶりだったから」
レイモンドの彫刻のような横顔が暖炉の炎に照らされ、光と影がゆらゆらと揺らめく。
「それで、色々と考えてはみたのだが……プレゼントを贈ろうにも、貴方のことを知らないのだ。何色が好きなのかも、どんな服を着るのかも」
下を向いたレイモンドは、小さな声で続ける。
「今まで色々と、すまなかった。許して貰えるならば……貴方のことを教えてほしい。これから知っていくから、今回だけは……欲しいものを教えてくれないか」
レイモンドとの間に厚く張られていた壁が、ほんの少しだけ、崩れた気がする。アリシアは胸を熱くし、声を詰まらせながら言った。
「……ありがとうございます。レイモンド様のことも、ゆっくり教えてくださいね。そのお気持ちだけで十分、と言いたいところですが……」
「それでは困る!」
「ふふっ、そうですよね。──それでは、私……『温室』が欲しいです」
「……温室?」
アリシアは指を組み、目をキラキラと輝かせる。
「ええ、温室です! 野菜を育てたり、果物やお花を植えたりして……。セドリックから、以前は屋敷の一室を温室代わりにしていたと伺いました。お金はかけませんので、空き部屋を温室として使う許可をいただければと……」
レイモンドは腕を組み、黙り込んで眉に皺を寄せた。
(あ、あれ……!? 難しかったかしら? 以前温室にしていた部屋もそのままのようだし、承諾いただけるかと思ったのだけれど……。少しは打ち解けたと思い込んで、調子に乗り過ぎたかしら……!?)
「あ、あのう……難しいようでしたら、ご無理には……」
「いや、大丈夫だ。少し準備があるから。そうだな……三日後まで待っていてくれるか?」
「? ええ、はい……待つ分には構いませんけれど……」
「ありがとう。では、三日後に」
レイモンドは立ち上がると、何か考え込んだ様子のまま部屋を出て行ってしまった。
アリシアは夢見心地のまま、ポフンッとソファに座り込んだ。冷めたココアを飲みながら、炎が映り込んだブルーの瞳を思い出す。甘くてほんのり苦い液体が、じんわりと口いっぱいに広がった。
コップを置こうとした瞬間、机の上に置かれた紙が目に入りハッと我に帰る。それは、ブルーベルが描いてくれた似顔絵だった。
(そうだ。私がいない間……旦那様には愛する奥様がいて、お嬢様も生まれていたのだったわ。昔の旦那様が、そのまま大きくなったわけじゃない。ましてや以前の「アリシア」とは別の体の私に対して、同じように接してくれるはずもないわ。)
似顔絵を手に取り、冷静になろうと深呼吸をする。
(再会した時、旦那様はハッキリと「亡き妻以外愛するつもりはない」と仰ったもの。今以上の関係を求めるなんて、贅沢よ。昔みたいに旦那様の元で働けるだけで、十分幸せなのだから。)
「私はメイド、私はメイド、私はメイド……」
言い聞かせるように呟き、アリシアは火照った頬をパチパチと叩いた。
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