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小噺集

4月8日、午後12時

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 4月8日、麗らかな春の日和。
 オレはアイツとの待ち合わせに遅れまいと、急いで車を走らせていた。

 とは言っても、制限速度を越すわけにもいかず、信号の無視など言語道断。
 横断歩道の上で赤く光る信号がオレの慌てる心情を駆り立てていく。
 車に付いた時計を見れば、11時55分を差している。

 ああ、ヤッベ。
 駐車場に車を止める時間も考えて、間に合うか?

 切り替わった青信号ゴーサインにエンジンを吹かせ、目的地近くの駐車場へ。
 車を止めるとすぐに、オレは駆け出した。

「はぁ、はぁ……っ」

 こう見えて、オレは泳ぎは得意な分、走るのは滅法苦手だ。
 しかも、最近は車の移動が多いせいで、すぐに息を切らしてしまう。

 着いた先は、市が運営している緑地公園。
 花見の時期とも重なって、桜の花弁が色を成している。
 行き交う人並みを掻い潜り、やっと待ち合わせの場所へと辿り着いた。

「遅い、何やってるの?」

 公園の入り口。
 ちょうど、人通りを避けた場所にアイツはいた。

 白のワイシャツと黒のスラックスを基調として、手には深緑のジャケットを持つ。
 短く切り揃った黒い髪が風になびき、その黒よりさらに深い、夜空のような目が不満げにオレを睨みつけている。

 結界整備師、桜下さくらげ
 あだ名は、さく。

 桜の真下にいた青年は、お世辞抜きに整った容姿とすらっと伸びた身長が相まって、行き交う人たちの視線を集めていた。

 まあ、当の本人に至っては。
 ソレに気づく素振りなど、毛ほどもないのだが。

「3分くらい大目に見てくれよ」
「やだよ。こっちは仕事の合間縫って来ているのに、呼び出した本人が遅れるって何事?」

 腕を組み、ジッと睨みつけるさくの視線がとても痛い。
 3分でも、遅れたという事実は変わらない。
 これ以上、下手に言い分けをすれば帰るというのはヒシヒシと伝わってくる。

 まあ、これは。
 コイツとは10年の付き合いがある、腐れ縁とも言える。

「ん」

 オレはカバンからおもむろに、札束を突き出す。
 けれど、それは札束に見えるだけ。
 これは、紙幣の絵柄がプリントされたちょっとした遊び心おかし
 細長い長方形の駄菓子を10枚にまとめて突き出せば、さくの表情はほんの少し丸くなる。

「これ、『すだこくん』じゃん」
「朝、コンビニで見つけた。コレ、好きだっただろ」
「フーン……」

 さくは束ねられた駄菓子の一枚を引き抜くと、容赦なく包装のビニールを縦に破く。
 引き裂かれた一万円の象徴シンボル、諭吉。
 ヤツは遊び心を全く気にも止めようとせず、好物の酢に塗られた駄菓子を齧っていた。

「お前、腹減ってたの?」
「朝時間無くて抜いてきたからね、それなりには」
「そりゃあ、お疲れ。今日、入る時間が早かったんだな」
「うん」

 今日のさくは、この緑地公園内にある結界灯けっかいとうを任されていた。
 この公園はこの時期、花見で人が集中して霊力の数値に変動を起こす。
 土地の霊力を抑えるために結界灯も、ピーク時にはより回数多く点検が必要になる。

 それに駆り出されていたのは知っていたが、コイツが朝抜くのは決まって現場入りが早い時。
 恐らく、朝の7時からやっていたんだろう。

「差し入れ、ありがとう」
「おう」
「じゃ、戻るね」
「ちょいちょーいっ!」

 踵を返して現場に戻ろうとするさくを、オレは咄嗟に腕を掴み引き止める。
 振り向いたさくは、面倒臭いと言いたげな表情をしていた。

「何さ」
「お前……オレが差し入れの為に呼び出すわけねぇだろ」
「えぇ……まだ、用があるの?」

 不満げな言い方をしながらも、さくは立ち止まりオレの方を振り向く。
 それに合わせて、オレは掴んだ腕を離し、コホンと一呼吸を置いてから伝える。

「今日、何の日だか覚えてるか?」

 なんだか、付き合って一年経った女みたいなセリフだなぁ。

 オレは言ってしまったフレーズに多少後悔はする一方で、さくは全く気にしていない様子だった。

 ただ、オレの問いかけにポカンとすれば、しばらくして上を向いて、指を顎に添えている。
 真面目に考えること10秒ほど、やがてゆっくりと答えを出す。

「えっと、南B地区の水準地が少し上がったから、改めて役所から数値が公布される日だっけ?」
「ちっげぇよ!」
「あ、それ明日か」
「そうじゃねえっ!」

 なんともまぁ、的外れな返答にオレは思わず突っ込んでしまった。
 しかも、数値が公布されるのは明後日だ。
 いやいや、そうじゃなくて。
 仕事熱心なことはいいが、

「行くぞ」
「え?」
「だから、昼飯! まだなんだろ?」

 オレはさくの腕を再びつかみ、公園を出ようと歩き出す。
 花見客の視線がちらほらコッチに向かっているが、そんなの関係ない。
 て言うか、花を見ろ。花を。

「昼食って、お前と?」
「そうだけど」
「……何で?」
「今日はそうするって、オレが決めたから!」

 我ながらガキみたいなやり方だとは分かっていたが、進み出した足をどうも止められそうにない。
 さくの手を引き、突き進む。
 いつもなら、この辺で手を振り払われるところを、今日のコイツはやけに大人しい。
 腹が減っているのは本当だったみたいだ。

 結局、駐車場まで手を離すタイミングが掴めず。
 オレは恥ずかしくなって、車内では何も話せなかった。


 ◯


 さくの現場から車で10分ほど離れた場所。
 そこに行きつけの海鮮料理屋がある。
 海沿いの車道に佇む、こじんまりとした一軒家。
 一見、客足が少ないと見せかけて、中は相変わらず賑わっている。
 俗に言う、地元民しか知らない穴場スポットというヤツだ。

「いらっしゃい。あら、二人揃うなんて珍しいじゃない」
「女将さん久しぶり。コイツ、朝抜いてきてるからさ。いっぱい食わしてあげてよ」
「それは大変。今日はね、タイとアジがいいのが獲れたから。ゆっくりしていってね」

 女将さんは相変わらず、忙しい中でもお客さん一人一人と笑顔で接していた。
 その反面、厨房に控えた旦那さんはすごく強面に構えている。
 めっちゃ不機嫌な時の西村さんに負けないほどの、厳つい顔。
 けれど、新鮮な魚料理の一品は間違いなくどれも美味い。

「女将さん、この席座っていいですか?」
「ええ、大丈夫よ。待っていて頂戴」

 さくが奥に空いたテーブル席を見つけ、対面するようにオレも一緒に席に座る。
 女将さんがほかのお客さんの対応をしている間、オレ達はメニューに目を通していた。

「うーん。この二千円の定食がいいんじゃないか。刺身があって天ぷらもある」
「ねえ、あのさ」
「うん?」

 メニューから目を離し、オレはヤツの方を見る。
 相変わらず、透き通った夜空みたいに綺麗な目をしやがって。

「そんなに、一人ご飯が寂しかったの?」
「アホ、違うわ。なんでそうなるんだ」

 こんなトンチンカンなこと言わなきゃ、オレも頭を悩まさずに済むのにさ。
 そんなオレの心境なんて知るはずも無く、さくはメニューを見ながら適当に頷いている。

「私、このタイの定食にしようかな」
「あ、オレも同じのにする」
「やっぱり、アジにしよ」

 なんで変えようとするんだよ、オレと同じがそんなに嫌か?

 オレはこのトンチンカンに抗議を試みようとしたが、そのタイミングで女将さんがやってくる。
 なんとも間が悪い、コイツはこれを狙っていたんじゃいかと思えるくらいだ。

 結局。
 オレはタイ定食、さくはアジ定食を選び、しばらくすればそれぞれの料理が運ばれてくる。
 メインとなる魚はふんだんに、けれどそれだけじゃない。
 お造りになっている刺身はタイだけじゃなく、マグロやサーモン、ホタテも添えられていて、味噌汁もシジミの出汁が良く染みている。
 さくの定食も同じように、アジ以外の魚が豪華に使われていた。

「ここのお店、私好きだよ。一つの定食に色んな種類があって、食べ応えがある」
「二千円でここまで出るのはいいよな。時期によって魚のバリエーションも違うし」
「あと、女将さんが優しい。それが一番かな」

 さらりと一言コイツは呟き、味噌汁を啜っていく。
 冗談を決して言わない、自然体がさくの売りだ。
 すると、その一言が響いたのか。
 女将さんがものすごく上機嫌になりながら、オレ達の席へやってきた。

「あらま、イケメン二人に褒められたらサービスしないと罰が当たっちゃうわ」

 そう言って、机の上に小鉢が二つ。オレとさくに渡されていく。

「オレ達、これ頼んでないけど……」
「言ったでしょ、サービスって。これ、今日はあんまり獲れなかったんだけど……主人からよ、良かったら召し上がって?」

 小鉢の中を覗けば、そこには見るからに活きがよさそうなシラスがショウガを添えて乗せられてる。
 しかも、かま揚げシラスの方じゃない。
 

「ホントにいいの、コレ?」
「いつもご贔屓してもらっているせめてものお礼よ。二人とも、これからもお仕事頑張ってね」

 穏やかな笑みを零して、女将さんはまた別のお客さんの元へと向かっていく。
 ああいう風に、日頃の感謝を忘れず研鑽する。
 学ばなきゃいけないことが、オレにはまだまだ多いみたいだ。

「……これは有り難く頂戴致しましょう」

 さくも少なからず思うところがあってなのか、丁寧な口調に
 姿勢と食べる所作が、まさに見本のように綺麗に整っていた。

 それからオレ達は最近の仕事の様子を話しながら、限られた昼の一時を満喫する。
 コイツの現場の様子や、ほかの社員さんたちのこと。
 オレはあまり皆に会えない分、最近どうしているかと考える時もあったけれど。
 元気にやっていそうで何よりだった。

「お前は?」
「うん?」
「ちゃんと寝て起きて、食べてる?」

 なんだそりゃ。どんな言いまわしだよ、ソレ。
 まあ、言いたいことはなく分かる。
 要するに、下手くそながらコイツなりに心配をしているだけ。
 さっきはサラリと女将さんを褒めていたのに、今は耳を真っ赤にさせてやがる。

「安心しろ、ちゃんと寝て起きて食ってるよ」
「……甘い物ばっかり食べて、糖尿病にならないでよね」
「オレの糖分は全部脳みそで消耗してるから大丈夫」
「バッカじゃないの」

 容赦の無い、棘のマシマシな一言。
 コイツの呆れ声はオレは何万回も聞き馴染んでいるが、初対面で食らえば恐らくを食らうだろう。
 何せ美人の顔で端的に、相手を正論で射貫く。
 もちろん、初対面の相手は疎か、同僚の社員にさえ、そんな風に言うヤツじゃないけど。

 何故かオレにだけには、包み隠さずぶつけてくる。

「ご馳走様。美味しかったです」

 いつの間に、さくは定食を完食していた。
 別に早食いな方ではないけど、腹が減っていた分食べるペースも速くなっていた様子だ。

「ちょっと着信来ていたから、席外すね」
「おう」

 店の賑わいは悪いものじゃないが、電話先の相手からすれば雑音にもなりかねない。
 さくは携帯を手にして、店の外へと出て行く。
 その隙に、オレは残った鯛めしをかきこんで伝票を持つ。

「女将さん、ご馳走様。お勘定お願い」

 立ち上がってレジへ行くと、すぐに女将さんが笑顔で対応してくれる。

 合計、4840円。

 もう、店に来る前からオレはすでに決めていた。

 あんなに生意気で、憎たらしいけど。
 ほかの誰かにとっては、何でも無い日かも知れないが。

 今日ぐらいは、オレが持ってもいいだろう。


 ◯


「ねぇ、お金受け取ってよ」
「やだね」
「あんまり会う機会が無いんだし、期間空いた時に返せって言われるのが一番困るんだよ」
「言わねぇよ。そんなの」

 昼飯を終えて、現場まで戻っている間。
 運転中の車内では、さくが昼飯代を返すとやけにうるさく言っていた。

「なんだか今日、お前変だ。私を呼び出して強引にお昼に誘うし、支払いを勝手に済ませているし。いつも割り勘を強調してるクセに、ホントどうかしてる」
「別にいいだろ、たまには……。それより、雨降ってきたな。傘持ってきてるのか?」

 午前中は晴れ間を見せていた空が一転し、今はどんより曇り空。
 フロントガラスにはポツポツと雨が降り落ちている。

「いや、持ってきてないけど」
「トランクに予備のビニール傘あるから、それ持っていけ」
「え、いいよこれくらい。少し濡れても、どうってこと……」
「いいから持って行け、それで風邪引れたらオレが困るんだよ」

 変に遠慮するさくを、オレは言葉で覆い被す。
 じっと睨む黒い目にさっきのような鋭さはなく、言い負かされて不貞腐れたようにも見える。
 けれど、その後にさくが反論する様子はない。
 ただ、雨に濡れていく街並みを窓から眺めていた。

 そうしていくうちに目的地まであと僅か。
 オレは車を左折して、緑地公園の駐車場に入る。

「はい、到着っと……。うおっ、意外と風も出ているんだな」

 ドアを開き外に出ると、公園の木々が風になびいていた。
 車内では感じられなかった強風が加わって、雨の勢いが増していると感じてしまう。

「ほらな、やっぱりオレの考えは正しいだろ。観念して傘を持っていくんだな」

 オレはトランクを開き、中に入っていたビニール傘を開いてさくに渡そうとした。

「ほら」
「……」

 けれど、さくは傘を受け取ろうとはしなかった。
 それは、拒否しようと思って無視している反応じゃない。

 車から降りて、向けた視線の先は立ち並ぶ桜の木々たち。

 突然の悪天候で急ぎ足になっている花見客には、一切目もくれず。

 散っていく薄桃の色雨はなを、静かに見守っていた。

「……本当に濡れるぞ」

 雨はますます強くなっている。
 オレはさくの頭の上に傘を持っていき、なんとかこの悪天候をやり過ごす。

 すると、ふと。
 夜空のような視線が横にそれ、オレの目と重なった。

「思い出したよ、今日が何の日か」

 穏やかに言ったその言葉に、オレは自然と頬が緩む。
 それは別に、思い出したことが安心したとか、嬉しかったわけじゃなくて。
 ただ、単純に。自分事テメェについて関心の無さに、呆れて何も言えないだけだ。

「あっそ。じゃあ早く行った行った。オレも午後は市の会議に出なきゃならんから」

 オレは差した傘をさくに握らせ、急いで車に戻る。
 昼が終わり、これからは互いに仕事の時間だ。
 もう、用事は済んだことだしアイツも現場に向かっているだろう。

 そう思って振り向くと、まださくはそこに留まりオレを見送っていた。

「いいよ、見送りは。雨強くなってきたし、早く行け」

 窓を開けてオレは催促するが、さくは向かうどころか車の方に近付いてくる。
 何か言いたいことがあるのか。
 急に発進するわけにもいかず、近づくさくを待つことにした。

「何?」
「ちゃんと言っていなかったから」
「だから、何を?」

 一体、ほかに何があるっていうんだ。
 さくの意図が読めず、オレは思わず口調を強めてしまう。

 けれど、コイツはそんなオレの態度に怯むことなく、

「ありがとう、若葉わかば。覚えていてくれて」

 オレの名前を呼びながら真っ直ぐに、感謝の言葉を口に出した。

「……べっつにぃ? それぐらい余裕だし? 本人は忘れてるアホだし」
「はいはい、アホで悪かった、悪かった。じゃあ、行くね」

 そう言い残して、さくは踵を返して現場の方に向かって歩き進む。
 振り返って手を振るなど、そういった名残惜しさを残すマネは一切やらない。

 ドライで、現実的で。
 自分のことを顧みない、危なげなヤツ。

 歩く足取りは桜並木へと差し掛かり、貸したビニール傘は大粒の桜雨に濡れていく。

 春の嵐が乱れる、さくの誕生日に。
 オレはアイツの姿が見えなくなるまで、駐車場に留まっていた。
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