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第一章 夜明け
1話 月
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【今宵も良い月が見えた】
晴臣は嘲るような笑みを浮かべ、送信ボタンを押す。この文面が、“仕事の終わり”を意味する合図だ。指先から滴り落ちる鮮やかな血を拭い、黒の手袋をはめた。
――ようやく、終わった。
銀縁のメガネ越しに見える空には、家々の隙間からこぼれる太陽の光がダイヤモンドリングのように映る。そんな朝焼けの美しい空とは裏腹に、体は重くて動きも鈍い。
「参ったな……依頼が、どんどん難しくなっていく」
独り言は、朝の静けさに溶けていく。それが、晴臣にとって“いつものこと”だった。
深く呼吸をとって、銀縁のメガネを押し上げた。全身の空気を入れ替えたことによって、幾分か体の重さは和らぐ。長い茶色の髪を後ろに流す。
よし! 撤収だ。
軽い空気に身を任せ、屋根から屋根へと跳ぶ。
ひやりとする風が頬を撫で、心のもやが少しだけ晴れていく気がした。
「ふぅ……やっぱり、このルートが一番バレずに済むな」
足元を見下ろせば、豆粒のような人々が行き交っている。こんなにも近くにいるのに、誰ひとり自分の存在に気づかない。自分とは違う日常を送る人々。
そんな人々を見ていると不思議な気分になってくる。それでも、やり遂げたという満足感を得ていた。
黒いスーツの前を軽く緩めて、人気のない路地裏に飛び降りる。といっても、晴臣はアニメの中のヒーローなんかじゃない。足を引っ掛けられる場所に飛び降りながら少しずつ。そして、地面に足を下ろすのだ。
しかしながら見る人が見れば、飛び降り自殺に見えたかもしれない。
スピードを落として衝撃を最小限にしているもののそれなりの勢いがあるので、足裏にピリピリとした感覚が残る。別にどうということはないが、毎回のように足元を確認してしまう癖があった。
あれ? いつのまに?
晴臣の視界に、革靴の紐が解けているのが映った。靴紐を結ぼうと屈んだ、その時――。
「……ちょっと」
淀んだ空気を吹き飛ばす低音の男の声が、晴臣の背後から聞こえてきた。その声と共に、優しく触れる手が肩に置かれたのだ。男からの呼びかけは、自分に対してなのだとすぐに気がついた。
解けていた靴紐を結んでから、立ち上がった。そして、声のする方へ振り向く。爽やかそうに、黒の髪を靡かせた。
髪は整えられていて茶色の品のあるスーツに身を包み、丁寧にアイロン掛けをされたワイシャツ。
そんな身なりから、彼の几帳面さが窺い知れた。
艶を帯びた黒い瞳で真っ直ぐに射抜かれると、全てがお見通しみたいで居心地が悪い。さらには晴臣よりも背が高く、見下ろされているようだった。体躯も自分よりも勝っていそうに見え、力で叶うか分からない。
今までも強い相手と対峙してきたこともあったのだから、怯まない――とは、思いつつも鼓動は早い。
もしかして……? 俺のしていることがバレている? そんな、まさかね。
内心、バクバクとしていて焦りを感じていた。しかし顔には焦りの色は、全くもって感じさせない。むしろ、今のこの状況でさえもすべてが計算通り。そう言いたげにさえ思わせた。
その表情が、男を逆撫でする行為でもあった。その証拠に、ギリリと彼は歯軋りをした。
今までの犯罪も、ひとつとして表沙汰にはならなかった。証拠をうまく隠蔽して、監視カメラにさえ映りはしないし、目撃者すら存在しない。
不審火はただの事故にも見え、不審死は自殺として処理をされてきた。兎にも角にも、全てが完璧だった。
しかし、今回は違うようだ。
ヘラヘラとしながら、手のひらをひらりとさせて晴臣は一歩後ろに下がった。
「突然話しかけるから、驚いたじゃないか~」
「全くそんなふうに見えないけど?」
「うぅん……それは、気のせいじゃないかな?」
俺には、バレてはいけない理由がある。こんなところで、見つかってたまるか。
晴臣は笑みをこぼし、対して男は眉毛をぴくりと跳ね上げていた。
「それで、俺に何か用事でも?」
「あぁ」
「これは、知っている?」
「んん~?」
男の手には、一枚の写真が握られていた。写真の中には、赤という華やかなワンピースに負けない満開の笑顔を浮かべている女性がいた。
晴臣は、この女性に見覚えがあった。
それもそのはずで、ついさっき彼女を殺したばかりなのだから。
あぁ……やっぱりか。さすがにバレてしまった。
晴臣は、少々派手にやりすぎたかと後悔しはじめた。そんなことをしたところで、現実は何も変わらない。それでも後ろめたさもあり、飲み込めない感情となって胸焼けがしそうになっている。
ごくりと喉を鳴らしながら、硬くなった表情を和らげた。
「その女がどうしたんだ?」
「知っているのか?」
「そうだと答えたら?」
質問には答えない。だって、上手く交わせる自信なんかない。俺の頭はそんなに良くないんだから。
だから、晴臣はへらりとするしかなかった。
「僕は、彼女を捜しているんだ。もう一度だけ聞くけど、知らないか?」
「……」
どの言葉を発するべきか分からず、泣くに泣けず笑うに笑えないでいた。そのなんとも言えない空気感に、男はため息をついた。
ため息をつきたいのは、俺の方なんだけど?
思っても言えないので、なんとか飲み込んだ。
「俺が知ってるかを確認して、どうするの?」
「僕は、君が犯人なんじゃないかと思っている」
「ふぅん~。冤罪かもよ?」
晴臣は、余裕の笑みで返す。普通この場合で、その微笑みが怪しすぎる。しかし、この追い詰められた状況の打開方法が分からなかったのだ。
まぁ、何かあったら……その時は、力づくでなんとか。
晴臣は嘲るような笑みを浮かべ、送信ボタンを押す。この文面が、“仕事の終わり”を意味する合図だ。指先から滴り落ちる鮮やかな血を拭い、黒の手袋をはめた。
――ようやく、終わった。
銀縁のメガネ越しに見える空には、家々の隙間からこぼれる太陽の光がダイヤモンドリングのように映る。そんな朝焼けの美しい空とは裏腹に、体は重くて動きも鈍い。
「参ったな……依頼が、どんどん難しくなっていく」
独り言は、朝の静けさに溶けていく。それが、晴臣にとって“いつものこと”だった。
深く呼吸をとって、銀縁のメガネを押し上げた。全身の空気を入れ替えたことによって、幾分か体の重さは和らぐ。長い茶色の髪を後ろに流す。
よし! 撤収だ。
軽い空気に身を任せ、屋根から屋根へと跳ぶ。
ひやりとする風が頬を撫で、心のもやが少しだけ晴れていく気がした。
「ふぅ……やっぱり、このルートが一番バレずに済むな」
足元を見下ろせば、豆粒のような人々が行き交っている。こんなにも近くにいるのに、誰ひとり自分の存在に気づかない。自分とは違う日常を送る人々。
そんな人々を見ていると不思議な気分になってくる。それでも、やり遂げたという満足感を得ていた。
黒いスーツの前を軽く緩めて、人気のない路地裏に飛び降りる。といっても、晴臣はアニメの中のヒーローなんかじゃない。足を引っ掛けられる場所に飛び降りながら少しずつ。そして、地面に足を下ろすのだ。
しかしながら見る人が見れば、飛び降り自殺に見えたかもしれない。
スピードを落として衝撃を最小限にしているもののそれなりの勢いがあるので、足裏にピリピリとした感覚が残る。別にどうということはないが、毎回のように足元を確認してしまう癖があった。
あれ? いつのまに?
晴臣の視界に、革靴の紐が解けているのが映った。靴紐を結ぼうと屈んだ、その時――。
「……ちょっと」
淀んだ空気を吹き飛ばす低音の男の声が、晴臣の背後から聞こえてきた。その声と共に、優しく触れる手が肩に置かれたのだ。男からの呼びかけは、自分に対してなのだとすぐに気がついた。
解けていた靴紐を結んでから、立ち上がった。そして、声のする方へ振り向く。爽やかそうに、黒の髪を靡かせた。
髪は整えられていて茶色の品のあるスーツに身を包み、丁寧にアイロン掛けをされたワイシャツ。
そんな身なりから、彼の几帳面さが窺い知れた。
艶を帯びた黒い瞳で真っ直ぐに射抜かれると、全てがお見通しみたいで居心地が悪い。さらには晴臣よりも背が高く、見下ろされているようだった。体躯も自分よりも勝っていそうに見え、力で叶うか分からない。
今までも強い相手と対峙してきたこともあったのだから、怯まない――とは、思いつつも鼓動は早い。
もしかして……? 俺のしていることがバレている? そんな、まさかね。
内心、バクバクとしていて焦りを感じていた。しかし顔には焦りの色は、全くもって感じさせない。むしろ、今のこの状況でさえもすべてが計算通り。そう言いたげにさえ思わせた。
その表情が、男を逆撫でする行為でもあった。その証拠に、ギリリと彼は歯軋りをした。
今までの犯罪も、ひとつとして表沙汰にはならなかった。証拠をうまく隠蔽して、監視カメラにさえ映りはしないし、目撃者すら存在しない。
不審火はただの事故にも見え、不審死は自殺として処理をされてきた。兎にも角にも、全てが完璧だった。
しかし、今回は違うようだ。
ヘラヘラとしながら、手のひらをひらりとさせて晴臣は一歩後ろに下がった。
「突然話しかけるから、驚いたじゃないか~」
「全くそんなふうに見えないけど?」
「うぅん……それは、気のせいじゃないかな?」
俺には、バレてはいけない理由がある。こんなところで、見つかってたまるか。
晴臣は笑みをこぼし、対して男は眉毛をぴくりと跳ね上げていた。
「それで、俺に何か用事でも?」
「あぁ」
「これは、知っている?」
「んん~?」
男の手には、一枚の写真が握られていた。写真の中には、赤という華やかなワンピースに負けない満開の笑顔を浮かべている女性がいた。
晴臣は、この女性に見覚えがあった。
それもそのはずで、ついさっき彼女を殺したばかりなのだから。
あぁ……やっぱりか。さすがにバレてしまった。
晴臣は、少々派手にやりすぎたかと後悔しはじめた。そんなことをしたところで、現実は何も変わらない。それでも後ろめたさもあり、飲み込めない感情となって胸焼けがしそうになっている。
ごくりと喉を鳴らしながら、硬くなった表情を和らげた。
「その女がどうしたんだ?」
「知っているのか?」
「そうだと答えたら?」
質問には答えない。だって、上手く交わせる自信なんかない。俺の頭はそんなに良くないんだから。
だから、晴臣はへらりとするしかなかった。
「僕は、彼女を捜しているんだ。もう一度だけ聞くけど、知らないか?」
「……」
どの言葉を発するべきか分からず、泣くに泣けず笑うに笑えないでいた。そのなんとも言えない空気感に、男はため息をついた。
ため息をつきたいのは、俺の方なんだけど?
思っても言えないので、なんとか飲み込んだ。
「俺が知ってるかを確認して、どうするの?」
「僕は、君が犯人なんじゃないかと思っている」
「ふぅん~。冤罪かもよ?」
晴臣は、余裕の笑みで返す。普通この場合で、その微笑みが怪しすぎる。しかし、この追い詰められた状況の打開方法が分からなかったのだ。
まぁ、何かあったら……その時は、力づくでなんとか。
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