矢は的を射る

三冬月マヨ

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ギャル親父は壁になりたい

完.壁になるのは難しい

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「え…」

 ぽとりぽとりと涙を落としながら、矢田が言う。

「…懐かれるのは、嫌じゃない、んだろ? 的場が変わってから、俺、的場に懐いた訳じゃねーだろ? ずっと、昼、一緒にいたよな? 初めて昼に誘ったのは、前世とやらを思い出す前だろ? 転校初日だったからだと思うけど…それからも…俺が昼に傍に行っても嫌な顔しなかっただろ? …俺、好きなんだよ…傍に居ると落ち着くんだよ…話さなくても…安心できんだよ…」

「…矢田…」

 泣かせた。
 俺が泣かせてしまった。
 初めて見る、矢田の涙に胸が痛む。
 その涙を拭おうと手を伸ばした時。

「ああ、いけませんね、こんな可愛い子を泣かせるなんて」

「っとに、うだうだとめんどくせぇな、的場は」

 突然、これまでなかった第三者の声が響いた。

「は?」

「へ?」

 矢田が机に置いた手はそのままに、顔だけで後ろを振り返る、俺も視線をそちらへ、職員室の出入口へと向けた。

「帰ろうとしたら、何やらお取込み中でしたので、様子を見ていました」

 悪びれの無い笑顔を浮かべながら、松重まつしげ先生が俺達の方へと歩いて来る。勿論、着衣の乱れはない。

「嬉しかったなら、そのまま素直に受け取りゃあ良いだけじゃねーか。何をゴチャゴチャ言ってんだか」

 乱れた頭髪を更に乱す様に頭を掻きながら、羽間はざま先生も歩いて来る。
 緩んでいたネクタイも、ワイシャツも綺麗に整えられている。勿論、ズボンもきっちり穿いている。って、言葉遣い隠さないのか。バレたから開き直りか。

「いや、しかし、それ以前に、俺は教師で男…で…」

 …は、意味が無い、か…。
 矢田は、こんな俺を、男の俺を好きだと言った。
 幾ら、前世で腐女子で、今は腐男子でも、物語と現実とでは違う。物語の中の物は綺麗だから、嫌悪感とか抱かないのだろうと、頭の片隅で思っていた。だが、実際にリアルで男同士の行為を目にして…驚き、喜んで…嫌悪感は湧かなかった…。
 今だって、矢田に好きだと言われて、じわじわと嬉しさが込み上げて来て、それを噛み締めていたりするし…。

「…っそ、カッコわりい…」

 矢田が机から手を離して、袖で流れる涙をグイッと拭った。

「カッコ悪くなんてないですよ」

 矢田の右側に松重先生が立つ。

「カッコ悪くて、みっともなくて良いんだよ、恋愛ってヤツは」

 同じく、矢田の左側に羽間先生が…って、あれ? 俺、逃げ場が無くなった? え、何だこれは? 何だ、この圧は。
 目の前には、ヤンチャなイケメンと、落ち着いた雰囲気のイケメンと、ワイルドなイケメンが居る。
 あれ? 壁であるべき腐男子が、何故、イケメンに囲まれているんだ?

「的場先生は、混乱されている様ですから、卒業式の後に、もう一度告白したらどうですか?」

 は?

「そんで振られたら、一年、的場絶ちして気持ちが変わらなかったら、また告白すりゃあ良い」

 え?

「おや。それ、何処かで聞いた事がありますね?」

「るせ」

 愉快そうに目を細める松重先生に、羽間先生は僅かに顔を赤くした。
 何だ? 俺は一体、何を見せられているんだ?

『そこの処、詳しく!』

 と、叫び出しそうになるのを、俺は辛うじて堪える。

「…的場絶ち…」

「お、おい、矢田…?」

 え、まさか、俺、また矢田に告白されるのか? それも、二回も? って、何を考えているんだ、落ち着け、落ち着くんだ、俺。まずは、掌に人と云う字を書いて…。

「…うん。俺、また言う。だから、覚悟しておけよ、的場!」

 人と云う字を書き終える前に、目を赤くした矢田がそう言って来たから、俺はこう言った。

「…考えておきます…」

 …他に、何が言えただろう?
 涙にも弱いが…松重先生の笑顔と、羽間先生の睨みが怖い…イケメン三人の圧に負けた俺が言う言葉なんて、それしかないだろう?

「的場先生は、チョロイン属性のようですから、押せば落ちますよ。頑張って下さいね」

 ポンと、矢田の肩に松重先生が手を置いて、笑顔で何やら酷い事を言った。

 待て。
 まさか、松重先生も腐男子?
 一般人がチョロインって使うか?
 いや、いや、それって、俺がう、け、なのか?

「俺を見て言うな」

 待て。
 羽間先生も意味を知っている?
 いや、押されて落ちたのか!?

「うん、俺、頑張る!」

 いや!?
 嬉しいが、頑張らなくて良いぞ!?
 いや、嬉しいって何だ!?
 どうしたんだ!?
 俺はどうすれば良いんだ!?
 先輩方教えてくれっ!!

 そう頭の中で叫んでも、それに答える様に浮かぶのは、壁に背中を預けて座るすみの姿だ。
 30円のキャンディーを咥え、缶ビールを持った左手を立てた膝の上に乗せた澄は、良い笑顔を浮かべて空いている右手を動かした…――――――――。

 ◇

 怒涛の一日が終わった翌日の昼。

 恒例のベンチで。恒例の様に並んで。
 今日は、最初からパンを四つ抱えた矢田がやって来たから、並んで昼を食べた。
 俺が食べる姿を矢田は嬉しそうに眺めながら、パンを食べる。
 こんな親父が食べる姿を、俺が箸を動かすのを本当に嬉しそうに見ている。
 里芋の煮っ転がしを入れて来なくて良かった。こんなに見られていたら、絶対に落とす。その自信は溢れる程にある。
 でも、まあ…特に会話はなくとも、何だか幸せだなと思える時間を過ごせるのは、悪い事ではないな。

「そーいや、的場さ。頭触るの、俺だけだって…前世を思い出す前からだって、気付いてるか?」

 そして、二つのパンを食べ終えた処で、矢田がそう言って来た。何処か、照れ臭そうに。

「へ…」

 俺の間抜けな声は、高い秋の空に消えて行った。
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