矢は的を射る

三冬月マヨ

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それが、幸せ

09.好きだから

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「…あ…?」

 柔らかい何かが離れて、そんなボケた声を出す俺の目の前には、先生のドアップがあった。

「…は? え? 今…キ…ス…した、のか?」

 何だか信じられなくて、ちょろっと視線を泳がせて俯けば、そこに見えるのは、厚みはあるけど形の良い先生の唇だ。

「…嫌だったか?」

 その唇が、ゆっくりと確認する様に動く。
 距離が近いからか、先生がじっと見てるのが解るし、唇が動いたら、その息が俺に掛かった。

「い、やじゃ…一瞬だったし…」

 それを意識したら、心臓がバックンバックン動き出した。顔に血が集まって来て、めっちゃ熱いし、きっとじゃなく、間違いなく俺、真っ赤だ。
 先生の手首を掴んでた筈なのに、何時の間にか、先生が俺の手首を掴んでるし。って、本当に何時の間に?

「じゃあ、もう一度、な?」

 低い声なのに、甘える様に耳元で囁かれて、何だかじんじんと耳が痺れた。俺の耳、しもやけになったのか? いや、痒みは無いけど、何か、ガーッて掻き毟りたい。

「う」

 うん、って返事をする前に、先生の唇が俺の口を塞いだ。
 キスなんて初めてだから、どうすれば良いのかなんて解らない。
 ただ、反射的に目を閉じてた。
 だって、先生の目が。
 何か、熱かったから。
 そんな目、初めて見るから。
 怖かった…のかな?
 何か、ドロドロに溶かされそうで。
 熱いのは、目だけじゃないし。
 掴まれてる手首も熱いし、むにっと触れる先生の唇も熱い。

「…あ…?」

 むにむにと、角度を変えて何度もキスされたと思ったら、ちょんっと、ぬめる何かに唇を突かれた。

「口、開けて」

「く、ち?」

 薄っすらと目を開けて、口を「あ~」って開けたら、熱い何か…先生の厚みのある舌が、俺の口の中に入って来た。

「んんっ!?」

 いきなりの事に驚いて、思わず顔を引こうとしたら、後頭部をがっしりと掴まれた。

 ふぉおおおおお~っ!? 
 な、何だこれ!?
 口の中で先生と俺の舌が暴れて、くんずほぐれずのジャーマンスープレックスしてる!? いや、ジャーマンは後ろから周りこんでって…っ! 違う、そうじゃないっ!!
 まって待って待ってっ! ギブ! ギブギブ、ギィブゥッ!!

 掴まれた手や頭をうにうに動かしてたら、舌が抜けてった。俺のじゃなく、先生の。

「…逃げるな。嫌じゃないなら、逃げないでくれ」

 唇を離して、そう言って俺を見る先生の顔は、何だか泣き出しそうに見えた。
 泣くのか? って、思った瞬間、胸にズドッて、五寸釘打たれた感じがした。…打たれた事ねーけど。

「…に、げたんじゃねーし…驚いただけ…。お、れ、キ、キス初めて…だし…」

 だから、ちょっと俯いて上目遣いに先生を睨んでそう言ったら、先生は不思議そうに首を傾けた。
 何で、首を傾げんだよ!?
 
「…俺っ、初心者なんだけどっ!」

「え」

 察しろよって声を荒げれば、先生の目は点になった。
 何でだよ!?

「どっ、童貞だって、羽間はざまが言ってたろ!」

 童貞なんだから、加減してくれよっ!

「あ、ああ…。いや…その…童貞でもキスぐら…」

 キッと更に強く睨むと、先生は片手で口を押さえて、視線を彷徨わせた。もう片方の手は、相変わらず、俺の手首を持ったままだけど。

「ねーよっ!!"童貞=キスも未経験。うぷぷ、おこちゃま"じゃねーのかよっ!?」

 卒業してった先輩達はそうだったぞ!?
 羽間だって、似た様な反応だったし!

「あ、いや…すまん…」

「って、何でいきなりキスすんだよ!? 一言くれよ!」

 まあ、言われたら言われたでテンパったと思うけど!

「いや…」

 口を押さえて視線を泳がせる先生に、俺はギャンギャン吠える。

「はっきり言えよ! 怒らないから!」

 いや、もう怒ってるかも知んねーけどな! 俺、涙目になってるし!
 じっと睨んでたら、段々と先生の顔が赤くなって来た。

「…矢田が…可愛過ぎて…」

 ちょこっと顔を俯かせた先生の口から零れたのは、そんな言葉だった。
 今度は、俺の目が点になったと思う。

「…へ…」

「…やきもち…嫉妬してくれてるのが…嬉しくて…つい…」

 嬉しい?

「う…れしい…って…」

 何で?
 ヤキモチなんて、みっともねーんじゃねーの?
 ガキくさいよな?

「俺の中にお前が居ないなんて、寂しい事を言わないでくれ…アオッターは…なるべく俺を出さずに…前世…すみになり切ってるから…。…だが…そんな寂しい想いをさせているなら…俺は澄を止める」

 なんて思ってたら、先生の額が俺の肩に乗った。
 髪からふわりと、シャンプーの匂いが、あの先生の匂いがして、俺はドキリとしてしまう。

「止めなくて良い!」

 で、そんな先生が言った言葉に、俺は反射的に叫んでいた。

「矢田?」

 先生が俺の肩から顔を上げて、目を何回かパシパシさせて見て来た。

「だって、好きなんだろ? あんな勢いで叫んでさ! 文字を、漢字を打ち間違えるぐらい、好きなんだろ!? いっぱい"♡"に数ついてたし、皆、楽しみにしてんだろ!? 俺のヤキモチでそれ、止めたら駄目だろ! 好きなら止めんな!」

 返事? 会話? そんなのがあって、すげー楽しそうだったじゃないか。
 俺には解らない話で盛り上がっててさ。
 …ああ、そっか…。
 …ヤキモチもあったけど、そっか…俺、寂しかったのか…。

「…矢田…やっぱり優しいよ、お前は…」

 怒鳴る俺に、先生は眉を下げてへにゃりと笑う。

ちげーし…的場の好きを取り上げたい訳じゃねーから…」

 寂しいけど…好きなモンは好き。それでいーだろ。
 本を…小説を読んで、百面相してる先生も好きなんだから…。

「ああ、ありがとう…。そんなお前の、真っ直ぐな優しさが好きなんだ…」

 ちょっと俯いて唇を尖らせた俺の頭を、先生の手が撫でる。

「…的場…」

 この手が好きだ。
 俺、先生にこうされるの好きなんだよ。

「お前が俺の食べる姿が好きだと言う様に、俺も…お前が一生懸命食べる姿が…俺を見ながら美味そうに食べる姿が好きだ…本当に美味そうに食べてくれて、ありがとうな」

 ゆっくりと頭を撫でて、優しく笑う先生に、何か目が熱くなった。

「…ま…とばぁ…」

「こんな風に涙脆いお前も好きだし、顔を真っ赤にして怒るお前も可愛くて好きだし、悪いと思ったら素直に謝るお前も好きだ」

 目だけじゃなくて、喉も胸も熱い。

「まっ…とばのせーだし…的場だから…」

 先生が優しいから。
 先生が俺を否定しないで居てくれたから。

「そうだな…好きだから、その言葉だけでは足りなくて…触れたいと思う。…キスして良いか?」

 俺の頭を撫でる手は、そのままで。
 俺の手首を掴んでた先生の手が、頬を流れる涙を拭う。

「…好きだから…見ていたいし…不安になるし…寂しくなるし…ヤキモチ妬くし…キスしたいし…セ…クスも…したい…?」

 涙でぐにゃぐにゃだけど、先生は優しい笑顔でゆっくりと頷いた。

「ああ。矢田は? お前はどうだ?」

「お、れ…は、初めてだから…解んねーけど…。けど…うん…的場に…触りたい…も…っと…色々知りたい…。…だ、だから…その…先生が…教えて…くれ、よ…な?」

 こくりと頷けば、ポタリと涙が落ちるのが見えた。
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